三
駅から少し歩いた所にあるわりと大きな通り。
通りには大きな建物が並び、それぞれに若者向けの娯楽施設やお店が詰められていて、色とりどりの服に身を包んだ若者達が大小様々な集団となって建物を出入りしている。
そんな中の一つ、上に不思議なオブジェがついている建物の地下にあるレストランの奥の方のボックス席に、かぐや達四人は収まっていた。
四人が額をつきあわせて覗き込んでいるのは、メニュー表。
「この絵がいっぱい描いてある本はなんなの?」
かぐやが斜め前に座るやとに聞く。
「これはメニューというものです。月の食堂では壁にお品書きがあったでしょう。日本の店では、テーブルごとにお品書きがあって、それぞれの食べ物を絵で分かりやすく表示している所が多いのです」
やとが答える。やとの仕事の一つは、地球の文化の調査だ。月の兎達の中で、一番日本に詳しいのが彼なのだ。
メニューに描いてある絵は、本当は絵ではなく写真なのだが、それを言うと写真の説明で夜を明かしてしまいそうなので、ここでは絵で済ませた。やと自身、写真というものの仕組みを理解するまで数ヶ月を要した。
「じゃあ、ここにあるのは全部食べれるの?」
「はい」
「はいじゃないよ、やと。そう言うとかぐや、一度に全部食べようとするぞ」
目を輝かせるかぐやに答えたやとに、隣に座る織羽が注意をする。
しかしもう遅く、
「ねえとと。ここにあるの全部食べれるって!」
「姫様なにか勘違いしておりますよ。ここにあるものの中から食べたいのを選ぶんですよ。全部ではありませんよ」
ととが必死にかぐやに説得していた。
その後、かぐやとその隣のととがやとにいろいろ質問して、それに対して織羽とやとが料理の説明をしたりカトラリーセットの中にあるフォークやスプーンを説明したり、かぐやが買いたいアニメグッズのメモを持ってくるの忘れたと半泣きになっているのを織羽がケラケラと笑ったりして、ようやく四人は食べたいものを決めた。
「おまたせいたしましたー」
しばらくして、店の従業員の女の人が頼んだ料理をまとめて持ってきた。
彼女は料理を注文するときにも来た人で、そのときは机の上にあった小さな機械の上にあるボタンを押したらテーブルの側まで来てくれた。
「ワオ! 日本の本場のメイドさんだ!」
店の制服を着た女の人を見てかぐやが嬉しそうに叫んだものだから、かわいそうに目を白黒させていた。
従業員は四人のテーブルの上に注文通りの料理を置くと、こわごわとかぐやの事を目で確認しながらそそくさと下がってしまった。
かぐやは、ミートソース。
ととは、イタリア風ドリア。
やとは、ハンバーグプレート。
織羽は、パエリア。
「えっと……。皆さん、うさぎでよね? うさぎって草食じゃないの?」
三人のチョイスに、少し戸惑う織羽をよそに、三人はさっさと食事を開始する。
彼女の隣で、やとが何かを言おうとしたが、モゴモゴとしか聞こえない。
ととが箸をおいて、ととの代弁をする。
「えっとですね、織羽様。私達は確かに兎ですが、地球のうさぎさんとはちがいます。確かに地球にいるあの無駄に可愛いヤツはかわいそうに草しか食べれませんが、私達兎人は、多少ですが肉も食べます。雑食なんですよ」
「へぇ、そうなんだ。てゆーか、そんなに地球のうさぎに対抗心抱いてるの月の兎って。なんかメラメラ燃えてますが」
そんな事ありませんっ、とドリアを再び食べ始めるとと。一回で口に含めた量がやたらと多くなったと思ったが、残りの三人は気のせいで済ませる事にした。
「私はうさぎじゃないもん、ただの天上人だもん」
かぐやは思い切りそう言いきって、再び自分の目の前の汁気の少ない麺類に取りかかる。
地球で「天上人」って言ってる時点で普通じゃないんだけどなぁ、やとはそう思いながらハンバーグを口に含んだ。
ちなみにやとは、長い間日本にきて日本のご飯を食べているため、肉でも魚でも何でも食べられるようになっている。最近はむしろ肉類を食べる量が多くなってきていて、男ながら体重計に乗るのが怖くなりつつある。
「それで、織羽様は? それには肉どころか魚介も、何でも入っていますが大丈夫なんですか?」
