敗戦
フィルミニアは、分が悪いことを自覚していた。
戦いの勝敗を分ける『強さ』とは、単純な能力値の高低で計れるものではないと、彼女は幾度もの敗戦によって実感している。
地形や相性を考慮に入れた戦術と戦略、瞬間的な思考力と判断力、そしてそれらを正常に機能させるための強靭な精神力等々――とにかく数多くの要素が絡み合い、積み重なって成立するものだ。
ノートの魔術を、未だフィルミニアは目にしていない。しかし先に彼が言っていたように、魔術の力量に関して言えばフィルミニアの方が優れているのは疑いようのない事実だ。
それは彼がEランクの魔術士だったことからも判断できるが――それ以上に、その評価が与えられるまでの経緯こそが重要だ。
ヴァルテシア魔術学院では入学の要件として、入学時に十六歳であることを挙げている。そして入学の機会は毎年四月の年一度のみであるため、入学試験に一度落ちてしまえば二度と入学することは叶わない。
試験によって選抜される新入生の数は千人ほど。その一方で、受験者の数はおよそ五千人。つまり例年四千人もの不合格者が生まれることになるのだが、彼らの中にはロムトの襲撃によって家族や故郷を失うか、あるいは口減らしのために生家を追い出され、他に行く当ても帰る場所もない者も少なくない。
そうした不合格者たちの多くが、救済措置によって最下級の兵としてティオール帝国軍に入隊し、前線の先頭に立ってロムトと戦火を交えることとなる。そんな彼らに与えられるのがEランクという評価であり、それは魔術士の中でも最底辺の雑兵であることを意味するものでもあった。
つまり、だ。学院に入学することができたフィルミニアとできなかったノートの間には、その時点で厳然たる能力差が存在している。さらに魔術の才が青年期をピークに発達していくものである以上、伸びていく少女と衰えていく男との差はより著しい――と、フィルミニアは考えていた。
サーシャも口にしていたように、策によって覆すことができる能力差には限度がある。そしてフィルミニアとノートとの差はその限度を超えていた。
そのためにハンデを設けるのはわかる。が、少女にはそのハンデが重すぎるように思えた。
魔術兵装の使用によるノートの戦闘力の底上げ、これは妥当だろう。しかしフィルミニアに課せられた、複数の魔術の同時発動禁止――そちらがどうにも厄介だ。
一つの術式にできることは限られている。一発の弾丸、一枚の防壁、一時の強化――そういった最小・最軽量・最低限の機能に、加速や追尾、連射に持続といった効果を付加することで魔術はより高性能になっていくのだが、だからといって無軌道に効果を付与していい訳ではない。
術式が大きく重くなるほどに、必要な魔力は多く発動までにかかる時間は長くなる。状況にそぐわない効果にまでリソースを割いていたら、魔力と時間を浪費するだけだ。それは戦闘において多くの場合デメリットでしかない。
故に魔術士は、戦況に応じて必要な効果を発揮する術式を適宜選択・作成する。それが効率のいい魔術の使い方だと知っているから。
攻撃には攻撃の術式を、防御には防御の術式を、補助には補助の術式を、それぞれ別個で発動するのが基本であり、常識だ。たとえそれら全てが同時に必要な状況であったとしても、魔術の同時発動がよほど苦手でもない限りは、全ての効果を一つの術式にまとめるような真似はしないだろう。
――そう、魔術とは本来、同時発動を前提とした術技なのだ。それを禁止されるということは、真価を十全に発揮できないということでもある。
仮に、先に言ったようなオールインワンの術式を構成・展開したとして、しかし発動速度において学生の平均をやや下回るフィルミニアがそれを発動させるまでにかかる時間を考えれば、とても実用できる代物じゃない。
