トレイア・アンダーグラウンド?(1)
――ある日の夜のこと。
ぶつ、ぶーん……と、静まり返った私の部屋に、特徴的な〈VEIL〉の起動音が響く。
今や見慣れたロビー画面から、〈イルファリア・リバース〉を起動すると。それから、しばらく待機時間の後に、私――というか、私のキャラクター『カナト』は、岩場とヤシの木に囲まれた、オアシスを思わせるような池の傍に降り立った。
ここは、ええと……、例の〈ヘルベスの秘密の泉〉である。
…………って、あれ?
なんとなくで、『トレイアの中央広場』へとログインするものだと思い込んでいたから、ちょっとびっくり。
えっと。前回ってどうしてたっけ……。
――……そうそう。思い出した。
あれから――諸事情で赤ネームになってしまった後。ニアと二人、夜までカニを狩り続けて、一気にレベルが13まで上がったんだよね。
……つまり、私のレベルは10から13まで、たったの一日で『3』も上昇したことになる。
これだけの勢いでレベルアップしたのはゲームの最初期以来は初めてで……それだけ、カニ狩りの経験値は美味しかった。
しかもひとりじめ(二人だけど)だったから、ついつい無理をして夜遅くまでプレイしてしまって――……それで、そのまま疲れて寝落ちしてしまったのだった。
それから、家や学校のことで忙しかったのもあって、昨日も一昨日も、ゲームにはログインしなかったんだよね。
……よし。それじゃあ、ひとまずはトレイアに戻って所持品整理でもしようか。
メニューを操作し、街へと戻ることの出来るアイテムである〈クリスタル・オブ・リコール〉――通称『帰還のクリスタル』を取り出そうとしたのだけど。
……あれ?
なぜか、私の所持品リストの中にクリスタルが見当たらない。
あれれ。なんで……?
まだ使用回数だって残ってたはずなのに。
それで、ふと数日前の行動を思い返してみていて思い出したのだけど……。
そういえば……確か私、戦闘を開始する直前に、自分でクリスタルを放り捨ててた気がする。
……うーん。なんでそんなことをしたんだろう。
なんだか、決意表明と言うか。自分を鼓舞する意味で。つい……。
って、ちょっと待って。
――やばい。これ、帰れないよ……。
さーっと背筋が冷える。
街への方向の目印になるような何かを探して、きょろきょろ。と辺りを見回してみたものの。
辺りには――池と、崖から流れ落ちる滝以外には、目印になるような何かは一切なく。ただただ荒涼なオレンジ色の岩場や砂、それから藪だったりヤシの木だったりが広がっているのみだ。
一応、フレンドリストを開いてみたけど、ニアはログインしていないみたい。助けを呼べば、この間一緒に鑑定屋さん巡りをしたユリさんが来てくれるかも知れないけれど……今は、他所のパーティに混ざって遊んでいる最中みたいなので、ちょっと悪いかも。
…………うん。無理だな。
私に帰れるわけがない……今日はログアウトしよう。
そう、本気で思って――〈ログアウト〉のボタンを押しかけたのだけど。……その時、なんだか泉の傍の岩場に立って、竿を片手に釣りをしているらしき男性が目に入った。
――歳は、わたしよりもちょっと上くらい。
村人が着ているような擦り切れたチュニックに、藁の帽子を被って、少し眠そうな面持ちで水面を眺めている。
……この人、前に来たときには居なかったけど。
NPCかな? それとも、もしかしたらプレイヤー?
このゲーム、NPCが良く出来すぎているせいで、PCとNPCの見分けがつきにくいんだよね……。
PCでもロールプレイをしている人はNPCに見えるし、NPCは仕草やお話の仕方が人間そっくりなのでPCみたいに見える。
……どうあれ。フードを被って赤くなってしまったネームプレートを隠し、それから、彼の傍へと歩み寄り話しかけてみる。
「あの、こんにちは。……」
「………………」
「――、あのー……!」
……だめだ。
反応がない、というか、聞こえてない。――というのも、泉にはそれなりの大きさの滝があるので、辺りには、ざざざざ……という水の音がずっと鳴り響いている状態なのだ。
もう一度。今度はすう、と息を吸うと……
『こんにちわあっ!!!』声を張り上げる。
『――う、うわあーーーー――――――ッ!!!!??』
突然、叫び声を上げて竿を落とすと――そのまま池に落ちかけた彼の身体を咄嗟に掴まえて、支える。
「――あ、ありがとう。…………――なんだ、女の子じゃないか。驚かさないでくれよ……」
私の姿を、上から下までじろりと眺めると、ふう、とため息を付く。
……私の方がびっくりしたよ!
