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裏目ノ目  作者: てとまる
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第二話 静寂

静寂を愛する男、鳴海颯人。

彼の日常は、タバコの煙とコーヒーの香りに満ちた無関心なルーティンだ。

だが、その瞳に映る「見切り」の力は、世界を分断する闇の存在を捉える。

政府の裏組織に招かれた彼は、自らの内に凍らせた感情と、妹の死の因縁に導かれる。

これは、無関心な男が、失われた「平穏」を取り戻すための物語。

「おっと、失礼。自己紹介が遅れましたね。私は白石 悠真(しらいし ゆうま)といいます」

男はそう言って、颯人の隣の台に座ったまま、彼の方に体を向けた。


 銀髪の柔らかい髪は、照明の光を受けて淡く輝き、目尻が下がった優しげな瞳は、一見すると人懐っこい印象を与えた。

身長は颯人よりも高く、すらりとした体躯は、超高級なブラウンのオーダースーツに包まれていた。

仕立ての良いスーツは彼の体に完璧にフィットし、その立ち姿はまるで雑誌のモデルのようだった。

黒いワイシャツにワインレッドのシンプルなネクタイ、足元には丁寧に磨き上げられた濃い茶色の革靴……。


 どこからどう見ても「優男」という印象だが、その瞳の奥には、底知れない深淵が隠されているように感じられた。

それは、表向きの柔和な表情とは裏腹に、鋭い知性と、計算し尽くされた冷徹さを秘めていることを示唆していた。


「いやぁ、驚かせちゃいましたかね? 探しましたよ、鳴海さん」

白石はそう言って、颯人の隣の台に座ったまま、彼の方に体を向けた。

その視線は、颯人の顔ではなく、まるで彼の内側を見透かすかのように、彼の瞳の奥、魂の深淵を覗き込んでいるようだった。


 パチンコ台のけたたましい音と、客たちの興奮したざわめきが、二人の間に流れる奇妙な静寂を際立たせた。

周囲の喧騒が、二人の間に張られた見えない膜によって遮断されているかのようだった。


「あんた、何者だ?」

颯人は、低い声で問いかけた。彼の声には、僅かながら警戒の色が滲んでいた。普段は感情を表に出さない彼が、ここまで動揺するのは珍しいことだった。

彼の無関心という分厚い壁に、初めて亀裂が入った瞬間だった。


 長年、何者にも、何事にも揺るがなかった彼の心が、目の前の男によって、微かに揺さぶられ始めていた。


「いやぁ、それにしても凄いですね! パチンコ屋さんってこんなに賑やかなんですねぇ!」

白石は、颯人の問いを意に介さず、楽しげにパチンコ台の液晶画面を指差した。その表情は、まるで純粋にパチンコの演出を楽しんでいるかのようだ。

颯人の眉間に、微かな皺が寄った。彼の無関心な表情に、初めて「苛立ち」という感情の兆しが浮かんだ。


(この男……俺の質問を、はぐらかす気か……?)


