第九話 殺意と憎しみ
「“殺意”も手強いか?」
「手強いって言うか、やりづらいなって……」
エネルギー源となる感情について訊かれ、思っていることを口にする。また、何か言われるのかと思ったが、シニは深く突っ込んでこなかった。
「元は48あったんだよね」
「そうだ。安心、不安、感謝、驚愕、興奮、好奇心、冷静、焦燥、幸福、緊張、尊敬、親しみ、憧れ、欲望、恐怖、勇気、後悔、満足、不満、無念、嫌悪、恥、軽蔑、妬み、罪悪感、殺意、期待、優越感、劣等感、怨み、苦しみ、悲しみ、切なさ、感動、怒り、諦念、絶望……」
「いいよ、全部言わなくて……。で、どんなのが残ってるのさ?」
「君らがネガティブだと捉えているものが残っている。俗に言う負の感情だ」
何となくだが、そんな気はしていた。
代理バトルの性質上、ポジティブな感情を維持するのは難しい。恐怖や殺意なんてものの方が戦いやすいに決まっている。そういう意味では“憎しみ”で、よかったのかもしれない。
「ターゲットは南波先生だったね。彼に憎しみを抱かせればいいわけか……」
「そうだ」
「先生に突っかかっていた上級生や、大輝みたいに素行不良になればいいんだろうね」
方針は決まる。大輝の真似をすればいいのだ。手始めに、明日の授業は学ランの下に私服でも身に付ければいい。
10月27日、木曜日。
一限目の日本史の授業で、学ランの下にタートルネックのセーターを着ていたことで、大輝と一緒に吊し上げられる。
「十河、お前まで……。西尾にでも影響されたのか、ンン?」
良の席までやってきて、南波健吾は侮蔑の眼差しを向けてくる。憎しみを抱かせる為とはいえ、大輝と一緒にされるのはしゃくだった。
「いいか、お前ら……」
そう切り出して、南波健吾の説教が始まる。話す内容は前と一緒だ。
服装の乱れは心の乱れ、そんなことでは真っ当な大人になれない。お前らの為を思って、心を鬼にして言っている……。聴き飽きた言葉だ。
彼が自分らの何を知っていて、どう為になると思っているのかは知らないが、槍玉に挙げられるのは実に不快なものだった。なるほど、大輝の苛立ちも理解できると今さらのように共感する。
昼休み。
食堂に行こうと2年B組の前を通ると、教室に入って行く北村瞳子を見かける。
彼女は弁当を二つ抱えて嬉しげに中に入ったものの、急に立ち止まると辺りを見回した。その顔からは生気が一気に失せて、その場にペタンと座り込む。
彼女を知っている男子生徒が駆け寄る。
「瞳子ちゃん、どうしたの?」
「瞳子、お弁当を作って来たの。いつものように……。でも、誰と食べていたのか、思い出せなくて……」
床に弁当を置いて、彼女は頭を抱えた。
「誰か、大事な人を忘れてる気がする……」
代理バトルの後だ。戦いに負けて死んだ代理人の記憶が、シニたちによって消されたのだろう。自分も初戦の相手の顔が思い出せない。二戦目は……。
昨日のバトルを振り返ろうと思ったが、良の記憶にあったのは北村瞳子がターゲットだったということだけ。またしても、対戦相手の顔はボヤけて思い出せない。
「またかよ……」
小声で言って食堂に向かう。気にしたところで始まらない。
10月28日、金曜日。
今日は南波健吾の授業が無いので、学ランの下に私服を着る必要もない。そう思って何も準備せずに来たのだが、廊下で先生に呼び止められている大輝を見て、いつ会うかもわからないのだから、不機嫌にさせる要素は備えておこうと思った。
生活指導のようなこともしていたハズだから、問題のある物でも持ち込んだ方がいいのかもしれない。
10月31日、月曜日。
ハロウィンだからとコスプレ衣装を持ち込む。土日を使って集めたのは、海外のピエロ事件を参考にした不気味なピエロのマスクと衣装。それと家にあった小型のチェンソー。
