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第6話:『ポイ活男』

 権田マモル(45)の眼球は、常に金銭的な「得」を探して高速で動いている。

 都内の中堅商社に勤める、くたびれたスーツの営業マン。だが、彼の真の職業は「ポイ活師」だ。

 朝の通勤電車。マモルは吊り革に掴まりながら、スマホ画面を連打していた。

 五つのポイントサイトを巡回し、アンケート回答で1円、動画視聴で0.5円を稼ぐ。

 昼食は、クーポンが使えるチェーン店以外には絶対に入らない。

 「牛丼並盛、つゆだく。クーポン番号305番」

 会計時、彼はポイントカード、決済アプリ、店舗限定クーポン画面を、熟練のピアニストのような指捌きで次々と提示する。店員がスキャナーを持ち替える一瞬の隙も見逃さない。

 『塵も積もれば山となる』。それが彼の座右の銘だ。


 妻と中学生の娘は、そんなマモルを「セコい」「貧乏くさい」と毛嫌いしている。

「パパ、ファミレスでクーポン探すのに五分もかけないでよ。恥ずかしい」

 娘の冷たい言葉にも、マモルは動じない。心の中で嘲笑うだけだ。


 お前たちは知らないのだ。この1ポイントが、資本主義社会における「賢者の証」であることを。

 定価でモノを買うなど、企業の養分となるだけの、思考停止した家畜の所業だ。俺は違う。俺はシステムを利用し、搾取する側の人間なのだ。


その日の夜。

 帰宅したマモルは、自分宛ての郵便物の中に、漆黒の封筒を見つけた。

 中には『Suica』と、一枚の黒い手紙。


【魔法のSuica詳細】

拝啓、賢きアナタへ

支給額:金20,000円也(同封のICカードにチャージ済)

条件:本日23時59分59秒までに、残高を0円にすること。

成功報酬:翌日、同額を再チャージします。

注意:1円でも残れば、カードは無効化されます。


「……ほう」

 マモルは眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。

 怪しい。どう見ても怪しい。

 だが、マモルの脳内計算機が瞬時に弾き出した答えは「Go」だった。


 このカード自体にリスクはない。個人情報を登録するわけでもない。ただの無記名式Suicaだ。

 もし残高が本当なら、これは「還元率100%」どころではない。「原資ゼロの錬金術」だ。


 マモルは近所のコンビニへ走り、セルフレジで一番安い「うまい棒」を一本スキャンした。

 カードをかざす。

 ピピッ。

 レシートが出てくる。


 【残高:19,988円】


「……勝った」

 マモルは口元を歪めた。

 二万円。

 これをどう使うか?

散財? 馬鹿な。そんな素人くさいことはしない。

 この二万円という原資を、「換金可能な資産」に変えつつ、さらに「ポイント」を二重取りするのだ。



 翌日から、マモルの「仕入れ」が始まった。

 ターゲットは、コンビニ限定の「一番くじ」や、特典付きの「コラボ菓子」だ。

 これらはフリマアプリで高値で売れる。

 彼は出勤前、昼休み、帰宅途中にコンビニを巡回し、Suicaでそれらを買い漁った。

 

会計時、マモルは必ず自分のスマホのポイントカードを提示する。

 Suica(原資ゼロ)で支払っても、ポイントはマモルのアカウントに貯まる。

 つまり、「タダで商品を仕入れて現金化し、さらにポイントも貯まる」という、夢のようなトライアングルが完成する。


「ククク……笑いが止まらんな」


 一週間後。マモルのポイント残高は爆発的に増えていた。

 そして、コンビニのアプリを開くと、画面にファンファーレが鳴り響いた。


 『おめでとうございます! お客様の会員ランクが【ダイヤモンド】に昇格しました!』


「ダイヤモンド……!」

 マモルは震えた。

 このコンビニチェーンの最高ランク。

 特典は凄まじい。ポイント還元率アップに加え、「ランダムで全品5%OFF」という最強のパスポートだ。

 

 これでさらに効率が良くなる。

 仕入れ値が5%下がれば、その分、転売の利益率は跳ね上がる。

 マモルは万能感に包まれていた。

 俺はポイ活の王だ。この街の全てのレジスターは、俺のためにある。

 端数調整も、マモルにとっては朝飯前だ。

 彼は常に電卓を持ち歩いているし、各コンビニの税率計算(イートイン10%、持ち帰り8%)も熟知している。

 1円単位まで完璧にコントロールし、毎日きっちりと0円にする。

 ユミのような「キャッシュレス過信」も、リクのような「年齢制限の壁」もない。

 彼はプロだ。このゲームの攻略者だ。



 一週間が過ぎた、雨の降る夜。

 マモルは少し焦っていた。

 今日は月末の締め日で残業が長引いた上に、人身事故による電車遅延で帰宅が大幅に遅れた。

 駅に着いた時点で、時刻は23時49分。

 Suicaの残高は、今日の仕入れの端数である486円。

「チッ、半端だな」

 マモルは舌打ちをしつつ、駅前のコンビニ『セブンツーワン(架空)』に入店した。

 486円。

 これを使い切らなければならない。

 0時を過ぎれば、明日の二万円は手に入らない。

 マモルは棚を物色する。

 転売用の商品はもう売り切れている。

 ならば、自分で消費する夜食で調整するしかない。

 