たった一つの枷が彼我の戦闘力の差を埋めるどころか、それをひっくり返している。加えて、前線で長年戦い抜いた経験から引き出される技術や戦法の数々は、今の少女が到底及ばない領域にまで達している。勝敗を分けるありとあらゆる要素において自身が劣っていることを彼女は理解していた。
「――ふふ」
――だからどうするか。
それが重要だと、フィルミニアは教わったばかりだった。
不利と諦めるのではなく、不条理と腐るのでもなく、
不敵に笑って、不屈に戦う。
「『葦にも躓きゃ獣ものたうつ』――全力で、挑ませていただきますわ」
独り言で決意を固め、改めて敵の姿を見定める。
矮躯の――と言うほどでもないが、少し背の低い中年男性。頼りなさげな風貌に反して、立ち姿にブレはなく気負いも感じられない。
無機質に――睨め付けるようにこちらを観察する彼に、自分の姿はどう映っているのか。息を呑む少女の耳に、第三者の声が届く。
「それでは、演習試合――」
室内に響き渡るサーシャの号令によって、
「――開始!」
火蓋が切って落とされる。
瞬間、
「ふっ――!」
フィルミニアが、動いた。
右手を前に突き出すと、五つの術式帯を同時展開。一つずつ微妙に効果の違う術式は、発動可能になる時間に秒単位のズレが生じる。
それは少女によって、故意に生み出されたもの。最初の魔術が発動し終える頃に、次の魔術が使用可能に。さらにそれが終われば三番目、三番目が終われば四番目――と、五つの魔術は随時発動可能になっていくよう調節されている。
同時発動を封じられたフィルミニアが考えた打開策は、魔術の連続発動だった。絶え間なく、というのは無理だとしてもそれに準ずる高密度の連撃で畳み掛ける、速攻を起点とした先手必勝。
その要となるのは最後の術式。発動までに時間はかかるが、発動さえしてしまえば魔力を注ぎ込む限り何十発でも何百発でも射撃できる。相手が攻勢に転じる隙など与えないほどに。
その選択は、フィルミニアが勝つためには最適だっただろう。
――そして、負けないための行動としては下の下であった。
少女の初撃――極めてシンプルな魔力弾が飛来する中、ノートが魔術を発動させる。
それは相手に対応するための防御でも、カウンター狙いの攻撃でもなく、
「なっ――煙幕!?」
杖から噴き出した白煙が広がり、やがて男の姿を覆い隠す。
少女の攻撃はその白色の中に飲み込まれ――本来よりも遅れて、遥か遠くで命中音が響いた。
外した。――いいや、避けられた。
二撃目の用意はできている。が、煙に隠れた相手の姿が見えず、位置を確認することができない。当てずっぽうで撃ったところで命中する確率は低いが、かといって探知の魔術を発動しているところを狙われたら為す術もない。
逡巡する、その時間さえも惜しい。故に少女は決意する。
彼女は十一時の方向、三十度ほど左に体を回し、
「頼みますわよ……!」
祈りながら、第二撃を放つ。
それは確かに当てずっぽうではあったが、狙いに全く根拠がない訳じゃない。少女が右利きであり、もしも彼がそのことを知っているのなら、移動の際には自身の左に回り込むはずだと考えたからだ。
何よりも、フィルミニアの狙いは相手に当てることではない。
一撃目よりも高威力、かつ高速の弾丸は、渦巻く勢いによって白煙を吹き散らし――しかし通過したそばからすぐに煙が流れ込み、空白を埋める。
やはり、と少女は思案する。魔術によるこの煙はただ撒き散らされているのではなく、その場に滞留するよう設定されている。今のような方法で、煙幕が晴れることのないように。
突風や旋風などを発生させれば、あるいは一時的に白煙を吹き飛ばし、潜むノートの位置もわかるかもしれない。しかし攻撃のために別の魔術を発動させた途端に煙は再び彼を覆い隠すだろうし、なら風を用いた攻撃を繰り出せばいいのだろうけど、術式が重くなる上に使ったことがないため制御できるかわからない。
思考は止め処なく、しかし解決策を見出せないがために身体の方は動くことができない。
焦燥が精神を蝕む中で、それでもフィルミニアが視界に映る光景に違和を感じることができたのは、彼女の持つ才能の為せる業だった。
