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「どんな人だったの、昨夜のお客さんは」
昼休み。いつものように食堂でお弁当を食べている所に、先輩の山根和美が声をかけてきた。和美は私が入社したばかりの頃にとても世話になった人で、異動で部署の別れた今でも、私にとって最も仲の良い同僚の一人だ。休日には一緒に遊びに出かけるし、父のいないときには、私の家に泊まりに来たりもする。
そんな関係であるから、和美には来客の予定を伝えてあった。まあ伝えるといっても、話の流れで何となくその話題になったという程度で、ことさら大仰に話したわけではない。しかし、単調なOL生活を送っていると、面白いことの気配には敏感になるのだ。この場合の面白いことというのが、他人の身に降りかかる面倒ごとを指すのだということは、言うまでもない。
和美は私の隣に座ると、ひょいと体を乗り出してきた。彼女はいつもそうやって人の弁当の中身を検分する。時には勝手に手を伸ばすこともある。三十歳を超えた女のすることではない。
「そのお肉、美味しそうね」
案の定今日も私のおかずは狙われた。今日の私の弁当はデパ地下の限定食だ。フライングで会社を飛び出して手に入れたこの高価な肉を、見返り無しに譲ることはできない。
「すごく美味しいですよ。あげませんけど」
「誰もくれとは言ってないじゃん。私だって今日はカツサンドだもん。それで、どんな女だった?美女?それとも熟女系?あんたのお父さん可愛いから、水商売系の人にももてそうよねえ」
「可愛くなんかないですよ。ただのおじさんです」
「あははははー。ファザコンがいるよ。可愛いなあ、もう。なにあんた、お父さんを取られそうで拗ねてるわけ?やっぱりそういう人だったんだ、お客さんって」
「違いますよ。なんで女だって決め付けるかなあ。父の会社の部下でした。男の人。30代後半くらいじゃないかな」
男?カツサンドを頬張ろうとした和美は、私の話に手を止めた。
「何それ、どんな人よ。独身?」
そうらしいですよ。私が答える。
「いやだ、あんたそれ、見合いじゃないの?」
「見!?ーー見合いって、何言ってるんですか」
思いがけない和美の言葉に、私は思わず大声を出しそうになった。見合いだなんて、この人はいきなり何を言い出すのだ。私が見合い?あの、スーツの肩に白いものが積もっている男と?俯きがちな髭面の男と?箸使いは美しいが服装のセンスが微妙なあの気弱そうな男と私が見合い!?
「山根さんそれ却下。なし。っていうかあの人最近離婚したばかりだって話だし、それでいきなり見合いとか言うのはないでしょう」
そうなのだ。昨夜、中村が帰った後で父が話してくれたところによると、彼の奥さんは、二月ほど前に、小学5年生の息子と一緒に家を出て行ってしまったのだそうだ。それから暫く話し合いを続けたのだそうだが、結局離婚をしてしまったらしい。奥さんが出て行った理由については父も語りたがらなかったが、まあ浮気とかそんなところだろう。
つまるところ昨夜の食事会は、妻に捨てられた寂しい上司と部下の傷の舐めあいの為に催されたのである。それだけのことだ。
しかし和美は私の説明に納得しなかった。そんなはずはないと、何を根拠にしているんだか、やたらと強固に主張する。
「だってあんた考えても見なさいよ。そんな切ない寄り合いだったらよ、普通は娘のいないところでやるもんでしょう。赤提灯とは言わないけどさあ、その辺の飲み屋でもどこでもやれば良いじゃない。それがわざわざあんたに紹介したって言うんだから、それは絶対に見合いよ。
気の強い一人娘はいつまでたっても嫁に行く気配がない。そこにお気に入りの部下が離婚したという報せが!ああ、これはうちの萌ちゃんをお嫁に行かせるチャンスだよ!と、お父さんはで飛びついたんだね。間違いない」
自分だって嫁に行っていないくせに、都合の悪いことはすっかり棚に上げて、和美は言いたい放題だ。
「萌、よく聞きなさい。私たち四捨五入すると三十の世界の住人にとって、見合いは恥ずかしいことでもなんでもないのよ。寧ろ、やって来るうちが花だと思いなさい」
「切り上げで30歳と切捨てで30歳を一括りで語るのはどうかと思いますけど」
「うわ!何この子、可愛くないこと言う!あんたねえ、三十路なんてまだ先だと思ってるんでしょうけど、あっという間よ。気づいたら同級生は皆、子供の話しかしなくなってるんだからね。覚悟しておきなさいよ」
和美はその恐ろしい宣告の駄目押しをするように、顔を歪めて思い切り舌を出した。その表情の凄まじさに思わず見惚れていると、視界を和美の腕がさっと横切る。
――やられた!
気づいたときには手遅れで、私の肉の最後の一切れは、和美の口の中で丁寧に咀嚼されていた。