トレイア・アンダーグラウンド?(13)
ずーん……と立ちはだかる、巨大な岩のような黒い体躯を前に、ごくり、と息を飲む。
…………のだけど。
斧をぎゅうと握りしめる私を他所に、黒い巨体〈シャドウ・エクスペリメント〉は、すんっ……と、その視線を他所へ外すと、私の目の前を通り過ぎていく。
……て、あれっ……??
――その視線の先にいるのは……ラドガーさん。それと、その傍らで回復魔法を唱えているユウくんだ。
絶叫の範囲攻撃の上に、腕を振り回す範囲攻撃を重ねて受けてしまったラドガーさんのHPは[30%]近くにまで減ってしまっている。……また、直撃ではなかったにせよその巻き添えを食ってしまったユウくんのHPも、半分近くにまで減ってしまっている。
…………って、ちょっと。待って、待って!
こっちを向いてー!!
その場で斧を振り上げて、目の前の巨体の脇腹辺りを叩いてみる。
すると……やっぱり、ぼすっ、という冴えない音を上げて、全く通らないダメージ。黒い巨体は私を振り返ろうともせず、後ろの二人へと目掛けずるずると地面を這いながらに、その速度を上げていく。
……うーん。
結構なダメージを与えたはずなのに。さすが、本職の戦士の〈挑発〉は効果が違うね。
…………って、感心している場合じゃなくて。
……不味い。二人が攻撃されたら、それこそ一撃だ。
だっとその場から駆け出すと、大きく背後へと回り込むように距離を取って、もう一度〈シャドウ・エクスペリメント〉を見据え直すと……、〈リープ〉が再利用可能になるタイミングに合わせ、その後頭部を目指して駆け出していく。
助走をつけて、地面を蹴って大きく跳ぶと、背中を踏み台にしてもう一度跳び上がって――……そして、頭を叩く!
ごっ――! と音を上げて、私の振り上げた斧がその頭部を捉え、完璧なタイミングで直撃――!!
………………した、はずなのだけど。
帰ってきたのは、なんだか冴えない音に、冴えない手応え。……黒い巨体は私へと振り返る素振りを見せていない。
……あれ……っ?!
上手く行った筈、なんだけど…………。
そのままくるりと翻って着地――じっとそのHPバーを睨んでみると、…………やっぱり、攻撃は失敗――その残りHPが2%か3%減ったかどうかの、寂しいダメージしか与えられていない。
……なんで……っ?
黒い巨体は私に背中を向けたまま……ずるずる、と這っていく。
咄嗟に追撃。その脇腹の辺りを更にもう一度叩いたけれど……やっぱり駄目。
ラドガーさん、それからその傍らのユウくんの傍にまで這っていって……それから、その巨大な腕を振り上げて攻撃の動作を取る。
盾を翳すラドガーさん。ユウくんは目を瞑ったまま、回復魔法の詠唱に集中し続けている。
…………待って――!!
咄嗟に投げ斧を取り出すと、その頭部へと目掛けて投げつける。
…………こっちを向けーっ!!
ぶんっ、と風切音を上げながら飛んでいった投げ斧は――……狙い通りに、その頭部へと命中。
斜め後ろから小突かれたみたいに小さく揺らいだ頭部が、のっそりとした動きで、傍らの私へと振り向いて、ぎろりと睨んだ、かと思うと……、
ぶおん――っ!! と鈍い音を上げて、その片腕が振り下ろされた。
とっさに身を捻って跳ぶと、激しい音を上げ、私の立っていた場所に拳が叩きつけられ、床が砕け散る。
……良かった、間に合った……!
…………けれど、やっぱりダメージは出ていない。
どうして……?
