第十四話 僕の人生に必要ない
「開始時間だ」
5分が経過し、シニが開始を告げる。
用意したヘルメットは被っているし、防刃ジャケットも羽織っていた。見た目は変だが気にしない。傘を持つ手に力が入る。
「シニ、“憎しみ”を変換」
「彼女は憎しみを抱いていない」
思わず笑ってしまう。一字一句、予想通りの答えだったからだ。
まずは、自分に対する攻撃に彼女が巻き込まれないよう、窓際に移動する。
だが、彼らの目は保坂に向けられていた。
「喰らえっ!」
平塚は学ランの下からナイフを取り出すと、彼女に向かって投げつけた。椅子に座ったままの彼女は、回避できずに右腕を切られる。
「っ……」
破けた制服を押さえ、彼女の顔が青ざめる。
それを見て、良の体は自然に動き出していた。彼女の元へと。
「まだナイフはあるぞ、美優。お前をハリネズミに出来るくらいにな!」
彼は学ランの下にベストを着ていて、そこに幾つもナイフが用意されていた。その一つを取って彼女に投げつける。
だが、投げたナイフは広げた傘で跳ね返された。良が開いた傘だ。
「そんな傘で!」
広げた傘に向かって平塚がナイフを投げ続ける。
丈夫なものを選んだとはいえ、刃物相手では分が悪い。傘が破れはじめる。
「ほら、美優。そろそろ、ナイフがお前を刺しに行くぞ。そして、お前は死ぬんだ」
彼女が恐怖で震えているのがわかる。
平塚の言葉が恐怖を煽っているのは明らかだ。
「“恐怖”を変換!」
祐樹が手を突き上げて叫ぶ。
彼のエネルギー源が“恐怖”ということは、平塚が“欲望”になる。平塚がターゲットに恐怖を与え、祐樹がエネルギーに変換する。今まで、そういう役割分担で戦ってきたのかもしれない。
祐樹はポケットの中から石を取り出すと、それを投げて窓ガラスを割った。砕け散った破片が散らばる。
「4,500ptで理科室から、エタノールを移動。彼らを囲むように撒き散らせ」
理科室の窓を開けておいたのか、透明な液体が割れた窓から入ってくる。
液体は良と保坂を囲むように、床の上に降り注いだ。
「1,000ptで着火」
あっという間に炎に囲まれてしまう。燃え盛る炎が、彼女の恐怖心を更に煽っていく。
「さぁ、美優。助かりたいと願え。隣にいる男を助けてと頼め。でないと、お前のせいで、そいつは死ぬことになる」
「そんな……」
平塚の言葉に彼女が動揺する。完全に向こうのペースだ。
「その男を助けてほしいか?」
「お願い、助けて!」
「その男を倒さなくてはいけない俺の都合を無視し、自分の願いを押し通す。その心こそ欲望! さぁ、“欲望”を変換しろ!」
何ptかは、わからない。
それでも、自信に満ちた彼の顔を見る限り、少ないとは思えない。
炎に囲まれ、ptも無い。相手は共闘している。彼らは、最初に自分を倒す腹積もりだろう。
どう考えても、置かれている状況としては自分が不利。
あの作戦を実施する機会も無い……。
不安が心の中を駆け巡る中、彼女の囁きが聴こえてくる。
「私が変えられること、出来ること……」
ニーバーの祈りだった。
そう、まだ自分に出来ること、変えられることがあるハズだ。
何か手はないかと、自分の周りや持ち物を確認する。ふと、胸ポケットに入れたシャーペンに目が行く。保坂に返してもらったものだ。
それを見た瞬間、体が動き出す。
こんな時になって、父の教えが自分を動かしている。
情けは人の為ならず。
情けは人の為だけではなく、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ……。大嫌いな考えが、彼女を救おうとする。
羽織っていた防刃ジャケットを彼女に着せ、被っていたヘルメットも手渡す。傘は近くの火で燃やした上で、相手に向かって投げつける。平塚に当たったのが見えた。
「これは?」
防刃ジャケットを着せられ、彼女は戸惑っていた。
「何も無いよりマシだから」
「でも、十河君は?」
「ちょっと失礼」
質問に答えず、彼女をお姫様抱っこする。
そして、そのまま炎の中を突っ切った。彼らがいるのとは逆の方向に。
炎を越える際、彼女が燃えないようにと、その体を持ち上げた。お蔭で、火が付いたのは自分だけで済む。
