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第十二話 ニーバーの祈り

 とどのつまり、戦いというのは、相手が用いる手がわからないと、対処するのが難しい。戦場に出て初めて鉄砲を見た人は、何の警戒もせずに殺されたに違いない。それくらい、相手の武器の性能がわからないというのは恐怖だ。

 能力の使い方にも、似たようなところがある。今までの戦いにしても、もっと賢い戦法は幾らでもあっただろう。でも、自分には思い浮かばなかったし、相手だって凄い戦法と呼べるものはなかった。

 名ばかりの進学校に通う高校生の考えることは、こんなもの……。

 そう割り切ってしまいたいが、生死が懸っているので、最後まで無い知恵を絞ることにする。


 まず、身を守る方法である。今回はプロテクターを使用したが、持ち歩いてもおかしくない物で防げたらベストだ。実生活でも使用している盾に近いものとなると、傘になる。必要な時にだけ広げて使えるし、強度があれば振りかざしたり、突いたりして攻撃出来るだろう。

 早速、パソコンを立ち上げて、ネットで用途にあった傘を探す。高強度グラスファイバー製というのが引っ掛かる。これは強風に対する強度だろうが、その点においてもカーボンファイバーの方が上らしい。あとは攻撃時のことを考えて、骨の本数が多いものを探して購入ボタンを押す。コンビニのビニ傘よりは使えるだろう。

 ついでに防刃ジャケットも買っておく。銃は手に入らないだろうから、気をつけるなら刃物である。頭の守りは自転車のヘルメットでいい。





 11月10日、木曜日。

 担任が休んだらしく、副担任が朝のホームルームで出席を取った。

 教室に祐樹の姿があるということは、ラストバトルの相手は彼である可能性が高い。平塚悠仁も代理人で、二人が共闘しているのなら、二対一で戦うことになる。圧倒的に不利な状況からのバトルだが、それならそれで手の打ちようがあると踏む。

 彼らのエネルギー源は“恐怖”と“欲望”だ。それらの感情を保坂美優から引き出させないようにし、自分は“憎しみ”を抱かせて勝利を目指す。まとめればシンプルだが、彼女の人となりを鑑みると、何をすればいいのか迷ってしまう。

 それは彼女が、嫌がらせを受けても、負の感情を抱いているように見えないからだ。




 その疑念を確かめる機会が訪れる。

 一限目終了後の休み時間、席に座る彼女の周りを三人の女子が囲む。前にも何処かで見た光景だ。


「あの動画、あんたが誰かに撮らせたんでしょ!?」


 彼女たちは例の動画をアップした者を探しているようだった。自分に非があるというのに、保坂がいるから悪いような顔をしている。


「何の動画でしょうか?」

「とぼけるなっての!」


 女生徒の一人が、保坂の脛を蹴り上げた。保坂の顔が苦痛に歪む。

 周りには何人かの生徒がいるが、誰もが見て見ぬフリをしている。これも、割とよく見る光景だ。


「シニ」


 小声で呼び出すと、目の前に球体状の空気の揺らぎが現れる。


「今、保坂が抱いている感情を知りたい」


 他の人には聴こえないように囁く。


「彼女を支配している感情は、罪悪感だ」

「嘘だろ……」


 何故、彼女が罪悪感を抱かなくてはいけないのか、理解できなかった。いわれない被害を被っているのは彼女だ。その彼女が何に罪の意識を感じなくてはいけないのか……。


「すみません、何のことかわからなくて……」


 頭を下げて謝っている彼女を見て、知らないことへの罪悪感だと知る。

 これは、あんまりではないか。

 責めるべき相手に罪悪感を抱き、守るべき自分を責めている。どうして、そんなに自責の念が強いのか……。

 見ているだけで、悲しくなってくる。

 彼女たちと同じ手段を講じても、保坂から憎しみは引き出せない。そういう意味での悲しさではなく、純粋に彼女の心の有り様が悲しかった。





 昼休み。

 食堂で昼食を取った後、吹き抜けから校舎裏に向かう保坂の姿を見つける。幸い、周りには誰もいない。

 問い詰められていた動画の件と、痛い人ブログを伝えようと歩み寄る。あの動画をアップしたのは自分だからという義務感と、代理バトル前に彼女に接触しておきたいという打算がそうさせた。