「――? 煙が……」
増えている。
白煙の量が、という意味ではない。いや、それも確かに増加しつつあって、少女をも飲み込まんと迫っているのだが――正確には、増えているのは白煙の発生量だ。
最初に見た煙の勢いではとても足りない。その数倍にも及ぶ量が、津波か雪崩のように領域を広げている。
おそらくは同様の魔術を複数発動しているのだろうが、一人の人間が同時に発動できる魔術の数には限りがある。そこまでして自身を撹乱する意味があるのか、フィルミニアは困惑していた。
――彼女がその意味を知ったのは、直後のことだ。
「ッ!?」
白煙の中から、現れたものがあった。
数は三。正面と、左右の斜め前。いずれも少女に向かってくるのは低速の射撃だ。
彼女がその防御に成功したのは、運が良かったと言うべきか、それとも勘が良かったと言うべきか。
煙幕を弾丸が突き抜ける直前の、白煙の微かな揺らぎを感じ取り、咄嗟に防壁を展開した。即効性を重視した最小限の術式は強度も面積もまるで足りていないが、対するノートの攻撃もまた非力で、なおかつ狙いが正確すぎたが故に、自らに集中した三射を受け止めることができたのだった。
不意打ちを凌いで、それでもフィルミニアに一息つく余裕はない。
いいや、奇襲を受けたからこそ彼女は警戒の度合いを高めなければならないのだ。同様の攻撃がいつまた繰り出されるとも知れず、しかも煙幕が広がり近づくほどに対処は困難になる。
厄介だ、と少女は思う。しかしそれ以上に、回りくどい、というのが正直な感想だった。
彼女が今まで経験した生徒同士の試合演習では、戦術も戦略もない攻撃と防御のシンプルな応酬による力押しが常道だった。策と小細工を弄するのは小物や弱者のすることだと、そういう風潮があるからだ。
慣れない戦い方を仕掛けてくる相手に、フィルミニアは後手に回らざるを得ない。
勝つための攻撃か、負けないための防御か、確実性のための探知か、イチかバチかの旋風か――どれも一長一短であるが故に選びあぐねている間に、猛然と迫る煙幕は彼女の周囲を白色で満たし、
「くっ……!」
もう悩んでいる暇はないと、兎にも角にも行動を起こそうとした彼女の意識を、
「――っ、また……!?」
煙の揺らぎと、加えて四方八方から聞こえる風切り音が散らし、少女の行動を阻害する。
彼女は気づかない。戦術の実践的なノウハウを持たないフィルミニアは、この状況で受け身になることに何の意味もないことがわからない。
どこからか来る攻撃の、その予兆であるかもしれない異変の数々を目で、耳で、体で追い続ける少女は、やがて欺瞞に紛れた『本命』を捉える。
右側面から胸の高さの辺りに現れたのは、魔力の弾丸でも、煌めく火炎でも、渦巻く水柱でも、疾き突風でも、広がる雷電でもない。
煙の中から迫る物体の正体が明らかになるにつれ、フィルミニアの表情が驚愕に歪む。
「――杖!?」
そう、それはつい先程までノートが突いていた、軽量素材で作られた杖であり、同時に術式を内蔵した魔術兵装でもあった。
一瞬、呆気に取られた少女は、しかし即座に自らがしなければならない行動を思い出す。この演習には攻撃が一度でも命中したら終了という決まりがあり、そしてその攻撃はきっと魔術に限れられてはいないはず。
防御魔術の展開・発動は間に合わない。故に、咄嗟に彼女は身を後ろに跳ばせた。距離にして三歩分の、労力に見合わない僅かな移動だが、即効性に優れているため飛来する杖を辛うじて回避することができた。
正面を通過する武器が再び煙幕の中に消えていくのを視界の端で確かに捉えながら、フィルミニアはそれと逆方向――つまり、杖が飛んできた方向に身体を捻った。
今の一撃――投擲というか投射というか、とにかく杖を放ってきた側にノートが潜む可能性が高いと考えた少女は、右手に展開させていた術式を発動し、そちらに魔力弾を撃ち出そうとして、
