二
「うーん。ついたね!!」
駅前の広場に出てきて、かぐやは人ゴミを気にせず大きく伸びをする。
その後ろから、織羽と日傘をさしたととが広場に出てくる。
「よくそんな元気がありますね……」
ととがうんざりした声をあげる。
地球に行くには多くの準備が必要だった。
まずは服装。
月の服装では、現代の日本ではかなり「浮いて」見えるため、着替える必要があった。
「いや、別にそのままの格好で行っても『コスプレ』て事にすれば大抵の人は笑顔で受け入れてくれるよぉ」
面白そうなものを見るような顔でいう織羽に、ととは全力で首を振った。
そのため、かぐやたちは地球に行く前に着替える事になった。が、服が無い。
ととが慌てた顔で手配しようとしたのを見て、しめた顔をしたかぐやがなにやら部屋の奥でがさごそしたと思うと、紙箱いっぱいに詰められた衣装がいっぱい出てきた。これで服の心配はなくなった。
着替える時に、かぐやがととに何かをしようとしていたが、それはまた別の話。
次に……。
「だめです。姫様という立場上、訪問の際は何かしら理由を付けねば。後は護衛のしたくも——」
「ぜっったい嫌だ。公式訪問も嫌だからね。護衛なんかつけたら行きたいとこ行けないじゃない。おしのびでこっそり行くのがいいのっ!」
「行きたいとこって……何を行っているんですか! バリバリ姫様の願望丸出しじゃないですか! 見えてますよ、姫様がどこに行きたいかもうこの目に見えてます!」
「いいのっ! 絶対日本の幕府にいったら、お役人様ぞろぞろついてくるわよ。そんなの嫌だからね! 行き先制限されるに決まってるじゃない。日本は、東京は狭いのよ! 大集団で歩いたら目立つに決まってる!」
「なんでそんな事知ってるんですか! それにあれほど勉強の時間に申し上げたでしょう。現代の日本の政治機関は『政府』であると。幕府はとっくになくなってます! 姫様どんなアニメ見たんです? 影響されすぎです。前から言ってますよね、アニメの見過ぎですよ見、過、ぎ!」
「むー! ととのバカ!」
「なっ、なんですって!?」
喧嘩の内容を聞いて分かる通り、といっても話題はそれていったが、かぐやの姫という立場上の問題だ。日本に電撃訪問する事になった表向きの理由付けだ。
この問題に関しては、織羽がソファーの裏に落ちていた日本のコミック誌をパラパラと呼んでいる間に決着がついたらしい。ととが「殿があんな事を……」と嘆き崩れているのを見る限り、かぐやが父を通じて何かしたのだろう。
そもそもかぐやの父も、月で一番偉いお方だというのに、たまに「おもしろそう」とかいうテキトーな考えで勝手に何かやらかす、かぐや以上にノリの軽いお人である。何となくな気まぐれで娘を地球に送ってみてその成長を見守り、娘が五人の男に結婚を迫られたときは親バカ丸出しで憤慨して妻にお説教をくらっていた、もうしっちゃかめっちゃかな人なのだ。娘のテキトーな思いつきに答えて、テキトーに理由を付けて日本に勝手に連絡する事くらい朝飯前だろう。
最終的に日本おしのび電撃訪問のメンバーは、かぐや、とと、織羽、以前から日本に配置していたかぐやの従者、の四人となった
なんやかんやで日本に着いたのはいいが、それでもまだ道は長い。
月から到着した三人は、もう一人日本にいるメンバーと合流する必要があるため、人でごみごみした東京内を移動する事になった。
東京の移動手段は電車が主流、までは知っていたけど三人は電車に乗った事が無い。しかも月メンバーは実物を見た事すら無い。
電車を乗り降りする施設、駅についてみると色とりどりの電車が走り、騒音は溢れ、どこを歩けばいいのか分からないくらい人がいて、乗り方を聞こうと声をかけても誰も止まらず。
ととが目を離したすきに早くもどっか行ってしまったかぐやが駅員さんを連れて来て、ようやく動く事が出来た。
切符の買い方は勿論、改札の通り方も、乗るべき電車も分からない三人に最初は驚いていた駅員だったが、彼は三人の事を「改札機が無いような地方から出てきたばかりで電車に自力で乗るのは人生で初めて」という事でおさめたらしい。
駅員さんは入り口が何回開いたら電車を降りるのかも、電車を降りたらさっきみたいに改札を通る事、分からなかったら駅員さんに声をかければいい、と丁寧に教えてくれた上で、三人が危なっかしく電車に乗り込むところも、ドアが閉まって走り出す電車の中でよろけながらも笑い合うところも、手を振って見送ってくれた。
そして、三人は無事目的地まで着いたが、結局再び改札が使えずに駅員さんに声をかけて出してもらい、道をあんないしてもらってようやく駅から出る事が出来た。
しかし、駅前広場に行こうとした時、もう一つ問題が起きた。地球の日差しだ。普段月で暮らしているものは、地球の昼の明るさや日差しの強さを知らない。月の昼だって空は青いが、地球と比べると薄暗い。
三人の中で最初に限界が訪れたのは、ととだった。眩しさに目を回している彼女を、かぐやと一緒に木陰のベンチに座らせ、
「いいかぐや。絶対に私が戻ってくるまで動かないこと。動いたら、あんたの事日本の政府に連絡するから」
