第8話:『子供の領分(キッズ・リミット)』
山内レンジ(10)は、小学五年生。
彼の悩みは、クラスで流行っている『モンスター・バトラーズ(モンバト)』のレアカードを持っていないことだ。
親は厳しく、お小遣いは月500円。パックを買っても、出るのは雑魚カードばかり。
キラキラ光る「SR」を持っていないのは、班の中でレンジだけだった。
「あーあ、道にお金落ちてないかな」
小石を蹴りながら下校するレンジ。
自宅のマンションの集合ポスト。鍵を開けて親の郵便物を取るのが彼の日課だ。
その中に、自分宛ての黒い封筒を見つけた。
『山内レンジ様』
開けると、緑色のカードと黒い手紙。
ー
【ミッション】
20,000円あげるよ。
今日の 夜12じまでにSuicaに入っている20,000を使いきってね。
できたら、明日も20,000円あげるよ。
ー
レンジは目を丸くした。
二万円!?
お小遣い40ヶ月分だ。
レンジは半信半疑で、近くのコンビニに走った。
恐る恐る、一番欲しかった『モンバト』のパックを一つ、レジに置いた。
「Suicaで」
ピピッ!
買えた。
レシートを見る。
【残高:19,700円】
「すっげえええええ!!」
レンジは店内で叫びそうになるのを必死でこらえた。
本物だ。魔法のカードだ。
これがあれば、モンバトも、お菓子も、ジュースも、買い放題だ!
その日の放課後、レンジは公園の「神」になった。
レンジの手には、夢にまで見た**『モンバト』の未開封ボックス(30パック入り)**が抱えられていた。一箱9,000円。小学生には手が出ない「大人買い」だ。
さらに、ポテトチップス、チョコ、グミ、ジュースを袋いっぱいに買い込んでいた。
公園にいた友達を集め、目の前でパックをバリバリと開ける。
「出た! SR『ドラゴン・カイザー』だ!」
「すげえ! レンジ、マジかよ!」
「みんな! 今日は祝いだ! お菓子もジュースも俺のおごりだ!」
「マジかよレンジ! すげー!」
「これ新作のグミじゃん!」
みんながレンジを崇める。
いつもはレアカードを自慢していたタカシでさえ
「レンジ、そのダブったカード、一枚くれない?」と媚びてくる。
最高だ。これが「力」だ。
だが、問題が起きた。
「減らない」のだ。
パックを買い(300円)、ボックスを買い(9,000円)、お菓子を配りまくり(4,700円分)、自分でもお腹一杯食べたが、まだ6,000円も残っている。
小学生がコンビニで豪遊しても、限界がある。
「レンジ、もう帰る時間だよ」
夕方のチャイムが鳴る。
友達は帰っていった。
レンジは大量のお菓子のゴミと、開封した大量のカード(ゴミの山)と共に、公園に残された。
家にこれを持って帰ったら、ママに絶対に怒られる。
「あんた、このお金どうしたの!?」
と問い詰められ、せっかく当てたSRカードも没収されるだろう。
それは嫌だ。
レンジは公園の木の下の土管の中に、残ったお菓子とカードを隠した。
「あと6,000円……夜に使えばいいや」
レンジは一度、家に帰ることにした。
夜。
レンジは自分の部屋で、布団をかぶって震えていた。時刻は22時30分。
両親はリビングでテレビを見ている。もうすぐ寝るはずだ。
残高6,000円。
これを使い切れば、明日もまた二万円がもらえる。
明日は最新のゲームソフトを買おう。そうすればクラスのヒーローだ。絶対に使い切らなきゃいけない。
23時。
両親の寝室の電気が消えた。
チャンスだ。
レンジはパジャマの上にパーカーを羽織り、そっと窓を開けた。
一階の部屋でよかった。
音を立てないように庭に出て、道路へ出る。
夜の街は、昼間とは違って見えた。
街灯が不気味に伸び、風が冷たい。
怖い。
でも、コンビニまでは歩いて5分だ。
あそこで6,000円分の何かを買えば、ミッションクリアだ。
