第二話 憎しみを呼ぶ声
「アドラー?」
良は聴こえてきた言葉を繰り返した。
「君の母親が持つ書物に載っていた人物だ。トラウマを否定し、過去の原因ではなく、目的に考えの重きを置いている。君が原因論を批判し、目的に注目すべきと唱えるのは、そういうことだろう?」
人型の空気の揺らぎから、低めの男性の声で確かにそう聴こえてきた。
「な、何? 何だ?」
幻覚と幻聴が同時に起こっているのかと思い、良は目を擦り、耳を叩いてみたが、現状は何ら変わらなかった。相変わらず、目の前には人型の空気の揺らぎがある。
「我々について、説明しようか?」
良は黙って頷いた。
「まず、君には人型をした空気の揺らぎとして認識されているが、見えている場所に生命体として存在しているわけではない。我々には肉体が無いのだ。君が見ている空気の揺らぎは、我々の存在を認識してもらう為に作り出した幻に過ぎない。君の脳に刺激を与えることで生み出した幻覚であり、この声も君にしか届かない点だけみれば幻聴だ」
「幻?」
「そうだ。肉体を持たない生命体である我々が君と接触するには、幻を見せて存在を認識してもらうのが妥当だと判断した。我々は肉体こそ持たないが、この星には古くから存在している。君が持つ書物の言葉を借りれば、思念体という表現がもっとも近い」
人型をした空気の揺らぎは、手を動かしてみせたり、机の上に座ってみせたりした。だが、机の上に座っているように見えても、置かれているノートや教科書に変化が無い。重みがないのだろう。
「僕に何の用だよ……」
「答えよう。我々にも寿命がある。時が来れば消滅したり、新たに発生したりする。数日前、我々のリーダーの寿命が尽き、この世界から消滅した。故に、我々は次のリーダーを決めなくてはならない」
「それと僕に何の関係が?」
「新たなリーダーを選ぶ材料として君が選ばれたのだ」
「どういうこと?」
「我々は、次のリーダーを決める方法として、人間を使っての代理バトルを行うことにした。十河良、君は代理人の一人だ」
おかしな生き物と話をしているだけでも混乱しそうなのに、代理バトルと言われても頭に入ってこなかった。頭の中の整理が追いつかないまま、良は人型をした空気の揺らぎのの話を聴き続ける。
「我々のエネルギー源は人間の感情になる。人間から感情を抜き取れば、火力や風力に変換することも可能だ。それが我々の特殊性であり、行動基準でもある。故に、どの感情がもっとも効率のよいエネルギー源になるか、それを見極められた者こそ新たなリーダーに相応しいと判断し、今回の代理バトル実施に至っている」
「話がサッパリみえない……。一体、何なの? 名前は?」
「名前など無い。我々は共同意識体。個として存在はしているが、意識は繋がっている。意識が繋がっている以上、言葉によるコミュニケーションを必要としない。故に、名前も不要だ。ただ、この代理バトルを行うにあたって、ナンバーリングはしておいた。我々、いや私は42番だ」
「42番って呼べばいいの?」
「それは君の自由だ」
「42番……。数字だと何かと不便な気がする。42……シニでいい?」
「構わない」
得体の知れないものに名前を付ける。自分でも奇妙だと思いつつも、不思議とシニと向き合おうという気になっていた。
「42番ってことは、少なくとも41番までの個体がいるわけだよね?」
「そうだ。個体は全部で48ある。それぞれが特定の感情を担当している」
「どうして?」
「先ほど言った通り、“どの感情がもっとも効率のよいエネルギー源になるか”が新リーダーの選定基準だからだ。例えば、“不安”という感情がエネルギー源として適切だと判断した個体は、より不安を集められそうな人間を選択し、その者を使って代理バトルを行う。バトルを繰り返し、最後まで残った者が選んだ感情、それがエネルギー源として適切なものとなる。ちなみに“不安”を選んだのは2番だ」
48の感情と代理人がいる。つまり、良も“何らかの感情”を集められそうな者として選ばれているのだ。
「それじゃ、僕も何らかの感情を集める為に選ばれたってこと?」
「その通りだ」
「どんな感情を集めろって?」
「憎しみだ」
憎しみ、それは憎悪の感情。積極的な敵意。
人に嫌われるのを何より恐れている自分に、そんなものを集められる気がしない。明らかにミスキャストだと云える。
