婚約破棄されたので「呪いの生贄」になりました。……え、私の浄化魔法がないと実家が滅びる? 知りませんが、旦那様が離してくれないので失礼します
「――ということで、エルミラ。お前がヴォルフガング辺境伯のもとへ嫁ぐことになった」
父である伯爵が、さも夕食のメニューを決めるような軽い口調で告げた言葉。
それが私の人生の終わりを告げる宣告だった。
豪奢なサロンのソファには、美しい姉のアマリアと、私の婚約者であるはずのダリオ様が寄り添って座っている。
ダリオ様は私を侮蔑の目で見下ろし、鼻で笑った。
「よかったじゃないか、エルミラ。『無能』なお前でも、怪物の生贄くらいにはなれるんだ。伯爵家の役に立てて本望だろう?」
「ダリオ様……婚約は、どうなるのですか?」
「は? まだ自分が婚約者のつもりだったのか? 僕が愛しているのはアマリアだ。地味で魔力もない、お茶一杯まともに淹れられないお前なんかじゃない」
お茶が美味しいのは、私がこっそりと水質の悪い井戸水を『浄化』していたからです。
庭の花が枯れないのも、屋敷に害虫が出ないのも、すべて私が毎晩、微量な魔力を使って結界を張り続けていたから。
けれど、誰もそのことに気づいていなかった。
姉のアマリアが「私がいるだけで花が咲くわ」と微笑めば、家族もダリオ様もそれを信じ込み、私を雑用係のように扱ってきたのだ。
「嫌か? だが、断ればお前の老いた乳母がどうなるかな」
「……っ」
「辺境伯は『花嫁』を求めている。死ぬと分かっていてアマリアをやるわけにはいかないだろう? 代わりに行け。これは決定事項だ」
父の言葉に、私は唇を噛んで俯いた。
私を育ててくれた乳母を人質に取られては、断ることなどできない。
(……もう、いいわ)
ふと、私の中で張り詰めていた糸がぷつりと切れた。
この家のために魔力を使い、影のように生きてきたけれど、彼らは私を家族とも思っていなかった。なら、もう義理立てする必要はない。
「……承知いたしました。辺境伯様のもとへ参ります」
私が顔を上げ、静かにそう告げると、ダリオ様は「やっと役に立つか」と嘲笑った。
彼らは知らない。
私が去った後のこの屋敷が、そしてダリオ様の領地が、どうなるのかを。
私は心の中で、静かに彼らとの縁を切った。
もう二度と、この人たちのために魔法を使うことはないでしょう。
◆
北へ向かう馬車に揺られること三日。
窓の外の景色は、次第に荒涼とした枯野へと変わっていった。
空は分厚い鉛色の雲に覆われ、地面からは薄紫色の瘴気が立ち上っている。
「……ひどい瘴気」
私は思わず呟いた。
北の辺境伯、ヴォルフガング様。
かつて魔王討伐の英雄と称えられた彼は、その戦いで強力な呪いを受け、屋敷に引きこもる「怪物」になり果てたという。
噂では、彼に嫁いだ花嫁は、三日と持たずに瘴気に侵されて死ぬか、発狂して逃げ出すかだと言われていた。
(でも、この程度の瘴気なら……)
私はそっと掌を握りしめた。
私には『浄化』がある。今まで隠してきたけれど、自分の身を守るくらいならできるはずだ。
やがて馬車は、黒い鉄柵に囲まれた古城のような屋敷の前で止まった。
御者は「ここから先は無理です!」と私の荷物を放り出し、逃げるように馬車を走らせて去ってしまった。
残されたのは私一人。
重いトランクを引きずり、錆びついた門をくぐる。
庭木はすべて枯れ果て、不気味な静寂が支配していた。
「……来客か。珍しい」
玄関ホールに入った瞬間、地の底から響くような低い声が降ってきた。
ビクリと肩を震わせて見上げると、階段の上に「それ」はいた。
黒いローブを纏った長身の男。
しかし、その顔は銀色の無機質な仮面で覆われている。
仮面の隙間からはどす黒い霧が溢れ出し、彼の周囲の空気を歪めていた。
「辺境伯、ヴォルフガング様……でしょうか」
「いかにも。……また生贄か。王都の貴族どもも飽きないな」
彼は階段をゆっくりと下りてくる。一歩近づくたびに、肌を刺すような圧力が強まる。普通の令嬢なら、この威圧だけで気絶してしまうだろう。
「帰れ。俺の傍にいても死ぬだけだ。死体の処理をする執事の手間を増やしたくない」
「あの……っ」
「聞こえなかったか? 消えろと言ったんだ!」
ドッ、と彼を中心に瘴気が爆発した。
衝撃波となって襲い掛かる黒い霧。けれど、私は逃げなかった。
逃げたところで、帰る場所などないのだから。
(私には、これしかない)
私は恐怖を飲み込み、両手を広げて彼へと駆け寄った。
そして、驚愕に動きを止めた彼のローブを掴み、その胸に飛び込んだ。
「――『浄化』!」
私の身体から、純白の光が溢れ出す。
今まで誰にも知られないよう、小さく絞り出して使っていた魔法。
けれど今は制限する必要はない。私の中に溜め込んでいた全魔力を、この苦しそうな人のために解き放つ。
シュァアアア……ッ!
