第5話 膝枕のち曇り
「……ん、んっ……」
温かい深海から水面へ浮上していくように、俺の意識は徐々に現実に戻って来る。
どうやら、いつの間にかに、寝落ちしてしまっていたようだ。
「ん……?」
その時……周りから、フローラル系の良い匂いがしていることに気づいた。
それだけじゃない。
俺の頭の下に、やけに温かくて柔らかなものがあるような……?
「――大丈夫ですか?」
その時――真上から、声がした。
なんだ、と思って、見上げると――
――そこには、俺の顔を心配そうに覗く月乃の姿があった。
もしかして、俺――
「――ひ、膝枕されてるのか?!」
俺は慌てて飛び起きようとする。
だが――月乃にガシッと両肩を掴まれた。
「ダメですよ、安静にしていなきゃ……!」
「え……いや、でも……」
意識すればするほど、感覚は敏感になっていき、フローラルな良い匂いと太ももの柔らかな感触が、強調されていく。
これは……なんというか、健全な男子高校生には刺激が強すぎる……!
俺は、再び、起き上がろうとするも――
――次の瞬間、月乃は、瞳を不安で揺らし、彼女の目からは光が消えていく。
「……もしかして、私の膝枕じゃ、ダメでしたか? 全然柔らかくなくて痛かったですか?」
「い、いやいや! そんなわけないよ! こんな可愛い子から膝枕されたら、嬉しいに決まってるじゃん! ……でも、ちょっと恥ずかしかったというか……」
「そ、そういうことでしたか……! ごめんなさい、勘違いしてしまって……ッ!」
月乃は、勢い良く頭を下げる。
「……ごめんなさい。私、今、凄く面倒臭かったですよね。彼女でもないのに、膝枕して、否定されたと思ったら、勝手に絶望して……ああああああ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
そして、彼女は絶望した表情で、謝罪を繰り返す。
……うん、これは……雪那よりも重症かもしれない。
「えっと……別に謝る必要はないよ? さっき言った通り、俺は嬉しかったわけだし……」
「……ありがとうございます。ユウさんはやっぱり、優しいですよね……」
そう言って、俯く月乃。
どうやら……逆効果だったらしい。
昨日から疑問だったんだが、どうして俺がポジティブな発言をする度に、逆にみんなの表情が曇っていくのだろうか。
……わからん。
一旦、そのことは忘れて、俺は気になっていたことを月乃に質問する。
「そういえば、どうして膝枕を?」
「すみません。ユウさんが、寝ている時に辛そうな表情をしているの気づきまして……何か、助けになれないかと思って、膝枕なんてしてしまいました」
「そういうことか……! 善意でやってくれたことなら、月乃が謝る必要なんて、無いよ」
俺は、月乃に優しく微笑みかけた。
「そう……ですか」
月乃は、うつむきながら、小さく相槌を打った。
……一旦、話題を逸らすか。
すると、話題……というか、質問したいことは、すぐに見つかった。
「そういえば、なんだけどさ……俺の部屋がやけに豪華なのは……どうして?」
俺は部屋を見渡しながら、そう言った。
清潔な部屋。
やけに気品を感じる看護師や医者。
そして――窓から、綺麗な海が一望できるという好立地。
入院したことのない俺でも、この病院が、随分と良い場所であることは流石にわかった。
「ああ、この病院ですか? 実は、会社のコネを使ったり、三人でお金を集めたりして、都内で最も良いサービスが受けられる病院を選んだんです。どうやら、有名な会社の社長や芸能人も御用達の病院らしいので、質は良いと思います」
「そ、そんな……! 別にそこまでしてもらわなくても良かったのに……ちなみに、入院費とかって……?」
「それは……ふふっ」
月乃は、返事の代わりに、小さく笑い声を漏らした。
……うん、聞かないほうが良さそうだ。
「――でも、それ以外にも、色々とさせていただきましたよ」
「え?」
「例えば……お父様を脅して――じゃなくて、お願いして、大量の資金を提供してもらい、最上級の医療を施したり、病院の人たちに追加でお金を払って、ユウさんの治療を誰よりも優先してもらったり……」
月乃は、暗い瞳を揺らしながら、仄かに微笑むと――
「それと――少し違法な薬を使ったり……」
「い、違法……?!」
「はい。とはいっても危ない薬物ではありませんよ? 適切に使う分には何ら害のない薬ですから」
「そ、そっか……」
違法……。
月乃は、俺を治療するために犯罪すら犯したっていうのか……?!
……く、狂ってる。
普通、そこまでするか……? バレたら捕まったりするんじゃ……。
月乃の言葉に、思わず顔が引きつってしまった。
――それが間違いだった。
「――ユウさん、どうして……顔を引きつらせているんですか?」
「あ……いや、これは……」
「でも、法を犯すくらいしなきゃ償えたことにすらならないんです……貴方の苦しみに比べたら、このくらい……ちっぽけなものだから……」
月乃は、顔を上げた。
月乃の表情は、怯えや焦燥、恐怖など様々な感情に染まっていた。
なのに……口には薄く笑いを浮かべていたのだ。
明らかに異常だった。
人の真似をするロボットがエラーを起こしたら、きっと、こんな表情をするのだろう。
そう思えるほどに、月乃は壊れていた。
「つ、月乃……一旦、落ち着いてくれ! 俺の苦しみに比べたらって……別に俺は足を怪我しただけだぞ? 法を犯すのは……やりすぎじゃないか?」
「……それは……」
月乃は、ハッとした表情で数秒、考えると……
「そうかもしれません……どうして私、こんなに罪悪感を抱いてるんでしょうか……?」
花恋や雪那と同じく――困惑するような表情を浮かべた。
彼女は惚けるための演技をしているのではなく――心の底から困惑している様子だった。
……同じだ。
花恋や雪那が見せた表情と、全く同じだ。
なんだ? なんなんだ? 3人とも、どうしたのだろうか?
「月乃……大丈夫か?」
「……はい。すいません、私、取り乱してしまいました……」
「そっか。でも……元に戻ってくれたのなら、良かったよ」
俺がそう言うと、月乃はうつむきながら――
「……ごめんなさい。今日は、これで帰ろうと思います」
鞄を持って、慌てた足取りで病室から出ていった。
月乃……。
もしかしたら、三人の中で一番、重症なのは……彼女なのかもしれない。
どうやら、俺は勘違いをしていたらしい。
彼女らは、俺に恩と罪悪感を抱いているものの……俺はそれらは時間の経過と共に薄まり、いずれ無くなるものだった思っていた。
――でも、その考えは……甘かった。
あの様子だと、何年経っても、何十年経っても……いや、一生、あのままな気がする。
俺は……もっと本気で、3人の罪悪感を取り除かなければいけないのだ。
「……やるか」
俺には彼女らから罪悪感を取り除く秘策があった。
なるべく使いたくなかったが……こうなったら仕方がない。
――決めた。
俺は、ぎゅっと拳を握りしめると、決意した。
「――明日……三人に俺が転生者であることを明かそう。そして、俺が足の怪我を重く捉えていないことを伝えるんだ」
それしか、きっと……方法はない。