「なんとか、抜け出せたね」
彼女を立たせた後、ズボンに付いた火を手で叩く。手に火傷を負ったが、妙な充実感があった。
父の教えが嫌いではなかった頃の気持ち。純粋に誰かの為に行動する喜びみたいなものが、あのシャーペンと共に戻ってきたのかもしれない。
「どうして、私なんかの為に……」
彼女は泣いていた。渡したヘルメットを抱きしめ、今までで一番辛そうな顔をしている。
「なんでだろう……。自分でも、わからない。でも、僕が助けたかった保坂美優という人を、“私なんか”呼ばわりしないでくれるかな。それじゃ、価値が無い人を助けたみたいで嫌だ」
「ごめんなさい……」
目の前の炎が消える。彼らが能力で消したのだろう。
「まさか、走って出ようとするとは……」
平塚は再びナイフを手にしていた。祐樹は黙ってこっちを見ている。先輩が何かしようとしているので手を出さない、そんなところだろう。
ナイフを手に、平塚が目標を定めている。狙いは自分だ。
「アレが刺さって、僕は終わりかな……」
「そんな……どうして十河君が、こんな目に……」
彼女が腕に抱きついてくる。
「どうしてって? 説明した通りだよ。僕に“憎しみ”を集めて戦えと言って、憑りついた奴がいるからさ」
「それがなければ、十河君は……」
彼女の声が低くなったので気になって見てみれば、その顔は何かを睨みつけているようだった。
視線の先には誰もいない。彼女は虚空を睨んでいる。
まるで、見えない存在を敵視するかの如く……。
「良、彼女が“憎しみ”を抱いている」
「それって僕に?」
シニの言葉に驚き、問いかける。
「いや、君ではない。彼女が“憎しみ”を向けているのは我々だ」
彼らは肉体を持たない。
その説明を受けて、彼女は見えない存在に“憎しみ”を向けたのだ。
「どうして十河君なの!? どうして戦わせなきゃいけないの!? 出てってよ、彼から出て行って!」
彼女は大粒の涙を流して、その場に崩れ落ちた。
「シニ、“憎しみ”を変換」
「変換した。1,720,410ptになった」
聴いたこともない数値だった。あの作戦を行うには充分過ぎる量だ。
「メロドラマは終わりか? 俺が好きなのは、欲望にまみれたヤツなんだがな」
ナイフを構える平塚に向かって両手を挙げる。降参の合図だ。
「何の真似だ?」
「勝てそうにないから、僕は降りるよ。だから、彼女は救ってほしい」
それだけ言って、窓の方へと歩いて行く。
鍵を外して窓を開け、後ろ向きになって、窓枠に腰を下ろす。
「シニ、身投げプランだ」
小さな声で指示する。
「おい、飛び降りる気か?」
「そうだよ。言ったじゃないか、僕は降りるって」
重心を後ろにずらし、窓から飛び降りる。
落下は一瞬だった。
すぐに地面の傍まで落ち、そこで空気のクッションでバウンドする。跳ねた後は、そのままコンクリートの上に体が付いたので、死んだフリをする……。
二階の高さからの落下ではあるが、打ち所が悪ければアウトだ。それが上から見ている二人に伝わっていればいい。
「本当に落ちやがった。ピクリともしない……」
平塚の声だ。
「良、バカな奴……」
祐樹の声もする。
「それじゃ祐樹、決勝戦といこうか。今まで協力してもらって何だが、共闘作戦も最後の二人になる為のものだからな」
「わかってますよ、先輩」
「その前に、一曲弾かせてくれ。死ぬかもしれないから、好きなギターを弾いておきたい」
「ええ、いいですよ」
二人の話しぶりからして、落ちて死んだと思われているのだろう。
残り二人となれば戦うしかない。それなら、死んだフリをして二人を戦わせた方が賢いというもの。争いは愚者の選択。自分は戦わずに、人を戦わせた方が賢い。
祐樹の奴、四字熟語が好きなら、漁夫之利を狙えばいいのに……。
彼のことを考えて少し笑う。彼は日ごろから使ってこその知識だと言っていたが、今は行動に移してこその知識だと言いたい気分だ。
「身投げプランで、46,200ptを消費した」
シニの報告を目を閉じたまま聞く。
「シニ、火傷を負った手の治癒能力を高めて」
「127,400ptを消費した」
手から痛みが薄れていくのがわかる。
