【実録】19号の魔女
意識が朦朧として薄れていく……。
ああ、終わったわ……。
母さん……俺……やっちゃった……。
――それは199X年の春だった。
当時、俺は新宿歌舞伎町のカジノで黒服をやっていた。
店の営業時間は十八時〜三時迄。
まあ他も大体そうだが、パチンコと同様に三点交換方式で、元々違法換金だが、更に零時以降営業で風営法違反のいわゆる『闇カジノ』だ。
なので深夜零時を回ると入口のシャッターを閉め、ガサ入れ対策としてエレベーター下に見張りがつく。
客が帰るのは午前三時。
俺達スタッフが店を出るのは三時半だ。
当然、動いてる電車などない。
帰宅はタクシーかマイカーに限られる。
店側の経費削減のため、数人いたマイカー通勤のスタッフはマイカー手当と引き換えに、他のスタッフを自宅まで送り届ける「送り」という役割を担っていた。
その日、俺は自宅が遠い後輩の今野を乗せることになった。
今野は俺と同じ中肉中背、茶髪に耳ピアス、色白で醤油顔、全体的にいかにも当時のイケメンって感じだった。
可愛がっていたのもあり、俺は以前から彼のことを「コンコン」と呼んでいた。
「おいコンコン、ちょっと忘れ物したから途中で俺んち寄ってくわ」
「ういーっす」
当時、俺は黒の四ドアセダンに乗っていた。
今野は当然、助手席だ。
割と店から近かった俺の家は、鉄筋コンクリート造の四階建てアパートだった。
「すぐ戻るから待ってろ」
今野を車内に残し、俺はエレベーターのないアパートの階段を駆け上がった。
(!?)
二階の踊り場付近で、黒い陰の塊とすれ違った。
その刹那、ドクン、と心臓が跳ねた。
悪寒が背中を駆け抜け、全身が鳥肌で覆われた。
あまりの嫌な気配で立ち止まりかけた。
(長髪の女? でも足音もしないし、およそ人の動きじゃない)
とても気にはなったが、俺は急いでいた。
その物体もそのまま音もせず、すうっと階下に消えていったので、気のせいだと自分に言い聞かせながら、四階の自分の部屋に滑り込み、忘れ物を持って階段を降り、車に戻った。
(!?)
再び全身が鳥肌に覆われる。
なんと、後部座席の真ん中に、明らかにさっき階段ですれ違った物体の正体が乗っていた。
「おい、コンコン! なんで勝手に女乗せてる!?」
「ちっ違うんっす! なんかいきなり入って来たんで、先輩の知り合いかと」
「おい! お前誰だよ? なんで勝手に俺の車に乗ってるんだ?」
「……」
(何なんだ? この女は? 気味悪りーな)
女の外見は、真っ黒のワンピースで、ロングの髪は細かいパーマが当てられており、鼻は鷲鼻。
全体的に細身で中背の女だった。
(そもそも手荷物もなんにもねぇじゃねーか? 今時そんな女いるか?)
ガリッ、ガリッ。
(マジで気持ち悪りーな。よくわからん錠剤か何かかじってやがる)
すると、無言だった女が急にしゃべり始めた。
「助けて、私……怖い人たちに追われてるの。お願い、急いで車を出して!」
そう言いながら、すぐに発車して欲しそうな目で訴えてくる。
(薬でラリってるのか?)
「どうするか考えるから、お前はそのままそこで待ってろ」
「……」
「コンコン、ちょっと外出るぞ」
「うっす」
と言って、二人で車の外に出た。
作戦会議だ。
「先輩どうするんすか?」
「うーん、変な女だな。見た目も魔女っぽいし」
「降ろしますか?」
「ちょっと待て、今考えてる」
(一体なんだあの女は? ただのメンヘラか? それとも薬でラリってるのか?)