案の定、ホームルームの持ち物検査で引っ掛かる。担任の安東美奈代の呆れっぷりは酷かった。当然の如く没収され、後で職員室に来るように言われる。
クラスメイトの反応は、失笑、畏怖、嫌悪、無反応、そんなところだった。
放課後。
職員室に行くと、担任の傍に南波健吾が立っていた。
「話は聴いたぞ、十河。あまり安東先生を困らせるな」
早速、お達しを受ける。授業中の彼とは違い、随分と穏やかな物言いだった。チラチラと担任を見ている様子からして、安東美奈代を女として意識しているのかもしれない。
気になる女の前では普段の威圧的な態度を控え、良識ある大人の男でも演出しているのだろう。
「後は俺の方で」
そう言って、南波健吾は良の手首を掴むと、生徒指導室へと引っ張っていった。彼女に頼れる自分をアピールしたい、そんな下心が透けて見えるような顔をしている。
殺風景な生徒指導室に入り、長机を挟んで南波健吾と向き合う。安いパイプ椅子は腰の収まりが悪かった。
「この椅子は座りにくくて敵わんな」
座る位置を調整しながら南波健吾が愚痴る。
「十河、最近のお前は変だ。何かあったのか?」
「別に……」
素っ気ない返事をすると、南波健吾は立ち上がり、後ろにあった窓を開けた。突風が入って来て、海藻が載ったような彼の髪を乱す。
「おっと、髪が……」
頭を押さえたまま、開けた窓を閉める。
「こうも風が強くては、空気の入れ替えもできんな。で、十河。今日のところは帰すから、もう変な物を持ってくるんじゃないぞ」
もっと説教をされると思っていただけに、あっさり過ぎて拍子抜けする。彼は安東美奈代の前で、いい恰好がしたかっただけなのかもしれない。
南波健吾は髪の毛の方が気になっているようだった。最初に彼を見た頃より、生え際が少し後退している気がする。
「もう行っていいんだぞ。ああ、没収した物なら明日、安東先生から受け取りなさい。ハロウィンだか何だか知らないが、あんな格好をして出歩くのは我が校の恥だ」
今日のうちに返却したら着用するから、返すのは明日にしたということなのだろう。
「はい、わかりました」
それだけ言って生徒指導室を出る。失礼しました、ご迷惑をおかけしました、もう二度としませんといった言葉は意図的に言わない。彼に憎しみを抱かせることが目的だからだ。
南波健吾は何か言いたげな顔をしていたが、頭の方が気になるらしく、すぐさま窓に顔を映して髪をセットし始めた。
生徒指導室を出ると、保坂美優がこちらに向かって歩いて来ていた。
彼女とすれ違い、そのまま帰ろうとしたところで、ふと足を止めて振り返る。彼女は生徒指導室のドアをノックして中に入って行った。
少し気になって、生徒指導室の前まで戻ってみる。
「ああ、相談があったんだったな」
ドア越しに南波健吾の声が聴こえる。いや、閉めきれていないドアの隙間から、漏れているといった方が正確だ。彼女が閉めた方とは逆の引き戸が、端まで閉められていない。
その隙間のところまで行って中の様子を窺う。さっきまで自分がいた場所に彼女が座り、南波健吾と向かい合っている。彼は面倒そうな顔で耳の穴をほじり、爪先で取ったカスを吹いて飛ばした。
彼女は何かボソボソ言っているが、イマイチ聴こえてこない。
「保坂は声が小さいな。ちゃんと食ってるのか、ンン?」
「はい……」
彼女の声を聴くのは久しぶりだった。何かの授業で当てられた時以来になる。
「相談っていうのは、友達とのいざこざだろ? そういうのはな、当人同士で解決するものだ。俺も忙しいからな」
「……」
彼の言葉に、彼女は何も言えなくなってしまう。
友達とのいざこざ?
