トレイア・アンダーグラウンド?(3)
「はあ、はあ、はあ……」
薄暗い路地裏に、私の荒い息が響いている。
ここは……トレイアのどこかの、狭い路地。
目の前は通りへと続いていて、ちらほらと左右に人が行き交っている。
路地と言うより、建物と建物の間に出来てしまった隙間、と言ったほうがしっくり来るような、窮屈な空間だ。
あの後――中央広場から路地へと入った私を、何人かのプレイヤーだったり衛兵だったりが追いかけてきていたのだけど……しばらくの間路地を必死に逃げ回っているうちに、逃げ切れたみたいだった。
ほぼ全力で走り続けていた私は、[0%]近くまで減ってしまったスタミナを回復するため、フードを目深に被り、外套で私の格好を覆い隠し、壁の影へと背を預けていた。
辺りは薄暗くなり始め、通りにはぽつぽつと街の灯りが灯り始めていた。ゲーム世界の時間を示す時計には午後の6時18分と表示されている。
びゅう――と吹き抜けた強い風が、港の方から潮の香りを運んでくる。
路地から顔を出し、通りをちらりと伺うと……私がちょうど顔を出した所を掠めるようにして、衛兵たちの集団がばたばたと走り去っていく。
「……さっきから物々しいね。何があったんだい」
通りの方で、街の人らしき女性が眉をひそめて、ぼそりと呟く。
「広場の方で凶悪犯が出たらしい。……女の子だっていう話だが……」と、傍らに立っていた恰幅の良い男性が言う。
「なんだってまた……」
『ここから散開し捜索を続ける! 二人一組で行動し、見つけ次第声を上げて知らせよ!』
衛兵たちが走り去って行った方角から声が上がった。噂話をしていたおじさんとおばさんが、そちらの方を振り返って様子を眺めている。
ちらり、と再び顔を出して、彼らの様子を伺うと。緩やかに曲がりくねった――ちょうど大型の馬車が一台通れるくらいの広さの――通りの向こう側で、先程の、槍を背負い鎧を着込んだ4人の衛兵たちが集まって何やら話し合っている。
『繰り返すが、逃げ出した女は茶髪! 背丈は低く、墨色の擦り切れたクロークを羽織り、大きな斧を携えているとのことだ!!』
……そんな声が聞こえてきた。
だめだ。これじゃ、通りには出れそうにないよ……。
時計を見返すと――小さな文字で表示されている現実の時間は、24時とちょっと。丁度、日付が変わったところだ。
どうしよう……明日も学校なのに。
……それで、ふと思った。
もう、ここでログアウトしてしまおう。
出来れば、安全と言えるガサルさんのお店にまでは行きたかったけれど……。行き当たりばったりで走り回っていたせいで、私自身、私が今何処にいるのか、全く把握していないし……。
こうなった以上、ここでログアウトしてしまう以外に、私に出来ることは余り残っていなかった。
それで、メニューを表示させ〈ログアウト〉を選択してみた、のだけど……。
『危険エリアの為、安全にログアウトすることが出来ません。この場でログアウトを実行した場合、あなたのキャラクターはしばらくの間この場所へ滞留することになります。』
エラーの効果音と共に、そんなメッセージが表示されてしまった。
……それでもログアウトを実行しますか? ――とメッセージは続いていて、その下には〈はい〉と〈いいえ〉のボタンが並んでいる。
つまり、私がゲームからログアウトをしても、私のキャラクターはこの世界にしばらく残り続けてしまうのだ。
これは、『フロンティア』などのPvPエリアや、『ダンジョン内などでログアウトをしようとした時』、あるいは『船に乗った状態でログアウトをしようとした時』と同じ状態で……、ネット回線のエラーなどで強制的に切断されてしまった場合にも、同じことが起こる。
その間、攻撃された場合にはオート操作で戦闘行為を行ってはくれるのだけど……。当然、HPが0になれば、キャラクターは倒されてしまうことになる。
