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どうでもよくなった。と思ったもののもう既に一日で4・5回鳥肌が立ったのはトラウマを抱えてから数えるほどしかない。ましてや、今はまだ朝である。このペースで行けば10回程度で済まないだろう。
鳥肌如きで何をそんなに悩んでいるのかと詰られそうだが、俺にとってはあまり軽んじて良いものではない。鳥肌立つのは女性の笑顔を見たときと簡潔に言っているが、実際はもっと他にも色々と体に変調を齎す。俺の鳥肌が立つまでのメカニズムはこうだ。
女性の笑顔を見たとき、まず動悸が起こる。それが一瞬で激しくなり、呼吸が少々荒くなる。そして、一定の間を置いてから急に心臓を鷲掴みされたような変な悪寒に襲われ、一瞬眩暈を感じて鳥肌が立つ。これが随分と心臓に悪い。比喩ではなく直接ダメージを食らっているような気分になるし、下手をすると冷や汗も大量に出るので体調管理にも影響する。体調が崩れ始めると精神面にも影響が出るし、それが慢性的になれば、下手するとトラウマが深刻化しかねない。
今までは悪友に誘われでもしなければ、高頻度で女性の笑顔を見る機会もなかったので気にしてはいなかったのは事実だが、この学院に来てからはそうも言ってられなくなった。周りには女子しかいないのだから必然的に女性の笑顔を見る機会は飛躍的に増える。つまり、俺はより一層体調管理などに力を入れなければならず、女性に対する接し方などに対策を立てなければならないということだ。さて、どうしたものか…。
「どうしたの?」
俺がネガティブな考えに沈んでいくと、フローラは気になったのか、声をかけてきた。
「…いや、何でもない。ちょっとばかし考えなきゃいけないことができただけだ。」
「そうなの?私で良ければ聞いてあげるよ?」
その言葉はありがたいが、残念ながらこの問題は俺個人で解決するしかないものだろう。
「いや、こればっかりは自分でどうにかしなければならないものだから気にしなくていい。」
「フーン、…まぁ、本人が良いっていうなら、無理に聞く必要もないかな。…それより着いたよ?」
「ん?…おお!」
そこはとても広い食堂だった。一限目ということもあって人は疎らだが、ところところで食事をしている者も見かける。
「見てわかると思うけど、学院が誇る大食堂その一よ。ここは中・高等部専用ね。他にも初等部用と小等部用の食堂が二つあるから間違いないでね。」
「で、でかい…!!」
「これでも昼休みになると足りないぐらいなんだけどね。」
マジですか!?
俺は信じられないという風に白目を剥きながら彼女を見る。
「そう。だから、昼休みは特になんだけど、上級生・下級生関係なく相席や席の譲り合いは暗黙のルールになっているから気を付けてね。」
「なるほど。…ところで、あの辺りにある周りから逸脱した、いかにもお偉いさんが座りますよ、的な豪華に内装された空間と席はなんだ?」
およそ三十席程度。質素な作りをしている食堂の中で一際異彩を放つ、一般人である俺からすれば落ち着いて食べることが出来なさそうな高級ホテルさながらの豪華でモダンな空間が存在していた。机や椅子はもとより、その空間全てが高級素材を使ったものと思えてきそうな雰囲気を感じる。
「あぁ、あれはSクラスに対する学院からの優遇政策だよ。もうわかったかもしれないけど、あの席はSクラス以外は座れないんだ。そう考えると、さっきのトシヒデの表現は強ち間違ってないね。」
へぇー、Sクラスの連中や他の学生との間に階級意識でも植えつけたいのかね。まぁ、俺に関係のないものならさっさと流していこう。
「食事に関しては、基本昼休みと前後一時間の間にメインメニューが日替わりで三つ出されるよ。今はまだ時間が早いから出ていないけど。どのメニューも一律500イェンだからお手軽に食べられるし、2限か3限が空いているなら時間をずらしても問題ないというわけだよ。勿論、味も文句なしでおいしいから楽しみにしててもいいよ。」
それはそれは、楽しみだな。500イェンでおいしい昼飯が食べられるなんて学院も中々にやるな。
因みに、500イェンというのは元の世界の500円に相当する。すなわち、1イェン=1円である。中々に安いことがわかると思う。なお、この世界は驚くことに管理通貨制度を採用しているので、国が特殊な加工を施した貨幣を流通させている。全て紙幣であり、単位は1、5、10、50、100、500、1000、5000、10000の9つある。
「あと、さっきの時間以外でも学生たちの憩いの場として開かれているから、休講とかで暇を持て余したなら友達と来ると良いよ。ああいう風に雑談とかものんびりできるし、軽食やデザートならどの時間でも売っているからそれらを食べながらお話するっていうのもいいかもね。」
