レベル上げをしよう(8)
「ほら、あなたの友達もそう言ってるじゃない。……いいからさっさと帰んなよ」
腕を組んで、勝ち誇ったような顔を浮かべているのはゆまりんさん。
「……悪いが俺からも頼むわ。ここまで歩いてきて結局無駄足でしたってのは流石にあんまりだ」――続けて口を開いたのは赤髪の槍術士、クロードさんだ。
「もうちょいでレベル15――新スキルが習得できるんだ。時間のたっぷりとあるお前らと違ってこっちはもう夜中なんだよ。ちょっとくらいは稼がせてくれ」
「……や、知らんっすよ、そんなの」伸びをしながら、興味なさげに呟くニア。「あんたがこっちの事情に興味が無いように、こっちもあんたの事情はどうでもいいっす」
「ねえ。もう、やっつけちゃいませんか? ――口で言ってもわからないなら、しょうがないじゃないですか」
「ゆまちゃんに賛成ー。この世は弱肉強食だろ」
「いやいや……マジでやめてくれ。――PK行為はナシだ」クロードさんが呆れた風に言うと、
「どうしてですか?」ゆまりんさんが不満を滲ませる。
――PKとは『プレイヤーキリング』の略で、プレイヤーが他のプレイヤーを倒してしまう行為のこと。あるいはその行為を行うプレイヤーを『プレイヤーキラー』と呼ぶ。前作『イルファリア・クロニクル』でも忌み嫌われる行為の一つとされていた。
「だから、さっきから言ってんだろうが……一般エリアで一般プレイヤーを倒すとメッチャクチャにカルマが下がるんだよ」「向こうから攻撃されて正当防衛でならともかく、こちらから攻撃して倒すのはナシだ。――クロニクル時代からの常識だろうが」
「言っとくが、カルマ値が0未満――つまり赤ネームになれば、場合によっちゃ重要なクエストなんかも受けられなくなるんだぞ」
「……でも、二人くらいなら赤ネームにはならないんですよね?」
「そりゃ、まあそうだが……。何かしらの装備品でも持ってるってんならまだしも――どっちも初心者丸出しの全身初期装備で、倒したところで俺等に一切のメリットもないだろうが」
「……そうは言っても、このままじゃ埒が明かないですよ」
「そこの『カナト』ちゃんの方はちゃんと理解してるみたいだけど……、お馬鹿さんの『ジニア』のほうはまだ解ってないみたいですし」
「――……あー、もうわかった。お前らがやりたいなら勝手にしろ」「だが、俺は攻撃に参加せず静観させてもらう。……こんなところでカルマを落とすくらいなら他所にでも行ったほうがまだマシだぜ」
面倒くさそうにしてその場から一歩下がるクロードさん。
再び、ニアとゆまりんさんの睨み合いが始まる。
その両者の間には、心なしかばちばち……と激しい火花が飛んでいるのが見える気がする。
「……っていうか、何。そのダサいスリッパ」ダサ――の部分に力を込めて呟くゆまりんさん。
「そんなので外歩いてて、恥ずかしくないの?」「って、まあ、お子様じゃあしょうがないかー」
「……はあ?」笑みを湛えながらも……明らかに、その語気には怒りが滲んでいる。「らび丸も知らないとか……これだから陰険女は」
……私も知らなかった、というのは黙っておこう……。
「知らないわよ、そんなの」ふん、と鼻で笑うゆまりんさん。「もしかしてアニメオタクってやつ?」
はぁ、とため息を付いてニアが言う。「……本当にいちいち腹が立つ。いっそのこと1on1で白黒付けません?」「勝ったほうが狩り場を頂くってことで」
「……なに、いきなりムキになっちゃって。ごめーん、もしかして図星だった?」
「あれー……もしかして、一対一じゃ勝てないっていう自信があるんですかー?」
――ばちばちばち、と飛び交う火花が一層に熾烈さを増す。
「だあーっ……もう……――おい、後衛組は下がっててくれ!」見かねたとばかりに、声を張り上げるクロードさん。
「えーっ……どうしてですか?」
「いいからもう下がってろ。3分後には狩りを始める」「あっちの岩場で待機しててくれ」そう言うと、背後の……元々、私達がカニを引っ張って倒していた辺りの岩場を指差す。
無言のままぞろぞろと、8人のうちの魔法職である4人が岩場へと歩いて下がっていく。
その去り際に……くるりと振り返り、私達にしか見えないように――べえー、と舌を出すゆまりんさん。
その場にはキラーシャークさん、クロードさん、その一歩後ろにソウタさんとタケルさんの4人の前衛が残って、私達と対峙をする。
†
「……オーケー。手っ取り早く説明すると、他の奴らは攻撃してでもお前らを追い出したいんだとよ」槍を担ぎ、腰に手を置いて、クロードさんが言う。
「俺一人がずっとそれに反対してんだ、カルマが下がってアホらしいからやめてくれってな」
「だが、これ以上ごねる気なら俺も口を挟まない。――実際、二人くらい倒したところで赤ネームにはならんからな」「俺等はどうあれここで狩りを始める。後はお前らの好きにしろ。――以上、これが最後の警告だ」
「――おら、早く帰れよ」