せっかくの稼ぎである大量の銀貨を所持した状態なので……こんな場所へとキャラクターを放置したくはないし……、更に、もし私が倒された場合、私は結局ホームポイントである〈トレイアの中央広場〉へと戻されることになる。
そして、生まれ変わったその場で延々と衛兵に倒され続ける――そういう可能性も十分にあるのだった。
はぁ、と深くため息を吐いて、その場でへたり込む。
……これからどうしよう……。
あるいは、絶対に人に見られないような場所でログアウト出来れば――例えば、地下や廃屋などの――その場にキャラクターが残っても、多少は安心なんだけど……。
膝を抱えたまま、ぼう、と通りを眺める。あれ以来、衛兵が走ってくるようなことはなく、一見すれば平和な――いつものトレイアの空気が戻っている。
いつの間にか、夕日に染まって真っ赤になっていた空と街が、青く、薄暗く、夜の世界へと移り変わっていて……街灯や家々から漏れる明かりが盛大に灯り始め、街を煌々と橙色に照らしている。
……と、その時。
ふと、通りを横切るプレイヤーの集団のそのうちの一人と目が合った。
彼は突然に足を止めて、訝しげな表情を浮かべると……何かを考えるようにして首を傾げ、じいっ、と私を睨んだ。
プレイヤーだ。大人の、見知らぬ男性で……、革製の鎧を身にまとって、腰には剣を差している。
私は、ぱっと視線を逸らし、地面へと視線を戻した、のだけど……。
路地の入口の方から、私へと歩み寄るようにし、ざつ、ざつ、と彼の足音が近づいてきて……思わず、ぎゅうと膝を抱える。
「……何をしてるの? 早く行くわよ」
彼の仲間らしき女性の声が響く。
「ん、いやな……」
彼はそのまま私の傍らへと歩み寄ってくると。……私の肩を叩いて、そして突然、私の被っていたフードを掴んで強引に引き下ろした。
……同時。彼の身体を突き飛ばし立ち上がると、地面を蹴って走り出す。
「…………おいっ!! 居たぞっ!!!」
逃げ出した私の背後から声が響く。
「……はあ?」
「PKの女だよっ!!!」
路地の奥へと、全速力で逃げていく。
狭い路地を、右、左、と何度か折れ曲がったのだけど……それでも彼は私へと距離を詰めてきた。
その途中……ごめんなさい、と呟いて、お店の裏口らしき扉の前に積み重ねられていた樽の山を崩すと、路地へと撒き散らす。
樽のいくつかが叩き割れて、お酒らしき内容物を撒き散らし――そのうちの樽の一つが、私を追いかけてきた彼へと直撃し、悲鳴が上がった。
――これで逃げ切れる、と、前方へと向き直ったその時。
ばちんっ!! と足元から青白い光が瞬いて、足に痛みが走った。
同時。片足が引っ張られるかのような感覚が走って、私の身体が、まるで投げ出されたかのように宙を舞い――
どっ、と路地へと激しく叩きつけられ、転げる。
すぐに立ち上がろうとしたのだけど、同じように足が引っ張られたかのような違和感を感じて……ふと足元を見ると。……私の左足を、なにやら青白く光る魔法の枷らしき物体が繋いでいた。
その形状は、いわゆる足枷――枷と鉄球が鎖で繋がれたようなそれに似ていて、足を引いて重りの部分を引っ張ろうとすると、ばちばちばちっ! と青白い火花が散って、再び痛みが走った。
「――、っ……」
路地の奥から、冒険者らしき格好をした3人組がゆったりとした足取りで現れると……路地へと崩れ落ちた私へと歩み寄ってくる。
剣を構えたグラハムさん。最初に私と目が合った男性で、年齢は私よりも二回りほどは上に見える。如何にも冒険者といった雰囲気の革鎧に身を包んでいて、どことなくベテランらしい雰囲気が感じられる。レベルは16。
その後ろを歩くシュウさんは、鋭い目つきの黒髪の長髪の男性で、弓を手に、頭にはバンダナを巻いている。レベルは14。
そして――