しかしこの時、俺の気持ちに明らかに変化が表れてきていた。
不良(※ヤクザ等を指す隠語)――とまでは言わないが、俺は仮にも歌舞伎町の闇カジノで換金迄まかされている本来イケイケな男だ。
(うーん、事情はよくわからんが、見た目は実際それほど悪くねーんだよなー……)
「おいコンコン! お前あの女とヤリたい?」
ニヤけながら俺は聞いた。
「え!? 何言ってんすか急に! 先輩もなかなかぶっ飛んでますね?」
今野は驚いた顔でこちらを見る。
「じゃあお前送った後、俺が貰っちゃうけど、本当にいーのか?」
含み笑い付きで俺は返す。
いかにも経験豊富な先輩が、更に威厳を示す為に、後輩に女をあてがってあげるという構図だ。
「流石、俺に百人斬りを豪語するだけありますねー。そんな先輩好きっす。今回は俺が貰いましょう! ちょうど別件で、今日から抗生物質を飲むところだったし」
今野はそういって下品にニヤついた。
解説すると、万一、性病を貰っても一緒に治せますよ、というコンコンギャグだ。
「まあ、最悪お前となら3Pイケルしな。まだやった時ねーけど」
「ははは、ノーコメントで! とりあえず場面にまかせましょう」
今野は本当に調子良いやつだったが、俺はそんな所が嫌いじゃなく、可愛がってる要因でもある。
二人は車に戻る。
「とりあえず追われてるなら、この場から移動して少し匿ってやる」
「え!? 本当にいいの? とりあえずこの場所から早く出たいの」
前職ホストで女慣れしてる俺の話術は流暢だった。
「いいよいいよ気にすんな。俺ら暇だったし、とりあえずここを出て落ち着ける所に移動しよう」
「ありがとう」
(イケル確率60%)
心の中の悪い俺が呟いている。
俺の向かう先は、当然のようにラブホテルに決まっていた。
ホテル街に入って俺は優しく言う。
「とりあえず君の相談に乗りたいし、俺らも仕事で疲れてるから、一旦この辺りで休憩とろう。帰りもちゃんと送ってやるよ」
「わかった」
(イケル確率80%)
三人を乗せた車が到着する。
そこは俺の行きつけの、まあまあ古いラブホテルだった。
どうせ俺持ちだしと、安い行きつけのラブホをちゃっかり選んだ。
車から降り、三人で入口自動ドアの中に入る。
相変わらず入口には人はいない。
(おっ! 一番安い部屋が空いてんじゃん! ラッキー、今日はついてるな)
部屋内容と料金案内パネルの中から、すかさず安部屋ボタンを押す俺。
相変わらず女に拒む様子はない。
(イケル確率90%)
部屋に入ると、早速今野がお風呂を溜め始めた。
(コンコン、ノリノリじゃねーか!)
しかし、ここでラリってたと思ってた女が、突然しっかりした口調で話し始めた。
ここからまさか俺もコンコンも、恐怖の連鎖が始まるとは全く予想だにしていなかった。
「実は私、ある施設を脱走して追われてるの」
「そっ、それを聞こうと思ってたんだよね、俺らも。大丈夫?」
「私の名前は【19号】」
(その呼び名は誰が聞いてもおかしいだろう)
「まあ、その施設で先生につけられたんだけどね」
(てかコイツどう考えてもそれ、宗教の教団員か何かだろ)
「それで?」
(おいコン! そんな話どうでもいいって! 多少変でもやれればええやんけ! 失敗確率が10パーから増えるパターンやぞこれ)
「私、下っ端だけど少しだけ魔法が使えるの」
「どんな?」
(もうええって)
「そこの椅子の上に置いてある、お兄さんのカバン見てて」
「おう」
女が右手の掌をカバンの方へ向けて開いて伸ばす。
すると――。
ズズッ、ズズッ。
なんと、カバンが生き物のように十センチ程動いたのだ。
「おっ、おお、お前なかなかやるなあ。で、どんなトリック?」
(確かに非現実的だ。コンコンがそう思うのも無理はねえ)
「ウフフ。確かにそこならさっき私も近くにいたしねー」
一瞬、部屋の温度が下がっていくような感じがした。
「じゃあこれはどう? あの時計の針をよく見てて」
そう言うや否や、女は右手の人差し指を壁掛け時計の方に向け、ゆっくり少しずつ回し始めた。
すると――。
ググッ、グルッ。
四時丁度で十二の文字を差していた時計の長針が、短針と同じ四過ぎ位の所まで動いてぴたりと重なったのだ。
(あっあり得ねえ。今偶然入ったばかりの部屋で、あの時計の位置に仕込みようがねえ)
今野が尊敬の眼差しで女に言う。
「マジか!? お前すげーな」
「でしょー?」
(見た目どおりの魔法使いじゃねーか!)
