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魔炎

 中央広場の時計塔が22時を告げる頃、貧民街付近の古い建物の二階にある事務所の窓が、内側から破られた。半分の月が照らす中、鈍く光を放つガラス片と共に外へ飛び出したのは、長めの灰髪を一つに纏めた、長身の男である。彼は頬に赤い線が走るのに怯むことなく薄く目を開け、室内から飛び出してきた黒い犬の顎を、甘んじて左手で受けた。ガキッと犬の犬歯と、彼の鉄甲を巻いた怒張した腕が鬩ぎ合い、鋭く彼を狙う犬の漆黒の瞳を見て、「ふっ」と薄く笑う。


「面白い特技だな」


 ウウウと唸るそれが、まるで知り合いでもあるかの様に彼は声をかけ、空中を落ちる二秒の間に体制を立て直し、噛みついてくる犬の鼻先を弾いて怯ませると、緩んだ所を蹴り飛ばして、丁度ゴミ出し日の前で溢れている大きめのダストボックスの中にシュートした。犬の「ギャン」という悲鳴のあと、着地した男を狙い、階段を駆け降りたらしい金の刃が突進する。突き出された剣先を軽く半歩引いて、次々に出されるそれを上体を逸らしながら避け、男は難しい顔をした。


 彼と彼女の足元ではガラス片が散り張り、動くたびにパリパリ音が鳴る。なるべく姿勢を崩さないようにしながら、彼、シグウィルは、ちらりと室内と屋外を窺った。剣を振るうアイリスとクロイドらしき影の他、交渉の場に突入してきたのは、他に何人か居り、それらの動きを把握できていないからである。

 今回、シグウィルとイザベラは、違法取引を行う商人の護衛に雇われていた。相棒であるイザベラは、商人の傍で護衛しているはずで、先にここから離脱している。気配に敏いシグウィルが事前に敵の存在を知らせ、彼らが飛び込んでくる前に、護衛対象には心構えをさせて逃がしたものの、殿を務めるためにドア前に待機した彼を狙い、アイリスとクロイドが飛びかかってきたのだ。アイリスの剣戟とクロイドの見えない魔力の流れを、気配を読んで避けながら、場所を変えようと窓を突き破ったのは、シグウィルである。その時まで人の形をしていたクロイドの気配が変化し、次いで外に追ってきた犬の姿に、彼はちょっとだけ驚いていた。事前に会社の資料で知ってはいたものの、彼の常識では、骨格の違う姿に成るなどなかったからだ。


 少し気が散ったか、左足の踵が重なったガラスを踏みつけ、滑った。ぐっと反射的に強張った彼を狙い、アイリスが「もらった」と前に出る。避けなければ身体に掠ると目測したが、怪我に構わず滑って片膝をつくと、彼は同時に手をついて、下半身を力任せに捩じった。勢いが足りなかったか、アイリスの足元を払おうとした距離が届かない。だが、牽制にはなったようで、彼女は少しだけ下がった。動けば、ちりっと彼の右肩に、浅く切られた感覚があるものの、くるりと回転して立ち上がる。

 正直、護衛対象が逃げた今、彼がこの場に留まって「暁」を押し留める意味はない。闇夜に目を凝らすため眉根を寄せると、警戒したか、アイリスが構えなおした。それから殺気を感じて、彼は半身を引く。足があった場所に光が散って石畳に乱反射し、少し脛の部分に散った。ビリっと来たので、雷だろう。魔法だと気付いて舌打ちすると、犬から戻ったのか、クロイドがアイリスが捕捉できる位置を庇うように立っている。

 彼らに会うのは、実に二週間ぶりだなと、シグウィルはぼんやり思った。裏方からの報告では、あの酒盛りの後、主にクロイドの方が熱心に訓練をしていたと聞く。それも、剣の腕の立つ、彼らの女上司に手ほどきしてもらったのだとか。こちらを見据えるクロイドの表情が、以前より柔らかさが取れて見えて、彼は少しだけ愉快そうに口を歪めた。戦う男の目をした奴を相手にするのは、楽しい。闘争を好む阿修羅族である自身の血が踊るような心地になったものの、彼は一族の中でも冷静に物事を見れる方だ。隙を見て離脱しようと嘆息した所、何かにピンと来たらしいクロイドが、少しだけ前に出た。