「冗談じゃない。僕は人に嫌われるのが一番嫌なんだ。一番避けたい、怖いことなんだ……。そんな僕に、憎しみなんて集められるわけがないだろ?」
「人に嫌われるのが怖い、だから適任だ」
「何だって?」
「人に嫌われるのが怖い。つまりは、怖れるが故に“何をされれば嫌われるか、熟知している”ということではないのか?」
良はハッとして息をのみ込んだ。自分の生き方みたいなものが、見透かされている気分になる。
「それに、代理バトルでは相手を倒すことに躊躇しない素養が求められる。君はそれをクリアしている。なぜなら君は、他人に興味が無い。相手が自分を嫌っていないか以外は、どうでもいい。つまるところ、その人の考え方には何ら興味が無い。その人の人生がどうなろうとも、自分が傷つかなければいい。違うか?」
「なっ……」
「違うのなら、そう言いたまえ。私は君が人に嫌われるのを怖れる理由は、傷つきたくないからだと推測している」
シニは人型を崩すと、空気の揺らぎで幾つかの泡を表現しだした。ポコポコと気泡が膨らんでは消える様は、水中にいるかのような気分にさせる。
「僕に何をしろって言うんだよ……」
良はベッドに座ったまま、頭を抱え込んだ。
「君がするのは代理バトルだ。より多くの“憎しみ”を集め、それを私が変換して君が使う。対戦相手を倒せば君の勝利、その逆なら敗北だ」
「倒すって、具体的には?」
「相手を殺せばいい。肉体の死をもって、バトルの終了とみなす。それが我々が考えたルールだ」
「肉体の死? それじゃ、負ければ僕は死ぬの?」
「勿論」
いきなり現れた謎の存在に、生死を賭けて戦えと言われても、戸惑い以外には何もなかった。
「冗談じゃない。勝手に人を選んで、殺し合えって……。僕は嫌だ」
「何か勘違いをしていないか?」
「何を勘違いするっていうんだよ……」
「君に選択権は無い。我々に選ばれた以上、君は殺し合うしかない。君の気持ちは問題ではない」
良は床に足を着くと、スッと立ち上がった。だが、自分で立ったという自覚が無い。勝手に体が動いているのだ。
「良、君が立った理由がわかるか?」
「わからない……。僕は立つ気なんてなかったのに」
「私が君の体を動かしたのだ。君に幻を見せ、声を聴かせているように、君の体に動きを与えるのは容易いこと。君が私の話に聴く耳を持つよう、精神を落ち着かせてもいる」
嘘だと言おうとしたのに口が開かない。手を挙げようとしても、ピクリとも動かなかった。
「今、君の体を制御している。思うように体が動かず、不快に思っていることだろう。君が代理バトルを避けようとした場合、私は君の体を制御することで戦いの場に連れて行くことになる」
シニの制御から解き放たれたのか、良の体は元通り動くようになった。手を握ったり、開いたりしながら、シニの言っていることが嘘ではないと知る。
「こんなことができるなら、自分で戦えばいいのに……」
「肉体が無い身では不可能だ。それに、君たちは戦いというものを好んでいるのではないのかね? 我々は代理バトルを行うにあたって、人類が生み出した書物に目を通した。何処に行っても、戦いをテーマにした創作物がある。取り分け、この国には異能力を使った戦いが描かれているものが多い」
「だから、この国で?」
「そうだ。代理バトルを行うにあたり、我々の特殊性を理解し易い地域を考えたが、この国以上に適した国は無いと判断した。架空の世界の物語、非現実的な能力にまつわる物語、そんな想像力が必要な娯楽を嗜む君たちなら、我々が意図したバトルが可能だろう」
「僕は……そういう物語が嫌いだ……」
良の部屋には、いわゆるバトルものの作品は無い。本棚にあるのは参考書と雑学本。後者は長い通学時間に読む為に買っている。
黙って電車に揺られている時間が勿体ない。何でもいいから知識を詰め込んでおこうと、雑学の本を選んでいた。ひとつのことに関するページが短いので、区切りをつけやすいこともある。
「君の趣味嗜好は、ある程度は理解しているが、そういう物語を嫌う理由を教えてくれないか?」
良は再びベッドに座り、下を向いて話し始めた。
「バトルものなんて、結果は勝ち負けしかないし、やってるのは単なる暴力行為だろ……。それなのに、仲間の為だとか、友情だとか、そんな理由で美化してる。何より、賢ければ戦い以外の手段を取ってるんじゃないのかって思うと、バカらしくなるんだ」
「それが不満だと?」