「とりあえず俺、風呂止めてくるわ」
「必要ないよ」
「え!? なんで!?」
「フフフ、今私がお湯止めたから」
「本当だ。止まってる」
「フフフ、あなた達も私程度ならすぐに使えるようになるよ」
「ほっ、本当か?」
「モチロン! すぐにでもパワーをあげるわ」
「やったー!」
「とりあえず儀式を始めるから、二人とも裸になって」
「え!? 裸になるの?」
「ウフフ、どうせ元々裸になる予定だったんでしょ?」
「ハハハ、おっしゃる通りです」
何の疑いもなく笑う今野。
(それなりの場数を踏んできた俺の勘が告げている)
(このパターンはヤべー)
「おいコン! 帰るぞ!」
「え!? でも俺らにパワーをくれるって」
「そうよ、あなた達帰っちゃ駄目よー。そろそろ先生も来る頃だと思うし」
「うるせー、いーから帰るっ……」
(え!? 先生がここに来る?)
「先生の魔法は、私みたいな下っ端なんかよりめっちゃ強力よー」
三度目の鳥肌が全身を覆う。
魔法らしきものを使い出してから、女が別人のように饒舌に話し出す。
「なんか、施設の他のメンバーから『人がいっぱい死ぬ』みたいな噂が出て、怖くて私と21号で脱出したんだけど、彼は途中で私達を追ってきた車に私をかばって跳ねられて捕まってしまったの」
(これ、やっぱ例の『宗教』だろ!)
俺の脳裏を、ある不吉な予感が支配した。
無理もない。
つい先日、世間を震撼させた未曾有の化学テロが起きたばかりだったからだ。
連日テレビで流れる、あの異様な教団の光景が、目の前の女と重なって吐き気がする。
「それで私、今更気づいたの。身体のどこかに発信機とかつけられてるかもって。だからもうすぐ来ると思うわ。私は先生達のお気に入りだから殺されはしないと思う。初めて会うあなた達にはきっと宇宙のパワーをくれるわ」
「先生は空中に浮いたりもできるよ」
(……完全にあの長髪デブの教祖じゃねーか!)
今野は何かに魅入られたように真剣に話を聞いている。
「コン! 今すぐ帰るぞ!」
名残り惜しそうな今野の腕を強引に引っ張り、荒々しく女に言った。
「おいお前! 俺らはもう帰る! 部屋代だけ払っておいてやるから何も使うな! 財布すらねーんだから冷蔵庫のドリンクとかも飲むなよ!?」
今野を半ば引きずるように部屋を出た。
ドアが閉まるどうかのタイミングで、今迄聞いた事のないお経のような気持ちの悪い歌声が廊下まで漏れてきた。
「今のなんすか? お経?」
「どーでもいーわ、とにかくやべぇだろ」
(てか本当どうでもいい。ただただ気持ち悪りぃ)
(一刻も早くこの場から離れてぇ)
足早に移動する俺に、今野はなんとかついてきた。
バタンッ。
勢いよく車のドアを閉めた俺は、すぐに発車する。
脳がテンパってて思考が定まらず、どこに向かってるかもわからないまま車を飛ばしていると、駐車場のある二十四時間営業の喫茶店が見えたので、とりあえず落ち着こうと思い、車を停めて二人で入った。
朝方の為、客は少なかった。
窓側の四人掛け席を二人で陣取り、すぐに店員を呼んで気分が落ち着きそうな飲み物を頼む。
今野はコーヒー、コーヒーが苦手な俺はミルクティーを頼んだ。
「コンコン、あの女実際超ヤバクネ? 地雷なんてもんじゃねーだろ!?」
「っすねー。ただのメンヘラかと思ってたら魔法使い出しましたからね」
「手品以外の物体移動なんて、生まれて初めてだぜー」
「俺もそうに決まってるじゃないっすか。時計のなんてアレ事前準備不可能すからね」
「!?」
「先輩! 後ろっ!!」
今野が俺の後ろを指差しながら目を見開く。
ビクッ!!
