魔雹の淑女と魔炎の剛鬼
ご注意)こちらは、伊月ともやさん作「真紅の破壊者と黒の咎人」とのコラボ作品になります。
「派手にやられたねぇ…」
氷を砕き、何とか現場から逃げ出した二人が魔具調査課に戻って来ると、二人の様子を見てか、町の騒ぎを知ってか、ブレアが苦笑して迎えてくれる。労わりが見える言葉ではあったが、アイリスはむっと唇を尖らし、クロイドは頭を掻いた。
「でも、こちらの調査不足だった。今回のターゲットは、違法魔具取引の団体だったんだが、その取引相手が悪かったよ。――はい、これ」
暗に不測の事態だったと言われ、アイリスとクロイドもほんの少し溜飲を下げる。ブレアが渡した報告書を見て、アイリスは眉根を寄せた。
「“魔雹の淑女”と“魔炎の剛鬼”…」
呼び慣れない名に、アイリスは繰り返す。ブレアは少し考えるようにして、言葉を続けた。
「ほんの三か月前に、この国にやってきた様なんだけれどね。この短期間に、既に二つ名を貰っている、“違法所持者”の中でも相当な実力者だ。この国に流れて来た理由は不明だが、違法取引を通じて魔具を集めている処からも、危険視されているね。ただ、比較的穏健派と思われているから、こちらから接触して協力を仰ぐという案も出ているけれど、どうだった?」
話を振られたアイリスは、敵対した長身男の侮蔑の視線を思い出して膨れる。その様に気付いて苦笑しながらも、クロイドも難しそうな表情を作った。
「一つ、気になる事があります。彼らは、俺達を“奇跡狩り”だと知っていた。考えたくはないですが、情報が漏れているのかもしれません」
「ふぅむ。報告では、イザベラは氷や冷気を生み出す魔具を、シグウィルは炎を生み出す魔具を使用しているという話だったが、可能性として、千里眼の類の補助魔具も持っているかもしれないね。だが、良い情報だ。こちらも調べてみよう」
少しだけ険しくなったブレアを確認し、「それから――」とクロイドは続けた。
「うん、なんだい?」
「イザベラは、青いイヤリング型の魔具を使用しているのを確認しました。シグウィルについては未確認ですが、魔具を使用していなくとも、彼は相当な体術の使い手です」
「お手柄だ! ―――なるほど。それでむくれているのか、アイリスは」
どんな魔具を使用しているかがわかるというのは、大変な情報だ。ブレアが喝采を叫ぶと、次いで、帰って以降どうも様子がおかしいアイリスに得心を得て、生温かい目をむけた。それにアイリスは、さらに眉を潜める。
「ちょっと油断しただけよ」
「まぁ、そういう事にしておこうか。拳闘士は武器を使わない分だけ、剣闘士に対応した動きが出来るという。言うなれば人間特化型の戦士だ。どうしても無理だと思った時は―――」
一旦言葉を切ったブレアは、少しだけ怖い目で「私に言いなさい」と微笑み、まだ柔らかい少年少女を怯えさせた。
☆☆☆
それから一カ月間、チーム『暁』として違法取引を現行犯逮捕したり、潜入調査なども行ったが、件の違法所持者二人に会う事はなかった。とはいえ、アイリスは相当悔しかったらしく、「嘆きの夜明け団」の中での訓練を積んでいる。後衛とはいえ、この間の一件で彼女の足を引っ張った自覚もあるクロイドも参加だ。結果、元々魔犬としても行動してきたクロイドの動体視力と反射を上げることになったのは、素直に彼も喜んでいるものの、灰髪と金の目の男――魔炎の剛鬼に対抗できるレベルかと言われれば、未知数としか言い様がない。微かな不安が残るものの、概ね任務は順調だったそんな折、再び彼らの姿を見ることになる。
ふっと視界の端を過ぎった二人組に、クロイドは足を止めた。その二人組に特別違和感を抱いたわけではなく、見た事があるような魔力の流れを感じてだ。少し前へ出たアイリスの服の裾を引き、注意を促すと、彼女もまた気付いてきゅっと目を細める。二人組が二つ先の路地で曲がったのを見て、二人は頷き合い、後を追った。
以前は黒のカクテルドレスだったイザベラは、今回はパステルグリーンのぺプラム・スカートに、白いレースをあしらったすっきりしたシャツを来ている。彼女の肩にかかった柔らかなケープごと腰に手を回し、エスコートしているのは、周囲より頭一つ分高い身長のシグウィルで、彼は前回と同じ、首元まできちっと止められたインナーに、バグダットレッドのスクエアショルダーのジャケットを羽織っていた。
