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第十話 見かけの因果律

 11月4日、金曜日。

 昨日は文化の日で学校は休みだった。


 朝のホームルームにやって来た時から、担任の安東美奈代は不機嫌だった。仏頂面で出席を取り終えると、連絡事項がある人はいないかと訊くことも忘れ、足早に教室を出て行った。

 彼女がターゲットになっていなければ、それで別に構わないのだが、憎しみを引き出す必要がある今、それでは困るところがある。少しでも多くの情報を欲しているからだ。何をしたら彼女が憎しみを抱いてくれるのか、それが急務。



 昼休み前の数学の授業。

 プリントの束を抱えて入って来た安東美奈代は、教室を見渡して言った。


「今日はプリントをやってもらいます。制限時間は30分、教科書やノートを見てもいいわ。残りの時間で答え合わせをします」


 淡々と言い、廊下側の列から順にプリントを配っていく。


「渡ってきたら、すぐに始めていいわ。終わったら大人しくしてて。他の教科を勉強してもいいから」


 配り終えた彼女は空いている席に着くと、手帳を取り出して何やら書き始めた。

 生徒たちは配られたプリントを黙って解いていく。静かな教室に、ペンが走る音だけが響く。

 プリントは15分ほどで解き終えた。辺りを見てみると、他にも終わった生徒がいるらしく、暇を持て余している者や教科書を見る者、プリントの裏に絵を描く者がいる。

 良は数学の教科書を開き、今まで習った箇所にザッと目を通すことにした。


「あら、何を読んでいるの?」


 担任の声がしたので視線を向けると、彼女は祐樹の前に立っていた。祐樹が読んでいる本が気になったようで、それを受け取って確認する。


「四字熟語の本? え~っと、烏孫公主……。政略結婚の犠牲、またそれによって悲運に泣く女のこと。江都王劉建の娘……」


 開いたページにあった四字熟語を読み上げると、安東美奈代は軽く下唇を噛んだ。本を祐樹に返し、教卓に向かって歩き出す。


「嫌なことを思い出したわ。昨日、実家に帰ったら、弟が嫁を連れて帰ってたのよ。甥っ子も一緒だったわ。お蔭で、お前はまだかと両親がうるさいのなんの」


 まだ解いている生徒がいるというのに、声のボリュームは大きめだ。


「“早く孫の顔を”なんて月並みな言葉を、自分の親の口から聴く日が来るとは思わなかったわ。あと、“同級生の誰それは何歳で結婚したのよ”なんて、見え透いたプレッシャーの掛け方も腹が立つ……。でも、一番イラッとするのは、行き遅れって言葉。ホント、失礼よね。大体、結婚が前提の人生っておかしくない? おかしいわよね!」


 彼女の口からは、息をするように不満がこぼれ出る。


「三十路で結婚してないからって、私に欠陥があるような言い方は勘弁してほしいわ。結婚相手を探そうにも、仕事が忙しくて無理なんだから。もう全然、見つけられない。ましてや、数学教師なんてやってると、頭の悪い男は敬遠しちゃうから、他の人より幅が狭くなるのよね。結婚できない理由があるとすれば、私が数学教師だから結婚できない。これに尽きるわ」


 彼女が遠くを見て溜め息をつく。

 そんな彼女の傍に、人型の空気の揺らぎが現れる。シニだ。

 シニは人型の手を彼女に向けて言う。


「見かけの因果律だな」


 わからないといった顔で、シニを見て首を傾げる。


「Aであるから、Bができない。因果関係の無いところに、因果関係を作りだし、自らを納得させること。そう君の母親が持っている本には書いてあった」


 解説してもらったので頷いてみせると、シニは空いている席まで歩いていき、机の上に正座した。授業を受けている真似なのかもしれない。

 シニの解説を聴き、そういうことかと理解する。女性の数学教師でも結婚してる人はいるだろうから、結婚できない理由にはできない。つまりは、因果関係の無いところに、因果関係を作り出しているのだ。


「言っておくけど、こう見えても大学時代はモテたんだから、私に魅力が無いわけじゃないのよ。まぁ、進学しなかった知り合いの中には、二十歳くらいで結婚した人もいるけどね。ホント、田舎ってバカみたいに結婚が早くて困るわ。それとも、バカが早いのかしら」


 教卓を爪の先で叩きながらクスッと笑う。


「まぁ、あなたたちに言っても仕方ないんだけどね」


 仕方ないと言いつつも、やめる気配はない。


「でも、これから生きていくうえで、結婚って課題は重くのしかかるから、あなたたちも覚悟しておいた方がいいわ。年老いた親は結婚すれば安心みたいなことを言ってるけど、別に親を喜ばせる為に生きてるわけじゃないもの。あの人達とは生きてる時代が違うんだし、価値観ってものが根本的に相容れないのよね」