そのまま黙ってコンクリートの上で寝ていると、教室の方からバンッという破裂音がした。
「そんな、銃を持ってるなんて一言も……」
「悪いな、祐樹。奥の手は、最後まで隠しておくものだからな」
撃たれたのは祐樹らしい。
共倒れが望ましかったが、仕方ないので教室に戻ることにする。
とはいえ、このまま歩いて戻ったら、足音で気づかれて撃たれてしまう。相手に気づかれないよう、思いもよらないルートで近づくとなれば、空中がベスト。
「シニ、僕を浮かせて教室へ」
体が教室の高さまで浮かび上がった。
「34,200ptを消費。浮かんでいる時間が長いほど、消費量は大きくなる」
室内では、祐樹が胸から血を流して倒れている。彼の傍に立つ平塚が持っている銃は猟銃だ。人を襲った熊を駆除したというニュースで見たことがある。
あのギターケースに入れていたのだろう。開かれたケースが転がっている。
「なんてものを……」
銃が規制されているとはいえ、あるところにはあるのだ。銃器に詳しくないので、あの猟銃が連射出来るものなのかは知らない。法律で、弾倉に装填できる数は決まっていると雑学本にあった気がするが、その数も覚えていない。
でも、要は撃て無くすればいいのではないか……。
「シニ、4,500ptで理科室から、エタノールを移動。銃にかけて、1,000ptで着火」
「な、なんだ!?」
急に燃え始めた銃を平塚が手放す。熱さに耐えきれなくなったのだ。
床に落ちた銃がバンッという大きな音を立てる。炎でよく見えないが、暴発したのかもしれない。
「じゃあ、教室に入るか」
開けた窓から教室内に戻る。スタッと立つと、平塚と保坂が大きく口を開けた。
「お前、落ちて死んだんじゃ……」
幽霊でも見るかのような目を、平塚から向けられる。
その視線を無視して保坂に歩み寄る。また、彼女が狙われることを危惧してのものだ。今なら、大量のptがあるから守り切れる。
「十河君……」
へたり込む彼女の肩に手を置き、笑顔を見せる。自分は大丈夫だと言うように。
「先輩、奥の手が無くなりましたね。こんなことなら、落ちた僕を撃っておけばよかった……違いますか?」
「ああ、まったくだ。後悔してるよ」
その一言を聴いて、心の底でほくそ笑む。
「シニ、10,000ptを“後悔”に変換。彼に注ぎ込め」
「あのとき、撃っていれば……」
平塚が悔しそうに顔を歪める。
「そう、あのとき僕を撃っていれば、あなたは死なずに済んだかもしれない。僕には残り1,000,000pt以上ある。先輩は幾つありますか?」
「何だと……」
膨大なエネルギー量を耳にし、彼の顔が青ざめていく。自分の残量と比較し、負けが見えたのだ。後悔が募っていれば、巻き返そうとする気も起きないだろう。人は後ろ向きな時、前向きな発想は出来ないものだ。
「シニ、50,000ptを“絶望”に変換。彼に注ぎ込め」
ガクッと膝を突き、平塚は床に手を着いた。注ぎ込まれた絶望が、彼から立っているだけの気力を奪ったのだろう。これで彼は、抗う気持ちを失った。
「もう勝敗は決したようなもの……。楽に死ぬのと、苦しんで死ぬのでは、どちらがいいですか?」
「どうせ死ぬなら、苦しみたくはない……」
「では、正直に答えてください。先輩は彼女にフラれた腹いせに、悪評をバラまいた……。そんな噂がありますが、本当ですか?」
「ああ、本当だ」
苦しみたくないという想いからか、彼は即答した。
「どうして、そんなことを?」
「許せなかったからだ。俺には何でもある。校内での人気も、学力も、運動能力も、ルックスも、親の金も……。なのに、彼女は俺になびかなかった。こんな腹立たしいことがあるか……」
絶望に支配されているので、その言葉は嘆きとなっていた。そうでなければ、怒りに満ちていたことだろう。
「何が好きな人がいるからだ、ふざけるな……。聴けば、たいして話したこともないそうじゃないか。入試の時に話した? そんなこと、相手が覚えているわけないだろ……。本当にふざけた女だ。居るだけで俺を苛立たせる。だから、あることないこと言えと、アイツに言って……アイツ? 誰に言った? 俺は誰に命じたんだ……」
命じた相手を思い出せないことで、平塚は頭を抱えて唸り始めた。