「勝負あり、ですね」
そんな声が背後から聞こえたと同時、
コツンと、背中を何か硬いもので小突かれた。
「――――ぇ」
「――試合終了。ノート先生の勝ちです」
状況の呑み込めないフィルミニアの耳に、審判による決着と勝敗を告げる声が届いた。
サーシャが風の魔術を発動させ、煙を散らしていく。少女が後ろを振り向くと、クリアになる視界には杖を突き出した男の姿があって、
「――今の一戦」
魔術でバランスを制御しながら左足だけで立つ彼は、険しい視線で少女を竦み上がらせる。
「僕には、君を倒す方法が十通り、その機会が百度以上ありました。……これが何を意味するか、わかりますか?」
「……完敗、ですか」
「いいえ――戦死です」
冷酷に、ではなく。無慈悲に、でもなく。
ただ淡々と、まるで作業のような無機質さで、彼は言葉を紡いでいく。
「この演習では『一度でも攻撃を受けたら負け』というルールを設けました。それに則って僕は勝利し、君は敗北した。――ですが、実際はどうでしょう?」
「どう、とは?」
「君はまだ戦える。肉体的なダメージは一切なく、魔力にも余裕がある。だから君には今、敗北の実感がない。……違いますか?」
「……いえ。その通り、ですわ」
問われた言葉に、フィルミニアが悔しさから拳を握り締める。
ノートの戦い方について、どうこう言うつもりはない。生徒の目線から卑怯とか小賢しいとか邪道とか思えたとしても、それがただの偏見だと彼女は気づいている。誇りがどうの正道がどうのと、そんなのは才能至上主義者共が自らを持ち上げるための言い訳に過ぎないのだろう。
――しかし、だ。まだ戦いを続けられるだけの体力も、魔力も、気力もあるのに、あんな軽い衝撃で敗北を言い渡されるのは、どうにも納得がいかなかった。
「理性ではわかっています。私は完膚なきまでに、弁解の余地なく敗北しました。――ですが、もし今のが演習ではなく実戦であったのなら、私は問題なく戦闘を続行できるはずですわ」
反抗心からではなく、あくまでも師の真意を追求するために、自らの不満を主張する。
まっすぐこちらへ向けられた両の瞳を見つめ返し、回答を待つ。数秒の沈黙の間、目を逸らすことのなかったフィルミニアに男は言う。
「――逆ですよ」
「逆?」
「もし今のが演習ではなく実戦であったのなら、君は間違いなく死んでいる。だから試合を終了させたんです」
その言葉の意味がわからず首を傾げる少女に、歩み寄るサーシャが口を挟んで補足する。
「オーグランドさんの言う『実戦』っていうのは、誰を相手に想定したものなの?」
「誰を――って、もちろんロムトですわ」
「だよね。――じゃあ、ロムトから一撃受けることが何を意味するのか、ちゃんと考えてみて」
言われるまでもない、と反射的に思った少女は――しかしサーシャに言われたことでようやく気づいた。
ゲル状の肉体を有するロムトは、上位の強大な個体にもなると人間同様に魔術を用いるが、基本的な攻撃手段は接触からの捕食だ。
ロムトは肉体を構成する細胞の一つ一つに消化器官が備わっているため、体のどこかに触れられたらそこから食われてしまう。そして流動性を持つその肉体は、その部分から伝って瞬く間に全身を覆い尽くすこともできる。
――もし、
もし今のが演習ではなく実戦であったのなら――
「――――ッ!」
「……学院の試合演習では、攻撃を食らっても気合と根性で立ち上がることができる。そういった耐久力や不屈の意志も、戦闘に不可欠な要素ではあるんだけど――でも、それじゃどうにもならないことだってある」
「ロムトに取り込まれたとしても、小型種や中型種であれば即座に消化し尽くされることはありません。内臓や脳を溶かされるまでの数秒から数十秒の間に、魔術で内側からロムトの肉体を吹き飛ばすか、あるいは核を破壊できれば脱出は可能です」
しかし、だ。
