トレイア・アンダーグラウンド?(10)
――ホール状の屋根を突き抜けてしまいそうなほどに膨らんだその黒い巨体。
「…………は、はっはっは!! 残念だったなっ」
蔦で縛られたままのラドガーさんが声を上げる。
「こいつは、俺の命令通りに動く……あ、あー……なんだったか。ゴーレムみたいなものだ」
そんなセリフの割には、冷や汗と不安が顔に浮かんでいるラドガーさんに、どことなく白けた視線を投げかける私達。
「…………い、いや……それにしてもデカいな?! なんだって、一体……こんなに?!」
現れたその巨体の名前は〈シャドウ・エクスペリメント〉。
そのレベルは16で、明らかにボス格の雰囲気が漂っている。
今まで戦ってきた〈レッサー・シャドウミニオン〉の何倍もの大きさで、その顔つきや見た目も、それなりに可愛げのあったレッサーとは違って、残忍で、獰猛そうだ。
本来なら、8人かそれ以上で挑むような敵であって、とてもではないけれどたった3人で迎え撃つような相手ではなさそうだ。
育ち終えたばかりの巨体が、ぎろり――と私達の一人一人を睨みつける。
「よ、よしっ…………ミニオンよ、俺の拘束を解け!」
黒い巨体が声を上げたラドガーさんを睨むと……肩の辺りから、枝のようにずるりと伸びた長い腕を振り上げる。
……それは、今までも何度か見た引き裂いたり、叩き潰したり、と言った『シャドウミニオン』が攻撃をする際の動きだ。
腕の先端には鋭く尖った爪のようになっていて……あんなもので攻撃されたら、ひとたまりもなさそう。
「…………お、おいっ……待てっ! 俺は味方だろうがっ!!!」
声を上げたラドガーさんへと、容赦なく――びゅおん! と鞭のように振るわれる巨大な腕。
とっさに跳んで、その腕とラドガーさんの間に割って入ると、迎え撃つようにして斧を振るう。
ばきんっ――――!!
爪の手前――手首のあたりを目掛け斧を叩きつける。
斧から、まるで丸太に打ち付けたときのような激しい衝撃が伝わって……私の体が大きく弾かれ、壁へと叩きつけられる寸前で踏みとどまる。
……けれど、私の一撃でその腕を切り落とすことには成功――。
爪のようになったその先端が、勢いを保ったまま部屋の壁へと叩きつけられ、まるで破裂した砂袋みたいに散り散りになって弾け跳ぶ。
い、痛たた……。
斧を手にしていた腕にじーんとした痛みが走る。
カウンター攻撃を当てたのはこちらのはずなのに……今までの〈シャドウミニオン〉とは、段違いの攻撃力。
もし、こんな攻撃が直撃してしまったら……そう思うと、思わず身体が竦む。
腕を失った巨大なシャドウが、ラドガーさんから私へと視線を移し、睨む。
……今の攻撃で標的が私に移ってしまったみたい。
黒い巨体が私を目掛けて攻撃の構えを取ると、するする、と……失ったはずの腕が生えてきた。
「……ユウくんっ、蔦を解ける?!」
「…………は、はいっ!!」
解除! と呟いて杖を振るうユウくん。ラドガーさんの身体に巻き付いていた蔦がしゅるしゅると解けていく。
私を狙って叩きつけるように振るわれる腕の一撃を、斧の柄を使ってなんとか逸らす。
ずどん! と大きな音を上げて床を打ったその腕を、続けざまに横から攻撃……したものの、巨大なシャドウのHPはぴくりとも減っていないように見える。
「……た、助かったぜ……」
蔦から開放されたラドガーさんが、私の背後で立ち上がる。
「……ここから逃げましょう! 道を先導してください!」
「あ……ああ。そこの通路のすぐ先に、地上に繋がった階段に出れる通路がある!」
と、シャドウを挟んで奥側の通路を指差すラドガーさん。そこは、さっきラドガーさんの手下らしき二人の男性が樽を手にし入っていった通路だ。
……けれど位置的に、このまま4人と1匹が安全にシャドウの背後にまで回り込むのは……なかなか、難しそうだ。
一応、今のところはシャドウの注意が私に向いているみたいだから、今のうちにでも他のみんなが背後に回り込んでくれれば……
そんな風に私が思った傍から――再び、私を目掛けて鋭い爪が振るわれる。
ばりばりっ!! ……私を掠めたそれが部屋の壁を抉るとともに、何かが叩き割れるような激しい音が部屋に響く。
シャドウの爪が酒樽の一つに直撃――……樽が弾け飛ぶようにして叩き割れ、褐色の液体が飛び散った。
……同時に、なにやら嫌な臭いが部屋中を満たした。
石油を思わせるような異質な油臭に混ざって、火山性のガスから漂うような刺激臭も感じられる。
それは……今まで嗅いだことのないような……まるで何かの危険物を思わせるような嫌な臭いで、とてもではないけれどお酒のそれとは程遠い。
壁面へと飛び散った液体はどろりとしていて、緩やかに壁を滴っている。
……樽の中身は、お酒じゃない。
「…………ラドガーさんっ! どういうことですか?!」
鼻を抑え、ユウくんが声を上げる。
「し、知らねえ! 俺は何も…………本当だっ!!」
「とにかく……早く逃げよう! 私が攻撃を受け止めるから、みんなは後ろの通路に……っ」
