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夢屋 胡蝶  作者: 真鶴 黎
第二夜 無に黒の一閃
14/88

#6

「はい。春海さんは絵を描くために色々なところに行っていますよね?」


 例の練習帳にはいくつも風景画が描かれていた。ラフのようなものから、描き込まれたものまで、様々だ。海であったり、山であったり、崖であったり、湖であったり、街だったりと様々な風景が収められていた。それを見るだけでも各地を回っていると推測もできる。


「ああ。絵を描くために各地を巡ることもある」


 春海は山奥に暮らしている。時々、絵を描くために山を出てこれだと思う風景を描いて、また山に戻るという生活をしている。


「では、各地で何かしらの噂を話を耳にしますか?」


「よくするぞ。宿に泊まるから、俺のように絵を描くために遠出したり、各地を転々とする絵描きもいる。もちろん、旅人もいるし、その地に住まう者もいる。彼らと話すことが多いゆえ、何かと噂話は入ってくるな」


 どこの食べ物が美味いだの、あの妖怪は今こうしているだの、この辺りにはこんな物があってね、など、様々な情報が耳に入ってくる。

 望は春海の話を聞いて、なら、と脳裏の黒を思い浮かべる。


「実は、とある人ならざる者の情報を訊きたいのです」


「ほう。お尋ね者がいると」


「はい。お時間いただいてもよろしいですか?」


「俺は構わないぞ。今日の営業は終わりのようだが、二人はいいのか?」


 夢屋の今日の営業は終わっている。暗くなった外に店の橙色の灯が漏れ出ている。


「大丈夫だよ。僕、お茶淹れてくるから、二人で話してて」


 じゃあ、と周は手をひらひらと振って暖簾の奥へ歩いて行く。

 立ち話も何ですし、と言って二人は席に着く。


「して、どのような者だろうか?」


「それが、姿形も、何者なのかもわかっていなくて。漠然どころではないのですが……」


「とりあえず、話を聞こうか」


 春海は望に話を促す。

 望は春海に幼少期のあの事件のことを話す。春海は口を挟まず、静かに望の話に耳を傾ける。


「……その黒い何かに会って以降、夢を見られなくなってしまったのです」


「なるほどな。人間のお嬢さんが周殿の傍にいる理由がわかった」


 貘は夢の専門家。であれば、夢を見ることのできない望が貘である周を頼るというのは不思議ではない。周も彼女に人ではないと見抜かれてしまうし、夢を見ない彼女に興味を持つのも納得がいく。


「このようなことを訊いてもいいのかと思うのだが、心の方は大丈夫だろうか? ふとしたときに思い出して、苦しくなっていないか?」


 忘れたくとも忘れられない苦い記憶。齢八歳の少女が場所もわからない、薄暗い場所で正体のわからない者に襲われるとなれば恐ろしくて辛いだろう。話している様子はとくに変わりはないが、幼い頃に味わった恐怖は中々忘れられないだろう。

 春海の心配そうな眼差しに望は微笑む。


「しばらくの間は怖かったけれど、今は大丈夫です」


 外の世界に怯えていた当時の自分に教えてあげたくなるほど、今は平気だ。

 大丈夫。少しずつだけど、怖さは消えたから。

 寝るのも一人では怖いと怯えていたあの頃の自分が親元を離れて一人暮らしをしているぐらいだ。あの件以降、人ではない何かに誘拐されることはない。


「そうか。ならよかった」


 春海はほっと息をつく。凛とした綺麗な瞳の人間がはっきりと言うのなら、心配はいらないのかもしれない。


「望殿は強いな」


「そんなことは……」


「克服して、今、こうして探そうと思うなんて、強い人間だ」


 時には逃げも大事である。だが、逃げてばかりではいけない。いつかは向き合い、前を向いて歩いていかないといけないのだ。たとえ、辛い記憶を引きずることになったとしてもだ。望はちゃんと向き合い、原因を調べようとしている。

