星屑の民
首都から馬車で20分ぐらいの、河に橋がかかる場所に美術館はある。向こう側までおよそ500mの川幅に沿って、縁部分は白っぽい石を加工して積みあげて整理しており、川辺はベンチも散策のための小道も整備してある美しい地域だ。橋を渡ってすぐの停留所で降り、川沿いに小道を下って、左手にある小広場を横切ると、道を挟んで大きな建物が見えてくる。ロディアート美術館だ。
「普段来ない場所だから、緊張するわ」
アイリスが軽口を叩けば、クロイドは少し気の抜けた笑みを浮かべる。仕事とはいえ、普通の学生のように公共施設を訪問する気分だからかもしれない。馬車がすれ違っても余裕のある大きな道を渡り、正面入り口までまっすぐ轢かれる石畳を、まばらな人に紛れて進む。両側に等間隔に植えられている街路樹は、少し寂しい緑だが、今の季節には珍しくもない。
「ちょっと風が冷たいな」
「そうね。早く行きましょ」
小走りになった二人が問題なく美術館に入ると、例の紋章のある美術品が設置されているエリアを探した。首都の美術館は広い。隅から隅まで歩きまわるだけで2時間、じっくり見れば一日以上かかる規模だ。ブレアから貰った情報によると、例の紋章は、北のローランティア国の周囲にある小国の関係だそうで、北の大国の文化を展示してある部屋まで、二人はさらに小走りで進む。道中、クロイドは町の厩に聞いた話を、アイリスはブレアからの情報を共有した。
「馬を借りた形跡がない?」
「そう。警官も容疑者として二人を追っているから、町の入り口に検問が置かれたし、出入りする馬車の制限をしているけれど、捕まっていないのがその証拠。姿を隠す魔具でも使っていたらお手上げだけれど、教団の魔法使いも居るだろうから、魔術的感知に引っかからないのも可笑しい。つまり、まだ彼らはこの町に居る」
「特定の拠点がないってこと?」
「そうかもしれないし、協力者がいるのかもしれない。ただ、この町に居るとなれば、自然と場所が絞られてくる。“貧民街”とか、花街とか、貴族街とか。警官側は組織抗争と考えているから、貧民街を中心に当たっていると思うんだけれど、あそこはあそこで秩序があるから、本格的な捜査は難しいんじゃないかな」
そこで一度クロイドは言葉を切る。順路を確認し、アイリスの肩を引いてそちらへ足を向けた。
「それで、彼らが所有する、または欲する魔具なんだが、少ないんじゃないかって、俺は考えている」
「そうね。それから、持っていて目立つような大型の魔具もないんでしょう」
雑談混じりに進んだ先で、二人は足を止める。目的の展示室は、北の大国の美術品を眺めてしばらく進むと、別室に入る様に促された先にあった。北の大地を巡回する遊牧の民の展示は、大柄のタペストリーや民族衣装が多かったが、一角に装飾品が並べてあった。熱心に見て回る二人だったが、例の紋章を見つけられず、そこが最後と目を凝らす。
「あ」
クロイドが小さく声を上げたので、アイリスはそちらを向いた。指で指して教えてくれる彼に従い、覗きこむと、色ガラスで作ってある香水瓶の蓋に紋章を確認する。次いで二人はそれの説明が書かれている小さなボードを見た。
「「“星屑の奇蹟”」」
同時に二人で読み上げ、目視する。それは遊牧民の一派に伝わる神話のようなもので、彼らの守護を司る5人の賢者の話だ。一人は氷を、一人は炎を、と言った具合に、それぞれが司る奇跡を起こして民を守ったというもので、二人は自然と彼らが魔具の使い手だったのだろうと推察する。例文にあるように、イザベラは氷を、シグウィルが炎を扱う所からも、二人がこの紋章にこだわっている所からも、彼らは無関係ではないだろう。
