『悪役』の退場
「≪堅牢なる万物の盾≫!!」
切羽詰まったイザベラの声がして、アイリス達の前に皇かな漆黒の黒鋼の盾が現れたが、気絶した二人は見る事がない。止めとばかりに彼らに接敵していた夜会は、急に現れたそこをも破壊するつもりで肩から体当たりしたが、石造りの城壁をも吹き飛ばす彼の力でも凹みもしない強度で、彼はぶつけた額が割れてさらに血が流れた。
「んだ、これ」
変態の理性がさらに焼き切れると、狂人になるらしい。彼の力で壊れない漆黒に、心底不思議そうな顔で首を傾げる夜会は、淑女然としたイザベラの雰囲気が違う事にも気付いたが、一番の疑問――壊れないこれは何か――を優先した。徐に手を上げると、思いっきり殴りつける。漆黒からはごぉんと鈍い音がして、夜会の手からはぱきゃっと音がした。
「折れた…?」
馬車が主流であるものの、産業のために鉄道が敷かれ、鉄製品も庶民に浸透している。それでも今までのどんな物質よりも硬い、未知の漆黒に、夜会は呆然と呟いた。驚きを理解しようとでもしているのか、漆黒を興味深そうに撫でる夜会に構わず、イザベラは耳に隠れるインカムを起動させる。
「≪緊急通信≫コード:119、主人公級人物負傷、治療できる人をお願いっ」
悪役七つ道具で、最も使用頻度が高い通信具の最終奥義を起動させると、定型音声で「地点設定、転移を開始します」と返ってきた。イザベラ、もとい鏡花はもう一度周囲を確認する。これからの異常現象を目撃するだろう人物は、夜会一人。最悪、仕事は≪不備≫かもしれないが、彼だけならば許容範囲だと願いたいものだ。緊急転移の副作用により、暴風が発生し、闘技場の周囲に散乱する椅子やテーブルが動き、何個か壁に当たって音を立てる。巨大な氷の冷気を持って吹き荒れる風に、鏡花は寒さに身を縮こまらせた。
「地点到着。≪No.7 イーサ・ヘルマ≫。業務開始します」
「ふん。小娘、詰めを甘くみたな」
暴風が治まったと同時に、馴染みのある声が降って来て、鏡花は安堵する。てっきり医者――狂科学者なのでそう言っていいのか疑問だが――のマッドが来ると思っていたのだが、魔術的治療が得意のダークエルフ、イーサと、霊気や神力という神聖魔法を使う竜人――見た目リザードマン――が召喚に応じてくれた。イーサはよくよく治療を引き受けてくれるから違和感がないも、竜人の方は、多分暇だったのだろう。
彼(性別不明なので、鏡花は便宜上そう思っている)は、中性的な美貌を鏡花に向けると頷き、無駄口を叩かず、黒い犬――クロイドだ――の傍に膝をつく。イーサは会社の資料を読んで把握してきてくれた様だ。クロイドが呪いを受けている以上、神聖魔法で浄化されると困るので、暗黒魔術が得意なイーサが治療してくれるのはとても有難い。禍々しい魔法陣を展開し、己が血を捧げて治療に入ったイーサの横で、鏡花を侮辱しながら(驚いた事に、奴に侮辱している意識はない)も、竜人も神々しい光を宿した手でアイリスに触れて、癒しの術を始める。
彼らの焦った様子がないので、鏡花は主人公死亡の最悪の事態にならない事に、心底ほっとした。するとより状況を把握できるようになり、地上の屋敷の方で別の騒動が起こっている事や、こちらを目が零れそうな程見開いて凝視する夜会の姿をも捕捉する。何となく予想がついたが、まずは地上の方だ。インカムに通信を入れると、苛立った蘇芳の声がした。
「こちら、≪イザベラ≫。アイリス達が負傷、DH社(本社)より幹部二名を召喚。どうぞ」
『≪シグウィル≫。魔的審査課の介入を確認。異常事態隠匿の為、地下への捜査を妨害しているが、そろそろ不味い。あと五分保てるか…――っち、』
「了解」
道理で“夜会との戦闘(最終決戦)”の場に現れないわけだと、鏡花は理解する。今回シナリオの最終局面では、“夜会”か“怪盗”との戦闘のドサクサを利用しての、“悪役の退場(オーヴァルの死亡)”を予定していたのだが、キーアイテムである最後の魔具を、会社の裏方が輸送中に夜会に襲撃され、それを奪われた結果、済し崩し的に夜会との戦闘に入った経緯があった。それだけでも想定外だのに、普段はあんまり仕事しないと聞いていた魔的審査課もやってきた事で、手が回らなくなってるのだろう。今も交戦と妨害工作中なのだろう、舌打ちして通信が切られて、鏡花は苦い顔で呟く。