「別にいいだろ、僕が何を好きになろうと、何が嫌いだろうと。そういうのが好きな人の前では否定しないんだし」
現に、この手の類の作品は大輝が好きなので、話を合わせる為に無理をして読んだこともあったが、やはり好きにはなれないところが多かった。特に、すべての判断基準が仲間か否かになっているところは。
「良、君が発した言葉の中では“仲間”という単語に嫌悪感がこもっていた。何故だ?」
「仲間の為なら、何でも許されるみたいなのが嫌なんだよ。仲間の為って言葉を大義名分にして、法を破り、破壊を繰り返す。そんなに大事なのかよ、仲間って……。仲間が何より大事だなんて、意味がわからない」
「つくづく人間とは意味を重要視する生き物だな。大事だと決めるも決めないも人間がすることだ。自然に生じたものに意味を考え、重要性を問うのは人間らしさと云える。人生なんて無意味なものに意味を見出そうとするのが、その最たる例だ。両親の性行為の末に発生した生命に意味を考える、我々には理解できない思考形態だ」
肉体を持たずに消滅や発生をしている彼らにすれば、そういう認識なのだと良は解釈した。一方で、偶然起こった物事にも、天の恵みだとか、これは罰だとか、そう考えて意味づけしてしまう人間を思うに、その意味づけマニアぶりが滑稽に思えてくるところもある。
「仲間意識が大事かどうかは君らが決めるとして、ひとつ云えるのは仲間外れを生み出すのは、仲間意識だということだ。こいつは仲間だと思えば、仲間ではない者も出てくる。仲間意識とは、仲間と仲間ではない者を区別する思考パターン。誰かと敵対する為の思想だと言っていい。何か起こった際に、優先すべき順序としての意味合いもあるだろう。そういう意味で、君と私は仲間であり、他の代理人は仲間ではないということになる」
そういう言い方をされると余計に“仲間”という言葉が嫌になる。不愉快さを言葉に出来ない良に構わず、シニは空気の揺らぎを人型に戻して言ってくる。
「さて、チュートリアルを開始しようか」
「チュートリアルって、何の?」
「能力の使用方法だ」
シニは弟の部屋を指した。
「今、隣の部屋では君の弟がテレビを観て笑い、興奮している。この“興奮”という感情を変換してみよう」
聴こえていた弟の笑い声がスッと消える。その突然さに驚き、良は立ち上がって隣の部屋を見た。
「今、“興奮”を変換した。君には4,120pt分のエネルギーがある。さぁ、どんな力に変換する?」
「力を変換? 風を起こせと言えば、起こすことができるの?」
「風か。では、君に向かって風を起こしてみよう」
目の前には何もないハズなのに、強風が吹きつけた。呼吸しづらくなって、半歩後ろに下がる。
「今のが1,600pt分の風だ」
「火を起こすこともできるの?」
「やってみよう」
今度は目の前に大きな炎が揺らめく。その明るさ、伝わってくる熱さ、紛れもなく炎だった。
「消して」
自分に火が付きそうな気がし、怖くなって言う。
目の前で揺らめいていた炎は一瞬にして消滅した。
「残りのptで炎の出現と消火を行った。火の起こし方は幾つかあるが、何も無いところに発生させたのでptの消費が激しい。空気中から酸素だけを集め、ライターで点火した方がptの消費は少なくて済む。代理バトルでは、その辺も考慮してほしい。エネルギーには変換効率があることも伝えておこう」
「この力を使って相手を倒せって?」
「そうだ。チュートリアルだから“興奮”を変換したが、代理バトルでは“憎しみ”しか変換できない。そういうルールだからな。君は“憎しみ”の集め方と、変換後の使い方を考えるといい」
「武器は使ったらダメなの?」
「禁止はしていない。手に入れられるものなら、手に入れればいい。ただ、明日からは校内に持ち込める物は制限されるだろう。手荷物検査が厳しくなる予定だ」
「それもシニたちが……」
「そうだ。我々が代理バトルを行いやすいよう、会場である学校の環境を整えたのだ。銃などを持ち出されては、こんな能力の有無など関係ないからな。この国で銃の所持が規制されているのも、開催地として選んだ理由になる。この国の創作物では異能力が銃器を凌駕しているが、実際には炎や水を操れたとしても殺傷力では遠く及ばない。何より、銃弾を風圧で防ぐとしたら、先ほどとは桁違いのptが必要となる。持ち込まれたら敗北は必至だ」
