『Prologue-Crimson moon-』
〜female Y〜
舞い上がる砂埃。
高らかに鳴り響く金属音。
雨の様に降り注ぐ無数の弓矢。
四方から聞こえる咆哮。
泣き叫ぶ声、祈りの言葉。
私は少し高い丘から眼下に広がる戦いを見つめていた。
人の姿をしている者達。
そして、異形の姿をしている者達。
両者が互いの命を奪い合っている。
一方は戦いを憎んで。
もう一方は戦いを楽しんで。
一方は愛と正義を信じて。
もう一方は凶悪で冷酷無比。
一方は調和の為に。
もう一方は破壊の為に。
壮絶な戦いだった。
どう見ても異形の者達の方が優位にある。
全身に黒のローブを纏い、顔には無表情の白い仮面。
無常に振り下ろされる剣や斧。
その餌食となり、ただの肉塊に変わり果てた人の姿をした者達。
異形の者達は死ぬ事を少しも恐れてはいなかった。
自らが死ぬ事さえも楽しんでいる様に見える。
【ここは?地獄?】
私は目前の惨劇に耐え切れず眼を逸らす。
すると、視界の先にまだ幼さの残る少年の姿が写った。
【ここに居ては危ない!】
私は急いで少年の方へ駆け寄る。
すぐ前に居る少年を抱き寄せようと手を伸ばした。
しかし…
伸ばした手は虚しく宙を切る。
【?】
もう一度、手を伸ばす。
【何故?】
結果は、同じ。
少年は泣いていた。
祈りの言葉を何度も繰り返しながら。
眼下の戦いを泣きながら必死に見つめている。
まるで、私の姿など全く見えていないかの様に。
【私が見えないの?】
尋ねてみるが答えは返ってこない。
姿が見えないだけでなく、声も聞こえていない様だ。
【!!】
突然、少年が戦場に向かって走り出していく。
咄嗟に後を追う。
止めようと何度も手を伸ばすが捕まえる事が出来ない。
【ダメ!行かないで!!】
叫んでも止まってはくれない。
戦場に辿り着いてしまった少年は落ちていた剣を無造作に掴むと、背を向けている敵に斬り掛かっていく。
【!!】
気配に気付いた白の仮面がゆっくりと振り向いた。
向かい合い恐怖に身動きできなくなった少年を異形の者が見下ろす。
仮面越しだが、それでも分かる。
明確な、凶気。
他者を殺す事への、快感。
酔いしれる、甘美。
迷わず振り下ろされた剣は少年の左肩を切り裂いていく。
溢れ出す深紅の血液。
【やめて!!】
私の声を無視して二撃目が下ろされる。
異形の者の剣が少年の頭蓋を捕らえた。
耳を塞ぎたくなる様な砕ける骨の音。
無惨にも原型を留めていられなくなった体が乾いた地面に崩れ落ちた。
足元に広がっていく、濃い紅の波紋。
裸足の足に触れる、生暖かい感触。
異形の者は満足そうなオーラを浮かべ、少年の成れの果てを見下ろす。
【許せない!】
不意に私の中に込み上げてくる、憤怒。
憎悪。
殺意。
少年の手から離れてしまった剣を両手で握り締める。
【許さない!!】
強く力を込め、思い切り剣を振り下ろす。
しかし、見事に剣で受け止められてしまう。
それでも私は負けじと剣を振り回し斬り掛かる。
飛び散る火花。
ぶつかる度に鈍い衝撃が腕から全身に伝わっていく。
【何故だ!?まだ子供だったのに!何故…】
「何故、殺したのか?」
異形の者が初めて口を開いた。
【…!?】
「私の声が聞こえているのか?」
私の代わりに、私の疑問を声にする。
驚愕に体躯の動きを奪われる。
「私には見えている。
お前の姿が。
聞こえている。
お前の声が。
そして…」
少年の死を前に冷静さを失っていた私の思考が一斉に回り始める。
「触れる事も、出来る…」
立ち尽くす私の頬に触れた冷たい掌の感触。
【ど…う…し…て…?】
混乱。
「何故なら…」
異形の者がゆっくりとした動作で仮面を外す。
まるでスロー再生の様に。
【!!!】
外された仮面の下に現れた顔…
「私は、お前だからだ…」
口元には残虐に歪んだ笑み。
濁った暗い瞳。
それは紛れもなく、私の、顔だった…
声に出来ない叫び声を発しながらベッドから飛び起きる。
全身を伝う冷たい汗。
激痛に上がらない頭を手で支える。
ベッド脇のサイドテーブルに置かれた時計に目をやる。
時刻は午前3:00
「またか…」
重い体を無理矢理に起こし、室内にある小型の冷蔵庫に向かう。
ミネラルウォーターを取り出すと一気に流し込んだ。
喉を通る水の冷たさに少しずつ体と頭が冴えていく。
物心付いた頃から繰り返し見る、夢。
戦争の夢だとは分かるが、そこにある真意は分からない。
ただただ気味の悪い、夢。
見る度に激しい頭痛と深い絶望感に襲われる。
『夢など見ずに眠りたい…』
普段から様々な夢を見る。
