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課題

「――さて」


 ノートが杖で、強く地面を突く。

 そのアクションの直後に魔術が発動し、演習場の床に散らばっていた物体が飛来した。


 彼が掲げた左手に収まったのは、十の球体。その滑らかな表面には術式が刻まれていて、


「それも……魔術兵装(ベルトローダー)、ですの?」

「ええ。古い昔に皇国の隠密が使用していた『煙玉』という道具。それを模した、ただ煙を発生させるだけの装備です。君のことだから(・・・・・・・)、煙の発生量が多いことにも気づいていたでしょう?」


 フィルミニアは頷き、それと同時に恥にも似た思いを抱いていた。

 術式の数を増やしたことには予想がついていた。しかし魔力や意識のリソースを割いてまで――つまり攻撃や防御を疎かにしてまで煙を増やすことに何の意味があるのか理解できず、動揺した。


 冷静に考えれば、魔術兵装を用いて負担を最小限にしていたことに思い当たるし――そうでなくとも、『わからない』と割り切って対応策を思案するべきだった。


「そこが、君の弱点です」


 スーツの腰部に取り付けられたハードケースの中に煙玉もどきを戻すと、男はそう言った。


「君は聡明で、視野が広く、目敏い。視覚や聴覚から常人よりもずっと多くの情報を拾い上げ――しかしそれを十全に処理できていないがために、惑わされやすく、迷いやすい」


 告げられた言葉に対し、少女に反論の余地はなかった。

 自覚があった――否、させられたばかりだった。目まぐるしい状況の変化に、彼女は流され、常に後手に回されてばかりだった。思えば最初の攻撃だけが彼女の能動的な行動であり、それ以外は全て『対応』に追われていた。


「座学の成績――兵学も魔術も一般教養も、どの教科においても君は学年一位を維持し続けている。加えて先の演習で君が目論んでいた策も、決して悪くはありませんでした。おそらく君は、長考・熟考によって正答を導き出すことに長けているのでしょう」

「そう、なのでしょうか……」

「ええ。ですがそれとは真逆の、瞬発的な思考力や判断力においては他者より劣っていることを否めません。そしてその弱点が生じさせる行動の遅れは、特に前線で戦う魔術士としては致命的です」


 一瞬の判断が生死を分ける戦場において、一つ一つの物事を悠長に考えている暇など得られないのが普通だ。瞬間的な思考、反射的な行動が求められることが決して少なくないと、ノートは身に染みて知っている。


「先の演習で、僕は徹底して君の撹乱に努めました。他の魔術士や通常のロムト相手には効果の薄い下策ですが、視野の広さに反して判断力に劣る――つまり釣られやすい(・・・・・・)オーグランドさんには覿面(てきめん)でした」

「げ、下策……」


 そんなものに振り回されるほど自分は未熟でしたのね――と、目に見えて落ち込んだ様子の少女に、男は優しく声をかける。


「――大事なのは、策の優劣ではありませんよ」


 もっとも、その言葉は励ましや慰めの類ではなかったが。


「相手に通用するかどうか――それが重要です。巧みで緻密な神算鬼謀と、雑で粗末な悪知恵、どちらも等しく最高の結果を生み出せるのであれば、前者にこだわる必要はどこにもないでしょう」

「それは――その、よくわかりませんわ」

「素直ですね」


 男が笑みを漏らすと、少女の顔が朱に染まる。彼の反応は嘲笑するようなものではなかったが、少なからず子供扱いされたのは察することができた。

 彼女が抱いたその所感を、続く彼の言葉が裏付ける。


「大人になればじきにわかります、コストパフォーマンスの重要性が」

「はあ…………?」


 しかしやはり、フィルミニアにはピンと来なかった。

 再度笑った魔導師は、話を本軸に戻す。


「先の弱点は、君が試合演習において同格以下を相手に敗北する二つの理由、その内の一つです。視野の広さが逆に仇となり、相手の行動やそれがもたらす結果に対して過剰反応してしまう。『別の狙いがあるのでは?』『隠された意図があるのでは?』と深読みに意識を割いてしまい、相手への警戒が疎かになって対応が遅れる――そういった展開に、覚えがあるのではありませんか?」

「……はい、何度か」

「それは君の中に、定石や対処法の知識といった判断材料と、それを活用するための瞬発的な思考力を鍛える経験がないからです。そしてその短所が長所に由来する以上、それを伸ばすことができれば――」