 望という人間は感情の起伏はあまりなく、どこか冷めたように見える。だが、芯の通った人間。春海の目にはそう見える。


「……だが、非情に残念なのだが、俺はそのような者に心当たりがない」


 望の気持ちを裏切るようで申し訳ない、と春海は言う。今まで、様々な土地を訪れ、話を聞いた春海の耳には十二年前に子供を連れ去った黒い影の情報は入っていない。


「そうですか……」


 今までにも春海のように各地を旅するような者や情報通に訊いた。しかし、いまだに情報が掴めていない。


「その様子だと、手がかりがほとんどないという感じか」


 表情の変化が少ない望が見るからに気落ちした。春海はその様子からすぐに状況を察する。


「はい」


「当時、幼く、恐怖のあまり気を失ってしまったのなら情報が少ないのも当然か」


 望が覚えている影のことは黒かったことと、細い腕、鋭利な爪という特徴ぐらい。人ならざる者にそのような特徴の者は多く存在している。この時点で、絞り込んだとはあまり言えない。


「やはり、情報を得るための情報が少ないですよね?」


 インターネットの世界と同じだ。キーワードが少なければ膨大な量のサイトがヒットしてしまう。欲しい情報を探すにはノイズが多すぎる。となれば、キーワードを追加して少しでもノイズを除去する必要がある。

 現状、そのキーワードすらも少ない。よって、欲しい情報を得るためのキーワード、もしくは、関連する情報が少ないのだ。


「そういうことだな」


 春海は腕を組む。春海の本来の姿、烏天狗の姿は真っ黒だ。望を攫った者が黒という点で共通している。烏天狗だけでも各地に多くいるため、自分の同胞から探し出すのも一苦労だ。


「俺は情報を持っていないが、知っている者がいるかもしれない。旅先であったり、同胞たちに訊いてみよう」


「いいのですか?」


「いいとも。俺があちこち行くついでだからな」


 行先で情報を集めてほしい。そのようなことを頼まれることもあるのだ。春海はそれで稼ぐこともある。

 それ以外にも、烏天狗としての特性を活かせばいいのだ。


「少し確認をさせてくれ。事件が起きたのは今から十年ほど前なのだな?」


「そうですね。もう少しで十二年前になります」


 望は今年二十歳になる。当時八歳になったばかりであるため、約十年前の話だ。


「十二年前……。ギリギリか?」


 春海は独りごちると、望は首を傾げる。


「ちなみに、望殿の出身はこの辺りか?」


「いいえ。大学入学を機にこちらに越してきました」


「それなら、望殿が被害にあった辺りの場所を教えてほしい」


「春海殿、烏使ってくれるの?」


 人数分の茶を用意した周が戻ってくる。テーブルに緑茶を置き、隣の席から椅子を持ってきた周は望の隣に座る。


「烏を使う?」


 望は不思議そうに周の言葉を繰り返す。


「そう。だって、烏天狗だよ? 烏と仲がいいんだよ」


「烏たちは我らの眷属。情報収集を彼らに頼むことがある」


「そんなことができるんですね」


 望は感心する。賢い生き物として有名な彼らに情報収集を依頼するとは、よくできていると思う。


「望殿の実家近辺を縄張りにしている烏の中に知っている者がいるかもしれない。野生の烏の寿命は約十年。長生きする者は十五年、二十年生きる。訊いてみる価値はあると思う」


 最近のちょっとした情報や人間の情報については春海たち山奥で暮らす者が多い烏天狗よりも人間たちの生活に溶け込んでいる烏たちの方が圧倒的に詳しい。十二年前の情報となると、知っている烏がいるかどうか、いたとしてどこまで覚えているかという心配はあるが、人間の生活圏を縄張りとする彼らに当時の状況を知っている者がいるのならそれはそれで手がかりになるだろう。


