トレイア・アンダーグラウンド?(2)
ぽかぽかとしたお散歩日和な陽気に包まれて……ヤシの木と一緒に古びた建物が立ち並ぶトレイアの通りを、中央広場へと向けて歩いていく。
街は相変わらず、平日の夜だと言うのに結構な人通りで賑わっている。
気を抜いたら、休日の昼と錯覚してしまいそうな……そんな雰囲気。
それからしばらくの後。
私の目の前に、巨大なアーチの大きな建物に時計の添えつけられた塔、階段のある大きな噴水――もはや見慣れた〈トレイアの中央広場〉の光景が開ける。
……よし。
無事に辿り着けたみたいだね。
数日開けただけなのだけど、なんだかちょっと久しぶりな感じ。
…………♪
ふんふん、と微かに鼻歌を口ずさみながら、港の方へと向けて広場を横切っていく。
――ここまでの道中は、とっても順調。
何人かの衛兵とすれ違ったけれど、やっぱり、フードを被っていれば特に怪しまれたりはしないみたい。
……ということは。
このまま、しばらくはこうやってやり過ごして、それからクエストなどをこなしてカルマを少しずつ上げていけば……赤ネームも、簡単に脱せれちゃうかも?
それに――案外、フードを外しても大丈夫だったりしないかな。
なにせ、普段の行いは良いわけだし。十分、ありえるかも?
ふふふ、なんてね。
――そんな事を考えながら、地図を開いて方向を確認していた時のこと。
ふと、銀行の看板が目に入って、それで……自分の所持金が、やたらと膨れ上がっていたことを思い出す。
その総額、なんと……銀貨にして約750枚。
例のパーティと戦った際に、銀行へとお金を預けていなかったプレイヤーさんが結構に居たみたいで……ニアの手元にもほぼ同量の額が振り分けられていたみたい。
それだけではなく更に、私の所持品には大量の〈アワアワクラブの甲殻〉やら、“ハサミ”やら“肉”やらが溜まっている状態。ニアに曰く、これら一つ一つが銀貨で何枚もの価値があるのだとか。
全て売り払ったら、かなりの額になりそうだし……この際だから、武器や鎧を一気に揃えてしまっても良いかもね。
それに、道中迷ったりしないか不安というのもあるし(しかも、今はクリスタルがないので広場に戻ることすらも出来ないので)――ここは一旦、銀行にお金を預けてから、その後でガサルさんのお店へ向かおう――と思い立った。
銀行の付近には衛兵も多く、怖いといえば怖いのだけど……今のところの様子なら、問題なくやり過ごせそう。
……そう思って、くるりと踵を返し銀行へと歩き始めた、その時。
…………突然、がくん、と私の視界が揺らいだ。
「ふ、んわあ――……っ!!?」
そのまま、べしっ……!! と、地面へと叩きつけられる私。
じんじん、と手のひらと膝に痛みが走って……それで自分が、石畳に躓いて派手に転んでしまった事に気付く。
……い、いたた……。
「え、何?」
「うわ、痛そー……」
「『フンワー!!』って笑」
「やめろよ。可哀想だろ」
周りの人の視線が私に集まるのを感じる。
……うう。恥ずかしい…………。
ふと、辺りを見回すと……近くを歩いていた数人から数十人の人達が、足を止めて私を眺めている。
その一人一人が、私を――……なんだか、複雑な面持ちを浮かべていたり、眉をひそめて話し合ったりとしていて――思わず、かあっと頬が熱くなる。
今の私は……さながら、大きなスクランブル交差点のその真ん中で派手に転んでしまった人――そんな感じだった。
一応、膝や手のひらを見てみたけれど、血などは出ていないみたい……――って、そういうゲームなのだけど。……とはいえ、派手に転んだせいもあって、私のHPが若干に減少していた。
「……なあ、おい……見ろよ」
「え? ……うわっ」
「赤くなってんじゃん」
「……ヤバくね?」
とにかく、地図を拾い直して立ち上がろうとしたその時。
……ふと、自分の頭を覆っていたはずのフードが外れてしまっていることに気付いて――ハッとなった。
いけない、と――咄嗟にフードを被り直し、ネームプレートを隠した、のだけど……。