「――強力な武器に成り得る、と?」

「僕はそう思っています」


 むう、と少女は唸る。実感は湧かないが教師がそう言うのであれば試す価値はあるだろうし、元より弱点なら何らかの形で克服する必要はあるだろう。

 そしてそれとは別に、彼女には気になることがあった。それは、


「では……もう一つの理由というのは?」


 彼女に敗北をもたらす要因。

 それを訊ねるフィルミニアには、実のところ、おおよその見当がついていた。その上で、彼女は師の口からそれを聞きたいと思っている。自らの弱さと真に向き合うために。


「今の君には、必要のない言葉と思いますが」

「それでも、仰っていただきたいのです」

「ふむ……では、お言葉に甘えて」


 教え子の覚悟を受け止めて、ノートは秘めようとしていた忠言を口にする。


「先に言った君の弱点ですが、僕はこれを非常に重く受け止めていました。ただし弱点そのものではなく、これまでそれに気づかなかったことを、です」

「……っ」

「君は自省ができない人ではない。格上相手に敗北した際には、その要因に対する改善の跡が以降の演習に散見されることからも、君は自身の不備を見逃せない性格だと見受けられます。……だというのに、どういう訳か格下相手の敗戦の後には、何の進歩も見られない」


 当然だ、と少女は内心で肯いた。なぜなら彼女は、そこから何も学ぼうとはしなかったのだから。


「それがもう一つの理由――自尊心を拗らせたが故の驕りです」


 その答えは、フィルミニアの予想と完全に一致していた。


「君は常日頃から努力を惜しまないのでしょう、積み重ねた修練の日々は君に自信を与えたはずです――『自分は負けない(・・・・・・・)』という強気が、『自分が負けるはずない(・・・・・・・・・・)』という慢心に変貌してしまうほどに」

「強気が、慢心に――」

「だから格下を相手にする際、『あれだけ努力したのだから負けるはずがない』と思考停止してしまう。そして負けてしまうと、自身のプライドを守るために、それをあり得ない事態として処理してしまう。『今のはイレギュラーだから気にするな』と」


 覚えがあった。先のケースよりもずっと。

 今ならわかる。それはただの現実逃避に過ぎなかったのだ。努力に意味がないと知るのが怖くて、無意識の内に見下していた相手より劣っていると気づかされるのが嫌で、必死で自分を誤魔化し続けていただけだった。


「だから何も学ばない。敗北の理由から目を背け、偶然と決めつけてしまうのだから無理もないでしょう。そして負けが積み重なったとしても、君の中に思い返せる反省点がないのだから、自分がなぜ勝てないのかわからない」

「う……」

「精神的な問題というのは、改善させるのが実に難しい。理性で感情を制御することはできても、理性で感情を変えることは困難ですから。心の変革は、たった一夜の内にで行われることもあれば、一生を費やしても訪れないことだってあります」


 だから、と男は少女の顔を見つめ、


「――君が自らの驕りを捨てて僕に教えを請うたことを、非常に好ましく思うのです。少なからず心境の変化があったのだとは思いますが……詮索するのは無粋ですね」

「……いえ、そんなことは」


 ――貴方のおかげです、と。

 その言葉を呑み込んで、彼女は曖昧な笑みを見せた。感謝を述べるのは、彼の指導を受けてもっと成長してからにするべきだと思ったから。


「では、自分の課題も把握できたようなので、とりあえず今日の指導はここまでにしてもいいのですが――」


 ノートの言葉に、わかりやすく失意と落胆の表情を見せた少女の姿を目にして、彼は肩を竦めて苦笑し、


「――せっかく戦闘服に着替えたのですから、もう少し続けましょうか」

「――っ! はいっ!」


 彼の提案に、フィルミニアは瞳を爛々と輝かせ、

 それから七度、最初の一敗も含めて初日だけで都合八度、手も足も出せずに『殺される』のであった。


 そうして演習場で繰り広げられる指導の様子を、


「――――――――」


 魔導師としては新人未満のサーシャが、無言で食い入るように見つめていた。












「――お疲れ様です、先生」

「サーシャさん……ありがとうございます」


 その日の夜。


 体は力なく、視線は遠く、明らかに疲弊した様子のノートに、女が飲み物を差し出した。

 透明なガラスのコップに注がれているのは、同じく透明な水だった。それを少量、口に含んだ男は小さく息を吐き、


「久しぶりの指導だったからか……それとも歳のせいか、ひどく疲れてしまいました」

「無理するから、ですよ。最初の一戦で魔力をほとんど消費したのに、それから七回も相手をするから」

「いや、面目ない。君に代わってもらえばよかった」

「全くですっ」


 途中から自分のことを忘れていた恩師に、サーシャは頬を膨らませて不満を表す。その様は実に可愛らしいものだったが、それは童顔の彼女だからこその愛嬌であるのだろう。少なくとも、一般的な二十代後半の女性がやる仕草ではない。