「お願いしてもいいですか?」


 望が遠慮気味に言うと春海は満面の笑みを浮かべる。


「いいとも。少し時間をもらえるのであれば情報を集めよう」


「ありがとうございます」


 望は深々と頭を下げる。


「では、場所を教えてほしいのだが、何か目印になるような建物だったり、地形はあるだろうか?」


「誘拐されたのは住宅地なので目印になるようなところは、ちょっと離れている小学校ぐらいしか……」


「学校か」


「地図出しますね」


 そう言って望はスマホをポケットから取り出し、地図アプリを開き、望の姿が最後に確認されたとされる英会話教室の辺りにマーカーを置き、春海に見せる。


「すみません、画面が小さくて見にくいかもしれまんせん。赤い雫の印が私の姿が最後に目撃された場所です」


「ほう。では、拝見」


 春海はスマホを受け取り、画面をじっと覗き込む。その際に画面に指が触れて地図が大きく動く。


「ん? 望殿、地図が動いた」


「画面に指が触れたからですね。赤い印を触らなければ、印が消えることはないと思いますので、自由に動かしていただいて結構です。拡大縮小もできます」


「拡大縮小もできるのか?」


「はい。二本の指を使います。こうやって」


 望は宙で指を動かす。親指と人差し指の指先の間隔を広げる、狭めると繰り返す。


「物を摘まむように指と指の距離を縮めると縮小、その逆の動きをすれば拡大です」


「……こうか?」


 春海は試しに赤い印の近くを摘まむような感じで二本の指の距離を縮める。すると、望が言ったとおり、縮小される。先ほどまで画面に出ていなかった場所が見えるようになる。


「これは便利だな」


 春海は拡大縮小を繰り返す。おもちゃを与えられた子供のように楽しそうな姿に望は小さく笑う。春海の大きな手の中で小さなスマホを楽しそうにいじっている姿が微笑ましい。


「春海殿、それ楽しいよね」


「面白いな。どんな絡繰りなのだ、この板は」


 薄くて軽く、小さい。この物体はどのような仕組みが動いているのか不思議である。


「分解しちゃう?」


「周、それはやめて」


「冗談だって」


 周はからからと笑う。


「で、春海殿。その周辺の情報、集められそう?」


「集められるとは思う。望殿、これを預からせていただけないだろうか?」


「スマホはちょっと……」


 スマホごと持っていかれると困ってしまう。ないとは思うが、春海が紛失したり、壊してしまったりしたときが厄介だ。壊れるぐらいならまだいいのだが、紛失して個人情報が漏洩して悪用されると困る。スマホは個人情報の塊だ。


「明日、その地図をコピー……紙に印刷した地図を用意します。それをお渡しするという形でもよろしいですか?」


「紙の地図を用意してくれるのか?」


「はい。地図に目印になるような建物に印をつけてお渡しします」


「わかった。明日の夕刻に取りにこよう」


「僕、明日妖街に行くよ。そのときに春海殿が泊まっている宿に届けるよ」


「ならば、そのように」


 春海は望にスマホを返す。その際に、また春海の指がどこかにあたったのか、地図が切り替わり、航空写真になる。


「うおっ!? 俺は何かしてしまったか?」


「大丈夫ですよ。地図の種類が変わっただけですから。上から撮影したものです」


「そのような地図もあるとは……。望殿、差し支えなければ、その写真の地図もいただけるだろうか? 上から探すときにわかりやすい」


 烏天狗は空を飛ぶ。そのため、上空から見た光景をそのまま映すその地図の方がわかりやすいし、烏たちも理解しやすいだろう。


「なるほど。では、二種類の地図を用意して、周に預けますね。一緒に近隣の様子のメモもいれておきます」


「便利な時代だな」


「だよね」


 今の地図と比べると、昔の地図は荒い出来の物が多かったように思う。春海は地図を手に旅をしていた昔を思い出す。地図の精度が低く、迷うこともしばしばあった。今と昔とでは地図の正確性が本当に違うと思い知らされた。


「あ、そうだ。どれぐらいの範囲のものを用意しましょうか? 多分、そこまで広範囲じゃなくてもいいとは思うのですが……」


「そうだな。現場と望殿の実家あたりがちょうどよく収まっていればそれで。あとは烏たちに街の詳細を聞く。メモに住所……街の名前まででいい。書いてもらえると助かる」


「そうですね。わかりました」


 望はスマホのメモ帳に入力していく。


「では、明日、周に地図を預けますね」


「僕に任せて。時間帯は夜になるけど、いいかな?」


「明日の夜だな。問題ない。もしも、留守にしていたら外づけの文箱にいれておいてくれ」


「それじゃ、交渉成立ってことで」


 周は茶を飲む。


「それにしても、周殿。望殿のような事例は今までにもあったのか?」


 春海は長く生きているが、夢を見ない生き物など聞いたことがなかった。精神的なことや病で一時的に見ないという話は聞いたことはある。望に手を伸ばした者のせいだとは春海も思うのだが、そのようなことができる者がいるのかも疑問だ。

