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 豊は頑として母親の連絡先を口にしようとしなかった。しかたがないので私達は停戦協定を結び、中村の迎えを待つことにした。私は無関係なのだから、豊がなんと言おうと家から追い出してやることもできたのだが、この妙な展開に背を向けるには、私という人間は好奇心が強すぎた。中村を待って、私の名前が書き込まれていた理由を尋ねる。それくらいのことは、許されるはずだ。

 豊は私への疑いを完全に解いたわけではないようだったが、手帳に書かれた電話番号が私のものではないということには納得してくれた。彼の目の前で、手帳に書かれたその番号に電話をかけて見せたのだ。運良くそのとき父は電話を受けられる場所に居たようで、この番号が自分のものであることをすぐに保証してくれた。

「それでね、お父さん、今、中村さんの息子さんがうちに来ているんだけど、なんだか変な誤解をしているみたいなのよ」

「え?ご、誤解?」

「うん。そうなの。なんかね、そのーーそこに誰かいる?大丈夫?あのね、黙って聞いててよ?ーーその、私の名前がね、中村さんの手帳に書いてあったらしくって、それで私と中村さんが不倫していたんじゃないかって」

「なんだって!?」

 父は頭の天辺から突き抜けるような甲高い叫び声を上げた。その声があまりに大きかったものだから、向かいに座る豊にまで聞こえたらしい。豊は目をぱちくりと瞬かせ、どうかしたのかと私に問いかけた。

「お、お父さん落ち着いてよ。そんな、だから誤解なんだってば。私が不倫なんてするわけないじゃない。それでね、その、中村さんと連絡がつくなら、豊君を連れに来てもらいたいのよ。豊君、納得するまで帰らないって言い張っていて」

「わかった。お父さん、中村君連れてすぐに帰るから」

「うん。そうしてくれると助かる。あ、でも、中村さんは捕まるの?もう帰られたんじゃない?」

「いや、今丁度一緒に居るんだよ。だから、すぐに連れて行けるよ」

「へえ、一緒だったんだ」

 既に7時を回っている。父がどこにいるのかは知らないが、中村と一緒に居るということは、接待か何かの最中なのではないか。二人で抜けても大丈夫なの?問い返す私に、父は大丈夫だと力強く答える。珍しくも父が、頼もしく思えた。

「じゃあ、待ってるから。あ、それから中村さんに、豊君のお母さんに連絡してくださいって伝えて。多分、心配していると思うから」

 それじゃあよろしくね。携帯を切って豊に向き直る。豊は、なんだか落ち着かない様子で私を見つめていた。

「豊君のお父さん、こっちに来るって。30分くらいで着くって言っていたから、おやつでも食べてよっか」

 こくり。豊は頷いて、テーブルの上のクッキーの缶に手を伸ばす。考えてみれば、小学生ならばもうとうに夕飯を食べている時間だ。こんなものを食べさせないで、ご飯を作ってやったほうが良いのだろうか。しかし、今から作るとすると、出来上がる頃には迎えが到着してしまう。

「豊君、ピザか何か注文しようか。お腹空いたでしょう?」

「……要らない。なあ、お前さあ」

「お前じゃない。萌お姉さん」

「……萌さあ、本当にパパとは何の関係もないわけ?」

「当たり前でしょう。何度も言ったように、私が君のお父さんに会ったのは、ほんの2、3週間前のことなんだから。しかもそれ一回きりよ。なんで私の名前が手帳に書いてあったのかなんて、私のほうが知りたいくらいだわ」

 ふうん。豊は4枚目のクッキーを口の中に放り込んだ。折角のルコントのクッキーを、味わいもせずに租借する。やめて。これはそんな食べかたが許されるものじゃないのよ。もっとも、流石に私もそれを口にすることはできなかった。彼がそうして無心にクッキーを食べているのにはワケがあるのだということくらい理解できたからだ。

「お茶、もう少し飲む?」

「ちょうだい」

 結局豊は二人の父親がアパートに辿り着くまでに、13枚のクッキーと4杯の麦茶を腹に収めた。


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