「シグウィルさん。相手をしてくれないか」


 クロイドの申し出に、彼も、アイリスもぎょっとした。真意を測りかねて無言で眺めていると、少し照れたようにしてクロイドが「これでも練習したんだ」と苦笑いする。そこで、彼の様子を見ていたアイリスが、何かに気付いてはっとしたが、シグウィルには知りようもない。何かあるなとは思いつつも、彼は、やはり自身が阿修羅族であると自覚した。くっと笑みを吊り上げながら、「良かろう」と返事をしていたからだ。そしてシグウィルは「≪(フレア)≫」と魔具を使っていた。両手に浮かぶ炎を見て、続けて「≪踊れ(アート)≫」と、腕ではなく、大地へ炎を走らせる。身じろぎするのはアイリスだけで、魔力の流れが見えるクロイドに慌てた様子はない。


「≪焼き尽くせ(フレイム)≫」


 彼の言葉に従って、散らばったガラスが熱に溶け、道路の傾斜に沿って排水溝へ流れる。これで足場が安定し、相手を怪我させないよう投げ飛ばす場所を気にする必要もなくなった。そして彼は魔具を鎮静化させて、ただの鉄甲へと戻し、きゅっと表情を変えたクロイドを見る。


「アイリス、下がっていてくれないか」


「大丈夫なの?」


「あぁ」


 シグウィルの視線に促されて、クロイドも短いやり取りの後、シャツの首元を緩めながら前に出た。騒動が起こっているが、この辺りの住民はトラブルを恐れて顔を出すことはなく、静かなモノだ。アイリスに攻め立てられて後ろに下がっていたので、今は交差点の中央に立っており、上からの月明かりで明るい。それが、過去、シグウィルの幼少期の光景と重なったように思い、彼は少しだけ目を細めた。目の前の対戦相手が弟でない事が、少しだけ不思議な心持ちであるものの、誰が相手であろうと、阿修羅族の教えは一つである。


「――我が前に敗北はあらず」


 祈る様に呟いた瞬間、機を狙い、クロイドが駆けた。アイリスと同じように一直線に来る。そのまま真っ直ぐに来れば、手の範囲に入ったすぐに投げ飛ばすつもりで迎える彼であったが、その姿が一瞬ぶれたように思い、少しだけ表情を変えた。


「便利なものだな」


 言って彼は、突っ込んできたクロイドの心臓を撃ち抜くように手を伸ばす。視覚ではクロイドが苦痛の表情を浮かべたが、手の感覚は薄い風を破いたようなもので、すぐ左側に迫る殺気に腕を振り払っていた。只の分身を作るだけでは駄目だとは考えているのだろう。シグウィルの腕を避けるかと思っていたが、そのまま押し止めるように掴まれ、彼は次の動作を少し変えた。突き出した右手を素早く戻し、斜め下に押すようにして左に流す。ぱしっと反発があったのは、たぶん、クロイドの、蹴りだされた膝だ。そのまま力任せに上体を捻り、押し抜くと、その動きに合わせて膝を押された彼の身体が浮いたか、シグウィルの左手を掴んだ手がぐるりと回った。シグウィルの頭上を回り、反対に足をつけたクロイドに、随分アクロバティックな動きを身につけたものだと彼は笑う。


「バレたか」


「当たり前だ。目を誤魔化すなら、気配も変えろ。特に、最後の殺気は丸見えだ」


「それ、ブレアさんにも言われた――よっ!!」


 こちらを牽制するための、肉弾戦に慣れていない不抜けた蹴りだったが、シグウィルは弾き返さず、それに乗ってやることにした。距離を取る様に半歩下がり、同じ様に牽制の為に片足を上げる。勢いは少しだけ遅くしたシグウィルの蹴りだったが、突っ込もうとしたクロイドをびくりとさせる効果はあったようだ。