と脅迫まじりに注意してから近くの大きい建物の中に入っていった。
織羽が戻ってきた時、ベンチの上ではかぐやがじっと動きを止め、呼吸も止めようと一生懸命になっていた。
それがおかしくて、笑いをかみ殺して戻ってきた織羽に、なんとか起き上がったととがあわてて早口で謝り始める。
「まぁまぁ仕方ないよ。月と違って地球は眩しくって暑いからね。いいもの持ってきたよ。よかったら、かぐやも使って」
ととの早口を制して、織羽が二人に手渡したのは傘。雨をよける為ではなく日差しをよける為の、日傘という傘だった。
織羽が簡単に使い方を教え、ととが日傘を広げて再び木陰から歩き出し、人ごみに流されるようにして車が走る道を横切って、一行はようやく駅前にたどり着いた。
○
どこからどこからともなく溢れ返り、そしてどこへとともなく流れさる人の流れの中で、木陰のもとで残りのメンバーを待つ三人。
ぼんやりと目の前の人の流れを眺める織羽の両側で、日傘の下で高くそびえるビル群を眺めるかぐや達。
「ねぇねぇ織羽?」
「なに? かぐや」
「この、日傘っていうんだっけ? 駅前のあのでっかい建物から持ってきたの?」
「あぁそうだよ。百貨店っていって、商店街何個かまとめて一つにまとめたようなものだよ。本も食べ物もポテトも、たいていなんでも売ってるよ」
「なるほど! あそこにはこの日傘がたくさんあるんだね!」
「……かぐや、あんたなんにも聞いてないでしょ」
かぐやと織羽のやり取りに呆れ返って、ととがため息を一つついてから下げた目線を上げた時、三人に向かっている一つの影があった。帽子を目深にかぶった少年の姿は、そのまま三人の前まで静かに歩いていき、それに気づいた二人も前を向いた時。
「お待たせいたしました。かぐや姫、織羽嬢」
帽子の少年は厳かにひざまずいた。人ごみの中で。東京のど真ん中、人ごみが闊歩しているその片隅で。
そして帽子を取る。
白い肌に青い瞳、普通の人間では考えられない程の艶やかな黒い髪から小さく伸びる耳。
「……なに耳出してんの? やと」
もう呆れすぎてため息も出なくなったととに突っ込まれたその少年は、三人が待っていた電撃訪問組の残り一人。以前から地球に派遣されていたかぐやの従者の一人、兎人のやとである。
やとは呆れかえるととに言葉を返す。
「いや、姫様から『耳は完全にしまうな、ちょっと飛び出た物を帽子で隠していくシチュエーションのが良い』と連絡をいただいたので、その通りにいたしたまでですが」
「いやいやいや、それ元ネタ分かってるよね。耳角違うから! 耳しまえ耳!」
「む。姫様の命なのに……」
ととの全力の突っ込みに、しぶしぶと耳を引っ込めるやと。彼は昔から、何事もかぐやに忠実なので有名なのである。
耳を完全にひっこめたやとを見たかぐやは少し残念そうな顔をしたが、それを見たのはほとんどいなかった。
月の姫のかぐや姫。
付き人である月の兎のとと、やと。
正体は鶴の織羽。
四人揃った所で、日本電撃訪問はいよいよ始まる。
○○
「姫様」
意気揚々と人ごみの中を進む姫様の後ろから、ととはそっと声をかける。
「なぁに? おいしそうなものでも見つけた?」
「何も見つけていません! 今回、我々が日本に来た目的、ちゃんと覚えておいでですよね」
「——もちろん。やとも知ってるよね?」
今までハイテンションだったかぐやの声が、低くなる。顔はキラキラと輝いてあたりを見回していながらも、その話の内容は実に真剣で、何かを企んでいるものだった。
「把握しております」
「作戦は計画通り実行を開始する。まぁ気楽に探していきましょう。そして」
そこまで言って、かぐやはちらりと後ろの兎たちを見る。
小さく織羽を指差しながらいたずらっぽく言うのだった。
「(織羽には)絶対内緒ねっ」
「御意」
「承知」
やと、ととがそれぞれの言葉で短く答える。
「おーい、はぐれないでよー。もうお昼時だ、早くしないと昼食なくなるぞ」
いつの間に距離が開いていたのだろう、かぐやの数メートル先で織羽が振り返る。
「あー、待ってよー。あたしあれ食べたい! えーと、えーっと、あれだ……なんだっけ?」
笑顔で走って織羽に追いつくかぐや。
取り残されたととは、仕方なく隣のやとに声をかける。
「やと」
「なんでしょう」
「日本のお昼ご飯として、なにかおすすめはあるかしら?」
すこし考えて、やとは答える。
「そうですね……うどん、そば等は今の時代でもあります。米も今の日本人はよく食べています。米料理のバリエーションも豊かで、カレーライスは生きている間に一度食べておくべきでしょう。先日食べたチャーハンという料理も、またおいしかったです」
「えぇーと、か、かれーら?」
「チャーハンといえば、ラーメンという麺料理もおすすめです。あと日本の食べ物といえば……。あ、ハンバーガっ」
「もういい。少し静かにしようか黒うさぎ。そこでレストラン見つけたから、そこにするけどいい?」
黒うさぎの止まらないトークを打ち切ったのは、いつの間に近づいてきた織羽だった。