振り返った途端に、なんだか……モンスターを見たみたいな反応を返されて、それはもう、気絶しかねないくらいびっくりしてしまった。――って、たしかに、今の私はだいぶ怪しい風体かも知れないけど……。
「ご、ごめんなさい。――ええと、その。街へ戻るには、どの方向へ向かえばいいですか……?」
「街へ――……って、え、ええ……?? 一体どうやってここまで来たんだい」そう言うと、首を傾げる釣り人さん。「ここは、近隣の人でもなかなか知らない穴場、なんだけどね……」
「え、ええと。私は旅をしている最中でして」取り繕って言う私。
「それで、こんな場所まで迷い込んだのかい? ……君、変わってるね」くすくすと笑いながら、竿を拾い上げる。
「……うーん。案内をしてあげたいのも山々だけれど――あいにく、今日はまだ一匹すらも釣れてないんだよな。――……いや、そんな深刻な顔をしないでよ。危険といえば危険だけど、ここから街までは――子供でも往復できるような距離なんだからさ」
それから、うーん、となにやら考えて、言葉を続ける。
「そうだな、ここからは見えないんだけど――北に、大きな山脈があるんだよ」あっちのほうだね――と、ある一点を指差す。「〈ベルタ山脈〉と言うんだけど――その山々が、自分の、つまり君の左から少し背後に見えるようにしてひたすらに歩いていくと良い。そうすれば、すぐに街道に出れる」
「そして、街道へ出たら、今度は南――つまり、山脈からは反対側に向かうんだ。……簡単だろ?」
……なるほど。――そう言われてみれば、〈トレイア〉からも、〈レッタ平原〉からも、そしてこの〈ルディア丘陵〉からも、大きな山々が見えていたかも?
「〈ベルタ山脈〉が君の左手側に見える状態であれば、多少は左右にズレても絶対に街道にたどり着く。気付かずに通り過ぎたりでもしない限りはね。……あるいは、今から数時間待つ気があるのなら、僕が道を案内をしてもいいけれど?」
……ふむ。どうしようかな?
ゲーム内時間は、お昼の12時をちょっと過ぎた所。……ちなみに、リアルの時間は夜の10時過ぎ。今から日没頃まで待つとすると――ゲーム内のほうが時間の進みが早いとはいえ――リアルの1~2時間は待つことになりそうだ。
「……わかりました。ありがとうございます。歩いて行ってみることにします」
「それが良いよ。君、強そうだし――それに、大した距離じゃあないからね。僕も昔は、よく親に内緒でここまで遊びに来て、後で叱られたもんさ。……ただし、ドンキー達には気をつけたほうが良いよ。かなりしつこい、凶暴な奴も居るからね」
「それと――洞窟には入るなよ。……まあ、ここいらのは大丈夫だとは思うけれど。ここからさらに北――ラヴォニア地方の方ではミノタウロスの被害者が相次いでいるらしい」
――釣り人さんに曰く、ここからトレイアまではそれほどの距離はなく、高い岩場へと登れば、普通にトレイアの〈ティグリア城塞〉までもが見渡せるらしい。
それと、街道に沿うようにして3つの大きな古い風車が建っているので、まずはこの風車群の方へと歩いて行ってから、後はトレイア方面へと街道を上っていくのが一番楽だ、ということだった。
……うん。それなら私にも出来るかな?
✤
“ヘルベスの泉”から離れしばらく歩いていくと……確かに、視界が開けた場所からは〈ベルタ山脈〉がよく見えた。少し高所になっている場所からは、“3つの大きな風車”も見渡すことが出来た。
言われた通りに、山々を左手に風車をめざして、しばらくの間歩いていくと……やがて、無事に街道に出ることが出来た。
街道沿いの岩場に座り込んで、ふう、と一息。
携帯していた水を飲んでいると――。
なんだか、遠くの方から、ざっざっざ――と、物々しい足音が聞こえてきて。
なんだろう? と音のする方をながめていると……――街へと続いている街道の岩場の向こう側から、突然、衛兵達が現れた。
とっさにフードの縁を掴むと顔を隠す。
衛兵は3人で、レベルは18、15と、そして24。全員が槍を背負い、スケイルメイル(ウロコ状に鉄の板を連ねた鎧のこと)に身を包んで、ガシャガシャと鎧を鳴らしている。
……もし、攻撃されたら――ちょっと、どうしようもないかも。
衛兵がプレイヤーを攻撃する要素は、街での評判やキャラクターの種族、職業などに寄っても変わってくるので――一概に赤ネームだから攻撃される――というわけではないみたい。
逆に、ネームプレート自体は普通でも悪名が高い場合は、顔を隠していても攻撃される場合もあるのだとか。
もちろん、顔を隠していれば私は彼らにとっては何の変哲もない一市民、のはずだけど。もし、顔――というか、ネームプレートの色を見られたら、私が衛兵に攻撃されるかどうかは……五分五分、と言ったところかな。
トレイアでは私の種族〈ノルン〉はあまり評判が良くないみたいだけど……かと言って、特にトレイアの人達に何か悪い事をしたわけでもないし。むしろ、これでも結構頑張って地味なクエストをこなしたりなどして、街での評判は少しは上がっているはずだし……。
そんな事を考えつつ、じっと座ったまま、彼らが通り過ぎていくのを待っていると……。
「ん……ッ?」
私の目の前で、その三人のうちの一人がはたと足を止め。
そして、じいっと腰を落とし、私の顔を覗き込み始めた。
……な、何?!