「恐れる時こそ、踏み込め」


 避ける為に顎先を上げ、少し不自由な姿勢になった隙に、シグウィルはクロイドを捕まえようと手を伸ばした。指先が彼の襟首に触れると見えた時、しかし指先に何も感覚が返らなかった事で、シグウィルは舌打ちする。気配の位置は動いていない。自分の伸ばした手の先がずれていると瞬時に把握して、こちらの視覚を屈折させてずらす、光魔法か何かを考えた。即座に目を閉じて視覚を消すと、襲いかかる殺気だけを読んで、一撃、二撃と掌で止め、甲で弾き、手首を返して逸らす。

 半径2Mの狭い範囲でそのやり取りをしていた彼らだったが、ふと、シグウィルは違和感を感じた。中~遠距離を担当する後衛は、前衛との位置取りが大切だ。下手をすると前衛より足捌きが素早い必要がある。だから、後衛のクロイドがブレアに強化されたとはいえ、こうして蹴りや拳を繰り出すのは不自然ではない。不自然ではないのだが――。


「…んぅ」


 何撃目かの衝撃を逸らした右手が痺れたような気がして、シグウィルは目を開けた。目の前には少しだけ挑む様な笑みを浮かべたクロイドがいる。そして、見えないのだが、彼の周囲に攻撃的な意思が数個。クロイドは後衛――本来は、魔法使いである。


「ふはっ!」


 彼の発想に、思わずシグウィルは声を上げて笑った。一時、悪役として力のセーブをする理性を、闘争を好む阿修羅族の本能が上回り、獰猛な笑みを浮かべて相手を称賛する。


「良く考えたではないかっ。先に視界を乱して、閉じさせたのは、それを隠す為か?」


 いくら視覚で誤魔化して姿を隠したとしても、気配や殺気を読める相手にはあまり意味はない。けれど、彼は違う発想を入れたのだろう。シグウィル程気配が読めるのであれば、あっさり視覚に頼るのを止めるのではないか、と。視覚でなく気配だけを頼りにする状況になれば、彼の拳や蹴りに加えて、ストックさせてぶつけている魔法にも殺意は宿り、相手はそれ全て反応して防御し、体力を消耗していくだろう。そして、ぶつける魔法にまた工夫を入れた。目を開けた事で、より攻撃を捌く事が出来るようになったシグウィルは、魔法らしき気配を弾く度、次第に痺れて感覚が鈍くなる指先に気付き、「それに」と付け加える。


「ずっと詠唱しているのは、雷か。確かに効果がある」


 いくら若いとはいえ、まだ十代の出来上がっていない体では、クロイドがシグウィルに押し勝つ事は難しいだろう。だからクロイドは攻撃の手数を増やし、遅行性の罠を搦め手として入れ、長期戦にするよう攻撃しているのだと、彼は理解した。実際に、気まぐれで付き合うつもりだったシグウィルは、相手の体力が尽きるまで攻撃を捌ききるつもりだった。けれど、目を閉じるよう誘導されたことで魔法の存在を隠されて、雷の魔法を受け続けた結果、次第に腕の感覚系が麻痺し、自分の考える動きよりも反応が遅くなっている。もう遊んでいられないなと、拳を固めた。


「見事っ!!」


 称賛を込めて吠え、自然と高まる闘気を押さえると、クロイドの中心を捉えて、殴り上げた。


「―――っ!!?!」


「クロイド!!」


 シグウィルの拳が鳩尾に入り、クロイドの体が少し浮く。本来阿修羅族は、攻撃に闘気を乗せて、相手を内部から破壊するのだが、少し興奮したとはいえ、シグウィルは完全に闘気を押さえた為、クロイドを襲ったのは、筋力に任せた只の重い拳である。鳩尾に入れて、体の中心を乱すことで、意識を狩り取ろうとするもので、慣れた者でも、三回に二度は失神する。慣れていないだろうクロイドは早々に気絶するだろうと考えていたシグウィルは、アイリスの声にぴくりと反応する様を見て、目を開いた。

 体の防御反応からくの字に折れるクロイドの体だったが、彼はそのままシグウィルの右手にしがみついた。恐らくクロイドの意識は朦朧としているはずだ。正しく理解しているシグウィルにも、半場無意識のクロイドの動きは理解できない。