なるほど。休息の場としても使えるのか。
「因みに私はここのスペシャルスイーツパフェが大好きなの!それはもう絶品で!まず、砂糖とか生クリームとかでウーンと甘くした牛乳と卵の混ぜ物を冷凍して固めたものを大きな逆三角形のグラスにカットフルーツを時々入れながら敷き詰めて、グラス一杯になったらその上にそれはもうフワッフワしたホイップクリームをふんだんにのせて、さらにその上に色とりどりのカットフルーツをこれでもかと言わんばかりに乗っけて、最後に甘ーい蜂蜜をたっぷりとかけているの。見ただけで食欲がそそられる一品なの!」
アイスクリームや生クリームの存在に驚くべきか、そこからパフェというスイーツができていることに驚くべきか、兎に角言えるのは、聞いただけで胸やけを引き起こす一品であることがわかった。フローラさんは想像だけでうっとりと恍惚している。どの世界でも甘味に対する執着というか欲望というか、女性のそれは俺には決して理解し得ないものだとそれだけはわかった。しかし、チョコやコーンフレークがないので、いささか元の世界のパフェに比べ大の甘いもの好きやパフェ好きには物足りなかもしれないが、それでも近いものが存在するのは何の悪戯か。もしかしたら、以前に日本人がこの世界に迷い込んだかもしれない。そう思わせるほどにこの世界はどこか元の世界に似ている。
「それからね!他のおすすめのスイーツは…。」
取り敢えず、そんな考察は後回しにして、まずは彼女の情熱的なスイーツトークを止めるべきだろう。彼女の話は残念ながら胃と胸に悪い。練乳を生で飲めるという友人が実際に練乳を飲んでいた現場を見たときのように胃がムカムカする。俺は彼女が二品目を言う前に言葉を被せる。
「あー、悪いんだけど、スイーツの話はまた今度にしてさ、今は他の施設を案内してくれないか。流石に食堂だけじゃないだろう?主要な施設は。」
「え?…あ、うん。なんかごめんね。私、甘いものには目が無くって。ついつい夢中になって話しちゃうんだよね。」
そうか。では、是非とも俺以外の誰か、特に甘いもの大好きな人とここでスイーツを頬張りながら話に興じると良いんじゃないか。
「今は時間がないけど、今度二人でここにきてスイーツ食べよ?私、結構こういうの好きだから、トシヒデにも知ってほしいな、なんてね。そう思っちゃったんだけど、トシヒデはどうかな?」
おかしい…。まさかの俺?!俺は甘いものに大した耐性はないぞ!
「い、いやぁー、………。」
だんだんと彼女から目を背けていく俺。
「え?…やっぱりダメかな?」
彼女はショックを受けたような顔をすると悲しげに顔を俯かせた。
「い、いや、その、別にお誘いがダメなわけじゃなくてだな!」
彼女の酷く落ち込んだ様子を見て、俺は慌てて言葉を取り繕う。
「もしかして、甘いものは嫌い?」
「い、いや、あ、甘いものは嫌いじゃないぞ!」
彼女は未だに悲しそうな目をして俺に尋ねる。俺は咄嗟に返事した。まぁ、甘いものが嫌いではないのは事実だ。さて、ここからどうやってうまく断ろうか?どうにかして、回避できる方法は………。
「じゃあ、ダメかな?」
俺は言葉を失った。昔、悪友がこう言っていた。
「美少女の上目遣いは破壊力が半端ない。これを受けて、平気な顔ができるのは男じゃない。まして、これでお願いされて断れる奴は人間じゃない。」
なるほど、まさしくその通りだ。身をもって理解した。確かに、美少女の上目遣いを受け流せる奴は男でも人間でもない。恐らく猿か何か似た動物に違いない。
だが、済まない。例え、チンパンジーやゴリラと罵られることになろうとも、流石に彼女とスイーツを食べに行くのは色々と重い。胃とか気分とか。ここはやはり断ろう。彼女には悪いが、俺の胃の安寧とかのためにも。
「……いや、問題ないよ。今度行こうか。」
「え!?本当!嬉しいな!!」
結局、罪悪感と彼女の魅力に勝てなかった俺は彼女と後日スイーツを食べる約束を結んでしまった。
どこかで良い胃薬売ってないか?
皆さんは胸やけを起こしたことはありますか?胃もたれではなく胸やけです。それも甘いもの喰い過ぎによるものです。作者はあります。忘れもしません。高校の家庭科の調理実習の際、生クリームがこれでもかと言わんばかりに乗せられたホールケーキを一人の甘いもの好きによって作られ、いざ実食。結果は半分を過ぎたあたりで作者を含める班(6人)にうち、4人が手を止めてダウンするというある意味目に見えたものでした。作者は初めてそこで胸やけを経験しました。甘いもので吐き気を催すなど生まれてこの方なかったものですから、ホールケーキは未だに作者にとって不倶戴天の敵です。
長々とすみません。この話のコンセプトが作者の経験談からきていることをお分かりいただければ幸いです。なお、10日の0時にもう一話投下しますので、よろしくお願いします。