「≪キョウカ≫。“クロイド”の身体内部の治癒及び恒常化完了。軽度の打撲と擦り傷はダメージを残した」
「呪いは?」
「そのままに」
淡々と業務をこなしてくれるイーサに、「助かるわ」と感謝を示し、鏡花は立ち上がった竜人を見る。
「そっちは?」
「骨も折れておらんし、全身強打ぐらいで問題ない。神力では拙かろうと、霊気を分け与えた。人間にしては多少早く自己治癒が行われる程度のな。目を覚ますまで、二、三分程だろう」
「ありがとう」
緊急事態であるのは理解しているらしく、早々に会社に戻る様子の二人だが、竜人が一つの杞憂として夜会を見る。
「ところで、アレは、どうする。記憶を飛ばすか?」
「今、泥沼なの。そこまで手が回らないし、魔的審査課が突っ込んでくれば、もう退場になるから良いわ」
「うむ。励めよ、小娘」
「激励として頂いておくわよ」
テンパっている鏡花を見てか、普段より優しい言動の竜人に、鏡花はそう返す。そうして二人は再び、会社の転移術(暴風付き)で帰り、それを黙って眺めていた夜会が、以前とは違う、未知の物を見る目で、≪盾≫を解いて消した鏡花を見た。
「お前……」
「お互い運がないわね、“夜会”」
上半身ブラだけの下着姿を気にすることなく、皮肉気な笑みで鏡花が答える。堂々と立つ彼女の背後、地上へ突き抜けた巨大な氷塊の先端から、何人もの魔法使い達が降りてきた。同時に、鏡花の傍に、鬼化する一歩手前の状態で、蘇芳、いやシグウィルが着地する。
「すまん」
「良いのよ。何とかなったし、最後の魔具も手に入った」
拘束されて引き出された時に、彼女に見せびらかす為に出された“最後の魔具”を、氷山を作る際に回収して身につけておいたのだ。下着姿だからよくわかるが、イヤリング型の魔具に、ブレスレット、ネックレスと彼女は身につけている。残り二つは、シグウィルとして使う鉄甲と、彼のロングブーツに隠されている短刀だ。キャラ付けとして必要不可欠な“オーヴァルの奇蹟”が全て彼らの手元に揃っており、≪イザベラとシグウィル(オーヴァルの生き残り)≫として退場するタイミングは任意で発動可能と判断する。
最終局面に向けて、背中を合わせるようにして立つ二人と、彼ら周囲を囲む教団の魔的審査課の部隊員たち。夜会はと、親切心が出て彼を見た鏡花は、奴が教団の人間を邪魔そうに見、そうして未だ鏡花達に興味が尽きない様子なのを見て、あぁ、変わってないわと安心した。さて、すっかり教団の人間に囲まれてしまったが、その中で隊長格が一歩前に出て、宣言する。
「これより、魔具の不許可使用及び魔法の違法発露について現行犯逮捕、危険生物の不法所持容疑と違法賭博容疑により身柄の拘束を実施する。抵抗無き者は、その場で捕えて教団へ連行するが、抵抗する場合は、相応の覚悟をしろ!!」
ザッと教団の人間が構える。鏡花が髪を払う様にイヤリングに触れ、蘇芳が鉄甲を擦り合わせ、氷と炎が出現した。両者とも交戦の構えで、タイミングを狙う。
「うるっせえぇ、邪魔だあぁぁぁぁああぁぁぁあぁぁぁぁっ!!」
奇しくも、夜会が吠えて教団に抵抗した事で、その拮抗は破られた。即座に蘇芳は正面の敵を打破するために駆ける。代わって鏡花は、彼が空けた空間を下がりながら、的確に教団員の肩や太股を打ち抜き、牽制した。横の方で派手な音がするのは、夜会が建物を破壊する勢いで暴れたり、防御魔法や結界を相手に殴り合いをしているからだろう。
「≪束縛せよ≫!!」
鏡花は感応力で魔法を、蘇芳は気配でそれを感知し、伸びた影を避ける。避けた先に打ち込まれる炎の魔法は蘇芳は纏めて薙ぎ払い、さらに追撃される風魔法を、発動前に術者を撃って鏡花が無効化する。
「くっ、応援を!!」
背後では一人、二人では夜会を拘束できないらしく、なんと六人がかりで束縛魔法を使用している様だ。
「ふっざけんなよぉっ、俺はっ、俺はっ、あいつらと遊ぶんだよっ、雑魚共があぁぁぁぁぁあぁぁぁっ!!」
それでも吠えて抵抗している様で、鏡花は「あら、熱烈」と苦笑し、蘇芳も「相変わらずだな」と、悪役としての立場から、やや親愛を込めた様子で呟いた。その間も何度か拘束魔法を使用されるが、その全てを回避し、魔法をも叩き落とす二人に、教団員も苛立ちを募らせているらしい。多少の怪我は已む無しと、人海戦術方式に切り替えられ、流石の二人もじりじり壁際へと追い込まれていく。
「――痛ったぁ」