「もしもし……」


 声をかけようと思ったところで、彼女が電話で話し始める。声をかけそびれて、その場に立ち尽くす。


「あの、相談員の小玉さんは、いらっしゃいますでしょうか?」


 何の相談員かは知らないが、電話で何かを訊こうとしているのは明らかだ。黙って彼女の話を聴くことにする。代理バトルで勝つには、ターゲットを知ることが重要なのだから。


「はい……はい……」


 彼女の返事しか聞こえてこない。一方的に喋られ、聴いているだけなのだろう。


「状況は変わりません……。すみません……」


 電話での悩み相談なのかもしれない。今の段階でわかるのは、その相談員とは何度かやりとりをしていることだけだ。


「話が出来て、少し落ち着きました。ありがとうございます」


 電話をしながら、彼女が頭を下げる。


「復唱、ですか? はい、わかりました」


 彼女が辺りを見回したので、思わず物陰に隠れる。


「変えることの出来るものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ」


 風に乗って彼女の声が届く。


「変えることの出来ないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることの出来るものと、変えることの出来ないものとを、識別する知恵を与えたまえ」


 復唱はそこで終わる。

 目の前に人型の空気の揺らぎが発生し、腕を組んで見せた。


「ニーバーの祈りだな」

「何、それ?」

「とある神学者の言葉らしい。薬物依存症や神経症の克服を支援するプログラムで使われていると聴く」

「へぇ……」


 再び彼女に目をやると、通話は終わっていた。彼女は“私が変えられること、出来ること”という言葉を繰り返す。彼女らに理不尽な言葉を浴びせられても、自分が出来ることを探そうとしているのだろう。

 やり切れない気持ちを引きずったまま、彼女の元に近づいていく。


「保坂さん……」


 声をかけたのは初めてかもしれない。彼女も意外そうな顔を見せた。


「あの、同じクラスの十河良です」

「はい、知っています」


 知らないかと思って名乗ったが、覚えられていたようだ。そう言えば、彼女にも嫌われたくないと思い、細かな連絡事項などを教える素振りをしている。


「一部の女子に訊かれてた動画のことなんだけど……」


 そう切り出して、自分のスマホの画面を見せる。表示されているのは、痛い人ブログにある南波の記事だ。

 ここの管理人が別の動画サイトに退避させておいた動画が、記事の中で再生されている。ちょうど、彼女がバケツの水をかけられたシーンだった。


「彼女たちは、このことを言っていたんですね……」

「たぶん」


 スマホの画面を見る為とはいえ、彼女が近づいたことで肩が擦れ合う。彼女の香りが鼻腔を刺激し、心がざわつく。


「あと、このブログには色んな書き込みがあって……」


 画面をスクロールさせ、平塚悠仁が“悪評を流せ”と指示したというコメントを見せる。彼女は画面の文字を指でなぞった後に、軽く頭を下げた。


「教えてくれて、ありがとう」

「えっ……あ、うん」


 彼女にとって腹立たしい内容のハズなのに、その表情は穏やかなものだった。予想外の反応に戸惑う。


「驚かないんだね、知ってたの?」

「いいえ」


 ゆっくりと首を横に振る。


「だったら、どうしてそんなに落ち着いていられるの? もっと、怒ってもいいんじゃないかな? まぁ、平塚先輩のしたことに関しては、書き込みがあったってだけなんだけど」


 彼女は少し首を傾げて言う。


「誰かを怒ったり、恨んだり、憎んだり……。そういうことは、したくなくて……。人として望ましい在り方ではないと思うから」

「なっ……」


 その考え方に言葉を失う。

 確かに、それは美徳だ。美しい心構えだ。でも、それでいいのか? 問題が解決するのか? 相手につけ入る隙を与えるだけじゃないのか?

 次々に疑問が浮かんでは、口に出せずに消えていく。

 悔しい気持ちになって、彼女から目を逸らす。


「どうして……」


 どうして君は、そうなんだ……。

 そう言おうとしたところで、誰の世話になるのかわからないから、みんなに親切にするようにしてきた自分の姿がフラッシュバックする。もし、自分があのままだったのなら、そう思うと口が動いていた。


「嫌なことをされたら、嫌だって思えばいいんだ。誰かを怒ったり、恨んだり、憎むことも、時には必要だよ。自分の感情を否定してたら、いつか心が壊れてしまう……」


 反論されるかと思ったが、彼女は優しく微笑んでいた。


「心配、してくれるんですね?」

「いや、その……余計なことを言ったかな……。それじゃ」


 居づらくなって去ろうとする。


「待って……」


 振り向くと、彼女は一本のシャーペンを取り出していた。

 彼女には不釣り合いの銀色を基調としたデザインで、どちらかといえば男性向けの商品に見える。同じ物を中学時代に使っていた記憶があるが、いつの間にか無くしてしまっていた。

 そんなシャーペンを手渡される。


「お返しします。長いこと返せずに、本当にすみませんでした」


 深々と頭を下げられる。何のことだかわからない。


「これ、僕の?」

「はい、入試の時に借りました。覚えてませんか?」


 彼女は一つに結っている髪をほどき、両サイドでまとめて見せた。


「当時は、こんな髪型で眼鏡をしていました」

「あぁ……」


 言われて思い出す。高校入試の際に、ツインテールで眼鏡の子に貸した覚えがある。その子は、持ってきたシャーペンが壊れて困っていた。もしもの時のことを考え、シャーペンを複数持ち歩いていたので、どうぞと言って渡した覚えがある。

