第五話 妬みと憎しみ
大輝と話すことなく放課後を迎える。
代理バトルのことが気になっていたこともあるが、彼の相手をしないで済むというのは思いのほか楽だった。
代理バトルがなければ、彼の気持ちを気にしてというか、関係性が修復不可能なほど嫌われていないかと気を揉んだことだろう。だが、生き死にを賭けた戦いの前だと、蹴った石ころがどっちに転がったかくらいにしか感じられない。
むしろ、毅の方が落ち着かない様子だった。祐樹は他に気掛かりなことでもあるのか、しきりに自分のスマホをいじっていて、休み時間になるとすぐに教室からいなくなっていたように思う。
朝のホームルームでは服装検査と持ち物検査が実施されたが、そこで何かが没収されることはなかった。ただ、欠席した保坂美優の机の周りに、女生徒が集まっていたのは少し気にかかっている。昼休みだったと思うが、検査でどうのと言っていたように思う。
代理バトルが開始される17:00まで、あと数分というところで教室に大輝が入ってくる。二人きりでと言った通り、誰も連れてきていない。
教室の真ん中で彼と向かい合う。
「何だよ、あのメールは! 頭に来たぜ」
「何だよって? 読んでもわからないのか、バカだな。大輝は」
怒り狂っている大輝を前に、良は驚くほど冷静だった。代理バトルを前に、シニによる感情操作がされているのかもしれない。
「それに、怒ってるのはこっちだ。大輝に怒る権利はない。非はすべて大輝にある」
「何だと!」
掴みかかろうとするので、スッと後ろに下がる。
「すぐに手を出す。何かあれば暴力に打って出るのは、頭の中身が猿並みな証拠だ」
あれほど相手を非難するのが苦手だったのに、今はスラスラと言葉が出てくる。既に嫌われているだろうという気持ちが、嫌われない為に言いたいことを制限するという枷を外していた。
「おぉ、大輝。ここに居たのか」
ヒョロっとした男が入ってくる。大輝の服を買っている壱岐先輩だ。
「あっ、先輩。今は、ちょっと……」
取り込み中で気まずい大輝をよそに、壱岐伸次はロン毛を掻き上げると、教室の中央まで足早に入って来た。
「見てくれよ、大輝。あの店の限定シルバーアクセ、手に入ったんだ」
「これは……」
髑髏を模した指輪を見せ、壱岐伸次は誇らしげだ。さっきまで怒り心頭だった大輝も、その指輪に見入っている。
「羨ましいっすね」
その一言に、壱岐伸次が軽くガッツポーズを見せる。
今回のターゲットは大輝であり、対戦相手のエネルギー源は“妬み”。大輝が羨ましいと思うそれは、妬みと呼べるものだった。
「サンキュー、大輝。お礼にいいものを見せてやるぜ! 5,000ptを風に変換!」
壱岐伸次の声と共に、良は壁際まで吹き飛ばされた。背中を強く打ち付け、大きな痛みを体中に感じる。
「ひゅ~。見たか、大輝。俺は風使いだぜ」
図に乗る壱岐伸次が大輝の肩を叩く。“妬み”をエネルギーに変換された大輝は、指輪への興味を失っていた。
「シニ、“憎しみ”を変換」
「変換した。420,560ptある」
「これを10,000ptで壱岐にぶつけろ!」
学ランのポケットからパチンコ玉を取り出して命じる。中庭の植木から回収しておいたものだ。
パチンコ玉は弾丸のように飛んでいき、壱岐の肩の肉を削り取る。
「うげぇっ!」
けたたましい声を出し、壱岐が膝から崩れ落ちていく。肩から血を流しながらも、彼は良を睨んできた。
「やりやがったな。お返しだ! 5,000ptで同じことを!」
壱岐は自分を傷つけた玉を拾うと、それを良に向かって飛ばしてきた。pt数が少ない分、スピードが無い。近くにあった机を傾けると、運よくそれに当たってくれた。
パチンコ玉が床を転がる。
「畜生!」
肩を押さえて壱岐が立ち上がる。近くにいた大輝は腰を抜かし、何が起こっているのかと、キョロキョロと辺りを見るばかりだった。
良は手元にあるパチンコ玉を握りしめ、壱岐に狙いを定めたがエネルギー変換できずにいた。これで仕留められなければ、この玉は自分に返ってくる。そのことが気がかりだったし、仕留めること自体にも躊躇いがあった。
バトルものが嫌いな自分が、戦わされている状況が恨めしい。相手を殺さなくては生き残れない条件には吐き気がする。臓器くじによる罪の意識の軽減など、良にはどうでもいいことだった。
「やっぱり、僕がアイツを殺さないとダメなのか……」