風魔法が掠り、鏡花は呻く。シャツをボロボロにされた彼女の防御力は低く、それをカバーしながら動きつつも、本来の力を出せない蘇芳の息も上がっていた。そんな二人を閉じ込めるように結界が発動し、鏡花は「あ、ここだ」と決めて、耳のインカムで、この世界での仕事に携わる全ての会社職員に向けて指示を出した。
「≪“オーヴァルの奇蹟”を天へ≫」
結界を壊せないか考えて、試そうとしていた蘇芳が止まり、確認するように鏡花を見る。頷けば、やっとかと言う様にため息を吐いて彼は立ち上がり、ブーツから剣の魔具を取り出して床に置いた。鏡花もまた、腕輪を外し、ネックレスを外し、イヤリングを外す。
二人を結界内部に閉じ込めた事で、一先ず安心した様な教団の部隊員たちだが、彼らが奇妙な行動に出た事で、一斉に狙い撃ちするための魔法の詠唱を始める。それを押しのけるようにして、金の髪の少女が現れた。
「イザベラさん、シグウィルさん!!」
外した装飾品を剣の上に置いた鏡花は、案外元気そうなアイリスの様子にほっとして笑みを浮かべる。彼女の笑みの意味を違う風に取ったか、アイリスは苦い事を告げる表情で口を開いた。
「抵抗を止めて下さい。私達は、貴女たちの敵ではない。きちんと法に則って、罪を償えば、教団として貴女たちの権利を擁護し、国の下に保障できるっ」
彼女の言葉に、鏡花は、イザベラとしての気取った笑みを浮かべた。
「お止めなさいな。私達は、そんな物を求めて、ここに居る訳ではないの」
「イザベラさん!!」
泣き出しそうな声で叫ぶ彼女の後ろには、よろけた風に動くクロイドが漸く追いついて、彼女を止めるように腕を掴む。
「良いんだな、≪イザベラ≫?」
鉄甲を外し、最終確認をする蘇芳に、鏡花は一つ頷いた。
「≪火炎の武神≫、≪溶解≫」
彼が魔具を発動させると、持った鉄甲が黒い炎を宿し、端の方からタールの様に溶けだしていく。それを、床に置いた剣や装飾品の上に投げ捨てると、途端に炎は、青、緑、赤、黄色と別れ、最終的に混ざり、白い炎となった。強烈な光を放つそれは、一度光を収束させたかと思うと、次にドンと火柱となって結界を破り、闘技場の高い天井を抜けて、地上へと伸びる。
その場の空気を巻き込む様な動きで天へ登る、白い火柱の強烈な熱と魔法力に、周囲を囲んでいた教団の部隊員達が下がり、退路を確認しつつも、魔雹と魔炎の二人を警戒した。ビリビリするほど強い魔法の力に、クロイドも息を飲む。
「私達の願いはね。この“オーヴァルの奇蹟”を、一族以外の者に二度と奪われないよう、私達と一緒に天へ還す事なのよ。その為に、人に言えない様な事は散々やったわ。だから、今更、貴女が同情する必要はないの」
「もう決めていたの。ごめんなさいね」とイザベラは、彼女の言葉に傷つく、優しい少女に笑む。そうして、エスコートするように手を差し出したシグウィルの手を取った。
「そんなの、言い訳だわっ!! 卑怯よ――っ!!」
二人が何をするつもりなのかわかったアイリスが、止めようと手を伸ばすも、こんな状況でクロイドが手を離すはずがない。二人の最後を止める気はないのか、せめてアイリスが見えない様に彼女を引っ張ろうとする。
「嫌だっ、クロイド!! 二人を――」
「ダメだ、アイリス!! あそこは危険だ、近づけないっ!!」
魔法に理解があるクロイドの言う通り、“オーヴァルの奇蹟”もとい、DH社No.1である暗黒神の力の欠片を集めて発動させたこの場は、一定区間、一時的に磁場やら魔力場やらが揺れ、魔力を持っている者が近づけば、途端に魔力を吸い取って火柱の力に加えるという構造になっているらしい。魔力を持つ者に見えている世界を例えるなら、爆薬庫に火炎瓶を投げ込む所業なのだとか。しかし、これは幹部二人を会社(元の世界)に戻す為の転移でしかない。
「「“再見”」」
いつか言った言葉を残し、二人は白い火柱の中に進む。ちりっと微かに肌を焼く痛みが走るし、スカートの端が燃え始めたが、それは演出とわかっている。流石に神の力は強烈だなと、横の相棒を見れば、体の端の部分から崩壊して、泡のように光と共に上に流れているのを見た。本当に大丈夫なんでしょうねと、一抹の不安が鏡花に過ぎる。同じ思いを抱いたのか、蘇芳が守るように抱きしめて来たので、お気持ちに甘えようと彼女は彼に縋りついた。一層光が強くなる。アイリスの悲鳴が聞こえたような気がした。