しかし、どれも不快な夢ばかり。
お陰で私はあまり熟睡出来ず、常に睡眠不足の状態だった。
知人の医者に睡眠薬を処方してもらい服用していた時期もあったが、効果は全く得られず薬に頼むのも諦めてしまった。
「逃れられない夢ってやつか…」
不意に出てしまった独り言に苦笑しながら閉じられたカーテンを開ける。
窓の外には全てを飲み込んでいく様な漆黒の闇が広がっていた。
じっと見つめていると、あの白い仮面が今にも目の前に現れそうな感覚に囚われる。
再び乱暴にカーテンを閉め、私はシャワーを浴びる為に寝室を後にした。
静寂に包まれる寝室。
微かに開いていたカーテンの隙間から紅い満月が妖しげに輝いていた。
〜male S〜
僕は唄う。
貴女への愛を込めて。
僕は、唄う。
狂おしい程の。
貴女への愛を込めて。
手を伸ばせば届く場所に居る筈なのに。
どんなに手を伸ばそうとも、貴女には届かない。
ありったけの想いを託して。
今日も僕は声に出来ない貴女への愛を唄う。
ただ、貴女の為だけに…
午前3:00
防音設備が完璧に整えられたプライベートルーム。
中央に置かれた白いグランドピアノに向かい、男は鍵盤を無心に弾いていた。
流れるメロディーはどこか儚気で静かなバラード。
男自身の作曲で、あえて歌詞は付けられていない。
数年前。
初めて披露した時、あの人はこの曲が好きだと言ってくれた。
歌詞は必要ないと言っていた。
あの人の為だけに作られた曲。
あの人だけを想って作った曲。
だから男はその言葉のまま、歌詞を付けずにいた。
どちらにせよ、歌詞を付ければ内容は一つの想い一色になってしまう。
そうなれば、あの人は二度とこの曲を好きだとは言ってくれないだろう。
それが分かっているからこそ、未だにメロディーだけのままとなっている。
男はふと鍵盤から顔を上げた。
ピアノに寄り添い男をじっと見つめる女性。
白い肌に長い黒髪、黒い大きな瞳。
女性は穏やかで優しい笑みを浮かべている。
僕がピアノを弾く時、貴女はいつも傍に佇み微笑んでくれる。
貴女はゆっくりとこちらに手を差し出す。
僕は鍵盤に置いた手を貴女に向かって伸ばした。
だが、僕の指は虚しく宙を掠める。
いつもと同じ。
いつもと同じ、幻。
現実の貴女は決して僕に優しく微笑んではくれない。
手を差し伸べてもくれない。
痛いほど理解している筈なのに。
僕は眠れない。
いっその事、現実から眼を背けてしまえたら…
だから、ずっと眠っていたい。
だけど…
幻よりも現実で微笑む貴女を見たい。
憎悪、愛情。
絶望、希望。
入り交じる様々な感情と葛藤しながら。
僕は結局、今夜もピアノに向かっている。
眠れない永い夜が明けるのを心から待ちわびて…
厚いガラスの窓越しには紅い満月が妖しげに輝いていた。
〜male ××〜
「もうすぐ…
もうすぐだ…」
静寂。
真っ暗な世界の一角に切り取られた小さな空間。
教会にある様なステンドグラスの塀で囲まれている。
あまりに高く聳え立つ塀は頂上を見る事が出来ない。
出入り出来そうな扉は何処にも見当たらなかった。
空間の中は薄暗い。
四隅には燭台が置かれ、立てられた蝋燭の炎が陽炎の如く揺らめいている。
中央には大きな銅製の器があり、水がいっぱいに張られていた。
まるで水鏡の様に。
その隣には椅子。
いかにも中世ヨーロッパの貴族が好んだだろう豪奢な装飾が施され、座り心地もかなり良さそうだ。
男が一人。
その椅子に座り、肘掛にもたれながら水面を見つめていた。
「早く…早く…」
呟きながら長い足を組み直す。
「待ち遠しくて仕方ないよ…」
蝋燭の灯りに照らされた横顔は楽しそうに優しく微笑んでいた。
「君は…
どの私を覚えてくれているんだろうね…?」
優しい微笑が意味深な笑みに変わる。
「それとも…」
表情が一瞬の内に哀しみで彩られた。
「やはり…
全てを忘れている…?」
男の澱みのない低い声が静かな空間に響く。
「忘れたフリをしているだけ…」
水鏡の水面に触れる。
広がる波紋。
刺す様な痛みを伴う冷たさ。
それでも男はその痛みさえも愛しそうに水面を揺らす。
「今度こそ…
失敗はしない…
邪魔もさせない…」
次第に邪気を帯びる声、表情。
「必ず…
手に入れる…」
空間内に突如、発生した一陣の風に蝋燭の炎が激しく揺れた。
「お前の全てを…
この手に…」
風は力を増し、ステンドグラスを震わせ、水鏡の水を高く舞い上がらせる。
男は水飛沫を気にもせず、腕を組み目を閉じた。
再び空間全体が静寂に包まれる。
まだ波紋の余韻を残した水面には紅い満月が妖しげに輝いていた。