レンジは早足で歩いた。
何を買おう。
またカード? いや、家に持ち帰れない。
そうだ、一番高いアイスを10個くらい買って、その場で全部食べようか。
それとも、高い雑誌を買って捨ててしまおうか。
コンビニの明かりが見えた。
レンジはホッとして、入り口に向かった。
自動ドアが開く。
「いらっしゃいませー」
店員の声。
レンジは雑誌コーナーへ向かおうとした。
その時だった。
「ねえ、きみ」
背後から、低い声がした。
ビクッとして振り返る。
そこには、制服を着たお巡りさんが二人、立っていた。
「……え、あ、はい」
レンジは凍りついた。
「こんな時間に一人かい?」
警官が腕時計を見る。
23時5分。
「小学生でしょ? お家はどこ?」
「あ、あの、すぐそこです。ちょっと、買い物に……」
「お母さんは? 知ってるの?」
「……し、知りません。内緒で……」
警官の目が鋭くなった。
深夜徘徊。補導対象だ。
「ダメだぞ、こんな時間に子供だけで出歩いちゃ。悪い大人に連れて行かれるぞ」
「でも、買い物……」
「買い物なんて明日でいいだろ。ほら、おじさんと一緒に交番に行こう。お家に電話してあげるから」
警官の手が、レンジの肩に置かれる。
その手は大きくて、重かった。
「いやだ! 買わなきゃいけないんだ!」
レンジは叫んだ。
あと55分。
ここで買い物をしないと、明日の二万円が消える。
僕のヒーロー生活が終わってしまう。
「何を買うんだ? お金持ってるのか?」
警官が怪しむ。
「持ってる! Suicaに6,000円あるんだ!」
それが決定打だった。
小学生が、深夜に6,000円もの大金を持って買いもの。
これは「家出」か「盗み」を疑われる案件だ。
「よし、詳しい話は交番で聞こうな。おいで」
「いやだ! 離して!」
レンジは暴れたが、大人の力には勝てない。
そのまま、パトカーに乗せられてしまった。
駅前交番。
パイプ椅子に座らされたレンジは、泣きじゃくっていた。
「名前は? 学校は?」
お巡りさんが優しく、でも事務的に聞いてくる。
壁の時計を見る。
23時50分。
もうすぐ終わる。
ポケットの中のSuica。
ここには自販機もない。売店もない。
ただ、お巡りさんと机があるだけだ。
「お金……使わなきゃ……」
レンジはボソッと呟いた。
「なんのお金だ? お父さんのカードか?」
「ちがう! 僕のだ! 魔法のカードなんだ!」
「はいはい。あとでお父さんに返そうね」
お巡りさんは信じてくれない。
電話の音が鳴る。
「あ、もしもし。山内さんのお宅ですか? ええ、息子さんを保護しておりまして……」
ママだ。
ママにバレた。
怒られる。
そして何より、魔法が解ける。
23時59分。
レンジはSuicaを握りしめた。
あと6,000円。
お菓子なら30個。カードなら20パック。
昼間なら、王様になれた金額。
でも、夜の子供には、ジュース一本すら買う権利がない。
00:00:00
交番の奥で、日付が変わるニュースの音が聞こえた。
レンジの手の中で、Suicaがほんの少し熱を持った気がした。
そして、冷たくなった。
魔法は消えた。
残ったのは、ただのプラスチックの板と、これから親に叱られるという恐怖だけ。
交番の窓の外。
黒いトレンチコートの女が立っていた。
彼女は、ガラス越しに泣いている少年を見つめ、静かに手帳を開いた。
『被験者No.113 山内レンジ。脱落。』
『敗因:未成年保護育成条例(補導)による行動制限』
「子供には、まだ早すぎたお年玉だったわね」
女はそう呟くと、傘をさして闇の中に消えていった。
直後、交番のドアが勢いよく開き、鬼の形相をした母親が飛び込んできた。
「レンジ!! あんた何やってんの!!」
レンジの号泣が、深夜の交番に響き渡った。
(第8話 完)