 椅子に深く腰掛けるノートは、特殊対応室の窓から夜闇を眺める。彼にとっては見慣れた、代わり映えしない光景だが、むしろそれが心地いい。

 外の暗がりと重なるように、窓には明るい室内の様子が反射している。映し出された光景には、戸棚の書類を漁るサーシャの姿があって、


「探し物ですか?」

「ええと……オーグランドさんの成績表を」

「それならこちらに。一応言っておきますが、持ち出し厳禁ですよ」

「ありがとうございます。……そういえば、先生は大事な書類はそうやって隠しておくんでしたね」


 机の上に雑多に積まれた紙の束の中から、一切の迷いなく必要な冊子を取り出したノートを見て、思い出したように女が呟いた。

 ページをめくり内容に目を通しながら、数時間前に寮に戻った評価対象の少女に思いを馳せ、


「……彼女、笑ってましたね」

「はい?」

「始業前や午前中の授業の時には、ひどく思い詰めた表情をしていたのに。帰り際、あの娘が嬉しそうな顔を見せていたから――ノート先生はすごいなあ、と」

「……僕のしたことはいつもと同じ、ただきっかけを作っただけですよ。道を開いたのは、あくまでも彼女自身です」


 男が述べた所感に、しかし女は納得していない。相も変わらず厄介だ、とも彼女は思っている。

 彼の言葉は謙遜の類ではない、紛れもない本心(・・)であって、しかし事実(・・)とは言い難い。ノート・ラインは、軍の上層部から『最強』と呼ばれ称えられる、あるいは恐れられるほどの逸材だというのに、自身の価値に自覚がないどころか低く見積もっている節すらある。


 学生時代は同門の生徒一同で頭を悩ませたものだが、ノートの様子はその頃と全く変わっていない。

 それはつまり、事態の悪化を意味していた。なぜなら彼の()は、当時と比較して途方もなく大きくなっているのだから。


 開いた冊子の陰でため息を吐いた元教え子に、そんな気苦労を露ほども知らない師が言葉をかける。


「ただ、彼女の指導に関しては――サーシャさん、君がいてくれてよかった」

「――えっ……と、それは、どういう――」

「オーグランドさんは成績表に書かれる能力以外の部分で、並外れた素養を多く持っています。魔術士としての戦闘スタイルは、おそらく僕や君に似たものになるでしょう。その最高峰に位置する君の実力を早い段階で目にできるのは、彼女にとって良い刺激になるのではないかと」

「…………ですよねー」


 天文学的な確率に賭けて期待した(・・・・)己の愚かさを呪いつつ、女は肩を落とした。

 ――しかしそれは、ほんの少しだけ早計だったのだろう。


「それに、君にとってもいい経験になるはずですから」

「…………え?」

「熱心に見学するのもいいですが、やはり実際の指導以上に経験値を積めるものはない。部下の指導は軍で経験があると思いますが、生徒指導は多少勝手が違います。そのズレを修正できれば、君はすぐにでも優れた魔導師になれるはずです」


 それに、と男は自虐的に笑い、


「勘が錆びついてしまった今、彼女との連戦は少し辛い。久々に会った教え子にいいところを見せようとした結果がこのザマですから。君の負担にならない程度に、指導を受け持ってもらえればと思うのですが――どうでしょう?」


 そして、サーシャは気づいた。

 彼は指導の最中、こちらを忘れていた訳ではない。むしろ見せることを前提としてフィルミニアに指導していた――つまりは、サーシャに対して指導方法の指導(・・・・・・・)を行っていたのだ。先の演習で、彼女に助勢を請わなかったのはそのためだろう。


 それを理解した時、多少なりとも不機嫌を感じていた彼女は、


「――わかりましたっ!! サーシャ・ウィンダー、精一杯お手伝いさせていただきます!!」


 容易く落ちた。惚れた弱みと言うべきか、Sランク魔術士であるにもかかわらず彼女はノートや同門の後輩たちに滅法弱い。

 そんな心情と内情を知る由もない男は、その返事を純粋な善意によるものと受け止める。彼女が奮起する理由に思い当たるはずがないのだから。


 ありがとうございます、と頭を下げたノ-トは再び窓の外に目を向ける。

 見やるのは夜空に輝く星空でも、微かな光に照らされる地面でもなく、覇気のない視線を交わす半透明の人影――つまりは自分自身であって、


「……もう、二十年も経ったのか」


 シワと白髪が目立つ、実年齢以上に見られがちな己の容姿を再認識して、男は呟いた。

 自分自身を見つめる瞳は、しかしその実、まったく他の何かを――『誰か』を映していて、


「僕はまだ――そっち(・・・)に行くことを許されていないみたいだ」


 語りかけるように、申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。

 そして彼は、その日徹夜でサーシャと共にフィルミニアの指導計画を立てるのだった。

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