それでも、周囲の人達には――たった数秒の間、だとは思うのだけど――私のネームプレートの色を見られてしまったみたいだった。
さあっと背筋に寒気が走る。
……その時には既に、かなりの人集りが私の周囲に集まりつつあった。
辺りにはざわ、ざわ、ざわ、と無数の話し声がざわめいていて……更に、広場にいた人たちが騒ぎを聞きつけ、こちらの方へとぞろぞろと歩み寄ってきている。
地面へと尻餅をついている私へと、100人近い人の視線が前後左右の360度から集中している――……そんな状態。
どうしよう……。
怖くて身体が言うことを聞かない。
下を向き、座り込んだまま――何をすれば良いのかも分からず、ただその場に硬直をする。
「何ー? 何が起きたん?」
「あいつ、ネームプレート真っ赤だったぞ」
「え、誰?」
「――……ほら、そこでしゃがんでる子」
「女の子やん」
「なんで赤いの?」
「誰か助けてやれよ」
「なあ。あいつ、例の――……」
「武器とか格好も同じじゃね?」
ざわ、ざわ、と。……異様な雰囲気と敵意を伴って、四方八方から、ささやき声や話し声が漏れてくる。
――その話し声の全てが、どうやら私を指しているらしいことに気付くのに、然程時間は掛からなかった。
「相当に悪質な迷惑プレイを繰り返すと名前が赤くなるんだって」
「え、怖……」
「なあ。アイツ、例のPKにそっくりじゃね?」
「そっくりっつーか、本人だろ」
「格好が似てるってだけでしょ?」
「なにそれ?」
「昨日だか一昨日だかにめっちゃバズってたじゃん」
「名前は『カナト』で他のプレイヤーの目撃情報と一致。武器も見た目も動画のまんまだし本人確定だろ」
『おーい、皆!!! 動画のPK現れたってー!!!』
周囲からカシャカシャ、とカメラ(と言うかスクリーンショット)を撮影する音が響いてくる。
「例の初心者狩りの二人組か」
「両手斧持ちのブリがカナトで短剣ローグがジニアだっけ」
「それってマジ情報なん?」
「あいつ、さっきまで一瞬フード外してたんだよ。間違いなく赤ネームでプレイヤー名はカナトだった」
「……うっそ。レベルは?」
「おい。一斉に攻撃しようぜ」
「衛兵くるんじゃね?」
「赤ネーム相手ならアシストしてこないぞ」
――いけない。今すぐ、ここから逃げないと。
そうは思っても。怖くて、震えてしまって――体が動かなかった。
周囲は完全に囲まれていて……その視線のすべてが、私ただ一人へと集中している。――なんだか、このまま押しつぶされてしまいそうだった。
「おーい。アイツのレベルは?」
「それはクロニクルの話だろうが」
「でも、無敵チート使用してんだろ。勝てるわけねーじゃん」
「クロニクルでも一方的に攻撃するとガードは反応するんだが?」
「初期の頃の話だろ。無知乙笑」
『おーい!! これ何やってんの?! 突発イベかなんかーーっ?』
「初期じゃなくて中盤以降からはずっとその仕様なんだけど」
『カナトのレベルはーーっ?! 誰か見てなかったのかよ!!』
「押すなって!!」
ついさっきまではぽつぽつ、と聞こえていただけの会話が、いつの間にか――無数の、圧倒的なざわめきへと膨れ上がっていた。
聞こえてくるいくつかの単語を拾う限りでは、このまま、攻撃をされてもおかしく無さそうな勢いだった。
「この場合どうなるんだ?」
『邪魔だッ!!』
「いいからさっさとやっちまおうぜ」
「じゃあお前がやれよ笑」
「一人で勝てるわけないだろ。レベル13だったぞ」
「うおーっ!! カナトちゃーん!!!」
「別のプレイヤーが揉める直前の動画もあげてたけど、あれはPKされた側も悪いだろ」
『レベル13だってー!!』
「ファンになりました!! 応援してます!!!!」
「中の人はプロゲーマーだろ。女子高生の動きじゃねーよ」
『カナトちゃん、キャラ消さないでーーッ!!!』
何度か深呼吸を繰り返し、精一杯に気持ちを落ち着けさせて……。それから、勇気を振り絞り、ざっ、とその場へ立ち上がると――