銃という言葉を持ち出されると、これは本当に殺し合いなのだという気がしてくる。命のやり取りだというのなら、むしろ銃を手に入れて持ち込みたいところだ。彼らの代理バトルの意義なんて知ったことではない。こっちは生き死にが懸かっているのだから。
しかし、自分が生きる為とはいえ、相手を殺すのには抵抗がある。人殺しは絶対悪として教えられてきたからということもあるが、相手を傷つける行為そのものを忌み嫌うところがあった。それは自分が傷つけられたら嫌だから、相手も傷つけたくない。いや、自分が傷つけられない為に、相手を傷つけたくないのだ。
「チュートリアルも終えたことだ。代理バトルのルールを説明しようか」
良が気持ちの整理をする間もなく、シニがバトルの内容を話し始める。
「良、君のように戦う者を代理人と称する。対して、代理人がバトルで感情を変換できる者をターゲットとする。ひとつのバトルにおいて、ターゲットは一人だけだ。代理人はターゲットに特定の感情を抱かせ、変換することで対戦相手を死に追いやり、勝利を目指すことになる」
「僕はターゲットに憎しみを抱かせ、エネルギーを得て対戦相手を殺す……。そういうこと?」
「そうだ。ターゲット及び対戦相手は学校内にいる誰かとなる。ターゲットの発表は明日の21:00。対戦相手の発表はバトルの直前になる。ただし、対戦相手のエネルギー源となる感情は、ターゲットの発表と同時に行われる」
「校内の誰かって……。クラスメイトと殺し合う可能性があるんじゃ……」
「勿論。バトルはターゲット発表日から一週間後に、ターゲットがいる場所で行われる。何か質問は?」
生き残る方法について何か訊こうと思ったのに、思い浮かんだのは彼らに対する問いかけだった。
「君らは人の命を奪うことを何とも思わないの?」
「それは罪の意識という概念かね? 生憎、我々はそういうものを持ち合わせていない。そんなものは人間が作り出したものに過ぎない。だが、君らの罪の意識を軽くする処置を取ることは検討している」
「それって、どんな……」
「臓器くじだ。知っているだろう? 君が持っている本の中にもあった言葉だ」
確かに聞き覚えのある単語だった。
臓器くじとは、一人の健康な人間を犠牲にすることで、複数の人間を助ける社会制度になる。くじで健康な人をランダムに選んで殺す。その人の臓器を全て取り出し、臓器移植が必要な人々に配るのだ。臓器提供者は死ぬが、その代わりに臓器移植を必要としていた複数人が助かる。一人の犠牲で複数の人が助かる。人類全体からすれば、プラスというわけだ。
「バトルで負けた人の臓器は、臓器移植を必要としている人の元に届くってこと……?」
「そういうことになる。罪の意識を感じたくなければ、相手の臓器を傷つけずに殺すことだな。共同意識体として活動している我々からすれば、この方法を人間が取らないことが不思議だ」
意識に繋がりのある彼らだけに、同じ種族をひとつの生命体として捉えているのだろう。一人の死は一個の細胞の死滅くらいのもの。だから、一個の細胞で複数の細胞を救えるのなら、何を迷うことがあるのかという発想なのかもしれない。
だが、良には受け入れがたい考え方だった。人間の命は単なる数字ではない。助かるからといって、ひとつでも犠牲にしてはいけないのだ。それが良の建前的な答えだが、本音は自分が提供側になりたくないというものになる。
建前の理由でシニの考えを否定しようかとも思ったが、何か見透かされているような気がして、別の問題点を挙げることにする。
「そんなにうまくいくとは思えない……。48人の殺し合いが始まる時点で、すぐに大きく報道されて、代理バトルなんて実行不可能になるに決まっている」
「昨日は殺人事件を伝えることの意義を問うていたのに、今は期待しているようじゃないか。だが、その心配は無用だ。君の体を動かしたように、我々は“うまくやる”」
人に幻を見せ、体を操れる彼らが、うまくやらないわけがない。これはもう逃れられない戦いなのだという気になってくる。
良が黙っていると、シニが空気の揺らぎを小さくしていった。
「もう質問は無いと判断する。伝えるべきことは伝えた。君なりに整理し、策を講じるのだ。君は人に嫌われるのが怖いようだが、特定の人物に嫌われなければ君は死ぬ。生き残りたければ、人に憎しみを抱かせることだ。誰よりも嫌われる人間になれ」
空気の揺らぎが消滅する。
静まり返った部屋には、隣から聴こえる弟の笑い声だけが響いた。