「あの二人がオーヴァルの民だとして、どうして彼らが持っているはずの魔具をこの国で探しているのかしら」
「うーん…。あ、待ってくれ、アイリス。ここ…」
再び何かを見つけたクロイドに指摘されて、読み進めるアイリス。そこには、十数年前に滅びた、悲運の一族と書かれていた。彼らは帰る場所を失ったのだと知り、似たような気持ちを抱くアイリスの表情が暗くなる。ぼんやり読み進めていたアイリスだったが、奇跡を使う事で迫害され、定住が難しかったという記述も見つけて、はっとした。
「もしかして、魔女狩りに遭っていた?」
「え?」
「ほら、ここ。ここを見て、クロイド。確信はないけれど、確か、この地域は保守的で、魔女を酷く恐れてるって、何処かで聞いたことがあるわ。数年前まで日常的に魔女狩りがあったって――」
ガラスケースにひっつくほどに顔を寄せて、二人はあーでもない、こーでもないと頭を巡らせる。そんな折、周囲の見学者に混じった気配から「ふぅん?」と女の声がして、二人の肩を抱き寄せるように細い手が伸びた。はっと振り返ろうとした二人だが、ぎゅっと抱き寄せられる。
「よぉく勉強しているじゃない、貴方達」
二人の間に顔を寄せ、耳元で囁いたのは、肩までの黒髪にややキツメの目のイザベラである。今日は白のコーディネートで、大きな帽子をしており、二人の頭の上でつばがふわふわしている。ぎょっとするアイリス達を無理に抱きしめ、さらに彼女は囁いた。
「あんまり抵抗しないで頂戴ね。うっかり私が反撃する時に、他の、楽しんでいる紳士淑女の皆さんを吹き飛ばしちゃうかもしれないわ」
「「な――っ」」
イザベラは暗に、周囲の人間を人質に取ると脅しているのだと気付き、二人は言葉を失う。美術館内は広く、他国にもそこそこ有名な場所であって、奥まった分室であるここにも相応の人数が居る。さっと視線で人数を確認した二人に微笑みを返し、彼女はふわっと解放した。
「でもまぁ、奇遇じゃない? 私達もやっと昨日、ここの存在を知ったのよ。だから、ついでに寄って行こうって話をしていたのに、まさか貴方達と居合わせるだなんて、驚いたわ」
「だから罠の可能性を考えろと言っただろう」
イザベラの言葉に返したのは、彼女の後ろで呆れたようにため息を吐いたシグウィルである。今日の彼は、白のイザベラと対照的な黒のスーツでピシリとしている。それに大袈裟に肩を竦めて、彼女は二人を振り返った。
「何でもピリピリしちゃって。これだから男はダメだと思うのよ。ね、貴女もそう思わない?」
気軽にアイリスに微笑みかけるイザベラに、アイリスはきっと表情を険しくした。
「何が目的なの」
「あら。見てわからないかしら?」
イザベラは優雅に一回転して見せる。白のコーディネートの彼女は、片手に大きめのバスケットを持っており、被せ布の隙間から白い花が覗いている。どちらかというと、美術鑑賞に来た感じではない。眉根を寄せるアイリスに「ふふふ」と微笑み、彼女は「お墓参りに行くのよ」と言った。そこで再びシグウィルからため息が下りる。
「イザベラ。確認するから、退け。お前たちもだ」
しっしっと、追い払う様に退かされ、どうするべきか判断に迷って『暁』の二人は変な顔をした。その二人を気にもせず、シグウィルはガラスケースの中を無感動に眺めている。イザベラはその後ろで何事か彼にちょっかいをかけるが相手にされず、少しだけへそを曲げて二人に肩を竦めて見せた。敵意ある行動ではないので、敵でありながらも、毒気が抜けてしまう。しばらくして、シグウィルが身を起こした。「暁」の二人ににこにこしているイザベラを振り返り、彼は首を横に振る。