背負っていた斧を構え、周囲の一人一人を睨みつける。
「……うわっ!!!」
わあっ――、と人の波がざわめいて、私を取り囲んでいたその人の環が一斉に引いて、広がっていく。
「武器出したぞ?!」
「ちょ、どけって!」
「いててててッ……押すなっつうの!!」
これで、逃げれそうな隙間が出来た――……のだけれど。
『退け! 退けーーッ!!』
その隙間から――大声を上げ人混みを掻き分けながら、数人の衛兵が押し寄せてきて、あっという間に私を取り囲んだ。
「そこの女! ――その場に武器を置いて、顔を晒せ!!」
「取り囲め、 取り囲めーーッ!」
「武器を置け!!」
「女ッ! 名を名乗れ、外套を下ろし顔を晒せ!!」
衛兵の数は……ぱっと見た限りで、周囲に5人。そのレベルは大体、20前後といった所。
こうなってしまっては、もはやどうしようもなくて……。
武器をしまい直すと、ごくりと息を飲んで、フードの縁を掴む。
……大丈夫。街の誰かを攻撃したわけでもないのだから。
顔を見せて、衛兵たちが引いたら、広場から一気に逃げよう。
そう思い、ゆっくりと……私の顔を隠していたフードを引き下ろすと。
広場に緊張と静寂が走り、私の周囲を取り囲んでいた衛兵たちが息を呑んで、カチーン、と一帯が硬直した。
…………かと思うと。
『…………凶悪犯だあーーー!! 捕らえろーーッ!!!!』
大声が上がり……衛兵達が、一斉に私へと向けて武器を構えると同時に、ブオーーーーッ!!!! と、角笛の音が響いた。
がらんがらんがらんがらん――――!!
けたたましい鐘の音が、周囲にいくつかある大きな塔の上から一斉に鳴り響く。
――びゅっ、と突き出された槍の穂先が、私の脚を掠める。
あ、危な……っ?!
「捕まえろ、捕まえろーーッ!!」
「槍を突き出し取り囲めーッ!!!」
咄嗟に、近くにいた別の衛兵の槍の間合いの内――懐へと飛び込むと、戦技〈キック〉を発動――小さく飛んで、その胴を膝で蹴りつける。
「ぐあ……――っ!!?」
どっ――という鈍い音が響き、がしゃん、と鎧を鳴らして背後へと転げたその衛兵を掠めるようにし、その場から逃げ出そうした時……別の衛兵に、私の服――クロークを掴まれ、ビィッ……と、布地の切れかかる音が響く。
私のクロークへと伸びるその腕を掴み返すと、衛兵の身体をぐるりと振り回し、そして別の衛兵へと投げつける。
「グワーーッ!!」「うわあっ!!!」
衛兵同士の身体が激しくぶつかり合って、その鎧が大きな金属音を上げ、二人の衛兵が地面へと転げる。
その場に残った衛兵が私の肩の辺りを目掛けて槍を振るう。その攻撃をしゃがんで躱し、それから足を狙って突き出された追撃を小さく跳んで躱すと――……地面を蹴り、脱兎のごとく走り出す。
『逃げたぞーーッ!! 捕まえろーーーッ!!!』
きゃああ! わああああ!! ――と、甲高い悲鳴が周囲に響き渡る。もともと周囲にいたただの市民――NPCらしき人々が、突如撒き起こった混乱に悲鳴を上げて散り散りになって逃げ惑っている。
周囲には何人かのプレイヤーが武器を抜き放って、私の行く先を阻むようにしこちらを睨んでいて――……更に広場の向こう側からは、10人を越える衛兵が私へと走り寄ってきていた。
……もう、駄目かも。
そう思った、その時――。
「衛兵の邪魔をしろーー!! カナトちゃんを捕まえさせるなっ!!!」
『うおおーーーっ!!!』
それを見ていたプレイヤーの数人が、駆け寄る衛兵へと体当たりをしたり、腕を掴んだりし……突然、揉み合いが始まった。
な、何……?!
……とにかく、今は逃げるしか無い!
周囲を見渡し、衛兵たちが最も少ない方向を見定めると。……もう一度、地面を蹴って走り出す。
そのまま広場を突っ切って、目についた狭い路地裏へと飛び込むと、
薄暗く、ごちゃごちゃとした――木箱や樽、壊れたバケツなどが捨て置かれた建物と建物の隙間を、全速力で駆け抜けていく。