 親に早く結婚しろと言われて苛立っているということは、その辺を突けば彼女の憎しみを引き出せるだろう。彼女が言ったことを覚えておく為に、こっそりスマホの録音ツールを起動させる。ボイスレコーダーのアプリだ。


「そうそう、最初に結婚した同級生なんか、もう離婚してるのよ。相手の将来性も考えずに結婚とか、どんだけ頭の中がお花畑なのってね。こんなクソ田舎の小料理屋の後継ぎなんかと結ばれたら、お先真っ暗に決まってるじゃない。人口減少率が全国トップ、つまりは客がガンガン減っていく場所で、地域の人間だけを相手にする商売を選ぶって時点でナンセンス」


 確かに、良が住んでいる地方は1年間で約13,000人減っている。25年後には人口が今の70%以下になる減少率だ。仮に、その小料理屋の客が月100人だとしたら、25年後には70人以下になる可能性がある。30人も減ったら経営が大変になるのは必至。

 人が増える見込みがない地域で、地元民を相手にする商売は先行きが暗い。ここで商売人として生きていくなら、県外向けのアピールやネットの活用は不可避。そんな生き方を選ぶくらいなら、公務員や増えていく年寄り相手の仕事にでも就くべきだろう。少なくとも、こんなド田舎では。


「先生、どんな人と結婚するのがベストですか?」


 やめておけばいいのに、女生徒の一人が手を挙げて質問する。


「そうね……。まずは年収が1,000万以上で、結婚後も向こうの両親とは別居が最低条件。あと、旦那の趣味は金がかからないものがいいわ。あまり金を使わなくても、場所を取るような物を集めてるのはダメ。スペースも財産なのよ、それを占有するのは浪費と一緒」


 そんな条件を揃えた人物が、先生のような若さもなく、外見的な美しさもなく、人の良さもない人を選ぶ理由が見つからない。でも、自分のことを棚に上げて、相手にばかり理想を求める人は少なくないだろう。


「聴いた話だけど、稼ぎが良い男性が結婚相手に求めてるのは、美しさではないらしいわよ。一時の若さと美しさしか価値が無い頭カラッポ女が、金に釣られて虫のように湧くらしいから、同じ方向性で勝負してもダメよね。一時しか価値が無いもので勝負するより、何十年先でも変わらない価値でアタックしなきゃ」


 得意げに話している彼女に、あなたにはそれがあるのかと問いたくなる。仮に何かあったとしても、本来備わっているべきもので、無いものの方が多いような気がした。


「先生、30分経ってます。答え合わせを」


 祐樹が手を挙げて、答え合わせの時間になったことを指摘する。まだ喋り足りなそうな彼女はムッとしつつも、教室を見渡した後に言った。


「それでは、時間になったので、答え合わせを始めます」





 プリントの答え合わせが終わり、昼休みになる。

 学食に行って昼食を取り、教室に戻ってみると、女生徒と大輝が何やら言い合っていた。


「あんたのアカウントじゃない! 正直にアップしたって言いなさいよ!」

「俺じゃねぇ~って言ってるだろ、このブス」


 ちょっとした見世物になってるのか、他の生徒は二人を取り囲むように輪を作っている。大輝がブスと言った女生徒は、プールサイドで保坂に水をかけていた子だ。アカウントがどうのと言っていたので、例の動画の件で揉めているのだろう。


「じゃ、誰がやったってのよ!」

「知るかボケ!」


 もうやめてと女生徒を抑える子が現れる。プールサイドにいた二人だ。大輝の方も毅になだめられている。祐樹はいない。彼は揉め事があれば即座にいなくなり、我関せずを決め込むタイプだった。

 クズはクズ同士で争っていればいいさ。争いは愚者の選択だ。

 そんなことを思いながら、静かな場所を求めて良は教室を出た。廊下に出たところで、他のクラスから来た見物客が、教室前で噂しているのが聴こえてくる。


「あの子ってほら、例の動画に出てた……」

「あっ、そうだ。間違いない。何を言い争ってんだろ?」

「文句を言ってる男が、動画をアップしたからじゃない?」


 噂話を聴いて、何でこんなに広まっているのだろうと疑問に思う。うちの学校の生徒が動画を偶然見つけるにしては早過ぎるし、何より情報の広がり方が異常だ。

 SNSで拡散されたのかと思い、スマホを取り出して、動画をアップしたサイトにアクセスする。例の動画を開いてURLの最後の部分、“=”の後に続く文字列をコピーする。次に検索サイトを開いて、コピーした文字列で検索。