「そんなルールは無い。対戦相手を倒せば、君の勝利が確定するだけだ。それは君による殺害とイコールではない」
球体の空気の揺らぎを作ったシニが言ってくる。
「他に誰がいるって言うんだ……」
そう言って相手の出方を警戒する良の前には、怯える大輝の姿があった。
なんだ、僕以外にも相手を殺せる奴がいるじゃないか。
「シニ、憎しみを別の感情に変換することはできる?」
「簡単だ。それに、もっとも変換効率がよくて無駄が無い」
「何をゴチャゴチャ言ってんだよ!」
壱岐が近くにあった机を蹴飛ばす。その机は保坂美優のものだった。机の中から折りたたみナイフが出てきて、大輝の前でクルクルと回転する。
おそらく、誰かが持ち物検査で引っ掛かるようにと入れておいたのだろう。
「大輝、あのメールは壱岐先輩に頼まれたものだ」
「なんだと!?」
「この訳の分からない力を使うには、大輝を怒らせる必要があるって言われて、仕方なくアレを送ったんだ」
大輝がキッと壱岐を睨む。
「何をバカな!?」
壱岐が鼻で笑ってしまったことで、大輝の表情はより険しくなる。自分が馬鹿にされたと捉えたのだろう。
まったく、単純な奴は扱いやすい。
「シニ、全ptを“殺意”に変換して、大輝に注ぎ込め!」
一瞬にして大輝の目が血走ったかと思うと、彼は近くにあった折りたたみナイフで壱岐の腹部を突き刺す。予想外の攻撃に、壱岐は反応することすらできなかった。
「だ、大輝……」
驚きと痛みで声を震わせる壱岐を大輝は何度も突き刺した。途方もないptの殺意が流れ込んだ今、壱岐を殺したいという大輝の想いは止められない。
陰惨な光景を横目で見ながら、良は教室を後にした。勝負はもうついている。そう思ったのだ。
未使用のパチンコ玉を中庭の植木に隠し、校舎を出ようと玄関に向かう。
戦いから逃れようとすれば、シニに操られて戻されるハズだが、それはない。つまりは、もう戦う相手がいないのだ。
「今、壱岐伸次が息絶えた」
シニの声が聴こえる。
よく耳を澄ますと、悲鳴みたいなものが他の教室からも聞こえてきていた。48の感情が一斉にぶつかりあっている。24の断末魔が響いても不思議はない。
「残念な知らせがある」
「何?」
「壱岐伸次の臓器は移植できない。損傷が激しすぎる」
「そう……」
心底どうでもよかった。
彼の死によって助かる命があったかもしれないが、その命を知らないと関心すら持てない。良は自分を冷たい人間だと思うと同時に、罪の意識は死を前にすれば麻痺してしまう脆弱さがあるのだと感じた。
家に帰ってすぐにテレビを付け、学校で起こったことが取り上げられていないか見て回ったが、どの局でも報道されていなかった。帰宅途中にスマホで調べた限り、ネット上でも情報は出回っていない。シニたちが“うまくやった”のだろう。
この分だと、24名の命が失われたというのに、明日も普通に授業が行われそうだ。代理バトルを行う為に、記憶の書き換えでも行われているのかもしれない。何せ、彼らが“うまくやった”のだから。
夕食を終えて風呂に入った後、昔のアルバムを引っ張り出してきて眺める。幼少期から順に、自分の成長ぶりを確認していく。
「おかしいな……」
ポツリと呟くと、シニが人型の空気の揺らぎを形成した。一つ目と口もある。
「おかしいとは?」
「涙が出ないんだ……。手も震えない」
アルバムをめくりながら答える。良の瞳は潤んですらいなかった。手も震えていない。
「人が死んだら、悲しいって言うじゃないか。それに、誰かを殺したら、自分のしたことの大きさに手が震えるって……」
「そういう人間もいるな」
「でも、僕は何にも感じない。僕がトドメを刺した訳じゃないけど、壱岐先輩を死に追いやっている。あの人にも彼を大事に思う家族が、きっと居たんだ。僕が親にしてきてもらったように、お金と時間をかけて育てられたんだと思う……」
成長順を無視して挟みこまれた写真に目が留まる。写真の横には、良くん三ヶ月とあった。誰かに抱かれている写真で、赤ら顔で鼻水を垂らしていた。
「この頃、鼻水が詰まって苦しそうだったから、母さんは鼻水を口で吸い出したそうだよ。そういうことをして、少しずつ成長してきたんだ。なのに、代理バトルなんてもので人生が終わってしまう」
「我々を責めているのか?」