心臓を掴まれたような感覚でキュッと締め付けられた。
「ハハハハハ」
嘘だった。
「……テメー殺すぞ!? 今度やったらマジで殺すからな」
「ハハハ、てゆーか、あの女ならあり得ますよねー」
「イヤ実際、十分あると思う」
「俺、今日家帰っても暇なんすよねー。先輩ん家で仮眠してパチ行かないすか? 俺シフト入ってないから今日休みだし」
「馬鹿野郎! 俺はバリバリ出勤だわ」
「てゆーか、さっきドリンク持ってきた女の子、めちゃ可愛くないすか?」
いつものくだらない会話をしているうちに、ふとお店の時計を見ると五時になっていた。
「とりあえず、お前送ってくわ」
「先輩、今からびっくりする事言っていいすか?」
「さっきみたいに急なヤツじゃなきゃ別にいいよ」
「いいすか?」
「だからいいって」
「――さっきのホテル戻って、女がどうしてるか見に行きません?」
「何!?」
外が明るくなってきたせいもあり、冷静さを取り戻した俺達は、ここでとんでもない思考に走る。
「だって、実際のところ魔法なんて使えるようになったらマジ凄くないすか? 万一なれなくても最悪、みんなへの土産話にもなるし、拉致られたりでもしない限り損する事なんて何もないっすよ?」
(やっぱり使えるようになりたかったんかい)
「たしかにな」
「ですよね。本当に魔法使えるようになったら、億万長者間違いないっすよ?」
「実際そうだよなー。今の生活から成り上がれるよなあ」
「先輩は換金迄まかされてる幹部社員だから給料いいっすけど、俺なんて時給千円すよ?」
「ハハハ。よし! じゃあ、コンコン行ってみっか?」
「行っちゃいますか? てか最悪、二、三人ヒョロガリ信者のやつらがいた所で、俺と先輩の最強コンビなら逃げる事位は余裕っすよ?」
(ヒョロガリて決めつけんな!)
「そうだな。俺、車に特殊警棒積んでるから、一応持ってくとするか」
「ハハハ、てか先輩! そんなもの普段から何で積んでるの? 誰と戦うの?」
「馬鹿野郎! 俺は『イザ』という時の為に常日頃準備してんだよっ」
「ハハハ、流石っす。先輩流石っす」
実はこの時、ほんのかすかだがイヤな予感はあった。
(もし、魔法か何かで身体の自由を奪われたら……)
阿呆二人がノリノリでさっきのラブホに戻る。
――現地到着。
「ヤツまだいますかね?」
「わからん、全くわからん。ああいうメンヘラもどきの行動なんて、その辺のカリスマホストでもわからんぞ」
「ですよねー」
一見無人の入口を通過し、さっきいた部屋にいってみる。
厚いドアをゴンゴン、とノックしながら中の女を呼ぶ。
「おーい、戻ってきたから開けてくれー」
……。
二回程呼んだが返事はない。
しょうがないので一階のフロントに行き、在中スタッフに心配だから戻ってきた旨を説明し、女がチェックアウトしたか尋ねると、まだしていないと言う。
しかも延長しただけではなく、電話機も使い(※当時携帯所持者は少ない)有料のビール等も飲んでると言う。
(アイツ、金持ってねーから俺、『使うなよ』って言ったやんけ)
お金を所持してない事実と、ノックに反応が無くて心配な旨を説明すると、フロントの男が若干面倒くさそうに鍵を開けてくれて、そのままスタスタと戻って行ってしまった。
再び徐々に恐怖感が戻ってきた事に、お互い気付いていた。
二人で恐る恐るドアを開けるが、部屋がL字構造でベッドがある辺りは見えない。
「おーい」
呼んでも相変わらず返事がない。
勇気を出して二人でゆっくり部屋の中に入って行くが、女は見当たらない。
ドアが開けっ放しの冷蔵庫が見えたが、中に入っていたビール等が全部なくなっていた。
テーブルの中央に、お酒が奇妙なバランスで、塔のように積み重ねられている。
何故か小声で今野が言った。
「うわ~ヤツ、全部飲んじゃってますね」
(そっち?)