この学校に、彼女の友達と呼べる存在などいただろうか。他の生徒による嫌がらせの類を見て見ぬフリをする為に、“友達とのいざこざ”と称している。そう思えてならなかった。
良はスマホを取り出し、ドアの隙間から二人の様子を録画することにした。
「なぁ、保坂。親という字はな、木の上に立って見ると書く。先生というのは、学校における親みたいなものだ。子供同士の問題にしゃしゃり出ることなく、木の上から見守ってやるのが教師ってもの。大人に、あれこれ面倒を見てもらっていては、自立性が養えんからな」
彼の言い分は、良が知っている“親という漢字の由来”からすると間違っていた。
親という字の左側は薪の原字で、木を刃物で切った生木を表したもの。または、位牌を意味しているという説が記憶にある。
見るという字が加えられているのは、身近に接して見ていることで、直に刺激を受けるような非常に近い間柄を示すものだと、雑学本で読んだ覚えがある。
「だから、少し嫌なことをされたくらいで、先生を呼び出すのはどうだろうな。そもそも、そういうことをされる時点で、お前にも悪い所があるんじゃないのか? 胸に手を当てて、よく考えてみなさい」
「……はい」
彼女は辛そうな顔で、自分の胸に手を当てた。そこまで素直に、人の言葉を真に受ける人は、初めて見た気がする。
誰かが発した適当な言葉や心無い言葉を、すべて真っ直ぐに受け止めていては、まともな神経ではいられない。自分勝手な連中の言い分を深く捉えていては、生きづらくなるだけじゃないのかと、胸の中にモヤモヤした衝動が起こる。
「じゃ、もういいな? 今日は何も相談されていないし、何も聴いていないことにしておく。だから、保坂は自分で行動するしかない。これは、お前の為を思って言ってるんだぞ」
話が終わりそうなので、良は録画を停止して生徒指導室の前から離れ、そのまま帰路に就いた。
11月1日、火曜日。
学校に行くと、机の上にノートがあがっていた。大輝に貸していた数学のノートになる。てっきり、彼が無くしたものとばかり思っていたものだ。
今になって戻ってきたのは不思議だが、返ってこないよりはマシだとバッグの中に入れる。もしかしたら、南波健吾に吊し上げられているのを見て、シンパシーでも感じたのかもしれない。
明日の代理バトルに備え、二回目となる校内の武器探索を行う。代理人が隠しそうな場所を見て歩いたが、それっぽいものは見つけられないまま昼休みになる。
先週、参木茉莉という上級生が砂利の下に隠していたのを思い出し、体育館の傍に行ってみるも見当たらなかった。ここもダメかと思い、自分が隠し場所に使ったプールに行く。運が良ければ、そんな淡い期待を打ち砕くかのような声が聴こえてくる。
「あたしらのこと、南波に言ったでしょ!?」
耳をつんざくような女性の声だった。
物陰から様子を窺ってみると、保坂美優を三人の女生徒が取り囲んでいた。その三人には見覚えがある。うちのクラスが一人、一年の時に同じクラスだったのが二人。
「知ってんだよ。あなたが昨日、南波に相談しに行ったこと」
嫌がらせの相談に行ったことで詰め寄られている、そんなところだろう。良はスマホを取り出して動画撮影を始めた。
スマホの画面には、女生徒の一人がバケツでプールの水をくみ上げ、それを保坂に向けている姿がハッキリと映っている。
「何とか、言いなよ! でないと、これをかけるからね」
「……」
震えるだけの保坂美優の足元に、プールの水がかけられる。彼女の靴と靴下が濡れ、そこに空になったバケツが転がっていく。
「かけるって言ったよね? 何で、言わないのさ」
「……」
保坂は黙ったままだ。素直に相談しに行ったと言ったところで、何かするに決まっている。行かなかったと嘘をついても、嘘をつくなと何かするだろう。正解のない質問だ。