思わず、その視線を避けるようにして顔を背ける私。
「んんー……――ッ?!」
特に、私に怪しいところは無いはずなのに。その衛兵は……なにやら、わざとらしく腰を屈めて、しつこく私の顔を覗き込んでくる。
……なんで?!
「おい……」後ろで腕を組んでそれを見ていた、リーダー格らしき別の衛兵が声を上げた。
……思わず、縮こまる私。
「…………おいッ! いい加減にしろ、ブルーノ!!」
「――へへッ。スミマセン」
私の顔を覗き込んでいた男性が腰を上げて、私へと向き直る。
「すまんな、旅人のお嬢さん。――こいつは美人を見ると、いつもこうなんだ。気を悪くせんでくれ」
「――……えっ。…………あ、いえ……」
「君、すごく可愛いのに。……顔を隠してちゃ勿体ないぜ」
ブルーノと呼ばれた男性が、きらりと歯を見せて笑うと――私を見て、そんなことを言う。
「ここいらは、街道沿いとはいえドンキー……『アナグマドンキー』というモンスターが出ることもある。出来るなら、街まで行ってからゆっくりと休むのが良い。〈トレイア〉はもう、すぐそこだぜ」と、リーダー格らしき衛兵さん。
「……あ、ありがとうございますっ」
「――ねえ、君。トレイアのピレ通り沿いに、〈“月明かりと海”亭〉って酒場があるんだけどさ。魚料理が美味くておすすめなんだが――……そうだ、良かったら後で一緒に飲まないかい。出会った記念に、俺が奢るし――ってわけで、もし良かったら名前を聞いてもいいかな?!」
ブルーノさんの頭上に……ごすっ、と拳が振るわれる。
「あ痛って?! ……何するんスか、いきなり!!」
「いい加減にしろ、阿呆。哨戒中だぞ」
呆れた風にしてブルーノさんを嗜めるリーダー格の衛兵さん。
それから、ばしばし、と背中を叩かれ、渋々と言った感じで歩き去っていくブルーノさん達に手を振って別れを告げて――思わず、ほっと一息。
はーっ……、びっくりした。流石にもう駄目か、と思ったよ。
✤
美人だなんて言われてすっかり気を良くした私は、それから、鼻歌交じりに街道を歩いていくと。
やがて、弧を描くように続いた道の向こうから、大きな城門の姿がどーんと現れ――無事、〈トレイア北門〉へとたどり着くことが出来た。
ふうーっ……。
やっと、帰ってこれた。
なんだかんだで、一時間以上はかかった気がする。
クリスタルさえ使えたら、一分もかからないのにね。
城門の近辺は賑やかで、結構な人数の冒険者パーティが集まって、思い思いに話し合ったりなどしている。
目深にフードを被り直して、念入りに顔を隠すと――わいわいとざわめいているパーティに紛れるようにして、城門を抜けていく。
ゲートの付近には、衛兵達の姿がちらほら。彼らは特に私を気にかけたりもせず――素通りをする形で、無事に城門を通り過ぎることに成功。
――ふう、良かった。これで一安心、かな?
って、街の中も衛兵は沢山居るんだけどね。
なにか目立ったことをせず、フードさえ被っていれば――トレイアの街の中でも普通に行動できる感じ、かな……?
……多分。
さて、どうしよう?
まずは手に入れた大量の戦利品を売って、クリスタルやポーション、食料品の補充をしたいところなのだけど……となると、やっぱりガサルさんのお店を目指すべきだね。
地図を開いて、道を確認し直す。
北門からは……今、私の目の前に続いている通りをずっと歩いていけば、ひとまずは中央広場にまで戻れるみたい。
そこからガサルさんのお店の方まで行くには――私の場合、直に(最短距離で)お店を目指すよりも、一度港の通りの方まで迂回をして、ニアと歩いた道を辿ったほうが間違いないかな。
……よし、決まりだね。
というわけで、まずは中央広場へ向かうとしましょう。
いつもありがとうございます。感謝です! ストックがないので少しゆるゆるとした更新になるかも知れませんが、今まで通り金曜日のお昼までには更新出来ればと思っています、よろしくお願いいたします。
皆様も花粉や体調などにお気を付けてお過ごしください。