イザベラ達は、緩やかな上り坂のレンガ道を優雅に歩いていく。ここらは路地でも治安が良く、小さなプランターが花を咲かせており、年頃の男女が散歩するには良い地区だ。
「………デートかしら?」
あまりにのんびりと散策するイザベラ達に、アイリスは怪訝そうな顔をした。けれど先を行く男女は、そこらの暴徒をも軽く制圧できる実力者であるという。只の散歩ではあるまいと、クロイドとアイリスは彼らをつけるものの、彼らは適当に路地を抜けると、ポストの角から目抜き通りを通った。ショーウィンドウを眺めたイザベラが、シグウィルに身を屈ませて耳打ちする様子など、只の恋人の逢瀬にしか見えない。そのため、次第に無遠慮にデバガメしている気分になって、二人は、彼らが目抜き通りを抜けて、隠れ家的な雑貨店の前で足を止めた所で、帰ろうかと一度思案した。
「きゃあっ」
そんな時、イザベラから悲鳴が上がる。はっとして確認すれば、目深にハンチング帽を被って顔を隠した二人の男が、彼女の腕を背中に固めて拘束し、シグウィルを牽制するようにしているのが見えた。イザベラは掴まれた腕が痛いらしく顔を顰め、シグウィルはやや怒りを込めた目で男達を睥睨する。目抜き通りを抜けたとは言え人通りがあり、騒然とし始めた周囲を見て、シグウィルは舌打ちした様子だった。クロイド達に彼らの声は聞こえないが、『暁』としての勘でいえば、違法魔具取引の関係だろうと思われる。そこでシグウィルが諦めたように嘆息し、次いで薄暗い路地を顎で指した。イザベラを拘束した男が先に、次いでもう一人がシグウィルを警戒したまま路地へ入る。
「クロイド!」
「あぁ」
シグウィルが路地に入る前に、二人は遠回りして路地へ走った。アトリエ通りでもあるここは、芸術の為に静かに籠もる職人が多く、多少の物音では建物から住人が顔を出す事はない、人の気配の薄い場所である。工房の音が漏れるまたは音が侵入する事を嫌って、路地などは窓はなく壁が厚い。奥に進めば進むだけ暗くなる場所であり、旧市街を元に建替えたりしているので、行き止まりなども多いのだ。何度か建物の内部を通り、塀の上を歩いて彼らを追った二人は、話し合う声が聞こえて、物影に身を隠した。
「――話にならんな」
軽い怒気を込めて吐き捨てたのは、シグウィルの声だ。それに知らない男の声が続く。
「二つ名持ちのアンタなら、簡単に奪えるさ。それとも、この女がどうなっても良いのか?」
男の言葉を合図にイザベラを拘束する男は、シグウィルへ見えるように構えるナイフを彼女の首元にぐっと近づける。不愉快そうなイザベラの表情を見て、シグウィルも少し考えた。
「俺の女だ、傷はつけるな。――それから、“樹精の絡繭”だったか。別段取って来るのは構わんが、そのための報酬が一切提示されないというのは、話にならんと言っている」
「報酬は、もちろん――」
きっぱりと言ったシグウィルに、男はにやりと笑ってイザベラを窺った。
「女の無事に勝るものはないだろう、色男」
「はぁ」とシグウィルがもう一度嘆息した。それから、心底呆れかえった顔でイザベラを見る。そこに拘束された彼女への心配は少ない。
「だ、そうだぞ、≪イザベラ≫」
「あら、困ったわね。折角チャンスをあげたっていうのに、こんなお粗末な組織だとは思わなかったわ」
「何ぃ?! お前、立場を――」
彼女を拘束する男が声を荒立てて、ナイフを彼女の頬に当てた。その瞬間、イザベラは「≪氷≫」と呟いている。魔力の膨張にクロイドの肩がびくっとすると、瞬く間にイザベラを拘束する男が氷像と化した。異変に気付いたもう一人がイザベラを振り返ろうとした瞬間、ぐわっと殺気が膨れ上がり、アイリスもまたびくりとする。結果は瞬殺だった。振り返った男の頭を掴み、少々苛立っていたらしいシグウィルが、そのまま自身の膝に打ち付ける。ごっと鈍い音がしたが、骨までは折れていないだろうという程度で、音だけでも十分苦痛が知れた。
「あ、が…っ」
男の頭部に膝を入れて、ぱっと手を放したシグウィルは、脳髄を乱されてカクリと膝が折れる男の首に、さっと足をかける。次いで、ぶんっと蹴りやり、壁に衝突させた。何か短い悲鳴を上げて、男が痛みに失神したとすぐにわかる。