お風呂の方から水の流れる音がする。
もう開けるしかない。
怖じ気づいた二人は、急遽、どっちが開けるか小声でジャンケンをする。
負けた今野が、恐る恐るドアを開ける。
――開けた瞬間。
物凄い熱風の蒸気が俺たちの方に溢れてきた。
風呂場の床を、真っ赤になった熱湯が流れている。
その湯気の中に、あの女が後ろ向きで立っていた。
そして彼女がゆっくりとこちらを振り返ったのがわかった。
湯気の中から、徐々に女の顔が見えてくる。
その瞬間、今野がその場に尻もちをつきながら絶叫した。
ドスンッ。
「うわあーーー!!」
振り返ったその顔は、もはや人間のそれではなかったのだ。
口角が耳元まで吊り上がり、口裂け女の様な形相をした女が、袖をまくりあげた左手首を、なんとカミソリで切りまくっているのだ。
サクッ! サクッ! サクッ!
切る度に真っ赤な鮮血が吹き流れていく。
「ねえ見て! 私、絶対死なないから見てて!」
サクッ! ギチッ、サクッ!
切り口も骨まで達しているかのような深さだ。
「うわあーーー!!」
流石の俺も叫ぶ。
「どう? ちゃんと見てる? ほら、こんなんじゃ全然死なないし!」
女の瞳孔は完全に開いていて、まばたきすら一切ない。
(ヤベー、この女マジで狂ってやがる!)
血みどろの熱湯の中で、仁王立ちしている。
(アレ? これマジで超まずくね? コイツに死なれたら、ここもう事件現場じゃん!)
全く機能しない頭で、必死に最善を探す俺。
(とりあえず、止血だ!)
「おいコン! そこのタオルを寄越せ!」
「はっはい!」
俺の指示にいつも即反応してくれる今野が、すかさず俺にタオルを投げる。
「先輩!」
女はリストカットを止める事なく切り付け続けている。
キャッチした俺は女の右手を押さえつけ、左手首にタオルをグルグルと巻きつける。
興奮したせいか、自分でも信じられない力で女を身体ごとベッドにぶん投げる。
「コン! 押さえつけろ!!」
「はい!」
ジタバタと激しく抵抗する女。
「落ち着け! 19号!!」
すると女は一瞬『ビクッ』とした反応を見せ、動かなくなった。
顔も先程の悪魔のような形相から、以前の落ち着いた感じに何故か戻っていた。
「コンコン、とりあえずお湯とめてこい」
「うす」
「おいお前、落ち着いたか?」
「うん、大丈夫、本当に大丈夫だから」
(どこが大丈夫なんだ?)
「……たまにやるのよね、私」
よく見ると右手首にもリストカットの古傷がビッシリあった。
傷の所には【19】という数字の焼印が、深く刻まれているのが見えた。
(この女、本当に19号だったんだ)
「やばいすよ先輩! お湯絶対八十度位ありましたよ!」
二人で女の両足も見るが、何故か火傷や痛んでいる様子が全くない。
しかし俺たちは女の事をイチイチ深く考えるのはやめていた。
真面目に考えるだけ無駄のように感じていたからだ。
誰に電話していたか等、聞こうと思っていた重要な質問も、興奮で忘れてしまっていた。
「とりあえず止血したら精算して、バレないようすぐここを出るぞ?」
三人で逃げるようにホテルを出た。
そして俺は自然と今の気持ちを女に告げた。
「スマン! 俺ら正直、お前とはもう関わりたくない!」
「……魔法会得は正直残念だけどな」
(この期に及んで馬鹿なのか? もうコイツとつるむのも辞めようかな?)