「……〈雷縛の足枷〉。移動速度低下の上に、その場から移動すると継続ダメージが入る。もう、逃げられないわよ」
路地の奥。三人組の最後方から私を見下ろし、そう呟いたのは――杖を手にし、ローブを着た魔法職らしき女性だ。浅黒い肌色にウェーブの掛かった長い金髪のきれいな人で……深いスリットがはいったローブからは脚が覗いていて、何処となく艶めいた雰囲気が漂っている。
名前はカティアさん。そのレベルは16。
「ボスのレアドロップ品の特殊な魔法で、ここいらでこれを持ってるのは私くらいじゃないかな。……ってわけで――悪いけど、ここで死んでね。街の平和のため、私達の報酬金のため」
3人は揃って同じプレイヤーギルドに所属しているらしく、ネームプレートには〈ウィンドクレスト・レギオン〉との表示が並んでいる。
袖で溢れかけた涙を拭うと、立ち上がり……フードを被り直すと、きっと彼らを睨みつけ武器を構える。
そのまま、後退ろうとするも――再び、ばちばち……っ! と、魔法の枷から火花が散って、感電をしたみたいな鋭い痛みが足へと走り……思わず、小さく悲鳴が漏れる。
「…………なんだか、ちょいと不憫だな」 剣を手にしたグラハムさんが、私を見て呟く。
「外見に騙されるな。立派なPKでしょ……因果応報よ」
「この子があの動画のPKだってのは間違いないんスか? 俺、良く見てないんスけど」弓を手にしたシュウさんが、落ち着いた声で呟く。「学生服っぽい格好の子ってそれなりに見ますよ」
「間違いない。何度か見返したが、タイの柄だったりスカートの柄がまんま同じだ。カナトって名前も、リプに付いてた他プレイヤーの報告と合致する」
「なら、確定ね」
「あらら。……なんでPKなんかに手を出しちまったんスかね」やれやれと言った様子でため息をつくと、シュウさんが呟く。
「さあな。大方、リアルで鬱憤でも溜め込んでんだろ」
「……ねえ、どうでもいいけど、さっさとやっちゃってくんない? シャックルの効果時間は無限じゃないの」
「あとどれくらい持つ?」
「さあね。抵抗値によっても変わってくるから……まあ、2分前後、って所かしら。……ただし再利用までが長いから、これが切れたらまた逃げられるわよ」
「なら、十分だな。――よし、行くぞ。いつも通り、DPSは任せた」ごくり、と息を呑む音が小さく響いて、それから、私へと向けその剣を構え直す。
「……早くしてよ。さっきからあんたのファーストアタックを待ってるんだけど」
「うるせえな。カティだって、リバースでのPvP戦闘は初だろうが」
「大方、相手の子が思ったよりも可愛くてやりづらい、とか思ってるんじゃないの?」
「そう言うんじゃなくてだな……色々とリアルすぎて、調子が狂うんだって……このゲームは、よっ!」グラハムさんが、だっと地面を蹴って、私へと詰め寄ると……そのまま私の胸元を目掛けて、手にした剣が横薙ぎに振るわれる。
その攻撃を、斧の柄を使って受け流し、弾くと――
「ちょ……ちょっと、待ってください……!!」思わず、声を張り上げる。
「問答無用」冷たい声でカティアさんが言う。「PKはすべからく制裁と、昔から相場が決まっているの。……ま、次のキャラクターでは、せいぜい気をつけなさいな」
「でも、私……PK、なんて……――」
…………した、のかな。したのかもしれない、けど……。
「したでしょ? 知らないとは言わせない。全部SNSで公開されちゃってるわよー……って、まあ、名前は伏せて、顔は見えないように加工してあったけどね」
「つうか、君……今や結構な有名人だぜ? ――俺が見た時点で、普通に3万・4万くらいの反応ついてたしな」他人事、と言った様子でグラハムさんが言う。
「ま、映像の編集には若干の悪意も感じたスけど」
「赤ネームは赤ネームでしょ」
……さっきから、動画、とか、映像とか……一体、なんのこと……!?