「保坂さん、あの書き込みは事実だったみたいだよ」
「うん……」
彼女は平塚を憐れんだ目で見ていた。それが気に入らない。
「彼に同情してる? 自分が振ったから、ああなったと? でも、君が酷い目に遭うようになった原因は彼にあるんだよ」
「でも……」
「嫌なことをされたら、嫌だって思えばいいんだ。誰かを怒ったり、恨んだり、憎むことも、時には必要だよ。自分の感情を否定してたら、いつか心が壊れてしまう……」
前にも言った言葉を繰り返す。それでも、彼女の表情は変わらない。
「彼が悪評を流さなければ、僕らはもっと仲良くなれたかもしれない。もっと早く、シャーペンを返せたろうに……」
何かに気づいたように、彼女が目を見開く。
平塚に向けられた彼女の視線に、強い意志のようなものを感じる。
「シニ、50,000ptを“怒り”に変換。彼女に注ぎ込め」
彼女に嫌われてもいい。することが外道だとも思う。でも、彼女に言わせたい一言があった。
「そんなに庇って、君は彼が好きなの?」
「……嫌い」
怒りを増長してようやく、その言葉が聴けた。彼女から引き出せた。
「なら、もっと大きな声で言ってやればいい」
「平塚先輩……。何でも思い通りになると思ってる、そんなあなたが嫌いです」
彼女は立ち上がり、泣きそうな顔で言った。
彼のせいで、今まで辛い目に遭ってきたと、その顔には書かれている。
「嫌なことを言わせて、ごめん。でも、これで僕は安心できる。安心して君を見ていられる。こんな言葉を君に強いた僕を憎んでもいい、蔑んでもいい。嫌なものは嫌だと、君が拒絶してくれるなら、それで満足だ」
もう心残りはないと、絶望に打ちひしがれる平塚に目を向ける。
正直に語ったであろう彼は、苦しくない死を待ち望んでいた。その目は早く楽になりたいと言っている。注入した絶望が効いているのかもしれない。
「シニ、彼に幻覚を。保坂さんが聴いてきたような心無い言葉を、彼に浴びせるんだ」
「21,420ptを消費する」
平塚は耳を塞ぐと、目をつむったまま床を転がった。
「何だ、お前らは! やめろ、俺を悪く言うな!」
転げまわる彼が机にぶつかり、倒れた机からは中の物が飛び出す。彼の周りは一気に散らかっていった。
「何故だ!? 耳を塞いでも聞こえてくる、目を閉じても見える……」
しばらくの間、その様子を見た後に最後の指示を出す。
「シニ、開いている窓の方に救いがある、そんな幻を彼に見せて」
「6,260ptを消費する」
のっそりと立ち上がった彼は、開いている窓の方に向かって歩き出した。
「た、助けてくれ……」
彼は両手を伸ばし、窓の外にある何かを掴もうとする。だが、そこには何もない。身を乗り出したことで、彼は頭から落下していった。
ドタンッという音がする。
窓から顔を出すと、うつ伏せに倒れている彼が見えた。コンクリートに頭をぶつけたのか、その形がおかしくなっている。コンクリートは、部分的に赤く染まっていた。
「あの人、最後まで変換したptを使わなかったね」
彼は一度もptを消費していない。それが少し気になっていた。
「使えるほどのptを有していないからな」
シニの声がする。
「えっ? でも、僕を助けたいっていう彼女の欲望を変換したって……」
「君を助けたいと願う彼女の気持ちは“欲望”ではない」
あの自信に満ちた彼の表情はブラフだったのだ。彼女との会話を見ていたのも、欲望を抱かせる機会を窺っていたから。そんな風に今なら思える。
何にせよ、彼女の気持ちが自分を救ってくれたことに変わりはない。
「シニ、彼女が傷を負った腕の治癒能力を高めて」
「96,270ptを消費した」
呆然と立ち尽くす彼女に近づく。
「どうして、こんなことに……」
この結果に、彼女は納得していないようだった。
さっきまで代理バトルの存在を知らなかったのに、いきなりこの惨状を見せられては、納得の仕様もないだろう。
彼女にかける言葉が見つからない。
「良、君の勝利が確定した」
シニの言葉を聴いても、何も嬉しくは無かった。勝って生き残った、その事実に喜びは無い。本来、当たり前のように約束されていた生を失わずに済んだ。それだけの気がする。
