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ゲシュタルト崩壊なぅ

作者: 結城アポロ

ゲシュタルト崩壊、という素敵な単語を知った。語感が好きだった。舌を噛みそうになる、ゲシュタルト。タルトはわかる。甘い洋菓子で、牧原も好きだった。では、ゲシュはなんだろう。ゲシュ、漢字に当てはめてみると、下手。「ヘタ」ということになる。ヘタなタルトが崩壊、という意味かも知れない。


閑話休題。


ゲシュタルト崩壊が生じやすい文字の一つとして、「多」という文字がよく挙げられる。カタカナの「タ」を二つ並べて、読み方は「タ」。それから、野原の「野」も例の一つである。では試してみよう、と「多」と「野」を繰り返しノートに書き、やがて本当に「多」と「野」がわからなくなった。下手なタルト現象は、本当にあったのか。牧原は満足して、ノートを大事に枕の下に忍ばせて、笑顔で眠りについた。


そして翌日、隣の家に住む多野さんが死んだ、という知らせが牧原に届いた。

どうやらゲシュタルト崩壊したらしい。


出かける時によくすれ違う、丸い顔の優しいおじさんだった。焼香を上げに行った帰り道、牧原はまたゲシュタルト崩壊について考えた。

ひょっとして、「多」と「野」の崩壊と、多野さんが亡くなったのには何か関係があるのかしら、とグルグル考えながら、気がつくと家に着いていた。

多野さんの死因がゲシュタルト崩壊であることを証明するためには、もう一つぐらいは試してみなくてはいけない、と牧原は思った。どんな理論も、証明が無ければただの仮定になってしまう。

情報の宝庫であるインターネットで、ゲシュタルト崩壊が生じやすい漢字を探した。なかなか知り合いの名前に使われている漢字が見つからなかったので、仕方なく「公園」と書くことにした。ペンを握って、「ハム」と書いて「公」。おおやけ。猿を箱に閉じ込めて、「園」。公園。

公園、と何度も書くと、やがて全体像が揺らいできた。まるで肉を剥がされたように、骨組みだけしか認識できなくなる。ペンを置いて、ノートを前に腕を組んだ。


1日待つまでもなく、実験結果はすぐにわかった。旬の野菜も芸能人の不倫も同じように囃し立てるテレビが、やはり高揚した口調で夕食を食べていた牧原に叫んだ。


一瞬にして、全国の公園が陥没したという。

どうやらゲシュタルト崩壊したらしい。


箸を置いて、牧原は一瞬だけ、不思議な気持ちでテレビを見ていた。「公園」を使ってゲシュタルト崩壊の実験をしていたことを忘れていた。暫く画面を見ているうちに思い出し、実験の成功に少し高揚感を覚えた。

夕飯の後片付けもせずに嬉々として部屋に戻り、牧原は開いたままのノートに「世界」と書き込み始めた。「現世」の「世」。「田」に「介」、たすけ、たすけて、と書いて「界」。「世界」、次にゲシュタルト崩壊するもの。

台風の夜のような、わくわくした気持ちで牧原は待った。いつ、どのように、どこから崩壊が始まるのかと辺りを時折首を伸ばして見ながら待った。汗が滲む手を、牧原はジーンズに擦り付けた。


結局、世界はゲシュタルト崩壊しなかった。ノートを胸に抱えたまま朝を迎えたが、何一つ環境に変化は無かった。食べかけのまま放置していた夕飯の周りをハエが飛び、テレビが暇を持て余すように占いを始めたが、世界には亀裂一つ入っていなかった。

おかしいなぁ、何を間違えたかなぁ、と牧原はため息を吐き、ノートを開いて一面の「世界」を見た。長く見ていると、昨夜と同じように文字は覚束なくなっていったが、依然として世界はそのままだった。

眠くは無かったが、空腹だったので冷蔵庫からあんパンを出し、齧りながら牧原はリビングのテレビと向かい合った。午前7時のニュースは未だに消失した公園についての討論で持ちきりで、画面の中では数人のコメンテーターの質問攻めを相手に科学者が忙しなく受け答えをしていた。


ーーつまり、地球外知的生命体が実在すると仮定しますと、この超常現象にもある程度は説明がつく訳ですね

ーー子供たちが集まる公園を標的にしたというのには、何か理由があるのでしょうか

ーーそうですね、こういった子供たちがやはり、まぁ、宇宙人としましても、非常に良い人類のサンプルとなる訳ですね

ーーしかし公園だけが陥没して消え去ったのであって、子供たちは、不幸中の幸いですが、全員無事でしたが

ーーまぁ、なんでしょうね、あちらとしても、何か準備を整える必要があったのかも

ーーでも、遊具は一つも見つかっていないんですよね、子供たちではなくて、公園そのものが目的だったのでしょうかーー


牧原は画面に釘付けになった。字幕に時折出てくる「地球外知的生命体」の「地球」、という言葉を見てピンときた。すぐに立ち上がり、あんパンを傍に放ると早足で部屋に戻った。

世界というのは少しざっくりしすぎていたかも知れない。「地球」こそが、この世界の固有名詞だった。

牧原はゴクリと息を飲む。もしかして、もしかして。

机に向かい、ノートを出し、「地」と書き始めた。土、也、と書いて「地」。「我は土ナリ」と書いて「地」。何度も書いていると、次第に文字が絵のように歪み始め、牧原は「地」という字がわからなくなった。よしよし、と頷き、「球」に取り掛かる。王、求。「王を求める」と書いて「球」。「我は土ナリ、王を求める。」と書いて、「地球」。この星は地球。

「球」という文字が絵のように変わっていく。どくどくと心臓が鳴るのを聞くのが久しぶりで、牧原は自分の胸に手を当てながら何度も「球」と書いた。

窓の外を、バイクが通った。休日のこんな朝から、どこへ行くのだろう。子供がふざけて叫ぶ声が聞こえた。公園はもう無いのに、どこへ行くのだろう。地球。

あれ、「球」って、こんな字だっけ?

牧原は窓の外を振り返った。

その瞬間、地球が爆発した。

どうやらゲシュタルト崩壊したらしい。


地球の崩壊は一瞬で訪れて、終わった。気がつくと、牧原は宇宙に放り出されていた。ふよふよと浮いている。目の前には下手なタルトのような崩れた地球がどろっとした溶岩のように四散している。地球が崩壊したのだ。

辺りを見て、牧原は地球の外には宇宙があったのかとぼうっと考えた。

宇宙、と書こうとして牧原はノートを探したが、爆発でどこかへ吹っ飛んだらしかった。

酸素が足りず、次第に吸った息が吐きだせなくなる。自分ももうすぐ死ぬ。ゲシュタルト崩壊ではなくて、酸欠で死ぬ。なんて恥ずかしい。牧原は眼を凝らして、崩れる星を見つめた。水星、金星、太陽、木星、土星、天王星、海王星。仲間はずれにされた冥王星には目もくれず、牧原は地球を見ていた。辺りを舞う色んな命の残骸には目もくれず、溶けた青を目に焼き付けようと、瞬き一つせずに地球を見ていた。

宇田川の「宇」。宙ぶらりんの「宙」。

宇宙。酸素が足りない。

じわじわと視界が蝕まれていき、やがて心臓が外側へ向かっていくように膨張した。


ーーあんパン、食べ終わってないな


崩れていく自分の身体を抑えて、牧原はただジッと地球を見つめていた。



ゲシュタルト崩壊なぅ。

読んでいただきありがとうございました

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