 あの時の彼女は今よりも幼い感じだったので、言われるまで同一人物だとは思いもしなかった。


「あのときは、本当に助かりました。ありがとうございます」

「あぁ、うん……。ずっと、持ってたんだ」

「はい。もっと早く返したかったんですけど、私に声をかけられたら迷惑が……」


 そこまで言って彼女が俯く。

 言わんとしていることは充分にわたった。彼女と仲が良いと知られれば、自分も嫌がらせの対象になりかねない。そう判断したのだ。

 だから、だろう……。

 渡し終えた彼女は、自分から距離を取ろうとしている。


「呼び止めて、すみませんでした」


 頭を下げて彼女が立ち去って行く。その後ろ姿を見ていると、自分が一緒に居ては申し訳ない、そんな気持ちが伝わってくるようだった。

 返されたシャーペンを握りしめると、切ない気持ちが込み上げてくる。


「無理だよ、シニ……」


 呼びかけると、人型の空気の揺らぎとなって現れる。


「何がだ?」

「彼女に憎しみを抱かせられる自信が無い。いや、そんな彼女を見たくない……」


 憎しみを抱かせるのは、彼女の有り様を否定することになる。何より、憎しみを抱く彼女を見たくない。


「死を選ぶということか?」

「そんなつもりはない。ただ、そんな気分じゃないって話だよ」


 愚痴った相手が間違いだった。人の感情を理解していない思念体に言ったところで、慰めになるような答えが返ってくるわけがない。


「シニ、前に言ってたよね? 人の心の動きを理解することが重要だとか、強い感情を抱く為の心の在り方を研究してるとか……。少しは、人の心が理解できたの?」


 それは“今の僕を察してみろよ”という意味も含まれていた。


「理解に終わりはない。厳密に言うなら、我々には理解し得ないものを、わかったつもりになろうとしているのだ」

「理解し得ないだって?」

「そうだ。我々が人間の感情を正しく理解する日は来ない。なぜなら、我々には体が無いのだから」


 肉体が無いから、感情は完全に理解できない。その意味がわからずに首を傾げる。


「良、肉体と感情は繋がっている。湿度が高ければ不快に思い、恐怖を感じれば鼓動が早くなる。腹が減れば苛立ち、満腹になれば満足感を得る。人間の感情と肉体は密接に結びついているが故、肉体の無い我々には理解し得ない部分がある」


 確かに、感情によって体の働きが変化し、逆に体の状態によって感情が変化する場合もある。あまり深く考えたことは無かったが、当たり前の話だ。


「君は、フィネアス・ゲージを知っているか?」

「誰?」

「ラットランド・アンド・バーリントン鉄道で働いていた男だ。爆発事故で鉄棒が前頭部を貫通し、性格と行動が一変してしまった人物と言えばわかるか?」


 知らないと首を振る。


「事故以前、彼は敏腕で有能という評価を受けていた。事故後は、気まぐれな無礼者に変わっている。下品な言葉も口にするようになったという」

「どうして、そんな話を?」

「なに、肉体と感情に繋がりがある例をあげたまでさ。そして、人格なるものが脳の働きによるものだと、君に伝えたかったのだよ。“そんな気分じゃない”君も、誰も恨まないという保坂美優の感情も、脳の状態一つで変容する。それくらい、感情と肉体は結びついているものなのだ」

「彼女の脳を攻撃しろと?」


 シニは顔の部分に口を模した揺らぎを発生させると、腹を抱えて笑ってみせた。


「それは君の自由だ。だが、そこまでしなくても、肉体からの刺激で感情が変化する。否応無しにな。平たく言えば、軽い運動が気分転換になるように、体を使うことで変化する可能性があると説いたのだ」

「そっか……」


 シニなりに気を遣っているのか、それに関しては永遠にわからないだろう。でも、感情に変化を与えたいときに、体を動かすのはアリだと思った。


「逆に言えば、肉体が無ければ心も無いと云える。人間たちが作った創作物において、死んで魂になるといった話が描かれているが、肉体を失った者が生前と同じような感情を持ち合わせているのが、私には奇異に思えて仕方ない。肉体が無い身としては、その感情が何処から来るのか、肉体が無いことでの違和感を覚えないのか、疑問が尽きないところだ」


 揺らぎの顔部分に疑問符を表示させる。

 ハッキリとわからない様を見せつけられると、こんな人の心を理解していない生き物に、あれやこれや言われたのを真に受けている自分が、酷く滑稽に思えた。

 シニの主張が正しいとは限らない。それどころか、理不尽な戦いを強いたことに関しては、正しさなんてものが彼らにあろう筈がない。

 それだけは胸に刻んでおこう。

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