ある婚約破棄未遂事件の顛末
「ユレフィア。話がある」
人気のない魔法学院の片隅。
見目麗しき美青年への途上である少年が一人の少女に向かい合っていた。
「まあ、なんでしょうライシャード王子」
「……婚約破棄を、申し入れたい」
「まあ? 本当に? 本気でそれをおっしゃってるのかしら王子」
ユレフィア、と呼ばれた少女は目を丸くし、しかしその美貌を一切揺らがせてはいない。
「王国の太陽と呼ばれた緋色の髪、翡翠のようと称えられた深い緑の瞳を持ち、
国中の女性が羨むとされる肢体に天上の音とも聞こえる声をして、
品行方正、学業優秀、公爵の愛娘でありながら平民にも優しく、
現在、国で最も勢いのある商会のオーナーでもある私と? 婚約破棄を?」
「君のそういうところが僕には荷が重すぎるんだよ!」
若干の涙目になった少年――ラクンザ王国第一王子ライシャード・ラクンザ――は
非の打ち所がないとしか言いようがない婚約者を前に声を荒げた。
「はあ……でも、それ以外にも理由があるのでしょう?」
例えば、と言いながらユレフィアは手元の扇子をちょいと動かす。
ぱりん、と何かが割れるような音。
「きゃあっ?!」
ついで聞こえてきた悲鳴。現れたのは茶髪に黒目の少女だった。
「なっ、ば、ばかなっ、第七水準の《隠蔽》をこんなにあっさり?!」
「王子。私、普段は第五水準と言っておりますけれど、実は第九水準ですの」
それよりも、と少女は言葉を続けた。
「ご機嫌よう、クァセル様」
「ごっご機嫌よう、です、ユレフィア様」
へたりこんだ少女を庇うように、ライシャードは移動する。
「ユレフィア、すまない。私たちは、愛し合ってるんだ」
「男爵家の娘がでしかないけどっ、でも、どうしてもっ、あきらめられないんです!」
互いの手をひっしと握る二人は、どこからどう見ても恋人同士であった。
「はあ……」
口元を扇子で隠し、公女は盛大なため息をこぼす。
「王子。少なくとも他人の目があるところで話をしなかったのは褒めてあげられますわ」
「えっ、あ、ありがとう」
「それからクァセル様。彼を奪うために汚い手を使うような人でなくて嬉しいわ」
「え、あ、は、はい」
何を言い出すのか、ときょとんとする二人。
「多分、私たちはもっと親交を深めるべきだと思いますの」
ススス、と音もなく近寄る公女の表情は扇子で隠れて二人には見えない。
「私がよく使うお店がありますの。そこで、『ナカヨク』いたしましょう?」
足元に浮かび上がる魔方陣。それが第八水準レベルの《移動》だと気付き、
王子たちが顔をあげれば、そこにいたのは獲物を狙う目をした獣だった。
「私、王子のことはこれでも愛していますのよ」
「あ、愛しているならどうしてこんなことを!!」
「わ、わー!い、いけません、ユレフィア様!そっ、そんな」
「好きな人が他の女性に懸想をしているのに、嫉妬していますの」
「だっ、だからと言って、これはっ、はうっ!」
「うふふ。でもよかったわ。前々からクァセル様のことも可愛いと思ってましたの」
「えっ、きゃっ、きゃあダメです!女同士でそんな……」
「大丈夫よ、後宮に入るまでは……ね? キモチヨクしてあげるだけですわ」
「ユ、ユレフィアッ」
「あらあら、そんな切なそうな声を出さないでくださいまし、王子。
ちゃあんと、あなたもヨくして差し上げますから……♪」
ライシャード王子とユレフィア公女は学院を出てすぐ盛大な式を挙げる。
ユレフィアの頭脳を引き入れたかった魔道研究所の面々以外の国民はこれを祝福した。
だが、そのわずか半年後に王子は級友であり、ユレフィアの侍女となっていた
男爵家の娘を側室に召し上げ、一部の国民以外を大いに混乱させた。
だが、正室であったユレフィアはそれに動じることなく、にっこりと微笑んだという。
「私、ライシャードもクァセルも大好きなの。嬉しいわ」
当の本人がそう言ったため、周りには何も言えなくなった。
そしてユレフィアはクァセルを初めとする五人の側室と共に、
国王となったライシャードを支え、国を豊かにした。
その後、五人、というのはいささか側室の数としては多すぎるため
とある大臣に廊下でイヤミを言われたとき、ライシャードは言った。
「濡れ衣!!」
大臣は、何も言えなかったという。その一言にこもったあまりの情けなさと、
王の後ろでにこやか微笑む王妃の姿に。