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後編:取り調べ二日目

「高橋君」

 しわが深く刻まれた老齢の刑事が長い話をする前置きをするように言った。目の前に座っていた高橋と呼ばれた青年はうつむいたまま微動だにしなかった。二人の距離は小さな事務用のテーブルを挟んでわずかしかない。テーブルの距離によって向かい合った二人の間合いは制限される。警戒している人ならばテーブルに真っ直ぐにきちんとは座らない。椅子を引いて間合いを広く取るようにして座ることだろう。しかしこの高橋青年は叱られた子供が完全に降参して母親の沙汰を待つかのようにきちんとテーブルに向かって椅子に腰掛け、うつむき加減でじっとしていた。

 取り調べ二日目は始まったばかりであった。

「君に良い話と悪い話の二つがある。どちらから聞きたい?」

 青年は微動だにしなかった。自分にはもはや関係のないことのように刑事の話を聞き流しているかのようだった。事実、高橋青年は取り調べ一日目のうちに自分の知っていることを洗いざらい話してしまったのだ。無職の28歳女性が天井から降ってきた斧により脳天を割られて死んだ事件について、自らが犯人であると認め、その理由と経緯について余すところなく警察に伝えていたのだ。もう自分は能動的に動かずとも法がすべてを彼を居るべきところへと運び去っていくだけだ。

 しかし青年の目の前にいる老齢の刑事にとっては、彼を居るべきところに運び去るにはまだ早いと思われたようだった。

「まだ君の人生はこれで終わったわけじゃない。俺から話があるんだ。そう放心状態にならないでおくれよ」

 青年は少し居住まいをただした。

「どちらから聞きたい?」

「悪い話…から」

 青年はぽつりとつぶやいた。ほとんど聞き取れないほどに小さいその声はしっかりと刑事に届いていた。

「そうか。悪い話は少し長くなるかもしれん。煙草吸っていいか?」

 青年の反応を待たずに刑事は煙草に火を付けた。青年は特に反応しなかった。

「結論から言うと昨日聞いた君の話は証拠として採用することが出来ない。君は現場を一度も見ていないだろうが、それによってこの事件の全体像がはっきりと明らかになったんだよ」

 刑事は煙草の煙をひときわ長く吐いて、話を続けた。

「昨日の君の話には二つ事実と異なる点がある。一つは凶器について、もう一つは被害者の…君のお姉さんの自覚についてだ。

 まず君のお姉さんが死んだ理由は、斧により脳天を割られたことによるものだ。それも綺麗にね。あまりにも綺麗なもので顔面などには一切の外傷がない。それはそれは穏やかな死に顔だったよ。まずこれがおかしい。君の言うさび付いた小さな斧ではこうはいかない。大きくて錆の一切ない高性能なやつでないとね。事実、証拠品として回収した凶器は製造されて間もない新品だった。君の言っていた小さな古い斧は天井裏の片隅に押しやられていたよ。昨日あらためて確認した。おまけに、斧の下にあった板はどかされていた。仕掛けは下から丸見えだったよ。そうでなければあんなに綺麗に斧が降ってくるわけがない。斧は何にも邪魔されずに刃を真下にして直下に落ち、落下先にある椅子にこれまた真っ直ぐ座っていた彼女の脳天にヒットしたんだ。だから、君のつり下げた仕掛けが作用したのは事実ではない。君の作った悪魔の仕掛けは何者かによって改変されたんだ。

 そしてもう一つ、彼女の自覚についてだ。彼女は仕掛けについての存在を認識していたんだ。なぜなら、彼女は天井裏を収納として使おうとしていた形跡があるからね。おそらく彼女は部屋にある品々を片付けようとして、いらないものを段ボール箱に詰めて天井裏に置いておこうとしたらしい。そのときにおそらく仕掛けには気が付いただろう。もちろん普通の人ならそんなふざけた仕掛けがあるならすぐに撤去するに決まっているし、犯人が君だと推測して何か君に言うだろう。しかし彼女はそうしなかった。だから君は昨日、最後まで悪魔の仕掛けの存在は気付かれなかったということを話したんだ」

 刑事は少し間をおいた。青年は黙って話を聞いていた。

 刑事は青年に茶を飲むかと尋ねたが、青年は少し首を振っただけだった。刑事はそれを確認して話を続けた。

「ここからは私の推理だが、おそらく君のお姉さんは君の作った仕掛けを利用して自殺したんだと思う」

 青年はぴくりと動いた。

「君にとって辛い話になるだろうが、どうか聞いてほしい。悪い話だからと言って君に伝えないわけにはいかないんだ」

 刑事は吸っていた煙草の火を消した。

「あくまで推理だ。君のお姉さんは数日前、部屋のものを片付けようとして君の作った仕掛けに気が付いた。それまで天井裏には入ったことさえなかったに違いない。天井裏にうっすら積もった埃はその段ボール箱の跡と、仕掛けをいじろうとした最低限のものだけだったからだ。普段から天井裏を使っていれば埃が積もっていない部分がもっとあるはずだからね。

