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さて、極上のパンケーキと果物のコンボを堪能した後特にやることもなく考え事をしていたのだが、結局何一つ今までの疑問に対する納得のできる答えは出せないまま、夜に差し掛かってしまった。といっても、外が暗くなっていることに気付いたのはエミリアさんの呼び声ではあるが。
「トシヒデちゃん!晩御飯ができたから降りてきて一緒に食べましょう。」
この一声で思考を遮断し、声のした方向へ向かっている最中である。
降りてきてというからには階下に行けばいいのか。しかし、階段が見え……た。案外、階段までの距離が長かった。さて、さっさと降りて夕飯をご馳走になろう。階段を急ぎ足で降りていくと美味しそうな匂いが漂ってくる。この階にエミリアさんがいるみたいだ。
「…………っ………ぇ…………」
ん?何か音が…。
「……た………ぇ……」
下?俺は降りて来た階段に目を向ける。どうやら、音源は階段の下にあるようだ。この時の俺は特に何も考えずに階段を降りて行った。
もう一度だけ言うと、本当にこの時は何も考えず、ただ、音のする方へ誘われて降りていった。このことが、後に「好奇心は猫をも殺す。」という諺を身をもって知り、一生の教訓として切り刻まれたことで今後の人生の大きな手助けになったのは、どんな皮肉だろうか…。
さて、特に何もなく降りて行った先には扉があった。ここの奥から間違いなく音が出ている。躊躇いなく扉の取っ手に手をかけようとした時だった。
「トシヒデちゃん?ナニヲシテイルノカナ?」
硬質で身の毛がよだつものが多分に含まれているが、この声は……エミリアさんの…。
恐る恐る振り向くと、綺麗な笑顔を張り付けたエミリアさんが立っていた。しかし、その笑顔が一歩一歩俺に近づいてくるほど、鳥肌が立ち、冷や汗が噴き出して止まない。俺は脳内で前のエミリアさんとの会話がフラッシュバックする。
『ただ、絶対に私の部屋と地下室には入っちゃだめだから…ね?』
『うん、いい子ね。もし、守らなかったら…言わなくてもわかるわね。フフフ。』
その笑顔の仮面の裏にある計り知れない黒さを目前で浴びる前に思い出しておくべきだった。おそらく、あの部屋は…。
「地下室にはイカナイデッテ言ったヨネ?ドウシテここにイルノ?そして、ナニシヨウトしてたノ?」
やばいやばいやばい!!下手なことをすれば、アランさんの二の舞になる!先人の轍は踏まないと決心したばかりなのに…。何か上手い言い訳はないのか…。
「ここが地下室だったんですか。すみません。迷ってしまったので、仕方なく手当たり次第に行こうかなとしていたところなんです。」
正直に話しても許されないのは目に見えている。まして、精神的に狂っているであろう彼女に誠実・実直さをアピールしたところで効果は薄い。
ならば、ここは知らぬ存ぜぬの一点張りで強引に押し通すしかない。あぁ、胃がキリキリ痛む。しかし、ここが正念場だ。顔に出すな。俺は知らなかったと見せろ。
「本当に?自分で言うのもおかしいけど、こんなにもいい匂いを上の階から漂わせているのに?」
よし、エミリアさんが正気に戻った。ギャンブルだったが、エミリアさん(夫妻)とは会って間もない間柄なのが幸いした。もし、俺がアランさんのように身内であったり、親しい仲であれば有無言わさず刑は執行されていた可能性が高い。しかし、今の俺は彼女にとって拾われてきたとはいえ、赤の他人も同然の「客人」という立場である。つまり、俺を断罪するには確固たる証拠がなければならない。だが、俺は彼女の言いつけを破っていない。つまり、地下室に故意に入ろうとしたことを自供しなければいいだけである。(断じて言うなら、地下室とは知らず、故意に入ろうとしてないのは事実だ。)
ただ、気はまだ抜けない。背筋が凍るような笑顔は抜け落ちたが、未だに俺に向けてくる彼女の視線は疑いを抱えていることを窺わせる。動揺するな。決して顔に出すな。顔に出たら、白を黒と勘違いされて終わる。
「そのですね、お腹が空きすぎて実は気づいたらここにいた感じなんですよ。ここまで来る間についても覚えていませんし、階段を降りていくことしか考えていなかったのでエミリアさんに声をかけてもらって、はじめて自分の位置や状態、そして匂いに気付いたんです。」
あ、怪しすぎる…。もっと真面な言い訳はなかったのか、俺……。俺だったらダウト、いやギルティ宣言を下しているぞ。だが、言ってしまったからには何食わぬ顔をしろ。押してダメなら押し潰せ!
「………すごく引っかかるけど、『今回は』シヒデちゃんが家の構造を知らず迷子になったという『ことにして』不問にしておくわ。『次』からは『気を付けて』、『ね』?」
ばれてますね、はい。強調部分が耳に痛いです。しかし、ここは恍けたまま、返事をする。
「はい、場所も覚えましたので大丈夫です。」
下手に返事すると揚げ足とられて、地獄を見るのが大抵である。ここは素直且つ強調部分に気付かない振りして返事するのが無難だ。これが、話術に優れたり、頭の回転が速かったりすれば、上手に皮肉を交えたり、上手い切り返しをしたりして見事に相手の猜疑心をなくす、或いは自分の評価を上昇させるのだろう。しかし、俺には無い才能だ。今もなお、疑惑に満ちた視線に突き刺されながら、次がないことを自覚して過ちは繰り返さないと誓うのが精一杯である。
「じゃあ、晩御飯にしましょうか。私が案内するから………」
「…許してくれ~、エミリア!もうこれ以上は流石に私でも死んでしまう!!私が悪かった!だから、だから、ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!来るな、来るな、来るなーーーーーー!!!!ぎゃあーーーーーーーーーー!!!!」
「……………………。」
本能が警鐘を鳴らす。決してエミリアさんを見てはならないと。
「トシヒデちゃん、何か聞こえた?」
「いいえ、何も。」
エミリアさんに目線を向けないように、間髪を容れずに答えた。
「そう……。ちょっと申し訳ないけど、急に用事ができたの。先に行っててちょうだい。この階段を上がって、左に曲がって突き当りまで行った後、右に曲がった先に晩御飯を用意してるわ。少し遅くなるかもしれないから、冷めないうちに早く召し上がってね。」
「はい。では、お言葉に甘えて先に頂きますね。」
俺はそそくさとこの場を後にすることにした。後ろから「ひぃぃぃぃ!エミリアが沢山!!ゆ、許してくれーーーー!!!ぎゃあーーーーーーーーーー!!!!」という哀れな男の絶叫やその途中で発生するドゴッゴギッとかいう音が聞こえるのは気のせいだろう。色々あって疲れたからに違いない。そうであってほしい。
因みに、指示された所に行ったら、色とりどりの食べ物があり、すべて美味しくいただいたとだけこの場では言っておく。