それよりも、失ったものの方が大きいのではないか……。
感傷に浸るのをやめ、彼女にも事実を伝える。
「もう終わったよ」
声をかけると、彼女は何も言わずに抱きついてきた。
人が抱き合うのは映像で何度も見たことがあるし、街中でも見かけることがあったが、実際にされると温かいことを知る。それは体だけではなく、心も温めてくれるのだ。
何事も無かったかのように家に戻る。
夕食と入浴を済ませて自室に戻ったところで、シニが人型の空気の揺らぎを生み出した。
「良、お別れだ。明日から私は新たなリーダーとして機能する」
「そう……」
彼らのことなど、どうでもよかった。
「君が勝利者になったことで、“憎しみ”がエネルギー源として最適だと判断した。我々は人から“憎しみ”を奪い、変換することで生存していく。世界から“憎しみ”が薄れたときには、君が取った手段を講じることで回復させることだろう」
「そんな心配は要らないよ。取り尽くせないほど、世界は“憎しみ”に溢れているから」
「それは結構なことだ」
人型の空気の揺らぎが、腹を抱えて笑う。
「シニ、いなくなる前に言っておきたいことがある」
「何だね?」
「僕は、お前らが嫌いだ。人を殺し合いに追いやり、好き勝手なことを言う。肉体があったら、殴ってやりたい。お前らは、僕の人生には必要ない存在だ」
彼女に嫌なものは嫌だと言った手前もあるが、言ってやらないと気が済まなかった。
「おめでとう」
シニは手を叩いて見せた。
「何が、めでたいんだ?」
「君は初めて代理バトルに勝利した時、相手の死に対して“何も感じない”と嘆いていたではないか。つまりは、何かを感じられる人間になりたかったのだろう? 人の死に何かを思う、他人に興味が持てる人間。だとしたら、我々を嫌えたのは、その第一歩ではないのかね?」
「それは……」
「だから、おめでとうと言ったのだ。嫌えたということは、嫌うだけ関心が持てたのだからな」
本当に嫌な連中だと思う。段々、話すのも嫌になってくる。
「兄さん、テレビ、テレビ!」
隣の部屋にいる弟が壁を叩く。何かと思ってテレビを付けると、通っている学校が映っていた。
「こちらは、発砲事件があった学校になります。今は静まり返っておりますが、夕方ごろにパーンという大きな音がしたと、地域住民の方が話しておりまして……」
レポーターの女性が校舎をバックに説明している。
画面の左上には“猟銃で下級生を殺害後、飛び降り自殺”という文字があった。
「こういうのは“うまくやる”んじゃなかったの?」
代理バトルによる殺し合いが報道されていることに驚き、シニを見ると顔に疑問符を浮かべていた。
「代理バトルが妨げられないよう、我々は“うまくやった”。勝者を決めるという目的が果たされた今、彼らの死を隠蔽する理由は無い。あとは意味づけが好きな人間が、勝手に意味づけしてくれることだろう」
「なんだって……」
「君も、明日になれば我々のことを忘れる。謎の大量失踪、校内での殺し合い、呪われた学校、よりセンセーショナルな見出しを求め、様々な人間が嗅ぎまわることだろう。そして、それを求める者が望むのはシャーデンフロイデ」
シニは人型から球体へと変わる。
「シニ……」
奴の名を呼び、何かを言おうと思ったが、言いたいことが多すぎて、頭の整理ができていなかった。
「シニ、か。そう呼ばれることは、もう無いだろう。いや、名前が必要になったら、我々の名称とすべきか」
「我々の? もっと相応しい名前があるんじゃないのか……」
「ほう、どんな?」
「ヘイトコレクター。エネルギー源を考えれば、それが妥当だ」
「いや、その名は君にこそ相応しい。遠慮しておこう」
球体状の揺らぎが、花の形になる。
「もう人間と話すのも最後になるかもしれない。この何日間か、君を見てきた上で、もっとも君の役に立つ言葉を思いついた。どんな名言や格言よりも、君向けだけ」
「どんな言葉だよ……」
「人の話を聴くな。それが、君が後悔しない最高の生き方だ。よい人生を、良」
そう言って空気の揺らぎは消滅した。
人の話を聴くな……。
その言葉自体が、その言葉を否定している。何も無いに等しい気もするが、それよりもニュースの方が気がかりだった。
