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裏目ノ目  作者: てとまる
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第五話 潜入

静寂を愛する男、鳴海颯人。

彼の日常は、タバコの煙とコーヒーの香りに満ちた無関心なルーティンだ。

だが、その瞳に映る「見切り」の力は、世界を分断する闇の存在を捉える。

政府の裏組織に招かれた彼は、自らの内に凍らせた感情と、妹の死の因縁に導かれる。

これは、無関心な男が、失われた「平穏」を取り戻すための物語。

 午前八時。部屋の小さな窓から差し込む朝日は、颯人の顔に微かな光の筋を描いた。その光に起こされるように、颯人はむすっと起き上がった。

ケトルで湯を沸かし、インスタントコーヒーを淹れ、煙草を一本吸った。いつもと同じ、無感動な朝のルーティンを終えると、颯人は機能性を重視した黒のパーカーとデニムに着替え、ワークブーツを履いた。無造作に机の上に置かれていた鍵を手に取り、部屋を出た。


 午前九時ちょうど。颯人が部屋のドアを開けると、そこには白石と月代が立っていた。白石はいつものブラウンのスーツ姿で、にこやかに颯人を見ていた。

隣には、昨日とは打って変わって、濃紺のバトルスーツに身を包んだ月代がいる。各関節には保護具が装着され、背中には巨大な戦斧が携えられていた。

その姿は、これから戦場へ赴く戦士そのものだった。


「おはようございます、鳴海さん! 今日から、いよいよ初めての共同任務ですね! 私、精一杯サポートします!」

月代は、颯人を見つけると、満面の笑みで大きく手を振ってきた。その声は、朝から聞くにはあまりにも元気いっぱいで、颯人は思わずげんなりとした表情を浮かべた。彼の眉間に、微かな皺が寄った。

彼女の楽観主義は、彼にとっては何の意味も持たなかった。


「おはようございます、鳴海さん。月代も気合が入っているようですし、早速ブリーフィングに行きましょうか」

白石は、颯人の表情に気づかないふりをして、にこやかに促した。


 三人は、地下本部へと繋がる隠し通路へと向かった。地下通路は、ひんやりとした空気が漂い、彼らの足音だけが静かに響いた。白石と月代は、楽しそうに雑談を交わしていた。


「白石さん、今度のお昼ご飯、一緒に出ませんか? 私、新しくできたカフェのオムライスが気になってて!」

「お、いいね! ここから近いところにあるのかい?」

二人の軽快な会話は、颯人の耳を通り過ぎていくだけだった。彼の心は、これから始まる未知の任務へと向かい、静かに集中を高めていた。


 地下五階の管制室を抜け、さらに奥へと進んだ。今度は、白石が別の指紋認証パネルに触れると、壁の一部がスライドし、隠された扉が現れた。

そこは、管制室よりもさらに厳重なセキュリティが施されているようだった。


 扉の向こうに広がっていたのは、作戦会議室だった。中央には巨大な円形のテーブルがあり、その上には三次元ホログラムが投影されていた。

壁一面には、無数のモニターが埋め込まれ、様々な情報がリアルタイムで表示されている。最新鋭の機材が所狭しと並び、その全てが最先端技術の結晶であることを物語っていた。