それに、彼女は南波に相談しに来なかったことにされている。彼の言いつけを守るなら、彼女には答えようがない。彼女にとって優しい人は、この学校には存在しないのだ。
停止ボタンを押して録画をやめ、武器の探索に戻ることにする。
結局、誰かが隠した武器は見つからなかったので、没収された小型のチェンソーを使うことにする。今日の放課後、取りに行くことになっているが、忘れたので明日ということにすればいい。それなら、誰かに奪われることなく、明日まで担任が保管しておいてくれるだろう。
帰宅後、バッグから数学のノートを取り出すと、一枚の紙切れが落ちた。ノートに挟まっていたらしい。こんな紙を挟んだ記憶はない。となれば、大輝のものになる。
その紙にはパソコン用のメールアドレスとパスワードなどが書かれてあり、アドレスには大輝の名前が入っていた。
パソコンを起動し、彼のIDでログインする。幾つかのメールが届いていたが、その中には動画投稿サイトから届いた登録完了の知らせがあった。
「動画か……」
スマホで撮った動画のことを思い出し、データをパソコンの中に入れて再生してみる。ちゃんと声も入っていた。ひとつは生徒指導室で話す南波と保坂。もうひとつはプールサイドで保坂を取り囲む女生徒。
動画編集ソフトを起動し、その動画にキャプションを入れていく。動画はプールでの出来事を最初にし、生徒指導室のを後にする。こうすることで、保坂が被害を受けている事実があるにも関わらず、南波が何の対処もしないというのをわかり易く伝えられる。
動画の冒頭には学校名を入れ、保坂以外の出演者名も実名で書いておく。これを大輝のアカウントでアップする。こんな動画がアップされていると知れば、南波の機嫌も悪くなることだろう。そして、自分がやったという一言で憎しみを抱く。
保坂を取り囲んでいた女生徒が動画の存在を知れば、詰め寄るのはアカウント主である大輝だ。何せ、アカウントは彼の本名で登録しているのだから……。
11月2日、水曜日。
朝のホームルーム後に、担任の安東美奈代にメモを渡す。アップした動画のアドレスが書かれた物だ。
「この紙は?」
「うちの学校の生徒や南波先生が映ってる動画のアドレスです。南波先生に伝えておいた方がいいかと思って……」
「わかったわ」
真剣な面持ちで言うと、担任は了承してくれた。
これで最初のステップは完了。異性として気になっている安東美奈代に言われれば、あの南波健吾も動画を見るに違いない。
一限目が終わると、校内放送で大輝の名が呼ばれる。至急、生徒指導室にいる南波の元に来るようにというものだった。
行って戻ってきた大輝は、何かあったのかと毅や祐樹に問われ、自分がアップした覚えのない動画のことで怒鳴られたと、ご機嫌斜めだった。
彼のアカウントでアップしているので、撮影や編集もしていると思われたのだろう。南波健吾にしてみれば、本来なら手を打つべき保坂絡みの問題が露呈されたことになる。それで生徒を怒鳴るのは筋違いというもの。
だが、憎しみを抱かせるという計画の上では計算通りである。
それよりも、久々に祐樹が話している姿を見て思うことがあった。彼が生きているということは、代理バトルの協力者である平塚悠仁も健在なのかもしれない。どちらが代理人なのか、それとも両方なのかは知らないが、共闘しているなら近いうちに戦うことになる。自分か、彼らが殺されない限り。
放課後。
没収された物を回収しに、担任の元へと赴く。彼女は顧問をしている部活に早く顔を出したいのか、軽い注意だけで物を返してくれた。
それを持って中庭に移動する。代理バトル開始まで時間を潰す為だ。
直前まで隠された武器を探す、代理人と思しき生徒をチェックするのも考えたが、小型のチェンソーと衣装を持ち運ぶのは疲れるのでやめる。