「……あんた、俺が何を聞いているか、分かってるのか?」

颯人は、さらに低い声で、今度は明確な不快感を滲ませて問い直した。彼の視線は、白石の顔から微動だにしなかった。

その瞳には、先ほどまでの警戒に加え、明確な探るような光が宿っていた。


「ええ、もちろんですよ、鳴海さん」

白石は、颯人の苛立ちを意に介さず、にこやかに微笑んだ。だが、その笑みの奥には、僅かながら冷たい光が宿っていた。


「あなたとは、お会いすることになると思っていましたよ。特にその、異常な“目”について、少し話があるんですけどね」

白石は飄々とした口調でそう言った。その言葉に、颯人の体は一瞬硬直した。彼の「目」が、一般とは異なるものであることを、目の前の男は知っていた。

その事実が、颯人の心を強く揺さぶった。


「こんな所での話もなんですから、少し場所を変えませんか? どうです、コーヒーでも飲みながら、ゆっくりお話ししませんか?」

白石は、そう言って、パチンコ屋の喧騒から逃れるように、颯人に提案した。その言葉の裏には、この場所では話せない、より重要な内容があることを示唆していた。


 颯人は一瞬、眉をひそめた。目の前の男が、自分の秘密を知っているという事実が、彼の心を僅かに揺さぶっていた。

それに、この男が何者なのか、その目的は何なのか、知りたいという僅かな好奇心が、彼の無関心の壁に小さな穴を開けていた。


「……分かった、いこう」

颯人は、ぶっきらぼうに答えた。彼の言葉は、不承不承といった響きだったが、白石は満足げに微笑んだ。



 二人はパチンコ店を出て、近くの喫茶店へと向かった。店は、パチンコ店の派手なネオンとは対照的に、落ち着いた雰囲気だった。

ジャズのBGMが静かに流れ、木製のテーブルと椅子が並び、店内にはコーヒーの香ばしい匂いが漂っていた。

客はまばらで、ほとんどが一人で本を読んだり、ノートパソコンを広げたりしていた。


 二人は窓際の席に座った。颯人は、白石の向かいに座り、無言でメニューを眺めた。

彼の視線は、メニューの文字を追っているようで、その実、何も見ていないかのようだった。


「鳴海さんは、コーヒーがお好きですよね? ブラックがお好みですよね?」

白石が、颯人の手元にある使い込んだマグカップの記憶を辿るかのように、穏やかに尋ねた。


「……ああ」

颯人は、短く答えた。


「私はブレンドコーヒーを。鳴海さんは、いつものブラックでよろしいですか?」

白石は、ウェイターにそう告げた。颯人は、白石が自分の嗜好まで知っている点に、再び微かな動揺を覚えた。

この男は、一体どこまで自分のことを知っているのだろうか。


 コーヒーが運ばれてくるまでの間、二人の間に沈黙が流れた。颯人は、窓の外をぼんやりと眺めた。行き交う人々、車の流れ。

全てが、彼とは無関係な、遠い世界の出来事のように映った。白石は、そんな颯人を静かに見守っていた。焦る様子は一切ない。

まるで、彼が時間を操っているかのように、その場にはゆったりとした空気が流れていた。


 やがて、香ばしい湯気を立てるコーヒーが運ばれてきた。颯人は、カップを手に取り、ゆっくりと口に運んだ。苦味が舌に広がり、熱い液体が喉を通り過ぎた。

飲みなれたいつもの味。だが、今日は、その味がいつもより僅かに苦く感じられた。


 白石は、一口コーヒーを飲むと、カップをソーサーに置き、改めて颯人に向き直った。


「さて、本題に入りましょうか、鳴海さん」

彼の声は、先ほどまでの飄々とした調子から、一転して真剣な響きを帯びていた。


「とぼけても無駄ですよ、鳴海さん。あなたのその動体視力、空間把握能力、そして『気の流れ』を見切る力」

「それらは、一般人には持ち得ない『異能』そのものです。あなたは、『異能者』なんですよ」

白石は、まるで天気の話でもするかのように、淡々と彼の能力を羅列した。その言葉一つ一つが、颯人の心臓を直接掴むかのように響いた。


 彼の脳裏に、幼い頃の記憶が鮮明に蘇った。



 小学校の頃、誰よりも速く、誰よりも正確にボールを捕らえ、周囲を驚かせたこと。

野球では、投げられた球の軌道がスローモーションのように見え、完璧なタイミングでバットを振ることができたこと。


 それゆえに周囲から浮き、妬みや嫉妬を買い、いじめられた日々。そして、大人になってから、自分が「人とは違う」と漠然と感じたこと。

図書館の奥深くで、あるいはインターネットの片隅で、秘密裏に語られる「異能者」という言葉に辿り着いたこと。


 彼はそれを、自分とは無関係な、遠い世界の出来事だと、心のどこかで片付けていた。自分はただ、少しばかり目が良いだけの、平凡な人間だと。


 だが、目の前の男は、彼の最も深い自己認識を打ち砕き、それを現実として突きつけてきた。


「私は、『政府特殊事案対策室』という組織の者です。表向きは存在しないことになっていますが、この社会の裏で蠢く『異能』が関わる事件を秘密裏に処理しています」