 計算開始。

 おにぎり(ツナマヨ):140円(税込151円)。

 ペットボトルのお茶:150円(税込162円)。

 合計:313円。

 残り:173円。

 

 173円。

 カップ麺コーナーを見る。

 『激辛ラーメン』:160円(税込172円)。

 

 313円 + 172円 = 485円。

「……惜しい!」

 1円残る。

 1円残しは許されない。

現金との併用は可能だが、たった1円の不足を払うために小銭入れを出してジャラジャラやるのは、ポイ活師の美学に反する。スマートではない。


マモルは商品を棚に戻し、再計算を行う。

このパズルを解くのが、彼の生き甲斐でもあった。

 

 23時53分。

 マモルは完璧な組み合わせを発見した。

 1. おにぎり(鮭):150円(税込162円)

 2. おにぎり(梅):150円(税込162円)

 3. 緑茶(500ml):150円(税込162円)

 162 × 3 = 486円。

「……よし!」

 マモルは震えた。

 完璧に、神懸かり的な確率で、残高486円ジャストになった。

これをSuica一発で支払えば、最短で終わる。小銭を触る必要もない。

これぞ「ポイ活師」の神髄。数字の神に愛された男。



 23時55分。



 マモルは意気揚々とレジに向かった。

 店員は眠そうな外国人留学生だ。

「お願いします」

 カゴを置く。

 

 ピッ。ピッ。ピッ。

 バーコードが読み取られる。

 マモルはレジの客用画面を凝視する。

 

 鮭おにぎり:¥162

 梅おにぎり:¥162

 緑茶:¥162

 

 小計:¥486

 

 【合計:¥486】

 完璧だ。美しい。

マモルは勝利を確信し、ズボンのポケットからスマホを取り出した。

 支払い画面を出す前に、いつもの癖で「ポイントアプリ」のバーコードを表示させる。

 

これは条件反射だ。


 呼吸をするようにポイントを貯める。486円なら、2ポイントは付く。

 たとえSuica残高を消すための買い物であっても、ポイントを取り逃がすことは許されない。

「ポイントカード、お願いします」

 マモルは端末にスマホをかざした。


 ピッ。


 会員情報が読み込まれる。

 その瞬間だった。

 レジの画面上で、数字が動いた。

 ポン!(軽快な効果音)


 【セット値引:-50円】


 マモルの目が点になった。

「……は?」

 画面の表示が変わる。


 【合計:¥436】


「あ、ちょ、ちょっと待って!」

 マモルは叫んだ。

「なんだ今の! なんで引かれた!?」


 店員がキョトンとして、レジ上のPOPを指差した。

 そこには、派手な文字でこう書かれていた。

 『会員限定!今だけ! おにぎりとお茶をセットで買うと、50円引きキャンペーン実施中!』


 キャンペーン。

 普段なら、マモルが誰よりも愛し、血眼になって探すその言葉。

「お得」「値引き」「還元」。

それが今、牙を剥いて襲いかかってきた。


「い、いらん! 値引きはいらん!」

 マモルはカウンターを叩いた。

「486円で売ってくれ! 50円引かれたら困るんだよ!」

「エ? オキャクサマ、オトクデスヨ?」

「得とか損とかじゃないんだ! 486円払いたいんだよ!」

「スミマセン……レジガ、ジドウデ……」

 店員が困惑する。

 そうだ。最近のPOSレジは優秀だ。

 バーコードを通した時点で、キャンペーン対象の組み合わせがあれば、自動的に、強制的に、値引きを適用する。


 残高:486円

 会計:436円

 残り:50円

 50円残る。

 時刻は23時57分。

 

「くそっ、くそっ!」

 マモルは焦った。

 50円。

 今、この会計の中で調整するしかない。

 会計を分けている時間はない。今ここで、追加の商品を入れて金額を合わせるんだ。


「追加だ! 何か追加してくれ!」

 マモルは後ろを振り返る。

 50円の商品。

 

 チロルチョコ21円。2個で42円。8円余る。3個だと63円。オーバーする。


 よし、オーバーさせよう。

 合計金額を486円以上にすれば、Suica全額を使って、不足分を現金で払えばいい。

 小銭を出すのは不本意だが、背に腹は変えられない。

 

「チロルチョコ3個! 追加で!」

 マモルは叫んだ。

 店員が慌ててチロルチョコを3つ掴み、スキャンする。

 ピッ、ピッ、ピッ。

 

 計算:436円 + 63円 = 499円。

 

 よし! これだ!

