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第5話:『エイジ・ゲート』


第5話:

 神宮寺リク(19)の朝は、暗号資産のチャートチェックから始まる。

 都内のワンルームマンション。親の仕送りで暮らす専門学生――というのは仮の姿だ。

 彼の本業は「投資家」。あるいは「転売ヤー」。もっと言えば、ネットカジノとFXにのめり込むギャンブル依存症予備軍である。

「うっわ、暴落してんじゃん……」

 布団の中でスマホを見つめ、リクは舌打ちした。

 昨夜、レバレッジをかけて突っ込んだ五万円が溶けていた。

 これで今月の生活費はゼロ。親にバレたら仕送りを止められる。

リクは焦っていた。俺は特別な人間だ。周りの同級生みたいに、就活スーツを着て満員電車に揺られる「社畜予備軍」とは違う。


 俺は、PC一台で億を稼ぐ男になるんだ。今はただ、ちょっとした「種銭(軍資金)」が足りないだけだ。

 正午過ぎ。空腹に耐えかねてポストを見に行くと、黒い封筒が入っていた。

 部屋に戻り、中身を確認する。

 『Suica』と、一枚の黒い手紙。


【魔法のSuica詳細】

拝啓、投資家のアナタへ

支給額:金20,000円也(同封のICカードにチャージ済)

条件:本日23時59分59秒までに、残高を0円にすること。

成功報酬:翌日、同額を再チャージします。

注意:1円でも残れば、カードは無効化されます。


「……は?」

 リクは金髪をかき上げた。怪しい。新手のフィッシング詐欺か?

 だが、リクはデジタルネイティブ世代だ。物理的なカードが送られてきた時点で、ネット上の架空請求とは違うと直感した。

「……確かめる価値はあるか」


もし本当なら、デカい。

 リクは部屋を飛び出した。

 最寄りの駅までダッシュする。息を切らしながら券売機にカードを滑り込ませた。

履歴確認ボタンを押す。

画面に表示された数字を見て、リクの目が釘付けになった。


 【残高:20,000円】


「マジかよ……」

 震えが走った。エアドロップだ。リアル・ログインボーナスだ。

 二万円。これを元手にFXで勝負すれば、今日の負けを取り返せる。いや、十倍に増やせる。

 だが、まずはこのカードの仕組みをテストしなければならない。

 『本日中に0円にすること』。

 リクは駅ビルに走り、ABCマートで19,000円のスニーカーと、コンビニでの細かい買い物で、きっかり20,000円を使い切った。

 

 そして深夜。

 リクは再び駅の券売機の前に立っていた。

 スマホの時計は23時59分50秒。

 終電間際の酔っ払いサラリーマンたちを尻目に、リクは息を呑んでカウントダウンを見守った。

 58、59……。

 00:00:00。


日付が変わった。

 リクは震える手で、空っぽになったカードを券売機に挿入した。

 頼む。

 これが本物なら、俺の人生は変わる。

 フォン。

 画面が切り替わる。


 【残高:20,000円】


「……ッシャアアアア!!!」

 リクは深夜の駅構内で、思わずガッツポーズを決めた。

 復活した。魔法だ。

 毎日二万円。月六十万円。

働かなくていい。これを現金化してFX口座にぶち込めば、無限に勝負できる。

 俺は選ばれたんだ。この「錬金術」があれば、俺は億り人になれる!


 それから二週間。

 リクの部屋は様変わりしていた。

 床にはウーバーイーツの空き容器――特上寿司や高級ステーキ重――が散乱し、ソファには『Supreme』や『Balenciaga』の服が無造作に積まれている。


 リクは「システム」を完全に攻略していた。

 毎日支給される二万円のSuica残高。

 これを日中は最新ゲーム機やイヤホンの転売で「現金」に変える。

 そして夜は、その現金をFX(外国為替証拠金取引)に突っ込む。

 ビギナーズ・ラックだったのか、あるいは天才的な嗅覚だったのか。

 リクの読みは当たり続けた。

 

「よし、利確(利益確定)! また十万抜き!」

 スマホの画面には、増え続ける口座残高が表示されている。

 『資産合計:1,240,000円』

 たった一週間で、資産は百万円を超えていた。

 

