一
都の中心に、それはある。
平安時代の寝殿造りを模した大きな建物。宮殿とみんなには呼ばれているそれは、実際にも宮殿だった。
そこの奥にある一室から、話は始まる。
○
「姫様ー、姫様ぁー」
部屋の外から声がして、彼女は顔を上げる。
声は近づいてくる、きっと目的地はこの部屋で間違いは無いだろう。そう思って、目の前のテレビのリモコンを探して一時停止ボタンを押す。
ちょうど襖が開いて、一人の少女が入ってくる。
そして目の前の光景を確認して、一言、
「……はぁ。アニメですか、姫様」
呆れ返った。
「いいじゃないの。昨日とは違うモノよ」
「そういう訳ではございません」
むー、と反抗するかのように、姫様は小さくむくれる。
「それよりも何か用? とと」
姫様に聞かれて、とと、と呼ばれた少女は気を取り直して用件を伝える」
「お客様ですよ」
「織羽?」
すかさず姫様は聞き返してくる。
「……えぇ、そうですが。客間に通しますか? それとも——」
「いやいや、この部屋でいい! はやくはやく!」
ととが言い終わる前に彼女はぱっと顔を輝かせて、いそいそと部屋の片付けにかかる。
「……承知いたしました。でしたら姫、まずは私の足下に転がってるポテトの空き袋をどうにかして下さいまし」
ととは見た目はかなり幼いが、実年齢は二十歳を過ぎたあたりだ。姫様の侍女を立派に勤め上げている。
赤みがかった瞳に、白い肌。白い髪からは一対の長い耳がぴょんと出ている。
けっして、バニーの真似事ではない。彼女は本当に兎なのだ。
そう、ここは月。天上人と兎人が暮らす、まさに月の都である。
地球では、日本のサブカルチャーが急速に流行っていると聞くが、それは月でも同じ。現在、月では日本のアニメが大流行りなのだ。
地球で飛んでいる電波をこっそり拾って月まで飛ばし、みんなテレビにかじり付く勢いで見ている。
そして、そんな文化を光溢れる地球から距離のある月までもたらしたのが、幼少期を日本で過ごした我らが姫である。と公にはなっている。
しかし、実際に月にサブカル文化を持ち込んできたのは姫ではない。
いま彼女に連れられて歩いている、織羽という女性だった。
肩に着くか着かないかの、つややかな黒い髪がさらさらとなびくこの客人は、姫の数少なご友人であり、珍しい地球からの来訪者だ。
「それにしても、こんな明かりの少ない遠くまで、よく毎回お越しになりますね」
ととは後ろの織羽に声をかける。
明かりの少ない、というのは皮肉ではない。地球と比べるとこの地は、昼の時間帯でも薄暗いのだと織羽は言う。
「いやぁ、好きで来てるし、全然構わないですよ。ここは楽しい所ですし」
織羽はケラケラと明るく笑う。
そうして、姫の自室へと辿り着く。
ととが襖を開けると、
「姫様、織羽様がお着きに——」
「あ、織羽ちょっと見てよ! 今度始まるアニメの一覧出てたよ!」
姫は片付けをちっともしてなかった。
○○
とりあえず、ソファーの周りだけでも大忙しで片付けてお茶会を始める。
織羽が話す日本の話を、姫が目をキラキラさせて聞き入るのがいつものパターン。
この日も、そんな流れで和やかに楽しくお茶を飲みかわしていた。
「そう言えば、織羽。”家”には帰った事あるの?」
饅頭を飲み込んでから、姫は話を切り替えてきた。
ビスケットをバリバリと飲み込んで、少し考えこんでから織羽は顔をしかめる。
「あー、あの覗きじじぃ?」
「いやいや。それちょっと言い方ひどくない?」
あまりのひどい言い方に思わず突っ込む。
といっても、覗きじじいというのは嘘では無いだろう。
この二人、見た目はとても若く見えるが、お互い千年くらい生きている長寿同士だ。
織羽は昔々、縁があってとある老夫婦の家でお世話になっていた。夫婦の家計の足しになればと思い、布を織る事にしたのはいいが、自分の羽を織り込んでいたところをおじいさんに覗かれて、ぶちぎれて家出して今に至る。その際、あまりにも飛びすぎて月まで行っていまい、今の交友関係が出来た。日本の時代が明治に入ったあたりで日本に帰ったが、今でも月までちょくちょく遊びにきている。本来の姿や、日本の地上にいるときは鶴の姿をしている。
「そういうかぐやは、月に帰った後は生家には行ってないんじゃないの?」
饅頭をつまみながら織羽は目の前でお茶をすする姫に問い返した。
姫、かぐやと呼ばれた彼女はお茶の入ったカップをもったまま、澄まし顔を作ってこたえる。
「私行ったもん。えーと、鎌倉時代らへんかなぁ。といっても、おじい様もおばあ様も亡くなってしまってたから、紹介してもらって家の跡地と、あとは供養の為に富士の山に登ったよ」
現在月の姫であるかぐやは、日本が平安時代のときに、地球のとある竹林で生まれた。
天上人である故元から美人だった彼女はたいそうもてたらしく、一度に五人の男性をあしらった事もある。
しまいに帝までを虜にした所で月からお呼出しが来て、彼女が帰ってからしばらく日本では、帝があまりにも悲しみすぎて少々混乱していた程だ。
「まぁね。かぐやは私と違って家出じゃないからね。私はごめんだわ、あれだけ『覗くな』て頼んだのに、すぐ覗いてきたんだから」
織羽はそう愚痴ると、ソファーの背もたれによりながら背伸びをし、ついでにクッキーをいくつかほおばった。
その後、あちこちに話題が飛びつつも話は続き、場は少し静寂に包まれかけていた。
「ねぇ織羽。……本当に、行きたいとはおもわないの?」
いきなり話を振られた織羽は一瞬きょとんとし、何の話か察したとたん目が下に落ちる。
「あー、またその話? そりゃあ、何度かは様子を見にいきたいなってくらいには思った事はあるよ。でもさ……今はもう遅いよ。だいたい、おじいさん方もおばあさん方も、親戚とか知らないし」
手に持ってるカップに目を落としたまま、彼女は小さく自嘲気味に笑う。
しかし、それを聞いたかぐやはそれを聞くや否や元気よく立ち上がる。その顔は満面の笑みでいっぱいだ。
「よし! じゃ、いこう!」
「はぁ!? どこへ!?」
いきなりの宣言に織羽は拍子抜けする。
そしてかぐやは、目をキラキラさせたまま息をいっぱい吸い込み、目的地を高らかに告げる。
「とりあえず、まずは、日本!」
「はぁぁぁぁあ!? 何しにいくのさ」