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追憶 一

 それは、ありふれた事件。

 この世界に生きる誰もが、ある日唐突に、理不尽に、その身に降りかかるかもしれないどこにでもある悲劇(・・・・・・・・・・)


 ――ただ、その場所で繰り広げられた惨劇は。

 同様の惨状を数多く目にした熟練の魔術士であれば一目でわかる、数多くの違和感があったのだが。


 かの事件を知る者は、少ない。

 その時は、たったの二人。












 鬱蒼と生い茂る森の中を、小さな影が駆けていた。

 息を切らして、腕を振って、木の根や木の葉を踏み越えていく影の数は二つ。大きい方は白髪の少女で、小さい方は茶髪の少年だ。


 ここは、彼らが日常的に踏み入る遊び場。晴れの春も、雨の夏も、曇りの秋も、雪降る冬も、いつだって彼らは木々の隙間を縫うように走り抜けてきた。

 自由奔放な少女が笑って先を行き、苦労性の少年が慌てて後に続くのが、微笑ましい常の光景なのだが――この時ばかりは違った。


 前を駆けるのは少年だった。血の気を失った顔を悲愴と絶望に歪め、挫いて腫れた足で全力疾走する。均されていない土を一歩踏み締める度に激痛が走るが、それは彼が疾走を止める理由にはならなかった。

 それを追う少女は、常の余裕綽々でふてぶてしい表情は鳴りを潜め、あるいは少年以上に悲嘆を滲ませた顔で小さな背を追っていた。手を伸ばす、声をかける、それでも彼は止まらない。


「ダメ、行っちゃ――!」

「父さん、母さん、みんな……!」

「待って――ねえ、止まってよぉ!!」


 ようやく。

 走力に勝る少女が追いつき、少年の上着を後ろから掴んだ。いきなり後ろに引っ張られた彼は体勢を崩し、少女諸共に地面へ倒れ、転がった。


 血が流れる。

 額を切った、鼻を打った。腕も、骨折かは打撲かはわからないが痛みがひどいし、足の腫れももう気力じゃ誤魔化せない。


 それでも。

 それでも、彼は前に進む。立ち上がれなくとも、地を這えばいいと言わんばかりに、少しずつ少しずつ近づいていく。


 ――だって、ほら。

 ――森を抜けた先にはきっと、見慣れた光景が広がって――――


「ダメええええええ!!」

「――――ぁ」




 ――――いるはずが(・・・・・)なかった(・・・・)




 わかっていたことだった。

 煙が上がった時点で、本当は気づいていた。焦げた臭いを運ぶ風にも、微かに悲鳴のようなものが混ざっていたのだから。


 知っていた、本当は。

 もう、手遅れだと。今から行っても、どうにもならないと。信じたくなくて、嘘だと思いたくて、希望に縋りたくて、そして目にした光景は、


「あ――あ、あああァァァアアアアアア!!」


 燃える故郷。

 壊された家屋、焼かれた田畑、炭化した骸――争いのない小さな村で育った少年にとっては、そのどれもが彼の心を折るには十分すぎるほどにショッキングなものだった。


 絶叫を上げた少年の身体を、少女が掴んで引き寄せた。剥き出した巨木の根の陰に隠れようとする少女に対し、少年は亡者のように故郷へ手を伸ばして、


「誰か――まだ、誰か生き残っているかもしれないじゃないか! 僕が、早く助けてあげないと――!」

「そんなのいない! あの惨状で、誰かが助かっているはずない! 生き残りはあたしたち二人だけ!」

「だって、だってあそこには――父さんも、母さんも、兄さんも、ウェンも、シーナも――!!」

「あんたが行ってどうなるのよ!? あいつ(・・・)に殺されるだけじゃない! お願いだから、自分の身を一番に考えてよ……!」


 少年を力強く抱き締める少女の脳裏には、村を襲った怪物の姿が浮かぶ。

 村で一番大きかった彼らの家より倍以上は高く大きい、半透明の青白い体。細長い八本足で自重を支える姿は、まるで巨大な蜘蛛のよう。陽光に照らされる色合いといい、見た目からわかる液体のような質感といい、それは彼女に『海』を連想させた。


 それが人喰いの怪物――ロムトであることを、二人は知っている。実物を見たのは初めてだが、伝え聞いた話と特徴が合致しているし、そもそもロムト以外に人類の脅威となる生物など存在しない。