水が蒸発するような音と共に、彼を覆っていた黒い霧が光に焼かれて消えていく。
屋敷の窓ガラスが震え、ホールに満ちていた淀んだ空気が一瞬で澄み渡った。
「な……これは、光……?」
ヴォルフガング様が呆然とした声を漏らす。
彼の顔を覆っていた銀の仮面に、ピキリと亀裂が入った。
次の瞬間、パリーンと音を立てて仮面が砕け散る。
さらり、と。
仮面の下から現れたのは、銀糸のような髪と、吸い込まれるほど深い紫紺の瞳。
怪物どころか、絵物語の王子様でも敵わないような、神々しいまでの美貌だった。
「呪いが……静まった? 君がやったのか?」
「は、はい。勝手なことをして申し訳ありません。でも、苦しそうでしたから」
私が息を切らせて見上げると、彼は震える手で私の頬に触れた。
「……暖かい。ずっと、氷のように冷たかった俺の身体が」
「ヴォルフガング様?」
「君だ。ずっと探していた。俺の呪いを解ける、唯一の光……」
彼はまるで壊れ物を扱うように私を抱き寄せると、その美しい顔を私の首筋に埋めた。
「行かせない。君は俺のものだ。もう二度と、誰にも渡さない」
その声に含まれていたのは、甘く重い、執着の響きだった。
◆
それからの生活は、まさに天国と地獄がひっくり返ったようだった。
「エルミラ、このドレスはどうだ? 瞳の色に似合う」
「あの、ヴォルフガング様。もう衣装部屋に入りきらないのですが……」
「ならば部屋を増築しよう。君を飾るためなら、城の一つや二つ安いものだ」
呪いの解けたヴォルフガング様は、北部の広大な領地を治める大領主としての実力を遺憾なく発揮した。
私の浄化によって屋敷の庭には花が咲き乱れ、領民たちも「奇跡の奥方様」と私を拝む勢いだ。
何より、ヴォルフガング様ご本人の変貌ぶりが凄まじかった。
彼は片時も私から離れようとしない。
執務室で書類仕事をする時も、私は彼の膝の上に座らされている(「浄化魔力の補給だ」と言い張るが、ただ抱きしめたいだけに見える)。
食事も、入浴の世話まで焼こうとする彼を止めるのが大変なくらいだ。
「エルミラ。君の家……実家の伯爵家から手紙が来ている」
ある日の午後、ヴォルフガング様が低い声で言った。
その手には、見覚えのある紋章が入った封筒。
瞬時に、彼の周囲の温度が氷点下まで下がる。
「捨てておいて今さら何の用だ。……燃やすか?」
「いえ、見せてください。けじめはつけなくてはなりませんから」
私が手紙を開くと、そこには殴り書きのような文字でこう書かれていた。
『すぐに戻れ! 屋敷中が悪臭に包まれている! ダリオ子爵の領地も疫病騒ぎだ。お前が何か呪いをかけたのだろう! 戻ってきてすぐに解け!』
……予想通りだった。
私が毎日施していた浄化の結界が消え、溜まりに溜まっていた穢れが一気に噴出したのだろう。呪いをかけたのではなく、彼らが積み上げた汚れが元に戻っただけだ。
「……馬鹿な連中だ」
手紙を覗き込んだヴォルフガング様が、冷酷な笑みを浮かべる。
「君の価値を理解できず、自ら手放した。その報いを受けているだけだというのに」
「戻れと言われています」
「戻すわけがないだろう」
彼は背後から私を抱きすくめ、耳元に唇を寄せた。
「君は俺の妻だ。たとえ国王命令だろうと、神の宣告だろうと、君を奪おうとする者は全て敵とみなす。……俺の領地に入った瞬間、灰にしてやる」
その言葉に嘘がないことを、私は知っていた。
彼は私が触れるだけで呪いが抑えられているが、私がいなくなれば再び怪物に戻るかもしれない。そして何より、彼自身の魔力が規格外なのだ。
「来週、王都で建国記念の夜会がある」
「え?」
「俺たちも出席するぞ、エルミラ。辺境伯夫として、正式に君をお披露目する」
「で、でも……元婚約者や家族も来ているかもしれません」
「だからこそ、だ」
ヴォルフガング様は、私の左手の薬指に口づけを落とした。
そこには、彼が贈ってくれた、魔力を増幅する大粒のサファイアの指輪が輝いている。
「見せてやろう。彼らが捨てた『石ころ』が、実は誰よりも輝く宝石だったことを。……そして、それを手に入れたのが誰なのかを」
◆
王城の大広間は、華やかな音楽と人々の喧騒に包まれていた。
だが、入り口の扉が開き、係員が私たちの名を告げた瞬間、その場が水を打ったように静まり返った。
「北の辺境伯、ヴォルフガング・フォン・アイゼンガルド閣下! ならびに、辺境伯夫人、エルミラ様!」