「最近、巷で騒がれている『破壊事件』も、その一つ。あれは、『異能者』の仕業です」

白石は、言葉を選びながら、簡潔に組織の存在と、彼らが直面している現実を説明した。喫茶店の静かなBGMが、彼の声を引き立てた。


 破壊事件。朝、喫煙所で聞いた二人組の会話が、脳裏をよぎった。手抜き工事ではない。異能者の仕業。その言葉が、颯人の心に、微かな、しかし確かな波紋を広げた。


 彼の無関心というフィルターが、少しずつ剥がれ落ちていくような感覚がした。


「あなたのような『異能者』の力は、この社会の『平穏』を守るために必要不可欠です。ぜひ、私たちに協力していただきたい」

白石は、真剣な眼差しで颯人に告げた。その言葉には、一切の強制力は感じられなかったが、どこか有無を言わせぬ響きがあった。

彼の瞳は、颯人の返答を静かに待っていた。その視線は、まるで彼の心を読み取ろうとしているかのようだった。


 颯人は、ゆっくりと煙草の煙を吐き出した。彼の瞳は、再び無関心の色を湛えているように見えた。だが、その奥には、微かな動揺が隠されていた。

彼の思考は、高速で回転していた。目の前の男の言葉が真実ならば、彼の日常は、彼の認識とは全く異なる世界の上に成り立っているのだった。


「……悪いが、興味がない」

彼の声は、氷のように冷たかった。それは、彼の心の奥底に築き上げた、分厚い防壁だった。何者も寄せ付けない、絶対的な拒絶の壁。


「俺は、俺の邪魔されるのが一番嫌いなんだ。朝はパチンコ、昼は適当に飯食って、夜は酒とギャンブル。それ以上でも以下でもない。あんたらが何をしていようと、俺には関係ない。関わる気はない」

颯人は、きっぱりと言い放った。


 彼の人生には、もはや何の意味も、目的もなかった。三年前、たった一人の家族である妹を失って以来、彼の心は完全に凍結していた。

他人の苦しみも、世界の危機も、彼にとっては遠い国の出来事と何ら変わりなかった。彼にとって、最も大切なものは、失われた。


 だからこそ、これ以上、何も失わないために、彼は無関心を装い、自分の世界に閉じこもっていたのだ。それが、彼が生き続けるための、唯一の方法だった。


「そうですか……残念ですね。ですが、あなたほどの逸材を、このまま見過ごすわけにはいきません」

白石は、そう言って、少しだけ残念そうな表情を見せた。だが、その瞳の奥には、諦めとは異なる、強い執着のようなものが宿っているように、颯人には感じられた。

白石は、颯人の反応を予測していたかのように、ゆっくりと懐に手を入れた。その動きは、まるで熟練した手品師のようだった。


「では、これはどうでしょう?」

白石は、そう言って、懐から一枚の写真を颯人の目の前に差し出した。それは、古びた、しかし鮮明な写真だった。

そこに写っていたのは、見慣れた、しかし二度と見ることのできない、愛しい顔。


 鳴海 芽衣(なるみ めい)


 颯人の、たった一人の妹だった。幼い頃のあどけない笑顔。大学生になり、少し大人びた表情。


 そして、最後に見た、血に染まったあの顔。


 様々な芽衣の姿が、彼の脳裏を駆け巡った。


 写真の裏には、日付と共に、簡潔な文字が記されていた。

『三年前。中野区廃ビル跡。異能者による殺害の痕跡あり』


 その瞬間、颯人の全身を、冷たい電流が駆け抜けた。彼の瞳に、初めて、明確な感情が宿った。それは、憎悪と、絶望と、そして激しい動揺だった。

彼の心臓が、ドクン、と大きく脈打った。まるで、何年も凍り付いていた氷が、音を立てて砕け散るかのように。


 喫茶店の静かなBGMも、客たちの話し声も、一瞬にして遠のき、彼の耳には、自身の心臓の鼓動だけが、激しく、不規則に響き渡った。

呼吸が浅くなり、視界が歪んだ。手元のコーヒーカップが、ガタガタと音を立てて震えた。


「……何を、言っている」

颯人の声は、震えていた。普段の無関心な彼からは想像もできない、感情のこもった声だった。彼の握る煙草が、ミシリ、と音を立てて潰れた。

白いフィルターが歪み、葉がこぼれ落ち、焦げた匂いが鼻腔を刺激した。彼の指先からは、血が滲み出ていた。


「三年前、あなたの妹さん、鳴海芽衣さんの死は、単なる強盗殺人として処理されました。警察の捜査はそこで打ち切られ、そのまま事件は迷宮入り……」

「しかし、私たちの調査では、現場には『異能』が関与した明確な痕跡が残っていました。」

白石の声は、穏やかだった。だが、その言葉は、颯人の心臓を抉るように響いた。



 彼の脳裏に、三年前のあの惨劇が、鮮明に、そして残酷に蘇った。

てとまるです。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。

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