 たぶんそのときだと思う。そのとき彼女は死を決意したんだ。彼女は無職で酒浸りだと言ったね。君に対して申し訳なさや劣等感を感じていたんだと思う。事実、そうしたいかにも些細な理由が閉ざされた本人にとっては大問題だったりするし、そうしたことは珍しいことではない。彼女は君のために死のうとしたんだ。どうか気を落とさないで、話の続きを聞いてほしい。

 君の仕掛けは君のお姉さんによって3カ所改変された。まず斧が新品の物に交換された。次に斧の下にあった天井の板が取り外された。そして最後に、仕掛けがキッチンタイマーを利用した時限式のものにされたんだ。実に恐ろしい仕掛けだと思う。今まで聞いたことがないほど巧妙で残酷な死刑執行台だ。彼女はその真下に位置するよう椅子を微調整し、最後に自分自身の死刑を執行した。自分を殺すための装置を作って、斧の真下に自ら座るなど常人にはとてもできることではない。それだけの勇気を持ってこのようなことを成し遂げたというのは個人的に驚きを隠せないよ。

 ともあれ、彼女はこうして自殺した。完全に推理だが、これを裏付ける状況証拠はいくつもある。彼女が通販でその凶器を購入した形跡があるし、ごく短い遺書も見つかった。争った形跡もないし、司法解剖により死亡時刻にも不自然な点はない。以上よりこの事件は他殺の可能性がなく、君は単に君自身の作った仕掛けを被害者本人に流用されただけにすぎない」

 青年は涙を流していた。

「刑事としてではなく、個人的に君に深く同情するよ。君はお姉さんの人生が幸福であるよう望んでいたにもかかわらず、彼女自身が死を望んでしまったんだ」

 青年は声をこらえきれず泣いた。いつの間にか外は雨が降っているようだった。

 十数分の長い時間、部屋からは青年が涙を流す音だけが聞こえていた。ややあって雨が小降りになってきたころ、青年の泣き声も少しばかり落ち着いてきたようだった。

「高橋君」

 いつの間にか二本目の煙草に火を付けていた刑事がその火を消した。

「悪い話は以上だ。続いて良い話をしよう。と言っても今の君には良い話をしても慰めにならないかもしれないが」

 窓の外はまだ小ぶりの雨の音がしている。

「君を釈放する。理由はさっき話した内容のとおりだ」

 うつむき加減のままの高橋青年はそのまま放心状態だったので、刑事は立ち上がって彼の肩をたたき、部屋から出るよう促した。彼は意志のないロボットのようにゆっくり立ち上がり、やはりうつむいたまま歩き出した。

 そのまま警察署の出口へ歩いて行こうとする青年を刑事は呼び止めた。

「高橋君。辛いかもしれないが、君の人生はこれからも続いていくんだ。君の姉さんは君の人生にすべてを賭けたんだ。無駄にするなよ」

 刑事はすべてを失ったかのような青年の放心振りに、彼の自殺を恐れているようだった。青年は何も反応せず再び歩き出した。

「おいおい、君にはまだやるべきことがあるだろう」

 刑事は勉めて明るく、冷静に、呆れたような口調を作ってそう言った。どれほど落ち込んでいる人にも最後には笑わせるような、そのような道化の才能がこの刑事にはあった。

「おい山口、こいつを地下1階まで連れていってやれ。仏さんのところな」

 そして青年に向き直って言った。

「君は姉さんに会いたかったんだろう?早くお別れを言ってこい」



 その日の午後に高橋青年が警察署から去った後、山口と呼ばれた若い刑事は老齢の刑事に聞いた。

「彼女の自殺の動機については言わなくてよかったんですか?」

「ああ、伝えるには残酷すぎる。ただの俺の推理だし、あえて明言しない方がいいだろう」

「ええ。彼女は仕掛けを見て弟に殺意があると勘違いしていただなんて、彼に言ったら罪悪感を感じるでしょうね」

「それに、本当にそうだった証拠などどこにもない。刑事としての経験的な確信がそのように推理できるというだけだよ。若い者には前を向いて生きて欲しい。罪さえないなら俺たちの出番は無いし、知らなくていいことは知らずに人生を生きていくのがいいんだ」

 二人が喫煙室の窓から眺めていた空にはもう雨は降っていなかった。もう少しで晴れ間が見えそうなくらいに曇天はもとの明るさを取り戻していた。

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