思わず、私の各種パラメータ類(HPやスタミナなど)が表示されているパネル部分を睨むと。
ユウくんから掛けてもらっている継続回復のアイコンや、各種ステータスの強化魔法のアイコンに並んで、なんだか見たことのないアイコンが表示されている。
剣の絵に、赤の下向きの矢印……というその見た目から、なんとなく推測出来るのは……。
「カナトさん、気をつけてくださいっ!! 先程の叫び声の範囲攻撃に、物理攻撃力ダウンのデバフが付いていたみたいです!!!」
その時、ラドガーさんへと回復魔法を唱え終わったユウくんが声を上げた。
…………ううっ、やっぱり……。
何度も攻撃をしてその上スキルも連発して……貴重なスタミナを、かなりの量、使ってしまった。
『デバフ』は、スロウや被ダメージアップなどのキャラクターを一時的に弱体化させる各種効果のことで、強化魔法や強化スキル(いわゆる『バフ』)の、逆の存在だ。
一応、私も手元のパネルのデバフのアイコンに触れたりなどしてみたのだけど、このデバフの名称が〈シャドウ・スクリーム〉だということ以外、正確な効果や残り時間などは何も分からなかった。
……あの、絶叫の範囲攻撃。ダメージ自体は低いけれど、広い範囲にスタン、その上に強力な攻撃力ダウンまで付いてくるなんて……。かなり、凶悪な特殊攻撃だ。
なにかしらの魔法やスキルが揃っていれば防ぐことは出来るのだろうけれど……今の私達では、距離を取る以外に対抗のしようがない。
……次にあの絶叫の素振りを見せたら、すぐに逃げるか……あるいは、スキルの発動を止めるか、しないと……。
はあっ、と大きく息を吐いて、額の汗を拭う。
……この大きなシャドウ、異様に強いな……。
レベル10やちょっとで戦うような敵とは考えられない。
足並みの揃わない普通のパーティだったら、10人や20人の人手を集めても全滅しかねないような……かなりえげつのない、凶悪なモンスターだ。
その上、今から暫くの間、このデバフが消えるまではただただ攻撃を避け続けなきゃいけない。
私の残りHPは――一時は20%程にまで落ち込んで、それからユウくんの継続回復のおかげで、やっと30%とちょっとにまで回復をしたところ。
残りのスタミナも心もとない。
ラドガーさんは膝を怪我してしまったみたいで、さっきまでは動けなくなってしまっていた。今では、ユウくんの継続回復を掛けてもらって、立ち上がっては居るけれど……戦える状態とは言い難い。
ユウくんの残りMPは30%とちょっと。今は精神を集中させて、MPの回復に努めている。
……厳しい、かな……。
考えたくもないけれど……状況は絶望的。
目の前の巨体が、ずずず……とその腕を持ち上げると、再び私を目掛けて叩きつけてくる。
粉々に砕けた床の破片が散弾のように飛んで、私の僅かな残り体力を更に、じわじわと削り取る。
攻撃パターンが変わってからというもの、通常攻撃にも若干の範囲攻撃の判定がついているみたいだ。
対して私は……隙だらけのその体へとカウンター攻撃も放つことが出来ない。
ダメージが通らない以上、無駄な動きでスタミナを減らしても、不利になるだけ――……。
……けれど、強いて言えば楽になっている点もあって……一撃一撃が明らかに強烈になっているかわりに、全般的な動作がもっさりとのろく、大振りになっている。
気持ち、移動速度も遅くなっているような……?
おかげで、少しは避けやすいし、距離も取りやすくなっている。
ぜい、ぜい。はあ、はあ――と、荒くなった私の息が耳障りに響いてくる。
こめかみから頬を伝う汗を拭うと、目に掛かって張り付く邪魔な横髪をかきあげる。
……つらいな……。
現実の疲れのせいか、それとも、ゲーム的なスタミナ残量のせいか……さっきから、視界が滲んで、身体がふらつく。もう一度額の汗を拭うと、斧の柄を握り直す。
…………寝る前にちょっとだけログインしようかなー、って……ただ、それだけだったはずなのに。なんでこんな事になってるんだっけ…………。
『…………がおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉん…………!!!』
突然、目の前の黒い巨体が咆えた――かと思うと、背筋を伸ばし、息を大きく吸い込むような素振りを見せる。
……さっきの絶叫の範囲攻撃かと一瞬焦ったけれど、……違う。
これは、まだ見たことのない、新しい攻撃……!
不味い……。何をしてくるか、全くわからない。
ぐるりと回り込むようにして、〈シャドウ・エクスペリメント〉を二人から引き離すように――対角線上に位置取りをすると、巨体の頭部、半開きになった口が、私を狙い定めたかのように追ってくる。
…………これは……なんだか、遠隔攻撃のようにも見えるけど。
そのまま、私を目掛けて、がばっ。と口を開くと――……なんだか、いかにも闇属性のビームを放ちそうな具合に、その口内が怪しく煌めく。
……ちょっと。なんでそんなに色々とスキルを持っているの!?
巨体から距離を取ろうと背を向け走りかけて、……それから思いとどまって、足を止める。
……もし、これが遠隔攻撃だとしたら、間近に居たほうがまだ避けやすそうだからだ。
ぎぎぎぎぎ、と怪しい音を上げながら、更にチャージされていくビームらしきもの。
その首の角度は完全に私へと固定されている。
…………。
……うーん、やばい。
これは、死ぬかも…………。
ぎぎぎぎぎぎぎぎぎがががごごごごごご…………。激しい音を上げながら、一際に光り輝くその口内。
どうせ死ぬくらいなら、ダメで元々。そう思って……、
……えいっ。
と、……その眉間へ目掛けて投げ斧を放る。
ごすっ……、と音を上げ、眉間へと斧が直撃。その首が斜め上へと傾いた瞬間――、
ぶわーん!! と耳をつんざくような激しい音を上げ、その口からまるでビルの柱を思わせるような黒いビームが放たれ――そして、地下道の屋根部分へと直撃した。
私の頭上で激しい爆炎が上がり、地下道を支えていたアーチの掛かった屋根部分――巨大な石材や、砂や岩が砕け散り弾け飛んで、砲弾のように辺りに降り注ぐ。
とにかくこの場から離れようと、踵を返し地面を蹴った瞬間に、目の前……手の届きそうなほどの間近に、巨大な――貨物列車のコンテナ程もありそうな――石材の塊が落下。既のところで床を砕き、めり込む。
あっ……ぶなーー……!!