祐樹や平塚の名前は出ていないが、二人を知る者へのインタビューを聴けば、クラスメイトなら誰が死んだのか勘づく内容だった。
これは大きな騒ぎになると覚悟する。
他のチャンネルに変えても、ニュース速報で校内での発砲事件が流れていた。
そのニュースをぼんやり眺めていると、自分と同じ苗字の人が起こした猟奇殺人のニュースに切り替わった。
「十河容疑者は警察の取り調べに対し、殺害を強要されたと話しており、引き続き事件の背後関係を探ると――」
前は容疑者の自宅から猟奇的内容の漫画が押収されたと言っていたが、そのことに関しては触れられなくなっていた。その代わりに、女性コメンテーターの一人が、病気の可能性を示唆している。
「その殺害を強要したという人物なのですが、条件に該当する人物がいないとか……。私が考えますに、幻覚によって生み出された人物である可能性が極めて高い。例を挙げますと、ノーベル経済学賞を受賞した数学者、ジョン・ナッシュが患っていたのと同じ症状で――」
精神鑑定の必要性という流れになるんだろうなと思い、何となくパソコンで痛い人ブログを開いてみる。学校の事件に関してのコメントを見ようとしたが、猟奇殺人のでっち上げというニュースが気になり、そっちの記事を見てみることにした。
『猟奇的内容の漫画が押収されたが、容疑者は漫画を読んでいないことが判明。マスゴミ、弁明なし』
そんなタイトルだった。
内容としては、その猟奇的内容の漫画は購入時のまま手つかずであり、ビニールも剥がされていない状況だとあった。容疑者は本の福袋を購入し、たまたま所有していただけで、持っていたことも忘れていたらしい。
なるほど、もう取り上げないわけだと得心がいく。
同時に、その本の福袋を見て、自分もネットで買ったことを思い出す。確か、グロテスクな感じの漫画も入っていた。
11月17日、木曜日。
学校側から連絡があり、休校になったと知る。
自室のテレビを付けると、どの局でも例の発砲事件が報道されていた。昨日と代わり映えしない内容だが、違和感のようなものを覚える。
この事件の主犯格が別にいるような、そんな感じの胸騒ぎがした。でも、そのことを考えようとすると、鈍い痛みが頭に広がっていく。何かを失ったような、忘れてしまったような、そんな感覚に襲われる。
「大丈夫?」
ドア越しに母の声がする。
「大丈夫って、何が?」
「だって、学校が大変なことになってるでしょ……。その、友達とか……」
「友達っていうほど、仲がいいのはいないから」
心配させないように、というよりは事実を伝えただけになる。
「そう……。こう言ったら何だけど、転校した方がいいかもしれないわね。ここの卒業生になってしまったら、事ある毎に“あの事件の”って言われると思うの。それって就職にも響く気がするわ」
「そうだね……。転校、いっそ引っ越して他県の高校とかに……」
一理あるなと思い、同調する。
そろそろ他のニュースに変わっていないかと思い、チャンネルを切り替えていく。変化はなかった。
「なんか、どのチャンネルも、うちの学校のニュースだね。もう猟奇殺人のニュースは、どうでもいいのかなぁ……」
「猟奇殺人? そんなニュース、最近あったかしら?」
「何、言ってるの? 十河って、同じ苗字の人が容疑者で……」
「聴いたことないわね。毎日、ニュースは見てるけど……」
それならネットで検索して教えようと思い、パソコンで情報を集めようとしたが、それらしいニュースは出てこなかった。痛い人ブログでも見たはずなのに、あの記事は見当たらない。
まるで、キツネに化かされたような……。いや、何かに幻でも見せられていたような気分になる。
「何でもないよ、母さん。僕の気のせいだ」
疲れているのかもしれない。
気分転換をしようと、押し入れにしまっていた本の福袋を引っ張り出す。
手つかずの漫画があったはずだ。何か面白そうな物はないかと見ていると、猟奇殺人がテーマの漫画が目に留まった。
タイトルは、ヘイトコレクター。
嫌いな人に会ったような不快感に苛まれる。
読む気になれず、その漫画は寄せておくことにした。