ヴォルフガング様にエスコートされ、私は会場に足を踏み入れた。
彼が纏うのは漆黒の礼服。その銀髪と美貌は、シャンデリアの光を受けて圧倒的な存在感を放っている。
そして私は、彼が特注した夜空のような濃紺のドレスを身に纏っていた。私の微弱な魔力に反応して、ドレスの裾が星屑のように煌めいている。
「あれが……怪物公爵?」
「嘘だろう、あんな美丈夫だったのか?」
「隣にいるのは誰だ? 見たこともない美女だが……」
ざわめきが広がる中、私たちは王族への挨拶へ向かう。
その時だった。
「エルミラ!?」
素っ頓狂な声と共に、人垣を割って現れた男がいた。
ダリオ様だ。
けれど、その姿は酷いものだった。顔色は土気色で、目の下には濃い隈があり、自慢だった金髪も艶を失ってパサついている。
後ろには、同じく憔悴しきった姉と両親の姿もあった。
「お前……なんだその恰好は! それに、どうして生きている!」
「お久しぶりです、ダリオ様。生きていて申し訳ありません」
「ふざけるな! お前がいなくなってから、俺の領地はめちゃくちゃだ! 水は腐るし、作物は枯れるし……お前、何かしたな!?」
ダリオ様が私の腕を掴もうと手を伸ばす。
しかし、その手は私に届く前に空中で止まった。
ヴォルフガング様が、指一本動かすことなく、見えない魔力の壁で彼を弾き飛ばしたのだ。
「……汚い手で、俺の妻に触れるな」
地獄の底から響くような声。
ダリオ様は尻餅をつき、ヒッと悲鳴を上げて後ずさる。
「だ、誰だ貴様は!」
「紹介が遅れたな。俺がヴォルフガングだ。エルミラの夫だよ」
「は……? 怪物は、仮面をつけた化け物のはず……」
「エルミラの愛が、俺の呪いを解いたんだ」
ヴォルフガング様はわざとらしく私の腰を引き寄せ、観衆の目の前で私の髪に口づけた。黄色い悲鳴が上がる。
「彼女は『浄化』の乙女だ。君たちが気づかなかっただけで、彼女の魔力がずっと君たちの不浄を清めていたんだよ。……それを追い出したのだから、自業自得だな」
「浄化、だと……? そんな、まさか。エルミラは無能で……」
父が呆然と呟く。
「ああ、そういえば」と私は扇で口元を隠して微笑んだ。
「お父様、お姉様。今まで私が毎晩、屋敷中の結界を張り直していたこと、一度もお話ししていませんでしたね? 気づいて褒めてくださるのを待っていたのですが……もう必要ないと思いまして」
「ま、待ってくれ! なら、戻ってくれエルミラ! 今すぐ戻ってやり直せ!」
「そうですわ! あんたは私たちの家族でしょう!? 家族を見捨てるなんて人でなしよ!」
姉が金切り声を上げる。
その醜い必死さに、周囲の貴族たちが冷ややかな視線を向けていることに、彼らは気づいていない。
「お断りします」
私はきっぱりと告げた。
「私はヴォルフガング様の妻です。それに、貴方たちは私を『家族ではない』とおっしゃったではありませんか」
「そ、それは……」
「安心しろ」
ヴォルフガング様が冷ややかに言い放つ。
「君たちの領地の借金と管理不全については、すでに国王陛下に報告済みだ。爵位は剥奪、領地は国庫に没収される。……牢の中で、思う存分『無能』な自分たちを呪うがいい」
「なっ……!?」
その時、近衛騎士たちが会場に入り込み、ダリオ様と家族を取り囲んだ。
抵抗しようとするダリオ様だったが、ヴォルフガング様が一睨みすると、腰を抜かして動けなくなった。
「連れて行け」
引きずられていく元家族たちの絶叫が遠ざかる。
会場には静寂が戻り、やがて、誰からともなく拍手が起こった。
それは新しい辺境伯夫妻――私たちを祝福するものだった。
「行こう、エルミラ。一曲踊ってくれるか?」
ヴォルフガング様が、恭しく手を差し出す。
私はその大きな手に自分の手を重ねた。
氷のように冷たかった彼の手は、今はとても温かい。
「はい、喜んで。……あなた」
私が初めてそう呼ぶと、彼は世界で一番幸せそうな笑顔を見せた。
もう、私が不幸になることは二度とない。
最強の魔導師様が、私のすべてをその愛で守ってくれるのだから。
ご覧いただきありがとうございます!
「ざまぁ」ですっきりしつつ、最後は甘々に落ち着くお話でした。
ヴォルフガング様の溺愛っぷりが気に入っていただけたら嬉しいです。
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