 残高486円を全額使い、差額の13円を現金で払えばいい!


「これでいい! 支払いはSuicaと現金併用で!」

 マモルは勝利を確信した。

 どんなトラブルが起きようとも、俺の計算能力と判断力があればリカバリーできる。

 彼は小銭入れから13円を取り出し、トレイに置こうとした。

 しかし。

 店員の手が止まった。

「ア、オキャクサマ」

「なんだよ早くしろ!」

「チロルチョコ、キャンペー中デス」

「……は?」

 店員がPOPを指差す。

 『チロルチョコ 3個お買い上げで 10円引き!』

 ポン!

 画面の数字が変わる。

 499円 - 10円 = 489円。

 残高:486円

 会計:489円

 不足:3円

 ……あれ?

 合ってる。

 不足3円。

 3円を現金で払えばいいだけだ。

 なんだ、焦らせやがって。値引きされても、Suica残高をオーバーしていれば問題ない。


「いいから! その金額でいい! 3円現金で払うから!」

 マモルは13円を引っ込め、3円だけをトレイに置いた。

 店員が頷き、レジを操作する。

「ジャア、ポイントカード、モウイチドイイデスカ?」

「あ? さっき通しただろ」

「ハイ。デモ、サッキのエラーデ読ミ込メテマセンデシタ」

 店員が言った。

 マモルは舌打ちしながら、再びポイントアプリの画面を提示した。

 まあいい。この3円の支払いにもポイントはつく。取りこぼしはしない。

 ピッ。

 その瞬間。

 レジがファンファーレのような音を立てた。

 パラララッパッパー!

 画面いっぱいに金色のエフェクトが広がる。

 【ダイヤモンド会員様特典:全品5%OFF適用】

 マモルの顔色が土色になった。

「……なに?」

 彼は忘れていた。

 この一週間の「仕入れ」による莫大な買い物で、彼の会員ランクが最高位の**「ダイヤモンド」に昇格していたことを。

 そして、ダイヤモンド会員には、「ランダムでお会計から5%OFF」という、最強の(今の彼にとっては最悪の)特典が自動付与されることを。

 画面の数字が、ガラガラと崩れ落ちる。

 489円 × 0.95 = 464.55円

 切り捨てで、464円。

 残高:486円

 会計:464円

 残り:22円

 逆転した。

 合計金額が、Suica残高を下回ってしまった。

 22円、残ってしまう。

 23時59分30秒。

「キャンセルだ! 会員証を通すな!!」

 マモルは絶叫した。

「会員特典なんていらない! 定価で買わせろ!!」

「ムリデス! 一回通シタラ、取消デキマセン!」

 店員がパニックになる。

「会計ヲ、ヤリ直シマスカ?」

「やり直してたら間に合わない!! 追加だ! 22円以上のものを追加しろ!」

 22円。

 22円以上のもの。

 後ろを振り返る。

 うまい棒は12円。2本で24円。

 これだ!

「うまい棒2本! 早く!!」

 マモルは後ろの駄菓子コーナーへ手を伸ばそうとした。

 しかし。

 焦った手が、ワゴンの上の「一番くじ」の箱に当たった。

 ガシャーン!!

 箱が落ち、くじの紙が床一面に散らばった。

「アアーッ!!」

 店員が叫ぶ。

「オキャクサマ! 困リマス!」

「あとで弁償する! 先に会計を!」

 マモルはうまい棒を掴み、レジに通そうとする。

 だが、店員は散らばったくじを拾うのに必死で、レジを見ていない。

「おい! 早くスキャンしろ!」

 マモルが自分でハンドスキャナーを握った瞬間。

 店内の時報が鳴った。


 チャリーン。

 00:00:00


 マモルの手の中で、ハンドスキャナーの赤い光が虚しく点滅した。

 レジ画面には、【会計:464円】という、あまりにも「お得」な数字が表示されたままだった。


 Suica残高は486円。

 22円を残して、ゲームは終了した。

「……う、嘘だろ……」


 マモルは床に散らばったくじの中にへたり込んだ。

 セット値引き。まとめ買い値引き。そして会員ランク特典。

 自分が愛し、追い求めてきた「お得」のシステム。

 それが幾重にも重なり、完璧な包囲網となって彼を窒息させたのだ。


 自動ドアの外。


 雨の中に、黒いトレンチコートの女が立っていた。


 彼女はビニール傘をさしながら、冷ややかな目でマモルを見下ろした。


 『被験者No.110 権田マモル。脱落。』

 『敗因:過剰な値引き(会員特典)による、支払い金額の逆転現象』

 マモルは震える手でスマホを見た。


 画面には「5%OFF おめでとうございます! 今後ともお得なポイ活ライフを!」という、金色の紙吹雪が舞うアニメーションが表示されていた。

 それはまるで、敗北者への葬送の紙吹雪のようだった。

(第6話 完)


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