「大体、キャラクターの中身がこの外見と同じ人間だとは限らないぜ」
「……どういう意味スか?」
「網膜認証なんぞをくぐり抜けて、他人のアカウントに強引にログインする方法があるんだとか聞いたことがある。――それでアカウントごと、アバターの売買が行われている、とかなんとか」
「へぇー。……なんか怖いっスね、それ」
「おしゃべりが過ぎるわよ」
カティアさんがクロークを翻し、私へと目掛けて杖を構えると……何やらぶつぶつと、魔法の詠唱を始める。
「はいはい、っと――!」
グラハムさんが前へと躍り出ると、私を目掛け突きを繰り出す。
ひゅん、ひゅんひゅん――と、素早く繰り出される連撃を、直撃しないように掠りながらもかろうじて避け続け――それから、一瞬に開いた隙を狙って、脇腹へと目掛けて斧を振り上げる。
「――ぐ、ッ……!」
直撃を狙った私の一撃は、既のところで剣を使って防がれてしまったものの……、ばきん――! と激しい金属音を上げ、グラハムさんの手から剣が跳ね上げられ、宙を舞うと、乾いた金属音を上げて路地へと落下する。
武器を無くしたグラハムさんがぱっと後ろへ跳んだその瞬間。――私の足元に大きな魔法陣が突然現れ、光を放った、かと思うと。
「〈エラプティング・アース〉」
巨大な柱のような何本かの岩の塊が私の足元から飛び出し――そして、私を突き上げるようにして直撃した。
「――……!!」
どっ――! という鈍い音を上げ、私の身体が跳ね上げられ……宙を舞い、そして、地面へと叩きつけられる。
……はあ、はあ、はあ……っ
薄暗い路地へと倒れ伏した私の荒い息が、辺りに響いている。
見れば、それなりに回復をしていたはずの私のスタミナが残り20%程にまで減少していて……、更に、今の魔法の直撃を受けて、元々80%程はあった筈の残りHPは30%以下にまで落ち込んでいる。
うつぶせになった状態から辛うじて起き上がると、その場にしゃがみこんだまま――傍らに転がっていた私の斧を取り、ぎゅう、と握りしめる。
「……まあ、チーター(チート行為を行うプレイヤーのこと)ってのはデマだったみたいね。スタミナもHPもフツーに減ってるし」そんな私を見下ろして、余裕を滲ませたカティアさんが呟く。
「とはいえ、かなり強いな。……相当やり込んでんじゃないか?」剣を拾い上げ、グラハムさんが言う。
「クロニクルでも居たスよね。やたらと上手い中高生」
「……異様に一撃が重かった。レベルは3も下の筈なんだが……どうなってやがんだ」
「……じゃ、トドメ刺すわね」
そう言うと……カティアさんが、再び何かしらの呪文の詠唱を始める。
唱えているのは、射出系の魔法か、それとも地点指定の魔法か……。
この時点では、推し量りようもなく。かといって動けば、この魔法の枷で継続ダメージを受けてしまう。それ以前に、大幅に移動速度が低下させられた状態なので、逃げるどころか、ただ避ける事すらも難しい状態。
そして私の目の前には、剣を構えたグラハムさんがカティアさんを守るようにして立ちはだかっている。
何らかの魔法の詠唱が続けられ、カティアさんのその手から放たれる光が力強さを増していく。
……もう、だめかも。
――……私が諦めかけて、目を閉じようとしたその時。
『……〈ディスペル・マジック〉!!』
突然に、私の背後――薄暗い路地の奥から声が響いた。
同時。私の足元で脈打つような青白い光を放っていた魔法の枷が、ばきん――!! と音を上げ、ガラスが砕けるようにし弾け飛ぶ。
何者か――その声の主が、こちらへと走り寄りながら、続けてなにかの魔法を行使する。
「〈詠唱加速〉――……〈リヴィタライズ〉!!!」
ぱあっ、と……私の身体を淡いグリーンの光が包み、そして私のHPがじわじわと、緩やかながらに回復を始める。
そして、その突然に現れた何者かは――何を思ったのか、私と彼らとの間にばっと立ちはだかった、かと思うと……大声で叫んだ。
「……――ここから逃げてくださいっ!!」