ようやく平常心を取り戻したやとは、自分の斜め前で黄色い混ぜご飯に目を付けて声をかける。
「ん? わたし? 鶴はもともと雑食だもの」
得意げに鶴はそういって、大きな貝の中身を箸で器用に取り出し、これ見よがしとパクつく。
肩を震わせるととをよそに、やとはプレートの付け合わせの人参をもそもそと齧りながら織羽の箸使いに関心する。
——上手だな。あの貝の中身の取り出し方といい、他の米や具のつまみ方といい、まるで鶴のくちばしみたいに使いこなすなぁ。
こう見えて兎人の中では静かな方のやと。空気を読むべき時はたまに読む。今の頭の中の呟きを隣に聞かせたりでもしたら、きっと皿の上の彼の昼食は瞬く間に織羽の箸に吸い込まれてしまうだろう。
しかし、この場では更に空気をしっかりと読んでいる者がいた。
「ねえ。早くたべないの?」
そう、兎にも鶴にも無用な口を挟まず、とにかく自分のすべき事をとにかくまっすぐにやってきた、かぐやだった。
「もう、食べちゃうよ」
彼女の前に置かれている皿の上にあったスパゲッティーという麺料理はとっくに消え失せ、その目はもう次の獲物——手始めに、斜め前でぼんやりとしている兎、ととのハンバーグに目を輝かせている。
「あ、姫様。これは申しわけありま……て、うわぁぁぁっ! ハンバーグ食べないでくださいよぉっ!」
やとが目をつけられていた事に気付いたときにはもう遅く、そのハンバーグは彼がまだ手をつけてないところからかぐやによって削られていた。
「いやぁ、別にハンバーグのひと欠片やふた欠片、大切な姫さんに食べられられてもいいでしょう、別に」
目に見えてしょんぼりしたやとに、織羽がパエリアをぱくっと口に放りながら声をかける。
「しかしですよぅ、織羽嬢。もしかしたら今姫様に食べられたところが、一番おいしいところだったかもしれないんですよ。そしたらどうするんです」
「安心しな、ハンバーグの作り方を考えてみなって。おいしさに偏りが出る料理じゃないでしょうが」
「でっでもっ、ひょっとしたら、あの場所に肉汁が詰まっていたかもしれないじゃないですか」
お手上げだと言わんばかりに、織羽は軽く頭を振る。
「あー言っとくけど、そうやってうじうじするのも構わないけど、そうやっているともっとハンバーグが減ってくよ」
もぐもぐもぐもぐ、もぐもぐもぐ……。かぐやが何かを食べる音。
ぱくぱく、ぱくぱくぱくぱく……。ととが自分の前のドリアを片付ける音。
「ぎゃああああああぁ! ハンバーグぅぅぅ!」
やとが気付いたときは、もうハンバーグなんてどの皿を確認しても無くなっていた。
そこからは、もう醜い戦いだった。
「姫様ぁーっ! もう知りませんよ! ひとのハンバーグを食べる事はいくら姫様でも許される事ではありません! 全部! ハンバーグ全部食べやがって! 日本には下克上という言葉があるんですよ! 下克上! 下克上!」
「うるさーい! 下克上ぐらい私だって知ってるわ! 下克上っていう言葉はね、私が日本にいた時から存在していた言葉なんだよ!」
「なら、なおさら下克上でさぁ! 下克上、下克上! 食べ物の恨みの恐ろしさ、姫様にだって分かるでしょうがぁ!」
「いいじゃないの、おいしかったんだし!」
ぷいっとそっぽをむくかぐやに、やとはムキィーと前歯をむく。
そんなやとに、今度はととが食いつく。
「黙りなさい! やと! ハンバーグ食べられたくらいで姫様に楯突くなんざぁ一時代遅いんだよぉ! このととが成敗してくれらぁ!」
「一人で食ってた兎は一人でくってろぉ! おのれハンバーグの恨みぃ!」
「もう食い終わったよぉぉ、このハンバーグうさぎぃ! てめぇはハンブーグでも弔っておけぇ!」
「あははは! とと、『ハンブーグ』だってぇ! あははは」
「ひっ姫様! 一生懸命叫んでもなんか意味ないので! やめて下さい!」
食器までは飛び交わないが、罵詈雑言が飛び交う、レストランの奥のボックス室。
元々声が高い二匹のうさぎと月の姫様のその甲高い怒声は、もうどの叫び声が誰の声なのか分からなくなっている状態。