これから殺し合いだというのに、何の危機感もなければ、現実感すらなかった。自分が夢の中にいるような心境で、ぼんやりと空を流れる雲を見続ける。
16:30を過ぎ、そろそろ体がターゲットの元に動き出すと思い、準備の為に男子トイレの個室へと向かう。その中で不気味なピエロの衣装に着替え、チェンソーの動作確認をする。
ハンドガードを前に押し、チェーンブレーキをかけ、刃からカバーを外す。使う時に押せと父から教えられたバルブと燃料ポンプを押し、他の手順も踏んでいく。スターターロープを何度か引くと、エンジンがかかったので動くと判断。再び停止させることにする。
17:00前になると、体が勝手に動き出した。先週と同じように、ターゲットである南波の元に向かっているのは明らか。
問題は行き先にあったが、進んでいく方向にあるのは生徒指導室だった。
部屋の前まで行くと、南波の怒鳴り声と女性の声が聴こえてくる。中では話し中だというのに、勝手に動く体はノックもせずにドアを開けた。
中にいたのは、ターゲットである南波健吾と参木茉莉の二人。彼女は体育館近くの砂利の下に武器を隠していた人物になる。
「何だ、その口の利き方は!」
良が入って来たにも関わらず、南波は彼女から目を離そうとしない。
「口を利いてもらえるだけ、有り難く思ったら? 生徒と教師じゃなかったら、あなたのようなオッサンなんて、若い子は相手にしないでしょうから」
参木は良をチラッと確認するも、その存在を無視して南波を煽り続ける。
憤る南波を見て、良は息をのんだ。今回の対戦相手は“殺意”をエネルギー源にしている。彼女が代理人だとしたら、戦う前から“殺意”を高めていたことになる。その数値は如何ほどになるのか、想像するだけで恐怖を覚えた。
「あなたのような低能なグズを生活指導にアサインする辺り、この学校も程度が知れてるわね」
「南波先生!」
彼女に喋らせておくわけにはいかないと良が口を挟む。それでようやく南波が良の存在に気づく。同時に、不気味なピエロ姿に唖然とする。
「お前は誰だ!? あっ、その恰好は十河か? 十河なのか?」
「何よ、その驚き様は。なんて無様なの」
「うるさいぞ、参木。予想外のことが起きれば、誰だって驚くだろうが」
「コンティンジェンシープランを考えてないだけでしょ。あらゆる場面を想定していれば、驚きなんてあり得ないわ」
彼女はピエロ姿でチェンソーを持っている良を見ても、冷静な表情を崩さなかった。17:00に戦うとわかっていれば、相手が武装してくるのも、変装ですら想定内なのかもしれない。
「17:00になったわね。それじゃ、次のフェーズに移行しましょうか。何処の誰か知らないけど、あなたを殺して私の勝利をフィックスするわ。“殺意”を変換!」
血走った眼で彼女を見ていた南波だったが、空気が抜かれた風船のように、腑抜けた顔になった。
「ピエロの周囲2m圏内の酸素を私の元に移動。移動した場所には二酸化炭素を固定」
周りから酸素が無くなり、良は息が出来なくなる。咄嗟に、呼吸を止めた状態でドアを開け、酸素がある方へと移動した。そこで呼吸を整える。
「バカな格好してる割に賢いじゃない」
嘲笑した参木は、長机の上に置かれていた辞書を握ると、窓に向かって思い切り投げつけた。ガシャンッと音を立てて窓ガラスが割れ、その破片が散乱する。
彼女は窓際に移動すると、良に向かって手を伸ばした。
「3,000ptでガラス片をピエロに突き刺して!」
ガラス片が向かってくる。チェンソーを盾にしたものの、そこで細かく砕けたガラスが体に刺さった。
ピエロの衣装を破って、体に刺さっているのがわかる。切り裂かれたような痛みと共に、衣装が赤く染まっていく。
早めに決着をつけないとヤバい。まずは、南波から憎しみを引き出さないと。