 動画サイトの他に、短文投稿サービスの発言とブログが引っ掛かった。そのブログを開いてみる。

 “痛い人”を取り上げているブログだった。芸能人の炎上発言やスキャンダル、有名企業のお粗末なトラブル対応、様々な物のパクリ疑惑がメインだが、地域別の痛い人ニュースもあった。

 他所の地域別BBSへの投稿を引用し、問題が発覚した施設や学校などを紹介している。そこに例の動画に関する記事があった。元を辿れば、その地域別BBSに寄せられた一件のコメントになる。


『いじめ黙認 某高校の教師、南波健吾』


 その一文の下には動画のURLがある。

 この投稿を見た者が動画を視聴し、コメントを書き連ねていったのだ。コメント数の上昇と共に注目度も上がり、先のブログにピックアップされたのだろう。

 それにしても誰が……。

 コメントだけ見れば、投稿者の目的は南波健吾にあったのは間違いない。彼を陥れる為に晒したのだ。彼に何らかの恨みを持っていたとしても、よく見つけることができたなと感心してしまう。

 試しに、南波健吾で検索してみる。姓名判断や占いサイトに混じって、あの動画が引っ掛かった。彼の名前は動画情報に記入したくらいだが、マイナーな一般人の名前なんてものは、そのくらいでも充分に引っ掛かってしまうのだろう。

 先のブログや地域別BBSを、うちの生徒も利用しているのなら、素早く広まったのも頷ける。わからないのは、最初のコメントを投稿した人物くらいだ。

 あの動画のURLは担任も知っているだろうが、あれが問題になれば彼女にも飛び火する。自分の首を絞めるような真似はしないだろう。南波健吾が自ら投稿するのは考えられない。やはり、南波健吾に恨みを持った人物が、彼の名を検索した末に見つけ、晒したと考えるべきか。

 一瞬だけ、保坂がやった可能性を考えたが、すぐに違うなと首を振る。彼女がやったとしたら、矛先は先生ではなく女生徒になるだろう。それ以前に、胸に手を当ててと言われて、素直に当てる子がやるとは思えない。

 もっと、ずる賢いタイプがやりそうなことだ。例えば、昨日の対戦相手のような……。

 そう思って振り返ろうにも、誰と戦ったのか思い出せない。またかと思いながら、頭を押さえて中庭へと歩いていく。





 帰宅後、授業中に録音した安東美奈代の声を確認する。明瞭とまではいかないが、何を言っているのかわかるレベルで収録出来ていた。

 その音声データをパソコンに入れ、繰り返し彼女の声を聴く。その言葉から憎しみを引き出す策を検討したが、動画の拡散具合を思い出して同じ手を使うことにする。

 修学旅行の集合写真を高解像度でスキャンし、安東美奈代の部分だけを選択。切り取ってサイズ調整し、彼女の名前を画像に書き込む。動画編集ソフトを起動し、その画像と音声データを読み込ませる。

 音声データは、彼女が理想の結婚相手を語っている部分だけにし、余計な部分はカットした。これで理想が高い独身の女教師という素材は完成。次に、前にアップした南波と保坂の動画を短くし、担任の動画素材の前に差し込む。ちなみに、この子の担任は……という流れで彼女の発言を聴けば、より不快感も増すというもの。

 これが広まった後に、自分が作ったと伝えれば、憎しみを引き出せるに違いない。

 早速、大輝のアカウントで動画をアップする。騒ぎになったというのに、彼はパスワードを変えていなかった。いわれのない被害を被ったのなら、もっと対策を講じていいハズなのに……。

 もっとも、何処かに申し出たところで、パスワード管理は徹底しましょうくらいで終わるだろう。動画がアップされた時のIPアドレスから家を特定して、なんてことに発展するようなケースではない。組織が動くほどの要因が無いからだ。

 地域BBSの方も、前例に倣って投稿する。


『いじめ黙認学校 担任は行き遅れ、安東美奈代』


 勿論、この一文の下には新しくアップした動画のURLがある。

 ついでに、痛い人を取り上げているブログのコメント欄に、この動画の件も書いておく。南波の記事のコメント欄に書けば、見る人も増えることだろう。

 南波の記事を見ているということは、うちの学校の問題に興味がある。つまりは、他の教師の痛い話にも食いつく可能性が大。こういうのを親和性と言い、サイトに広告を出す際には重要だと雑学本にあった。


 こういうブログは誰が運営しているんだろうと思い、“このブログについて”というリンクを押してみる。管理人らしき人物は複数いて、各ジャンル及び地域単位で担当しているようだった。

 自分たちが住む地域の担当は、孤高の自室守り人ミッチーとなっている。

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