シャドウと相対し叫ぶ私に、次の攻撃が振るわれる。
先程とは反対側の腕を使った、斜めに薙ぎ払うような攻撃。
……その時、シャドウの爪が燭台の一つを掠めて、火の付いていたろうそくがぐらりと揺れ、地面へと倒れ伏した――その瞬間。
ぼむっ!!! と音を上げて、部屋の半分近くを浸していた謎の液体が、猛烈な勢いで発火した。
――……一瞬で、部屋中が火の海になる。
そしてそれは、目の前のシャドウも例外ではない。
『ぐおおおおおおん…………!!!』
……撥ねた液体を少なからず被っていたせいだろう。ぞっとするような声を上げ、その黒い巨体の半身がごうごうと燃え上がる。
まるで暴れるようにし、その両腕が振り回されて……シャドウの視界の外に立っていたヴァルター君の足を激しく打った。
その身体が弾き飛ばされて、地面を転げる。
ほぼ同時に私へと振られた腕を、斧を叩きつけ弾き返す。
「ボウズ……しっかりしろ!!」
ラドガーさんが、足を抑えて蹲っているヴァルター君へと駆け寄ると、その身体を半ば強引に背負いあげる。
「カナトさんっ!!!」
ユウくんが叫ぶ。その腕の中にはレオの姿が見える。
「嬢ちゃん――そっちはもう無理だっ!! 早くしろっ! とにかく部屋から出るんだ!!」
出口がある筈の通路は猛火で塞がれ、もはや通れそうにない。
私を目掛けて振るわれた爪をもう一度弾くと、二人の背中を追いかけ、部屋の入口から外へと飛び出す。
――……と、その時。
ずどん!! と、激しい音を上げて、地面を揺るがすような爆発が起きた。
出てきたばかりの戸口から激しい火柱が上がり、同時にその付近の壁がぼろぼろと崩れて、出入り口が塞がれる。
息を呑んで、その様子を眺める私達。
私、ユウくん、レオに、ヴァルター君……それとついでに、ラドガーさん。……一応、全員無事みたい。
「……やったか?!」
ごうごうと石の隙間から火柱を上げる廃墟を見ながら、ラドガーさんがぼそりと呟く。
…………えーと、そのセリフは口に出したらいけないやつなのでは……?
私が心の中でつっこみを入れると同時。崩壊していた戸口部分がみしみしと音を上げて盛り上がった……かと思うと。
壁を盛大に壊しながら、燃え盛る部屋から黒い巨体が這い出てくる。
『ぐおおおおおおおおおおおおん…………!!!!』
地下道に何重にも響き渡るようなおぞましい声を上げるシャドウ。例のお酒を浴びたその巨体は、ごうごうと火柱と黒煙を上げて燃え続けている。
「…………う、うわああああっ!!!」
……一目散に逃げていくラドガーさん。私達も、その背中を追って走り出す。
✤
『ぐおおおおおおおおおおん…………!!』
咆哮を上げながら、燃え盛る黒い巨体が私達を追いかけてくる。
ユウくんが魔法の蔦を用いた攻撃をしたものの……シャドウはものともせずにそれを断ち切ってしまった。
私達へと距離を詰めると、その重機のような腕を振り上げ、攻撃を繰り返す。
ヴァルター君を背負ったラドガーさんを守るため、私がその最後尾を走りながらその攻撃を弾き、躱し続ける。
ずどぉん! ずどぉぉん!! と激しい音を上げて、爪が何度も私を掠め、地面を抉り取る。
……そして、運の悪いことに……。
いつの間にやら、もともと通路に居たらしき2体の〈レッサー・シャドウミニオン〉が参戦。巨大なシャドウの後を追うようにして私達の背中を追いかけてくる。
列を成して逃げていく私達と、それを追う3体のシャドウ。
これは……止まったら、死ぬかも……。
「や、やべえ……っ」
私の前を走るラドガーさんがなんだか青い顔をして、やべえ、やべえ、と先程からしきりに呟いている。
「何がですか?!」
思わず、私が聞き返すと……ラドガーさんは気まずそうに、吐き出すように言った。
「……この先、道がねえんだよ……!!」
『ええええっっ?!』
私とユウくんの声が一つに重なる。
「なら、なんでこっちに逃げたんですかっ!!」
「きっ…………気付いたらこっちに逃げてたんだからしょうがねえだろうがっっ?!」
「…………他に道は無いんですか?!」
「……た、多分……」
✤
それからすぐに、問題の行き止まりが見えてきた。
通路が続いていたらしき箇所が崩落していて、完全に道が途絶えている。
「カナトさん……! 道が……」
「こう……ぐるりと……逃げれねえのか?!」
いわゆるUターンが出来ないか? と言う意味だと思うけど……後ろをちらちらと振り返りながら、「無理か……?! ……無理だな……」と一人言葉を続けるラドガーさん。
道幅がそれほど広くないのもあるけれど、何よりもこのシャドウの身体が大きいのだ。2体の“レッサー”が参戦してきたのもあって、私達が上手くこの通路を引き返せるようなイメージは……残念ながら、湧いてこない。
「戦うしかないよっ……!」
「……だろうな」
「ですね……っ」
三人で顔を見合わせ、頷きあう私達。
けれど、勝ち目は……あるのかすらも怪しいところだ。