 颯人は、その光景を目の当たりにし、微かに目を見開いた。彼の無関心な表情に、ほんの一瞬だけ、驚きの色が浮かんだ。

彼の知る「裏社会」とは、全く異なる次元の、想像を絶する技術力。それは、彼の常識を覆すものだった。



「今回のターゲットは、都心部にある五つ星ホテルの地下深くで組織されている非合法なカジノです。ここには、異能者が関与している可能性が非常に高い」

白石は、ホログラムで作戦マップを投影しながら、今日の任務の概要を説明し始めた。

地図には、ホテルの詳細な間取りが表示され、地下深くにある赤い点がターゲットとして示されていた。


「我々の目標は、このカジノの活動実態の調査と、関連情報の回収です。可能であれば、主要人物の身柄確保も視野に入れます」

敵の情報に移ると、白石の声はわずかに重みを増した。


「確認されている敵は、銃火器で武装した非異能者が多数。カジノの用心棒として雇われているようです。彼らはプロの傭兵集団であり、訓練も積んでいます」

「加えて、このカジノの運営には、異能者が関与している可能性が高いと見ています。ただし、その異能者の能力や人数については、まだ特定できていません」


 ここで、白石は半身を向け、颯人を厳しく見据えた。

「鳴海さん、今日は必ず月代としっかり連携するように。あなたの『目』と、月代の力は、今後の任務でも非常に重要になります」


 颯人は、露骨に不満そうな顔をした。連携など、彼の辞書には存在しない言葉だった。常に一人で、誰の助けもなく生きてきた。

他人と呼吸を合わせるなど、考えただけでも吐き気がした。


 しかし、その対照として、月代は瞳を輝かせ、大きく頷いた。

「はい! 鳴海さんのサポート、精一杯頑張ります! 足手まといにならないように、私も今日は特に気合を入れていきます!」


 白石は満足げに頷き、「それでは、潜入開始です。安全第一でお願いします」と締めくくった。



 五つ星ホテルは、今日も多くの客で賑わっていた。何の兆候も、その地下深くで非合法な行為が行われていることを示唆してはいなかった。

颯人と月代は、一般客に紛れるように振る舞い、従業員通用口の奥にある目的の地下へと向かうリフトへ慎重に歩を進めた。


 だが、颯人はプロの訓練を受けた経験がなく、人並み外れた身体能力があるわけでもなかった。彼の「見切り」は完璧でも、それを完璧に回避する動きは、彼には備わっていなかった。

警備員のわずかな視線の動き、監視カメラの死角、人々の流れ――彼の超人的な感覚はそれらを捉えたが、動きはわずかに不自然で、すぐに警備員の視線がこちらに向いた。


 颯人は、とっさに近くにあった巨大な観葉植物の陰に身を隠した。月代も彼の意図を汲み取り、自然なそぶりでその陰に続いた。

それは、二人の連携とは呼べない、ただの不器用な庇い合いだった。


「あの……鳴海さん、大丈夫ですか?」

月代が、颯人にだけ聞こえるように小さな声で尋ねた。


「さっき、ちょっと危なかったですよ。でも、私もしっかり隠れられたので、助かりました!」

興奮した様子で語る月代に、颯人は何も答えなかった。ただ一瞥をくれただけで、再び前を向き、何事もなかったかのように進み続けた。


 監視の目を搔い潜りリフトへと到達し、二人は素早く地下へと向かった。地下深くの一つのフロアに降り立つと、空気の匂いが急に変わった。

上層階では高級な芳香剤の香りが感じられたが、その奥には、隠された熱気と、金の生々しい匂い、そして確かな緊張感が漂っていた。


 白石から伝えられた間取りを元に、二人は迷うことなく進んだ。

ケーブルや配管が剥き出しになった裏通路を抜け、やがて重厚な鉄製の扉が目の前に現れた。VIPルームへの入口だった。


「ここが最終地点ですね」と月代が囁いた。


 颯人は頷いた。しかし、その次の瞬間、彼の目は通路の角のわずかな動きを捉えた。


「待て」


 彼の低い声は、刹那の静寂を切り裂いた。その次の瞬間、通路の角から、二人の男が姿を現した。

彼らは黒いスーツに身を包み、腰にハンドガンを携えていた。カジノの用心棒だろう。


「誰だお前ら!」

一人の男が、銃口を颯人たちに向けながら叫んだ。ほぼ同時に、もう一人の男が引き金に指をかけた。


 その瞬間、颯人の「見切り」が絶対的な頂点に達した。

銃口のわずかな揺れ、発砲の意思、空気の張り詰め――その全てが彼の脳内で数学的に処理され、未来が手のひらのように現れた。


 パン!パン!パン!