「≪イザベラ≫」
倒れた男の事など気にもかけず、シグウィルは窮屈そうに氷像から這い出すイザベラに手を伸ばす。それに困った様に微笑み、彼女は礼を言って彼の手を取った。そのまま抱きこまれて、非難するように彼の名を呼ぶ。
「≪シグウィル≫!! また調子に乗って!!」
「この国の酒では不満が募る。他に解消する手は、女しか知らんな」
「私の知った事ですか!」
じゃれるようにもつれる二人だったが、後ろの氷像と化した男に背がぶつかり、イザベラはそちらを邪魔そうな目で振り返った。次の瞬間、本当に何でもない事の様に、彼女は「≪砕け≫」と氷像を指す。魔力の高まりを感じてクロイドは、そして第六感が働いたのかアイリスが、「「待って!!」」と慌てて飛び出すも、イザベラの指先に出現した魔法陣は、無慈悲に氷像の中身ごと、砕いた。
―――ぶしゅっ
ガラスが割れるパリっと言う音と、そうして漏れだした赤が、人の形をした氷像の胸部から流れだす。命が失われていく色にアイリスはびくりとして、途端に血の気を失ったように表情を失くした。クロイドも残酷な現場に顔を顰めたが、それより彼は相棒が立ち止まってしまった事の方がずっと気になる。こういう現場を見せたくなかったと考えたが後の祭りで、彼は「アイリス、見るな!」と叫んだ。
「―――んで…」
表情を失って、幽鬼の様なアイリスが、ぽつりと零す。異様な気配を感じたクロイドが慌てて振り返り、前に出ようとする彼女を必死に抱き締めるが、彼女は吠える様に喘いだ。
「――んで、なん、でっ――命まで奪う必要があったの!?」
アイリスにとっても無関係な人間ではあったが、こんな、ゴミを捨てるように殺されていいはずがない。高ぶった感情のまま吠えると、自然と涙があふれて、アイリスはクロイドの拘束を外そうと暴れる。その熱量と反比例して、イザベラとシグウィルは突然の登場にも、彼女の言葉にも冷ややかだった。
「そうは言ってもね、お嬢ちゃん。私は命を狙われたの。このままにしておけば、次も来るわ。正当防衛みたいなものじゃない?」
「そもそも、あの状態では静かに死ぬ。ひと思いに楽にしてやる方が、余程慈悲深いと思うが?」
二人のセリフに、アイリスは信じられないと言葉を止めた。
「アンタ達は、人じゃないわ…っ!!」
踵を返そうとしていた二人が、アイリスの叫びに、同時にピクリと振り返る。イザベラは無表情に、シグウィルは至極不愉快そうに、だ。暴れるアイリスを抑えるので精いっぱいなクロイドも、振り返った犯罪者達の姿に悪い予感がする。
「……久しぶりに聞いたわ、そのセリフ」
イザベラが凪いだ声で、ぽつりと言う。ちっと舌打ちしたのは、シグウィルだ。彼らの琴線に触れる言葉だったようだが、それを分析する暇はクロイドにはない。「放して、クロイド!!」と興奮しているアイリスを、冷静に戻す暇もない。
「≪イザベラ≫、お前も落ちつけ。俺がする」
暴れるアイリスと同様の空気を感じるイザベラを引き、シグウィルが前に出た。彼が両腕を下げ、ぐっと拳を握ると、蛇腹になった鉄の甲が彼の拳を覆う。それから彼が、「≪炎≫」と呟くと、ゆらっと彼の姿がぶれ、その両手に炎が浮かんだ。
「≪踊れ≫」
瞬間、暗がりに浮かぶ鮮やかな炎が、彼の腕を遡るように纏わりつき、紋様を描くように走る。イザベラ程ではないが、魔力の高まりを感じてクロイドは唸った。正拳突きのような構えを取るシグウィルに、敵愾心が最高潮のアイリスが、焦れたようにクロイドを呼ぶ。それでも、彼は、冷静になれないアイリスを放さない。
「≪焼き尽くせ、紅魔≫」
彼の魔力の高まりはイザベラに比べて小さいと感じていたクロイドは、詠唱を終えた彼の、連鎖するように暴発していく魔力の形を見た。その威力には、流石のアイリスも気付いたらしい。はっと身を固くする彼女に気付いて、彼は漸く手を放した。シグウィルの手から放たれた炎は、隣接する床を溶かし、壁を焦がし、途中にある落ちていたゴミも燃焼させてしまう。もう目前に迫ったそれに、クロイドはばっと身体を変化させると、固まるアイリスの襟首を喰わえ、四肢で空へと跳躍した。