「三千円だけカンパしてやるから、これでどっか帰れ」
女はお金を受け取ったが、返事はしなかった。
「じゃあな! 気をつけて帰れよ」
(何を気を付ける?)
再び車を発進させる。
もうすっかり朝日が昇っていた。
朝日が車内を照らす。
「うわ!」
「どした? これ以上事件はいらんぞ!?」
「先輩、あの女何かかじったような爪を後部座席にいっぱい落としてますよ?」
「マジか! 汚ねーな、誰が片付けると思ってんのよ!?」
(クソッ! あの女、マジでムカツク!!)
異様な出来事の連続に、俺の身体は憔悴しきっていた。
「コンコン、もう今日は俺本当に疲れた。とりあえず家送るわ」
女を置いて発車した車は四つ目の信号で捕まった。
その時、後部座席から何か異様な気配を感じた。
バックミラーを見ると、なんと。
別れたはずの女が後部座席に乗っている。
「ウワッ!!」
俺は驚きで思わず声が出た。
「はっ!?」
今野も慌てて振り返る。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい。これ以上問題起こさないから見捨てないで」
正直、俺はもうどうにでもなれ状態になった。
完全に疲労による倦怠感に覆われていた俺にはもう、どうやって後部座席に座れたのか聞いたり、ヤバイ女を諭して再び車から降ろす気力など残されていなかった。
だが最低限、この問題は片付けなければならない。
「まず、ケツの下に散らばってる爪を拾って窓から捨てて、金を返せ! そしたら他県じゃないなら頑張って車で送ってやるから、行きたい場所を言え! そして今ここで、【俺らには二度と会わない】と約束しろ! それが送迎の条件だ!」
「わかった。あなたから少しだけ優しさを感じるから約束するわ。【あ・な・た・達・とお別れしたら二度と会わないわ】」
その時のその言葉の意味を、俺達はまだ解っていなかった。
「てゆうかさー、お前さっきのワープみたいな技使えんなら、それで好きなとこに行けばよくね?」
「私、下っ端だからそこ迄は無理に決まってるでしょ」
(んなもん知らんがな)
「あっ! でもいまだに先生が私のとこにテレポしてこないって事は、先生もまだそこ迄じゃないんだわ」
(テレポてなんだよ? FFか? てか先生って、この女より更に化け物なら死んでも会いたくねーな)
「それで最後の送り先はどこなんだよ?」
「ほとぼりが冷めたと思うから、さっきあなた達と会ったアパートに戻りたい」
(しっ、しまった! それ俺の家じゃん!!)
「わかったわ、送るわ」
(ヤバイな、落ち着いて考えろ。待てよ? この女とすれ違ったのは二階位だし、俺の部屋迄はバレてない。なる早で引越か? クッソ、まだ一年も経ってないのに、敷金とか全部パーやんけ)
「なあコンコン! さっきのアパートの友達起きてるかなー?」
「えっ? え? あっ! そうすねー。起きてるといいすねー」
それから俺はなるべく車内での会話を減らした。
途中で今野が女に「ちょっとだけ魔法を教えて」と言った時は、本当にぶん殴る所だった。
「おい、着いたぞ」
「今日は本当にありがとう。あっ!?」
ガチャ、ドサッ。
「え!?」
車のドアを開けながら、女は地面に座り込んだ。
「なんだか身体に力が全然入らないの。ひょっとして貧血かしら」
「大丈夫か?」
(流石にこの女も、あんだけ血を流せば、まあこうなるよな。アホなのか?)
「最後の優しさで二人で部屋迄肩貸すから、解散したら二度と……」
「わかってるわ。それより本当に最後のお願い、冷蔵庫にポカリとかあるから、そこまで連れてって、お願い」
「わかった、約束したぞ」
俺はしつこく念を押した。
車を大丈夫そうな所に止め、二人で女に肩を貸し、アパートの階段を上がる。
「何階の何号室?」
「四階の404号室よ」
(まずい! よりによって俺ん家の401号室の向かいやんけ!)