「そう。残念ね」
少しだけ眉を下げて彼女は呟き、気を取り直して「暁」の二人の手を取った。今日のイザベラは変に陽気で、突拍子もない行動をしそうな印象を受けて、二人はぎょっとする。
「ねぇ、これも縁だと思うのよ。どうせ、私達の調査に来ているんでしょう? 付き合ってちょうだい。シグウィル、馬車を拾っておいて」
そして唐突にシグウィルが小間使いの様に、指示を出した。瞬間、不快の表情になったシグウィルで、視界に彼の表情を入れた「暁」の二人は、尋常でない強面にびくりとする。それでも彼は、苛立ちを深く息を吐く事で殺したらしく、「ふん」と至極不愉快そうに踵を返した。その背中に、笑みを絶やさぬイザベラが告げる。
「あとで、キスしてあげる」
ぴたりと、長身の男が足を止めた。肩越しに鋭い鷹の目を向けながら、低く、低く確認する。
「―――忘れるなよ」
「えぇ、もちろん」
慣れた風に返事をするイザベラをぎょっとした目で見ながら、「暁」の二人はすっかり彼女のペースに呑まれてしまい、シグウィルが居なくなった途端、色々と美術品について解説しながら、観賞したり移動したりするイザベラに手を引かれて、出口まで歩いた。出口とはいえ、最初の正面口まで戻って来るだけなのだが、イザベラのペースに乱され、なおかつ、美術館の正面に馬車を待たせて不機嫌そうにしている、長身で強面のシグウィルが待機しているのを見て、さらに何とも言えない気持ちになる。このまま誘拐されるのではないかと警戒するのも一瞬、こちらも何とも言えない表情をしているシグウィルに「きちんと、往来で解放する」と約束されて拍子抜けし、脱力気味の「暁」の二人を馬車に押し込め、左右に乗り込んだイザベラとシグウィルは馬車を出した。
シグウィルは早々に腕組みをして閉眼し、黙りこんでしまったが、イザベラはまるで友人と町巡りをするように「あれは何?」「あら、綺麗ね」「素敵。何て荘厳なの!!」とはしゃいでいる。アイリスは押され気味に彼女に同意し、クロイドは持ち前の気遣いから彼女に簡単な解説をする役に回った。
そんなこんなしていると、馬車は次第に住居のある場所から、緑が多い地区へと入っていく。郊外へ続く道へ向かっているようで、少しだけ不安になったアイリスは「何処へ行くの?」と尋ねていた。すると、目を閉じたままだったシグウィルが、「墓地だ」と簡潔に告げる。
「言ったじゃない。お墓参りよ」
イザベラの言葉と共に馬車は止まり、さっと下りたシグウィルは、隣に座っていたアイリスに向かって手を差し出した。ぎょっとする彼女であるが、不思議そうに軽く首を傾げたシグウィルの仕草に、女性をエスコートするための手だとわかって、さらにぎょっとする。
「どうかしたか?」
ついに言葉で尋ねられて、アイリスは「い、いいえ」と彼の手を取った。この間戦った時は籠手をしていたはずだが、今は何もつけていない。彼の手が硬くて大きいと思った時には、動きに合わせて適度に腕で支えられ、すっと下ろされる。次は順番的にクロイドが下りるのだが、彼の邪魔にならないように、シグウィルはアイリスの腕を軽く引いて場所を開けた。そしてシグウィルのエスコートは終わったらしく、自然と手を放される。
クロイドは一連の動きを見ていたので、ちょっと困ったように次に下りようとするイザベラを振り返った。当然と言う様に手を差し出され、ちらりとシグウィルを確認するも、彼は特に何も思わない様である。ならば、紳士の務めと彼はイザベラをエスコートした。
「ありがとう」