「ちょろすぎんだろ、世の中」


 リクはコンビニで買った高いシャンパンをラッパ飲みした。

 金銭感覚は完全にバグっていた。

 コンビニの会計が千円、二千円? 端数だ、端数。

 一万円札が紙切れに見える。

 専門学校? 行くわけがない。俺はもう、月収数百万プレーヤーだ。

 汗水垂らして働くサラリーマンや、時給千円で働くバイトたちが、哀れな「養分」に見えた。

「俺は選ばれた人間なんだよ。このまま億まで行って、ドバイに移住だな」

 リクは高笑いした。

 二万円のSuicaなど、もはや「小銭拾い」のような作業に過ぎなかったが、ゲン担ぎのために毎日続けていた。



 そして運命の夜。

 米国雇用統計の発表日。為替市場が最も荒れる日だ。

 リクは勝負に出た。

「ここで全ツッパだ。倍に増やす」

 口座にある百二十万円、すべてを証拠金として投入。

 さらに海外業者の最大レバレッジ1000倍をかけ、数億円規模のドル買いポジションを持った。

 

 ほんの数銭動くだけで、天国か地獄か。

 

「上がれ……上がれ……!!」

 モニターを見つめる目が血走る。

 発表の瞬間。チャートが跳ねた。

 上だ! 読み通りだ!

 含み益が一瞬で二百万円を超えた。

「来たアアアアア!! 俺は神だ!!」

 リクがガッツポーズをした、その直後だった。

 ズドン。

 チャートが垂直に落下した。

 行って来い(全戻し)からの、大暴落。


 AIによるアルゴリズム取引が発動し、相場は一瞬で逆回転を始めたのだ。

「は? ……え、待って」

 画面の数字が赤く染まる。

 プラス二百万が、一秒でマイナスへ。

 マイナス五十万。マイナス百万。

「止まれ! 止まれええええ!!」

 リクはスマホを連打し、決済ボタンを押そうとした。

 だが、注文が通らない。サーバーが混雑している。


 その間にもチャートは奈落へ落ちていく。

 パリーン。

 無慈悲な音が鳴り響いた。

 『ロスカット(強制決済)が執行されました』

 画面が静止する。

 

 『口座残高:-5,400円』(ゼロカットシステム適用前)

 百二十万円が、消えた。

 一瞬で。

 数秒前まであった「ドバイへの切符」が、電子の藻屑となった。

「……あ、あ、あ……」

 リクは嘔吐した。

 夢じゃない。現実だ。

 手元に残ったのは、散らかったブランド服と、来月のカード請求だけ。

 絶望の中、リクは机の上にあるものに目を留めた。

 緑色のカード。Suica。

 そうだ。まだこれがある。

 今日の分、二万円が入ったままだ。

 

「これだ……これを種銭にして、もう一回……!」

 まだ終わってない。

 この二万円を現金化して、入金すれば、ワンチャンスある。

 リクは涙目でカードを掴み、部屋を飛び出した。


 時刻は21時を回っていた。

 急がなければならない。買取屋が閉まってしまう。

 リクは駅前の家電量販店へ駆け込んだ。

 

 狙いは、いつもの『Nintendo Switch』の人気ソフトだ。

 『大乱闘スマッシュブラザーズ』。

 これを二本買い、買取屋に走れば、一万六千円にはなる。

 一万六千円あれば、ハイレバレッジで十万に戻せる。そこから百万円に戻すことだって可能だ。俺には才能があるんだから。


 リクはゲーム売り場でソフトを二本掴み、レジへ急いだ。

 周辺機器も合わせて、合計19,800円。

「Suicaで!」

 ピピッ。

 決済完了。

 リクは商品を持って店を出た。

 急げ。買取屋『カウカウキング』へ。

 エスカレーターを駆け下りながら、リクは買取価格表をチェックした。

 

 しかし、画面を見たリクの足が止まった。

 

 『緊急値下げ:スマッシュブラザーズ 買取価格 4,000円』

「……は?」

 安すぎる。昨日は7,000円だったはずだ。

 リクは震える手でニュースを見た。

 『任天堂、次世代機への移行に伴い、旧作ソフトのオンラインサービス縮小を発表』

 『ニンテンドーセレクション(廉価版)の発売決定』

 今日だ。

 よりによって今日、このタイミングで発表されたのか。

 これでは二本売っても八千円にしかならない。

 八千円じゃ足りない。起死回生の一手には少なすぎる。

「ふざけんなよ……!」

 神様はどこまで俺をいじめるんだ。

 