「今は責める気も起きない。僕は、自分の成長記録を確認すれば、奪った命の重さが感じられて、悲しいという人間らしい反応が出来る気がしただけなんだ」
そんな反応など出来ないのだと知り、良はアルバムを閉じて部屋の隅に寄せた。
「どうして僕は、何も感じないんだろう……」
「つまり君は、“そういう人間だ”ということなのだろう」
「シニが感情を制御してるんじゃないの? 僕が代理バトルで冷静にいられたように」
「私は感情制御をしていない。今も、代理バトルでも。何も感じないのだとしたら、それは君の資質によるものだ」
シニは、一つ目から涙をこぼして見せた。彼らに“悲しくて泣く”なんて気持ちがあるとは思えない。そもそも肉体すらないのだから、涙を表現してるのは明らかだ。
そんなシニが作り出した幻を見ていると、涙を流すという行為があったとしても、その心のうちに悲しみがあるとは限らない気がしてくる。
「涙を流すと悲しんでいるはイコールじゃない。そんなことを言いたいの?」
「いや、泣くから悲しいのか、悲しいから泣くのか。そんな言葉を伝えようとしていたところだ」
「誰の言葉?」
「それに対しては、アメリカの心理学者ジェームズとデンマークの心理学者ランゲの名をあげておこうか。興味があるなら、調べてみればいい」
「いいよ、心理学は」
本棚に並ぶ心理学の本に触れ、そのタイトル部分を指でなぞる。
「心理テストの本とか、よく買ってたけど……。なんか、嘘臭いし」
「君が持っている本の心理テストは、心理学でいうところの心理テストではない。心理学の目的は行動の予測と制御、つまるところ行動の科学。統計学的に傾向が認められるものを心理テストと呼ぶそうだ」
「心理学って科学ジャンルなの?」
「脳科学は科学だろうが、従来のそれを研究する者は、学会ではそう思われていないようだったがな」
読み終えた心理テストの本を一冊取り出し、何となくでページを開いてみる。一度は目を通しているのに、そこに載っていた質問文には覚えが無かった。すっかり忘れてしまったのだろう。
「友人が失恋して落ち込んでいます。友人を励ます為に旅行するとしたら、海、山、高原のどれ……。これでわかるあなたの……って、やっぱり何か引っ掛かるんだよな」
「様々な要素を度外視しているからな」
「どういうこと?」
「例えば、その質問で海を選んだとする。だが、海が好きな友人を思い浮かべて選んだ場合と、山間部に住む回答者が海と答えた場合では、選んだ根拠が違う。根拠が違うのに、選択した答えだけをみて、その人物にはこういう傾向があるというのは、お遊びの類だという話だ」
何となくだが納得する。
納得してしまうと、こんな本にお金を使ってしまったのかと、少し勿体なく思うところもあった。本を戻してシニを見ると、一つ目の代わりにクエスチョンマークを出していた。
「我々には、この手のものを欲する君たちの気持ちが理解しがたかった」
「逆に訊くけど、シニたちが理解しやすいものって何?」
「君が言うところのバトルものだ。単純な力比べで勝敗が決まり、立場に差が出るというのはシンプルで理解しやすい。前知識が少なくて済むからな」
「前知識?」
「そうだ。単純な力比べで上下関係が決まるのは子供でもわかる。だが、上司と部下の関係を理解するのは難しい。子供には組織的な権限という前知識が不足しているからだ。貨幣が無い地域に行けば、大人でも富豪と貧民の立場関係は把握しづらいだろう。そういうことだ」
そんな風に言われると、シニが言うところの“単純な力比べ”作品が多いのも頷ける。力で相手を従わせるのは、多くの動物に見られる行為だ。普段していることや経験したことは理解できる。国や地域に関係なく、そういう物語が多くても不思議はない。
嫌な言い方をすれば、バカでもわかるものが普及する。前知識として政治的な背景、科学的な知識、そんなものが必要とされる作品の場合、楽しめる層が限られてしまうという意味で。
「時間だ」
一つ目に戻ったシニが、部屋にあるデジタル時計を指す。時刻は21:00を示していた。先週、ターゲットと対戦相手のエネルギー源が発表された時間になる。
「次のターゲットは北村瞳子。対戦相手のエネルギー源は“愛”になる」
何処かで聴いたような名前だったが思い出せない。それよりも、エネルギー源が気になった。多くの作品で重要性を説かれる“愛”なのだから。