にっこり微笑んだイザベラは、こちらもすっと自然に手を放すと、次には、先で振り返るシグウィルの腕を取る。寄りそう夫婦のような格好で歩きだした彼らの後ろで、困ったように目を合わせる二人だったが、前行く二人から「どうしたの?」と呼ばれて、慌てて追いかけた。そうして見えて来た簡素な墓地は丘一つ分の広さで、一個一個の墓石が小さく古い。加工も稚拙と見えて、現代より古い時代のものだと感じられた。こんな場所に墓地があると知らなかった二人を気にせず、右をシグウィルが、左からイザベラが、墓石の前に白い花を献花していく。
「ねぇ、誰の為のお墓参りなの?」
シグウィルよりは話しやすいだろうと、イザベラを追い駆けて尋ねたアイリスは、「そうねぇ。私達の家族のためかしら」という彼女の言動に首を傾げた。献花の手を一旦止めて、少し試すようにイザベラがアイリスを見上げる。
「貴女も知っていたじゃない。私達は、魔女狩りに遭ったって。だから、ここに花を捧げるのよ」
ふっと寂し気に笑ったイザベラは、それ以上は口を開かない。代わって、遠く聞き耳を立てていたらしいシグウィルが折った腰を伸ばして、少し声を大きくして返事した。
「ここは、旧時代に魔女狩りにあった被害者の共同墓地だ」
彼はそう言うと、所在なさげにしていたクロイドに献花し終えて空っぽの籠を持たせ、イザベラの残りを半分受け取って空いた墓石に花を捧げる作業に戻った。結果、早く終えたイザベラは、「ごめんなさいね」とクロイドから籠を受け取り、適当な芝生の上に籠の底に敷いていたブランケットと取り出して広げる。そこに腰かけると、ちょいちょいとアイリスを呼んで横に座らせた。二人でいっぱいになるブランケットなので、クロイドとシグウィルは立っておくか地べたであるのだが、イザベラは「男は良いのよ、男は。立ってた方が女性を守りやすいでしょう?」と素知らぬ顔である。
「私達の一族はね、墓がないのよ。魔女の呪いを恐れた人達が、掘り返し、壊してしまったの」
唐突にイザベラが語り出し、近くにいたアイリスはぎょっとした。距離があったので衝撃が少なかったか、シグウィルがまだ作業して近くに威圧感を感じないためか、少し興味を引かれた風にクロイドが質問する。
「死者を暴いたのですか?」
「そう。子供の私と彼の力じゃ、そうそう深い穴も掘れないし、簡単だったでしょうね。食料の乏しい山中が墓になったものだから、私達は一旦食料を取りに、麓の町まで下りていたのよ」
何でもない風に、淡々と続けられたイザベラの言葉だったが、アイリスは場面を想像してしまい、「酷い…」と同情した。それにちょっとだけ笑い、イザベラは彼女から視線を外し、共同墓地に花を手向けるシグウィルの後ろ姿を眺める。
「戻ってきて、折角作った墓が穴ぼこだらけで、二人でわんわん泣いたわ。それから、私達は一族の弔いが出来る場所を探しているの。今日もその一環。同じ様な目に遭った人の墓だもの、気持ちは通じるわ」
そのタイミングで献花を終えたシグウィルが立ち上がり、イザベラもすっと腰を浮かせた。こちらにやって来るシグウィルを待つと、彼女は彼と同じに足を止め、入り口から墓の方を振り返る。
「「“再見”」」
二人の口から出た異国の言葉に、ぶわっと風が通り過ぎた。魔法的なものは感じなかったので、ただの偶然、自然現象だろうが、アイリスとクロイドはきょとんとしてお互いを見る。何だか今日は予想外のことばかり起こると困惑する二人の前に来、シグウィルはアイリスを立たせるためにもう一度手を差し出し、イザベラはブランケットをささっと畳んでしまった。
「そうそう。もう一つ付き合ってもらうわよ」
そろそろ夕日が山に掛かりそうな時間であるのに、イザベラはそうしてにっこり微笑んだ。