咄嗟に身を翻し、ステップを踏んで石材への衝突を避ける。
まるで、稲妻のような音を轟かせながら、そこら中に降ってくる巨大な石材の塊、岩と砂。
その一つ一つが、私を一撃で床に落ちた卵のように変えてしまう、即死級の攻撃の塊だ。
……ちょ、ちょっ、ちょ……!!!
し、死ぬーー!!
走り回りつつも、なんとかしてその爆心地から逃れようとする私。
――……と、その時。屋根から剥がれるようにしてぼとりと落下した石材の一つが、黒い巨体……〈シャドウ・エクスペリメント〉の頭部へと直撃した。
まるで振り下ろされるハンマーのように、重力に引かれ緩やかに速度を上げた巨大な石材が、少し飛び出た釘を打つように、黒い巨体の小さく飛び出た頭部へと叩きつけられると……、
ごっ――。と、重く鈍い音を上げ、2-3の塊に砕けると、床へと転がり落ちる。
「…………ぐっ、おお――………………」
初めて、悲鳴らしい悲鳴を上げる〈シャドウ・エクスペリメント〉。……力が抜け落ちたみたいにしなしなと、お辞儀をしたときのような前屈の姿勢になると……、
骨が抜けたみたいに、だらーんとその頭部が垂れ下がり、攻撃できる位置にまで降りてきた。
――すぐさまに、自分のパラメーターが表示されているパネルを確認。……けれど、そこには未だにデバフのアイコンが表示されたままだ。
……うわー……!
なんだかよくわからないけど、今がチャンス……、今がチャンスなのにっ!!
このデバフさえなければ、そのまま倒せたかもしれないのに……っ!!
もーー…………っ!
…………つまり、ビーム攻撃を中断させる、……あるいは、ビーム攻撃を天井に当てさせると、今みたいにして自滅してくれる…………??
――……それよりも、とにかくっ。どうする……?!
……攻撃をすれば、大した効果は得られないのに、スタミナを減らしてしまう。
けれど、〈シャドウ・エクスペリメント〉は完全にスタンの状態……力が抜けたみたいに項垂れて、完全に動きを止めている。
迷って地団駄を踏む私を他所に、ラドガーさんが足を引き摺りながらもその近くへと駆け寄ると、手にした片手斧で垂れ下がった頭部へと攻撃を加える。
…………けれどやっぱり、ダメージというダメージはほとんど出ていない。
視線を逸らすと、杖を手にしてその様を眺めているユウくんへと声を上げる。
「ユウくん! デバフを打ち消す魔法は持ってない……?!」
「…………〈レッサー・ディスペル・マジック〉という、低位の魔法効果を打ち消す呪文なら覚えていますっ!! ですが、これがこの戦闘スキルに対して効果があるかどうかはわかりませんし、まだ覚えたばかりでMPの消費量もかなり高いんです……!」
「試すことは出来ます! が、MP切れで他の魔法は使えなくなると思います……!!」
……うう……。
思わず唇を噛んだ私の傍らに、激しい音を上げ巨大な石材が落下してくる。
ふと、天井部分を見上げると……その重みでひしゃげたようにして、この辺り一帯の屋根部分が歪み始めている。……ばらばらと石材やら砂やらがひっきりなしに降ってきていて、……今にも一斉に、天井ごと崩れ落ちそうだ。
…………と、いうか……。このあたりの地下道ごと、まるっと、やばい気がする。
――……無理のある賭けに出るくらいなら、より生存率の高い選択肢を取るべきだ。
ごくりと息を呑んで、それからすうっと息を吸うと、離れた場所に居る二人へと届くように大きな声を上げる。
「……みんな! 一旦、逃げよう……っ!!!」
「賛成だ!! 叩いても叩いても、全く効いてやがらねえっ!」
「カナトさんの判断に従います!」
ラドガーさんが声を上げると、続けてユウくんが言う。
――これだけの強敵。ドロップ品が気にならない、といえば嘘になるけれど。
スタミナが無い、HPが無い、ユウくんのMPも残り少ない。
その上で決定的なのは、攻撃力ダウンのデバフ。……何のデータも持ち合わせていない私達には、その残り時間もわからない。
……というか。
…………ゲームを始めたてのレベル10代で、こんな敵と初見で戦って倒せるパーティが、本当に居るの?
どうせ、この戦いに負けたらクエスト失敗は確定なんでしょ……?
なんて酷い難易度……! いっそ、クレームを入れたい気分だよ……。
「……私が最後尾を走ります!! この地下道の反対側まで逃げて、それでもまだデバフが消えてなかったら、残念だけど討伐は諦めようっ!!」
「おうっ!」
「……はい! 了解ですっ!!」
……そうして私達は、未だに項垂れたまま動こうとしない〈シャドウ・エクスペリメント〉を尻目に、崩壊しかけた地下道を駆け出していく――……。




