前編:取り調べ一日目
殺すつもりはなかったのです。
刑事さん、僕はあの姉さんを殺すつもりはなかったのです。むしろ生きて欲しいと思っていました。職を無くして酒をあおるようになって、この世の中に絶望してやしないかと心配していたのです。唯一の肉親として、姉さんが無事に生きていくことを誰よりも願っていたのは僕なのです。
しかし刑事さんの言うとおり、僕は姉さんを殺してしまいました。事故と言ってしまえば簡単なのですが、僕は殺意のないままに姉さんの命に手を掛けてしまいました。姉さんの脳天に斧を振り下ろしたのは僕です。
正確に言えば、姉さんに殺意を持っていたのは過去の僕です。そして発端は7年前にさかのぼります。
7年前、僕は中学3年生、姉さんは高校3年生でした。姉さんと僕は些細なことで大喧嘩をしました。詳しくは覚えていませんが、便器の蓋を閉める閉めないといった本当にどうでも良い内容だったように思います。エスカレートした喧嘩は姉の部屋の壁に穴を開け、僕の部屋は水浸しになり、互いの部屋中のものは散乱するという異常な事態になりました。姉さんも僕も無茶を厭わないほどに若かったのです。
そのとき、僕は姉さんの部屋の屋根裏にある仕掛けを施しました。それは怒りにまかせて作ったにしては巧妙な仕掛けでした。
直径40cmほどのブリキ製のたらいをワイヤーロープで吊り、ロープの一端は不安定な構造物に固定しておき、さらには空中に浮いたたらいは真っ直ぐ天井を突き破って落下するよう、天井の一部を目立たないような薄い板に変えておいたのです。下から見上げても天井が張り変わったことが分からないように細心の注意を払いました。それは今の自分が見てもぞっとするような出来でした。僕は怒りにまかせてとんでもないものを作ってしまったのです。もし金属製のたらいが下にある姉の勉強机の下に落ちたら、頭や腕を骨折する可能性があるかも知れません。しかし怒りに狂った僕はそれを成し遂げてしまいました。
仕掛けを作ってしばらくして、喧嘩は自然に消滅しました。それで、僕はその仕掛けのことなど忘れていました。
姉は僕の意図通り、その仕掛けに気が付くことはありませんでした。そして、仕掛けは放ったらかしのままで2年ほどの時間が経ちました。
次にその仕掛けが登場するのは今から5年前のことです。僕は高校2年生、姉さんは短大の2年に通っていました。このときもまた姉さんと僕は喧嘩をしました。きっかけは姉さんが家に連れてきた男が気に入らないとか、そんな話だったように思います。
その時は喧嘩というより、相手にしたくない姉さんに僕が一方的に突っかかっていったような感じでした。しかし当時の僕は頭に血が上りきっていました。誤解してほしくないのですが、僕は普段それほど怒ることはありませんし、ましてや怒りに我を忘れるような性格でもありません。しかし過去に僕がもっとも怒りを感じたのはこの2回の喧嘩のときなのです。数ある人生のイベントのなかでこの2つがなぜとりわけ怒りに感じられたのか今の僕にもあまりよく分かりません。しかしとにかくこの時は、僕は怒りに体が震えるほどに血が上っていたのです。
そのとき、僕は姉さんの部屋の上の仕掛けのことを思い出しました。後で確認してみると、その仕掛けは何一つ変わらないまま天井裏にありました。僕はその仕掛けをより凶悪なものに替えることを思いつきました。
何と言うべきでしょうか。たらいの代わりに斧を吊すことを思いつき、それを実行するに至ったその時の僕ほど恐ろしいものはありません。何もかもが異常だったのです。
斧はとりわけの注意をもって吊されました。ワイヤーロープは以前と変わらず不安定な仕掛けに繋がれていて、何か揺れたり動物が通っただけでも斧は落下してしまうでしょう。斧はずいぶんと年月が経ってほとんどさび付いているのですが、そうは言ってもたらい以上に危険な金属の塊であることには違いありません。
僕はその仕掛けを作った後、流石にそのまま斧を落下させることに抵抗を覚えたようです。少しの冷静さを取り戻した僕は、斧の下にある薄い板をもとの厚い板に戻しておきました。これは天井裏を僕が這い回っても踏み抜くことがなかった丈夫なものです。それに、斧は本格的な大きな斧ではなく、家のガレージに捨て置かれていた小さな斧です。ワイヤーロープが切れたとしてもこの厚い板に阻まれて部屋の中までは落下しないと考え、僕はそうしました。
僕は作業をすることで、わずかながらに溜飲を下げて自分を冷静にさせようとしていたのです。本当に殺そうなどとは思っていませんでした。
しかし姉は死にました。
このとおり、姉を殺したのは僕ですし、罪があることは認めます。しかし刑事さん、僕は肉親として姉さんに深い愛情を抱いていたことと、自分がやったことに強い後悔を抱いていることは信じて欲しいのです。刑事さん、それは自白としてではなく、私がこの一件について告白することになった一人の聞き役として、一人の人間としてどうか信じて欲しいのです。