ただ一つ分かるのは、このケンカがレストラン内で行われているという事。それはつまり、
「あの! 他のお客様のご迷惑になりますので! お引き取りねがいます!」
追い出される、という事だ。
「「「……ハイ。すみません……」」」
目を点にして静まる三人。
そして、
「ふんふんふんー。え、何? やっぱ追い出し?」
いつの間にいなくなっていた織羽が、鼻息交じりにトイレから戻ってきて、一行はすごすごとレストランを後にするのだった。
「さて、昼ご飯も食べて、これからどこいこうか」
再び駅前広場に戻ってきて、織羽が三人に声をかける。
三人の反応はまさに三者三様。ととはレストランから怒られて追い出されたのがショックだったのだろう、織羽の問いかけにも顔を上げずうなだれるばかり。やとはさっきの昼食分のレシートと領収書を財布の中で整頓。
織羽の質問に真面目に答えていたのは、かぐやだった。
「うんうん! ちゃんと考えてあるんだよ! 日本に行ったら行ってみたいとこのメモ持ってきた!」
日本ではまず見られないような品質の紙をぐいぐいと織羽に押し付けるかぐや。
「さっき、メモ忘れたって泣いてなかったっけ……」
メモを受け取り、書いてある項目を目で追いながら、言葉を返す織羽。
それを聞いたかぐやは、一瞬キョトンとした後すぐに元気に答える。
「それは買いたいグッズのメモ。他のメモはちゃんと持ってきたよ!」
いったいこの姫さんは何枚メモ作ったんだろうか。思ったが言わない、それが織羽。
へぇへぇと軽くあしらいながら、メモの中身を確認する。
「アニメグッズショップに、本屋に、……メイドカフェエ!? 外人かよ!」
思わず大声を上げてから、そう言えば外人か、外国というか星の外からお越しだけどなぁ、と思い直す。
「まぁ、ここに立ちっぱなしでもアレだし、とりあえず動こうか。道案内はやと、頼むわ」
気を取り直すようにみんなを促す。織羽に指名されたやとは、彼女からメモを受け取って目的地を確認した後、しっかりと頷いた。こういう時の為に、日本の要所という要所はしっかり確認してあるという。
○○
かぐや達四人が集まっていた広場の前にそびえる駅の屋上。
「ねぇね、アンタ。起きなって」
四人が動き出したのとは別で、別の人たちが動き出す。
「……ンぁ。何だ?」
起きるよう促されて、低い声で声を捻り出しながら体を起こす。
降り注ぐ日光を受けて艶やかに輝く赤毛をわしゃわしゃとかき回す。あくびをしながら外したサングラスの向こうには、透き通るような奇麗な金色の目。
寝ぼけ眼のまま自分を呼ぶ声がした方を向く。
「なんか見つけたんか、水尾」
「あぁ、見つけたさぁ。こりゃ相当な上客だねぇ。来てみぃよ、伊吹」
水尾と呼ばれた方は、今では滅多に聞かないような訛りで言葉を返す。
こちらはやや癖の強い栗色の髪を簡単に結い、簪を二本差している。はみ出た髪が緩やかな風に煽られ、日の光を受けてキラキラと輝きを振りまいているようにも見える。やはりかけているサングラスの奥には、透き通った金色の瞳。
伊吹と呼ばれた方は、どっこいしょと立ち上がって、水尾がいる屋上のフェンスの方にゆったりと歩いて行く。
「ほれ、あの四人組、よく見てみぃ」
水尾はフェンスに寄りかかって、伊吹に自分の見つけた物を教えようと親指をフェンスの外側に向ける。
「どれどれー。あれか? あそこの四人組」
普通の人なら、親指一本だけの説明では距離がありすぎて分かる訳ないだろうが、あいにくながら伊吹と水尾は人間とはちょっと違う存在であるため、屋上から見下せば地上を歩き回る人達を見分ける事くらい雑作も無い。
「あの、小さいけど男の子、ありゃあ、やとじゃない?」
水尾が傍らに立つ伊吹に声をかける。
「あ、ほんとだ、やとだ。じゃ、あの四人は」
「あんの子から貰っている情報通りだと、月からお越しの姫君さんと、姫さんのお付きの嬢ちゃん、それから、あの子が、あんのじいさんが言っちょった、娘さんだねぇ」
「じゃ、いよいよ活動開始か」
「あいよん」
二人は再度四人を確認すると。
次の瞬間、立ち入り禁止区域の駅の屋上には誰もいなくなっていた。