 リクは踵を返した。

 「返品」だ。

 一度返品して、値を下げていないApple製品(AirPodsなど)を買い直せばいい。

 リクはサービスカウンターへ走った。

「返品で! 間違えて買ったんで!」

 店員が処理をする。

「では返金いたします。……あ、お客様、現金での返金をご希望ですか?」

リクは頷こうとした。


 現金で戻ってくれば、一番早い。

「申し訳ありません。Suicaでお支払いの場合、現金での返金はできません」

 店員が無慈悲に告げる。

「マネーロンダリング対策の規則ですので」

「チッ……じゃあSuicaに戻してくれ! 急いでるんだ!」

 ピピッ。

 金がカードに戻った。

 【残高:20,000円】

 リクはApple製品売り場へ走った。

 しかし。

 フロアの照明が半分落ちている。

 『本日の営業は終了しました』

 

 22時。量販店の閉店時間だ。

 

 リクは呆然と立ち尽くした。

 量販店が閉まった。

 買取屋も閉まった。

 今日中に「現金化」するルートは、完全に断たれた。

「……クソがァァァ!!!」

 リクはシャッターを蹴り飛ばした。

 終わった。今日の相場で取り返すチャンスは消えた。

 

 だが、まだだ。

 明日がある。

 この二万円を「使い切って」おけば、明日また二万円がチャージされる。

 明日の朝イチで換金すればいい。

 とにかく、今日中にこの二万円を消化しなければならない。

5

 リクは駅前のコンビニに駆け込んだ。

 残高20,000円。

 これを使い切らなければ、明日の種銭すら手に入らない。

 POSAカードは現金のみ。

 なら、タバコだ。

 タバコなら腐らないし、先輩に売れば現金化できる。

 リクはレジへ向かった。

 23時55分。

 リクはレジカウンターで、店員にまくし立てた。

「7メビウスのカートン! 3つ! あと、そこの高いウイスキー!」

 店員が持ってくる。

 合計約19,000円。

 残りはハーゲンダッツで埋める。

 

「お会計、二万と三百五十円になります」

「Suicaで!」

 リクはスマホを構えた。

 これでいい。これで首の皮一枚繋がる。


 しかし、


 店員の手が止まった。

「お客様、年齢確認をお願いします」

 リクの心臓が凍りついた。

 タッチパネル。『20歳以上ですか?』

 リクは震える指で【はい】を押そうとした。

「身分証明書のご提示をお願いできますか?」

 店員の冷ややかな声。

 リクは19歳だ。

 数日前まで、寿司を食い、シャンパンを飲み、億万長者気取りでいたリク。


 「俺は選ばれた人間だ」「世の中チョロい」と豪語していたリク。

 だが、法律の前では、彼はただの「未成年」だった。

「いや、俺、もうすぐ20歳だし……」

「生年月日が確認できるものをお願いします」

「……ないっす」

「では販売できません」

 商品は下げられた。

 タバコも酒も消えた。

 19,000円分の穴が空いた。

 23時58分。

 

「なんか! なんか高いもん!」

 リクはモバイルバッテリーを鷲掴みにしてレジに出した。

 5個。一万五千円。

 足りない。あと五千円。

 

「早く! 早くしてくれ!」

 店員がゆっくりとスキャンする。

 ピッ。ピッ。

 その音が、リクの寿命を削るカウントダウンのように響く。

 00:00:00

 店内の時報が鳴った。

 システムが切り替わる。

 

 リクは、レジカウンターに突っ伏した。

 百二十万円を溶かし、さらに起死回生の二万円すら守れなかった。

 

 自動ドアの外。

 女が立っていた。

 彼女は、まるで敗残兵を見るような目でリクを見下ろし、手帳に書き込んだ。


 『被験者No.109 神宮寺リク。脱落。』

 『敗因:成功体験による慢心と、年齢制限(19歳の壁)』

 リクのスマホには、FX業者のアプリ通知が残っていた。

 『追証(追加証拠金)が発生しています。入金してください』

 

 リクは泣き笑いのような表情で呟いた。

 「……大人ってなんだよ……」


(第5話 完)


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