 大蜘蛛が甲高い金切り音を発し、宙に描いた謎の模様が光り輝くと、直後に口から火線を放つ。地を割く威力の余波は、衝撃波となって森の木々をも揺らした。


「ああ……村、が……みんなが――!」

「ダメっ、耐えて! お願い、出ていかないで――あたしを、一人にしないで……!」


 今にも飛び出さんばかりの少年を、今にも泣き出しそうな少女が必死に留める。

 やがて、少年は眠りに落ちた。肉体や精神の疲労からか、あるいは痛みに晒されて気を失ったためか、ともあれ死んだように動かなくなった彼を、怪物が去るまでの間、少女はその身で押さえていた。


 いつ、彼が再び暴れてもいいように――ではなく(・・・・)

 今はただ、全身で目の前にいる『生命』を感じていたかったから。


「……あんただけは」


 僅か数十分の虐殺で、百余りの命と彼らがそこに生きていた証を破壊し尽くした後、

 引き上げていく大蜘蛛(ロムト)の後ろ姿を眺めながら、少女は呟くのだった。


「あたしが――」












 全ての死者に献花を捧げ終えたのは、丸一日が経過した後だった。

 遺体の処理はできなかった。多くの亡骸は燃えて灰になったか家屋の残骸に潰されていたので、運ぶこともできない。ただし幸か不幸か、人の形を留めている遺体が多く個人の特定に困ることはなかった。


 しかしそれは同時に、生き残った二人が身近な人たちの死を一層強く感じさせることにも繋がる。

 二人は散々泣いたし、吐いたし、狂い乱れた。励まし合いながら、罵り合いながら、一日かけて全ての死者を確認し――結果、彼ら二人以外の村民は全員死んでしまったことが判明した。


 寒さの残る春の日に、森の中から摘んできた花を瓦礫の山と化した生家の前に置くと、少年はその場にへたり込んだ。使命感によって保たれていた気力が霧散したことで、苦痛と疲労を思い出したからだ。

 布の切れ端を巻いただけの、適切な処置のできていない腕と足は、ズキズキと鈍く激しい痛みを発している。それでも苦悶の声を上げることなく気丈に振る舞う彼を、少女は責めるように見つめ、


「バカ、なんだからっ……! こんな時に、変な気を遣わなくたっていいのに……!」

「痛っ……痛い、よ」

「だったら、もっと痛そうにしてよ! あんたってば、いっつも損しようとする……!」

「……そういう訳じゃないんだよ」


 ただ、と少年は虚ろな瞳で炭化した肉親の遺体を眺めて、


「きっとみんなの方が――ずっと痛くて、苦しかっただろうから」


 そう、呟いた。

 それを聞いてしまったからか、あるいはそれ以前より定めていたことなのか、少女は己の決意を語る。


「……あたし、魔術士になる」


 握った拳は怒りに震え、深い海のような瑠璃色の瞳には、少年とは真逆の強い輝きが宿っていた。


「この村を襲った――みんなを殺したあいつを、あたしは絶対に許さない……!」


 憤怒に滾るその横顔に、

 少年は、底知れない不安を覚えてしまったから――


「――僕も」


 ――気づけば、その言葉を口にしていた。




「僕も、魔術士になる」




 それは彼にとって、全ての後悔の根源。

 この瞬間の己の判断を、いくら悔やみ、いくら責めることになるのか、今の彼はまだ知り得ない。しかしその結末を、唯一予見している者は、


「なに、言ってんの……?」


 いたのだ、そこに。彼女は、止めてくれていた。

 なのに、少年は頑なだった。普段は気弱に見える彼の、内に秘めた芯の強さを知っている少女は、何としてもここで考えを改めさせなければならないと察し、怒号を飛ばす。


「あんたが――あんたなんかがなれるはずないでしょ! 魔術士ってのは軍人なのよ!? そんな、優しいだけが取り柄のあんたに――戦争、なんて……っ!」

「でも、一人にしておけない」

「やめてよ、ねえ……あんたまでいなくなったら、あたし――!」

「決めたんだ、もう」

「…………っ!」


 少女は言葉を失う。彼は揺るがないとわかったから。

 故に彼女にできることは、半ば八つ当たりのように彼の名を叫ぶことくらいだった。




「――ノート!!」














 それは、ありふれた事件。

 辺境の小さな町村がロムトの被害に遭うことなど、珍しくも何ともない。こうして三十年以上も昔にティオール帝国から、『ライン』と呼ばれていた村は消失した。


 ――ただ、その場所で繰り広げられた惨劇は。

 何の備えもない小さな村に、捕食を主とする小型種(ダスト級)ではなく、戦闘に適した中型種(トラッシュ級)でもなく、集団の指揮官としての役割を持つ大型種(デブリ級)が単独で現れて、しかも喰らわずに殺す(・・・・・・・)という通常では見られない特異な状況だったのだが。


 かの事件を知る者は、少ない。

 今はもう(・・・・)たったの一人(・・・・・・)

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