(イヤ、でもおかしいぞ!? 向かいは知り合いのホステスの部屋のはずだけどな。この前も会って挨拶してるし)
そうこうしてるうちに404号室の前についた。
「着いた、これで安心と」
(何が安心なんだよ?)
女はドアノブを回し、いきなりドアを開けた。
(そりゃそうか。鍵も何も持ってないんだから)
「ごめん、冷蔵庫のとこまでお願い」
「わかってるて」
狭い玄関で三人でなんとか靴を脱ぐ。
ふと見ると、玄関の隅に、ここの住人であるホステスが履いていた見覚えのある派手なピンヒールが、黒いゴミ袋に無造作に突っ込まれていた。
そして、女がリビングのドアを開けた瞬間。
「!?」
真っ黒の遮光カーテンで閉め切られた暗い部屋に、何やら甘い香りのする白い煙が立ち込めている。
奥には灯りのついた蝋燭と、既に煙がユラユラ立ち昇ってる線香らしきものも見えた。
「え!? 私消してきたはず……」
女は驚いてみせたが、その口元がピクリと歪んで笑った気がした。
三人で仏壇らしき方向に近づいていくと、ラジカセからホテルで聞いたお経らしき音が聞こえてきた。
「こわっ!」
「え!? なになにー?」
そのとき、突然俺たちの真後ろから声がした。
「お帰り、19号」
ビクッ!!
「え!?」
「え!?」
同時に驚いた二人がおそるおそる後ろを振り向くと、長髪のデブが白装束のようなものを着て、映画でしか見ないような分厚いマスクを装着して立っていた。
「あっ、先生!」
「えっ!? 先生?」
(コンコン、多分ピンチだ!)
「あっイヤ、俺らすぐ帰らなきゃいけないんで」
「近いから大丈夫だろう? 君の家はすぐお向かいさんだしねぇ」
(!? バレてる!)
「ホテルから連絡をくれたイキのいい二人ってこの子たちだね? 喋らなくても僕にはわかるよ。君達の期待してた魔法の儀式も今すぐ始めるから」
「ほら、私のいったとおりでしょ?」
「先輩、どうしよう?」
(馬鹿野郎! ピンチだって!!)
「コッコンコンもパ、パチンコ行くんだろ? もう帰るぞ!」
今野の手を引っ張り、先生の横を通りドア迄行こうとすると……。
ドアのすりガラスの向こうに、モゾモゾと動いている水色のお揃いの服を着た数人の影が見えた。
(しまった! 警棒、車だ!!)
その辺の不良達とは全く違った異質の怖さに足が震える。
いつの間にか女迄、分厚いマスクをしている。
膝がガクガクして下半身に力が入らない。
(これが人生初の腰砕けってやつか?)
それだけじゃなく身体全体うまく機能しない感じだ。
(煙か?)
「ウフフ。あなた達もこれから私のように生まれ変わるのよ」
「約束どおり、【あ・な・た・達・とは二度と会わない】わね」
「先輩、眠い、怖い……」
目の前で今野が膝から崩れ落ちた。
「コン・コ……寝・るな?」
遂に呂律までもが回らない。
同時に強烈な眠気が身体を襲う。
(詰んだか!?)
「センパイ、うご……けない……たす……けて……」
今野の瞳から光が消え、うらめしそうな顔でこっちを見ている。
「コン……本当に……スマン」
これ以上ない絶望の状況下に、自然と涙が溢れ出る。
意識が朦朧として薄れていく……。
ああ、終わったわ……。
母さん……俺……やっちゃった……。
薄れゆく意識の中で、二人の声がする。
「コイツら、30号と31号で合ってるか?」
「先生しかわからないよ」
「グフフ。そうだったな、グフフフ……」
……おかあちゃん……ぼく……ごめんなさい……。
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