 周は湯呑を置くと眉間に皺を寄せる。


「僕も聞いたことがないんだ。本当に望ちゃんはただ眠るだけでは夢を見ることができない。夢玉を使っても絶対見るとは限らないし、見られたとしても本当に短い。僕が夢に引きずり込めば見ることができるんだけどね」


「貘の一族でも何か伝わっていないのか?」


 夢について詳しい一族と言えば貘の名が挙げられるだろう。その貘の見解はいかなものか、と春海は疑問に思う。

 春海の問いに対し、周の眉がピクリと動く。


「……貘の中でもそんな話を聞いたことがないんだ。貘は夢を食べるけど、食べつくすようなことは絶対しない。僕らは夢をちょっとだけいただくんだ」


 夢は記憶だ。その夢を全て食べるということは、記憶を全て食べてしまうのとほぼ同義。夢を食べつくしてしまうとその記憶も失われてしまう恐れがある。実際、過去に夢を食べつくしてしまってその夢に関わる記憶が失われてしまったという事例がある。よって、周が夢を回収するときも、少しだけもらうのだ。夢を食べつくしてしまったり、全て取り出してしまうと、記憶から失われてしまい、同じ夢を二度と見ることができなくなってしまう。


「全ての夢を、夢の大元である核までを食べつくしてしまうとその生き物は夢を見なくなる。つまり、記憶をなくしてしまう。貘としても、ご飯がなくなってしまうから、そんなことはしない。特別な事情がない限り、本人の了承もなく記憶を消してしまうのはご法度だから、夢をたべつくすたり、夢の全てを取り出すことは禁忌とされているんだ」


 夢を食べつくしたり、見ている夢を全て取り出すことは貘の中ではご法度。古くからそう定められている。夢の核を食べてしまった場合は重い刑が科されるのだ。


「望ちゃんは夢の核が失われたわけではない。だけど……」


 望の中に夢を見るための核はちゃんと存在している。その核に異常はとくに見られない。

 それなのに、望が夢を見ない理由がわからない。


「貘でも難しい問題なのだな。わかった。これも縁だ。何かしらの手がかりになれるよう、俺も協力しよう」


「ありがとうございます、春海さん」


「何、これぐらい容易いことだ」


 そう言って春海は望を安心させるように微笑んだ。


◇◇◇◇◇


 ひっそりと静まり返ったその場所に桜が咲いていた。山奥ということもあってか、まだここの桜は花をまとっていて、遠目に見るとまさに霞。

 その桜の傍に黒い翼を背に持つ男が降り立つ。


「和尚よ、久しいな」


 烏天狗は小さく笑う。彼の言葉に応じるように、風がざわめき、桜がはらはらと散る。


「寺が廃れてから、和尚の正確な寝床がわからなくなってしまった」


 烏天狗はその場に座り込み、持ってきた竹筒を置く。


「この桜も、和尚がいたときとは違うからな」


 共に見たあの桜は枯れてしまった。あれから新しい桜が芽吹き、今に至る。


「月やあらぬ、春や昔の、春ならぬ、わが身ひとつは、元の身にして。そんなことを思ってしまうな」


 酒用の盃に竹筒の中身を注ぐ。白の盃に緑茶が満たされる。二人分用意した緑茶を、一方は隣に置き、一方は自分の手に納める。

 雲間から月が顔を出す。花が雪のように舞い散る。


「だが、それもまた一興なのだろうな」


 烏天狗が小さく笑うと、隣の盃に花弁がひらりと舞い落ちる。白の盃、緑茶、桜の花弁、と三色団子の配色のようだ。

 烏天狗は懐から小さな玉を取り出す。とんぼ玉のようなそれは、白に近い桜色に染まっている。それを夜空にかざす。

 そんな烏天狗の隣に誰かが座ったような気配がした。

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