「先生、僕がアップした動画は見てくれました?」
「動画って……保坂と俺が出てるヤツか!?」
腑抜けた顔をしていた南波の目に光が戻る。沸々と湧き起こる憤りが、彼の表情を彩っていく。
「そう、あの動画は僕が撮って、編集して、アップしたもの。大輝のアカウントを使ってね」
「お前のせいで、俺は!」
「3,000ptでガラス片をピエロに突き刺して!」
「シニ、憎しみを変換してガラス片を吹き飛ばせ!」
良に向かってきたガラス片が風で吹き飛ばされ、参木の方へと飛んでいく。彼女はカーテンを広げて身を隠し、ガラス片はカーテンに刺さって動きを止める。
「な、何が起こってるんだ!?」
代理バトルを知らない南波が、壁を背にして右往左往している。
「今ので6,200ptを消費した。残りは14,600ptだ」
「シニ、ガラス片で南波の髪の毛を切断」
近くにあったガラス片が南波に飛んでいき、海藻が載っているような髪の毛をサクッと切り落とした。床に落ちた髪の毛を見た彼は、自分の頭を触った後に奇声を発した。
「ぬおぉぉっ!」
「良、1,000ptを消費した」
「シニ。もう一度、憎しみを変換」
奇声を発した後に、良に掴みかかろうとした南波だったが、再び魂が抜かれたような顔になる。
「340,630ptになった」
余程、髪の毛が大事だったらしい。相当な憎しみの量だ。これなら思う存分に使うことができる。問題は参木の殺害方法だ。チェーンソーは持っているが、こんなものは使いたくはない。自分の手を汚したくないからだ。
しかし、エネルギー源が殺意である以上、南波に殺意を抱かせて彼女を殺すことは叶わない。どうすべきかを考えている間にも、彼女はガラス片を飛ばしてくる。それをptを使って跳ね返す。彼女はカーテンを使って防いでいるので、こっちの方がpt消費は大きい。
このままでは窓際にいる彼女が有利だ。
同じ攻防を繰り返す中で、彼女の手首にためらい傷があるのに気付く。そう言えば、彼女は元霊感少女で、今は自殺癖があると言われていた。彼女が代理人でなかったら、気にも留めなかった情報だが、それが今回は使えそうな気がしてくる。
自殺願望があるなら、彼女自身が自分に殺意を向ければいい。
「そのためらい傷は何?」
指差して指摘すると、彼女はパッと手首を隠した。触れてほしくないのは明らかだ。
「いわゆるメンヘラってヤツ? 昔は自称霊感少女だったんだよね? もしかして、痛い人?」
あざけ笑ってみせると、彼女は震えた声で怒り始めた。
「あなたに何がわかるのよ!?」
「自分をわかって欲しい人って、その言葉が好きだよね?」
そう切り返すと、彼女はパイプ椅子を持ち上げたが、チェンソーを見て元に戻した。使われることを警戒しているのだろう。
「そういうことを言う人ってさ、自分を理解してほしい欲求が強いクセに、他人をわかろうとしないよね。自分が注目されていないと不安になって、目立つことをするって何かに書いてあったっけ」
分析関連の雑学本の知識をひけらかす。図星を突かれたのか、彼女の表情に悔しさが滲み出る。
「もしかして、誰かに注目されたくて、霊が見えるとか言っちゃう系? 死にたがりも同じ理由?」
「違う、違う、違う!」
耳を塞いで彼女は激しく首を振る。
「コンティンジェンシープランとやらは、どうしたの? 終了のお知らせ?」
「私は選ばれたのよ。48人の戦士に選ばれたの。私が勝ち残れば、彼らは“殺意”をエネルギー源にする。そうなれば、この世界から“殺意”が消えるかもしれない。その為に私は!」
自分に暗示をかけるように、彼女は俯いたまま一気にまくし立てた。
その内容を聴いて、この代理バトルに使命感を持っている人もいるんだと感心する。だからといって、彼女に勝たせる気はない。
「あなたは僕に殺される為に選ばれただけ。僕のptは300,000以上あるけど、あなたは?」