 銃声が通路に激しく響き渡った。しかし、弾丸が空気を切り裂くその場所には、颯人の姿はもうなかった。

彼は、腰を捻り、背中を大きく反らすことで銃弾の軌道から身を逸らした。まるで水面を滑る石のように、最小限の動きで、その体を横へと滑らせたのだ。

それは、長年の鍛錬によるものではなく、人間に備わった、生存本能の極致だった。


 回避そのものすら、颯人の目的ではなかった。避けながら、彼はすでに次の行動へと移行していた。

銃弾の軌道を利用し、一人の用心棒の背後へと回り込み、まるで空気を掴むかのように、その腕を捉えた。


「何っ!?」


 用心棒は驚愕の表情を浮かべたが、次の瞬間には、すでに制御不能になっていた。颯人の動きは、冷徹で、最小限でありながら、完全に効果的だった。

背後を取られた用心棒は、振り向こうとしたが、颯人は銃を構えていた腕を掴むと、その腕を相手の首に巻き付けるように捻り上げた。いわゆるヘッドロックだった。


 それは、彼の内に秘められた天賦の才と、理性を超えた本能が奇跡的に融合した、極限の武術だった。

彼の無駄のない動きは、まるで熟練の武術家のように洗練されており、その場にいる誰もが、彼の動きに驚かざるを得ないものだった。


 捕らえた用心棒を盾のように扱い、発砲を続けるもう一人の銃弾を文字通りに防いだ。水流のように途切れない銃弾が、用心棒の体を赤い色で染め上げていった。


「ぐあああ!」


 悲鳴を上げる間もなく、用心棒の体が弾丸のエネルギーによって揺れ動いた。その隙を見逃さず、颯人は腕を捕らえた用心棒の重心をずらし、腰を低く落とした。

そして、自身の体を旋回させると、用心棒の体は遠心力によって持ち上げられ放たれた。放たれた人間は、重い砲弾となって、発砲を続けていたもう一人の用心棒へと勢いよくぶつけられた。


 ドゴォン!


 人間同士の激しい衝突音。弾丸の雨が止み、一人の用心棒は、予期せぬ味方の激突にバランスを崩し、その場に崩れ落ちた。

颯人は、もはや使い物にならなくなった用心棒を放り捨て、崩れ落ちた用心棒の懐に素早く入り込み、銃を構え直す間も与えずに、その喉笛に掌底を叩き込んだ。


「グッ……!」


 短い呻き声と共に、男は意識を失い、そのまま床に倒れ伏した。颯人の動きは、最初から最後まで、全てが一つの途切れない連続だった。

思考そのものを挟む余地などなかった。彼の体は、彼の中に眠っていた能力と、戦闘本能によって、完璧な戦闘機械と化していた。


 彼の目の前には、敵の力の流れが光のように明確に現れた。その糸のわずかなずれを読み取り、「いなし」の技術へと昇華させていた。

敵の攻撃の主導権を利用し、まるで合気道の達人のように、最小限の力で敵自身を転倒させたり、互いに激突させたりした。


 彼の動きは、冷たく、感情を一切含まなかった。水流のように滑らかで、そこに無駄な要素は微塵も存在しなかった。


(……俺は、こんなに動けるのか?)


 颯人自身も、信じられない、といった表情を浮かべていた。彼は、自分の行動を、まるで他人のことのように眺めていた。

彼の頭の中は、今も冷静に状況を分析し、最適な行動を計算していた。しかし、その体は、彼の理性とは無関係に、勝手に動いているかのように感じられた。

それは、彼の能力が、彼の制御を遥かに超えた領域にまで達していることを示唆していた。


 通路には、二人の用心棒が意識を失い、血に染まった壁にもたれかかっていた。銃声の余韻だけが、奇妙な形で静寂の中に残っていた。


 月代は、その全てを、呆然と見つめていた。彼女の戦闘スタイルは、強力な一撃必殺型だった。今日も、その瞬間が来れば、あの重い戦斧を振るうつもりでいた。

しかし、目の前の光景は、彼女の想像を遥かに超えていた。一人の男が、文字通りに武器すら使わずに、二人の武装した男を瞬く間に制圧してしまったのだから。


 しかも、その男は、自分自身の能力にすら驚いているようだった。月代は、ただ驚愕していただけではない。

彼女の心は、激しい動揺とともに、新たな感情に支配され始めていた。それは、単なる驚きではなく、恐怖にも似た、畏敬の念だった。

この男の冷たい目の奥に、底知れない、しかし抗うことのできない力を感じたのだ。


(これが、鳴海さんの力……。でも、それだけじゃない。この人は、まるで別の何かみたい……)


 今日の任務は、まだ始まったばかりだ。しかし、彼女はすでに、この男と共に戦うことの意味を、ほんの少し理解し始めた気がしていた。

それは、彼女の無邪気な楽観主義では測りきれない、深い闇の存在を悟る瞬間でもあった。

てとまるです。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。

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