「待ってたんだ」


 一言告げて、クロイドは両手で掴んだシグウィルの前腕を、さらに押さえつける。瞬間膨れ上がった殺気は彼の両手の中にあり、シグウィルの前腕の中心である。クロイドの左右の手には、それぞれ魔法陣が展開しており、左右のそれをぶつけることで、シグウィルの腕をダメにするつもりらしい。絶対に避けられない状況と判断し、シグウィルは予測出来る痛みと、好敵手に会えた喜びに、獰猛な笑みを浮かべる。


「≪風よ(シルフ)≫」


 クロイドの詠唱が発動し、彼の手の中に圧縮された空気が発生したかと思うと、ボギリと鈍い音がして、シグウィルとクロイドの両者は弾き飛ばされていた。


「クロイド!!」


 ブレアとの練習を見ていたアイリスだが、ここまで酷くなるとは思っていなかったようで、魔法の反発に吹き飛ばされて転がるクロイドの傍に駆け寄る。腹の中央と背中と、強烈な痛みにくらくらしながら、クロイドは呻くようにして身を起こした。彼が狙ったのは、シグウィルを倒すことではなく、少しでも動きを削る事だ。結果を求めて顔を上げた彼の目に、先程の場で、右手を抱えるように抱き、痛みに息を乱しているシグウィルの姿が映る。彼に膝をつかせることはできなかったが、とりあえず、彼の作戦は成功した。けれど、骨が折れる際にも、彼は呻くだけで悲鳴を上げなかったと思い出し、やっぱり化け物だなと、クロイドは苦笑する。


「くっくっく…。名を聞こう、若き魔法使いよ」


 骨を折った痛みはあるだろうに、彼は至極愉快そうに嗤ったまま、知っているクロイドに名前を問う。どこか儀式めいた雰囲気を感じて、クロイドはアイリスに支えられながら立ち上がると、笑みを浮かべた。


「“クロイド・ソルモンド”」


 それに愉悦を浮かべたシグウィルは、満足そうに支える右手を見た。少し変な方向に向いているのは、骨が折れて脱力した為だろう。


「クロイド。良き闘争だった」


 やるじゃないかと、彼を認めるシグウィルの視線を受けて、どこか誇らしく思う自分にクロイドが苦笑していると、騒ぎに気付き、駆けつける警官の笛が遠くから聞えてくる。それにちらりと視線を動かした彼は、利き腕だろう右手の痛みなど微塵も感じさせない動作で、クロイド達に忠告した。


「次は、殺す(とる)つもりで来い。このナリだ。今度は加減してやれんぞ」


 闇に消える魔物の様な、狂ったような笑みを残し、彼は近くの路地に身を翻して駆けて行く。彼の気配が完全に消えると、緊張感が解けたのか、アイリスが目を吊り上げてクロイドを見て怒鳴った。


「危ない事はしないって言ったじゃない!!」


「す、すまない、アイリス…」


 彼女の剣幕に思わず謝罪をするクロイドだが、実は彼は相当痛む腹にぐらぐらしていた。内臓を揺らされたらしく、ちょっと動いただけでも胃や腸が捩じれたような痛みに吐き気が襲って来ていて、正直今すぐ意識を手放したいぐらいである。だが、彼女の怒りは尋常でなく、脂汗を浮かべつつ、何とか宥めながら岐路につくクロイドだ。結局、魔具調査課の2M程前で倒れて、彼は深夜に医務室に押し込められる事になる。


「二日は、療養なさい」


 叩かれたように、少しだけ赤くなったクロイドの体の中心の跡を見てブレアは、体への負担が少なく、効果は最大に引きだした、相手の技量に感心したと言い、医者は驚かされた内臓が落ち着くまで、吐き気で碌な食事も出来ないだろうからと、アイリスに病人食を食べさせるよう指示した。結果としてアイリスの怒りは収まる気配を見せずに静かなものへと変化して、クロイドを見舞う際に、にっこりとまったく目が笑っていない笑顔で過ごす様になり、二日ベッドの上の住人と化したクロイドが心底懲りて、三日目に動けるようになってから、昼のランチとおやつ時の差し入れを手に入れるため、行列が出来る有名店を駆けずり回った。そうして、やっと彼女の怒りが和らいだものの、不機嫌な彼女はしばらく続きそうだと、彼は肩を落としたのだった。


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