「嘘……」
自分より少ないだろうと思って、正直にpt残量を教えると、彼女は顔を青白くして膝をついた。圧倒的な大差だったのだろう。時間をかけてターゲットの殺意を引き出した結果がこれでは、逆転の目は無い。絶望する気持ちもわかる。
この機会を逃すまいと、良は畳み掛けることにした。
「シニ、100,000ptを“絶望”に変換して彼女に注ぎ込め!」
更なる絶望が彼女を襲う。もはや、座っていることもできなくなり、床に倒れ込んでしまった。
「あなたに価値は無い。あとは僕に辱めを受け、無残に死んでいくだけ。あぁ、先生もいるから、彼を楽しませることができるかもね」
「嫌、嫌、嫌……」
何を想像しているのか知らないが、小さな声で彼女が囁いた。
「あなたが辱めを受けない方法は一つだけ。それは自ら死を選ぶこと」
「自殺……」
「そう、自ら死を選ぶこと。前にやろうとして出来なかったことを、今日この場でやり遂げるんだ」
彼女の視線が、ためらい傷に行くのを待って言う。
「シニ、150,000ptを“殺意”に変換して彼女に注ぎ込め!」
ピクッと体を震わせ、彼女は最後の指示を出す。
「残りのptで、私の手首にガラス片を突き刺して……」
ガラス片が彼女の手首を切り刻む。一箇所に集中してガラス片が飛んで行ったことで、手首の肉がザックリと削られてしまった。骨が見えて血が噴き出す。
「私の血、綺麗……」
流れる血にうっとりし、彼女は穏やかな笑みを浮かべた。
その血を見て、自分が負った怪我を思い出す。戦いに夢中になって痛みを忘れていたが、自分の体も傷だらけである。
「シニ、残りのptを使って治癒力を高められる?」
人型の空気の揺らぎが目の前に現れる。
「君がptを使わずとも、勝利が確定すれば、我々が出来る範囲で治す。代理バトル続行の為に必要な措置だからな」
「そう……」
言っている間に体から痛みが消えていく。彼らによる再生が始まったのだ。つまりは、彼女の死亡が確定したことになる。
「なお、余ったptは消失する。次のバトルに持ち越されては、戦いの意義が薄れてしまうからな」
それだけ言って、空気の揺らぎが消える。
良は怯えた表情の南波の前に立ち、腰を抜かしている彼を上から眺めた。
「こ、殺さないでくれ……。俺は、いつだってお前らのことを思って……」
反吐が出る言葉で懇願される。
「先生は今日、何も見ていないし、何も聴いていないことにしておきます。だから、ここであったことは、僕が動画をアップしたことも含め、キレイに忘れてください。これは、先生の為を思って言ってるんですよ」
彼が保坂に言った言葉を少し変え、同じような口ぶりで言い放つ。
「わ、わかった……」
「あと、簡単に“お前の為を思って”と言うのは禁止です。先生に思われたくは、ありません。先生は、そう……」
落ちている髪の毛を踏んで続きを言う。
「僕の人生には必要ない」
チェンソーを近づけて軽く脅し、生徒指導室を後にする。
男子トイレの個室でピエロの衣装を脱いでみると、体の傷どころか服が破けたところまで元通りになっていた。
これなら人目を引かずに帰れるとホッとする。
家に帰った後は、食事と入浴を済ませて21:00を待った。次のターゲットと対戦相手のエネルギー源が発表される時間になる。
20:59になると、人型の空気の揺らぎがドア付近に出現した。
「次は誰?」
シニは少し黙った後、21:00になると同時に答えた。
「次のターゲットは安東美奈代。対戦相手のエネルギー源は“不満”になる」
「そう」
“不満”なんてのは誰もが抱く感情だ。無い方がおかしいと言っていい。となれば、相手はptを貯め易い。ここまで勝ち残ってきたことから考えても、腕の一本くらいは覚悟しておいた方がよさそうだと腹を括った。