「魔術士の多くは、それができずに死んでしまいます。スーツには『捕食』に対抗するための防御術式も刻まれていますが、そもそも取り込まれた状態でも冷静に魔術を維持できるほど肝の据わった人などそう多くはいないでしょう。大半の者は取り乱して防御に意識が回らず、消化の痛みに一層の恐怖と焦燥を覚え、暴れて藻掻いて死を迎える――」
ゾクリ、と。
自身がそうなった時のことを想像すると、背筋に冷たいものを感じて体が震える。息もできず、足掻いても抜け出せず、肉を溶かされる。瞼を開けば目を潰され、口を開けば体内を焼かれ、そうでなくとも鼻孔や外耳孔から潜り込んでくる――そんなおぞましくも恐ろしい結末に直面にして、果たして冷静でいられるだろうか。
「もちろんロムトの攻撃の全てが死に繋がる訳じゃないし、そもそもこの国では遠距離攻撃による飽和攻撃が基本の戦術だから、物理的に接触するほどに接近することがほとんどない。士官は特にね」
「――だからこそ、彼らは白兵戦の間合いにまで近づかれると滅法弱い。その距離での戦闘を想定していない、つまりロムトに攻撃されることを考えていない以上、戦い方云々以前に心構えができていないのですから」
窘められた気がして身を竦ませるフィルミニアを、サーシャが同情と共感の目で見つめる。過去に彼女も同じようなことを言われた経験があるからだ。
「これは学院の生徒の多くに言えることですが……君たちに最も欠如しているのは危機意識です。なまじ能力があり、かつ試験をクリアし他者を蹴落とす形で入学したことから芽生える『自分は特別なんだ』というエリート意識――それは『人は死ぬ』という当たり前の事実からも目を背けさせる」
「死、ぬ……」
「ええ、死にます。かの英雄――エリス・フォートローズですら、戦場に出て二年と少しで死にました。であれば彼女に劣る者たちが、どうして自らは死なないと高を括っていられるのでしょうか?」
その言葉に。
女が一瞬だけ目を伏せたのを、少女は見逃さなかった。それはちょうど、男が英雄の名を口にした時であり、続いて悲しげに、心配そうに自らの恩師へ視線を向ける。
その行為に気づいていないのか、それとも気づいた上で気にしていないのか、どちらにせよノート自身は一切の感傷を見せることなく言葉を続ける。
「当たれば死ぬ。掠めれば死ぬ。触れれば死ぬ。僕が君に指導を行うのは、そういう場所に向かわせるためだということを知ってもらいたい。……いいですね?」
「――はい!」
まだ十分に理解はできていないし、実感もこれから強くなるのだろうけど。
とりあえず、返事だけでも元気よく。それが生徒として、そして軍人としての最低限の仕事だ。
その姿はノートにとって高評価であり――好印象、ということではない――だからこそ、教育に手心を加えたりはしない。
「――では、反省の時間です。先の演習で君が晒した、十の不備と百の隙。これが解消される頃には、戦闘の基礎ができあがっていることでしょう」
「うっ……が、頑張りますわ」
「まずは自覚すること。自分に何ができて何ができないのかをできる限り正確に把握し、『できないこと』を一つずつ潰して『できること』を一つずつ増やしていけばいい」
そう言う男の表情が、次第に和らいでいく。それにつれて態度も緊張も程よく弛緩し、顔に、瞳に、声に、穏やかさを取り戻していく。
「きっと焦りを感じることもあるでしょう、それは恥ずべきことではありません。しかしそのもどかしさを内に抱え込まないでください。誰かに打ち明けるだけでも気は軽くなりますから」
彼が優しく微笑んだ。
機械か人形のような無機質さから一転して見せた思いやり溢れるその表情に、フィルミニアが一瞬「可愛らしい」と思ってしまったのも無理もない――こともないが、それに関しては彼女がそういう感性だったということだろう……密かに悶えているサーシャと同様に。
教え子たちの様子がおかしいことには気づきつつ、しかしその理由がさっぱりわからないために、ノートは首を傾げるしかなかった。