肩を押され……足がもつれてしまって、どすん、と尻餅をつく。
「……あ、痛たた……」
――……って、言うほど痛くもないかも。派手な転び方だった割には、HPも減ってないし。
「おい……シャークさん――やめろっつってんだろが」苛立たしげに言うクロードさん。
「な、なんだよ。軽く押しただけだろうが」「コイツが勝手に転んだんだ」
「……カナカナ」小さく私の名前を呼んで、手を差し出してくれるニア。
「ありがとう」その手を掴んで立ち上がる。
――と、その時。ちらりと見えたニアの横顔が……すごく、怒っている気がして。
今まで見たことのないような怒りを滲ませたその表情に……思わず、私までぞくりと怖くなってしまう。
……これはまずい、かも。
私がニアを引き摺ってでも……とにかく、今すぐにこの場を去ったほうが良さそう。
と、私が思って――その間もなく。
「……おい」キラーシャークさんへと向き直ったニアが、彼のシャツを掴んで……負けじと彼を押し飛ばす。
「……んだよ。やんのか?」ちっ、と舌を打つとニアをぎろりと睨む。
「ちょ、ちょっと……ニア。もういいから――」
ニアは、ちらりと私を見ると……それから、操作のパネルを出して、なにやらたかたかとメッセージを打ち込んだ。同時に、私の目の前にそれが表示される。
<ジニア> カナカナは、帰還クリスタルを使って街に戻っていてください
<ジニア> ちょっと、ガチで頭にきたんで……こいつらを出来る限り痛い目に遭わせてから街に戻ります。その後で中央広場で再会しましょう
続けて、『愛してるぜーっ!』と書かれた、目がハートの形になったサボテンのモンスターのスタンプが送られてくる。
……もう、ニアの馬鹿……!
こんな人達、放っておけばいいのに……
なんで、わざわざ自ら関わり合いになろうとするんだろう。
……そう、言いたいけれど。それを口に出す代わりに、ぎゅうと拳を握りしめる。
所持品リストから〈クリスタル・オブ・リコール〉を取り出すと――それを発動させる前に、メッセージの返信として『ニアのことをわざと怒らせて遊んでるんだから、挑発に乗ったらだめだよ』と、打ち込もうとした。
――打ち込みたかったのだけど……。
……未だにかたかたと手が震えてしまって、上手く文字が打てなかった。『ニアのことを』……その最初の数文字で、何度も打ち間違えてしまう。
その時、ぱっ……――と、ニアの姿が消える。
――〈シャドウダッシュ〉だ。相手の前衛組を一足飛びにして、……それから、彼らの背後に陣取る後衛組へと目掛けて全速力で駆けていく。
「……あ?」
「いきなり消えたぞ?」
「ログアウトしたんだろ」
「……ハハッ。無言で友達置いてくとか、ないわー」
黙ったまま、辺りを見回すクロードさん。――運の良いことに、その真後ろを駆けていくニアだけは目に入らなかったみたい。
それで――……メッセージを打ちかけたままのパネルを閉じると、ふぅ、と大きく息を吐いて――それからぼそりと呟く。
「……やっぱり、やめた」
「は?」その場に残っていた四人の目線が私に集まる。
「何をやめるって?ゲームをか?」ハハハッ――と笑い声を上げるキラーシャークさん。
――逃げるのを、だよ。
ぽい、と手にしていたクリスタルを投げ捨てる。
それから、彼らの目線には映らないように背負っていた斧の柄に指先で触れると、スキル〈チャージストライク〉を発動。これはレベル10になって覚えたばかりの、『数秒間力を溜め、次の一撃のダメージを大幅に強化する』スキルだ。
同時に、私の目の前に〈チャージストライク〉の発動までにかかる時間のゲージが表示されて、1%、2%……と、その数値が伸びていく。
ただし……このスキルは、力が溜まるまでの間に攻撃をしたり攻撃を受けたりなどして、チャージストライクのスタンスが崩れてしまうとスキルは失敗となり、その場合はただスタミナだけが無駄に消費されてしまう。
――絶対的に避けるべきは、ここで私が倒されてしまって、ニアと二人で買った髪飾り――ミスリルバレッタを落としてしまうことだ。
私の『イルファリア・クロニクル』時代の経験則だと、プレイヤーが倒されてしまった時にアイテムを落としてしまう確率は……大体、70から80%くらい。そして、基本的にその中に安価なアイテムは含まれないので――それなりに価値のあるアイテムの中からランダムに1個――運が悪ければ2個以上のアイテムを一度に落としてしまう事もある。
――そして私は、〈亡きエレオノーレのミスリルバレッタ〉以外には、ちゃんとした価値のある装備品をたったの一個も所有していない状況だ。
その為、私はここで今すぐに帰還のクリスタルを使うべきなのだけど……。
だけど――……私が見捨てれば、ニアは確実にここで倒されてしまう。
ニアは、私が知る限り、ゲームを始めてからは一度も死んでいない。デスカウントの数字が0から1に増えるくらいの事はどうでもいい、些末な事だけれど……。
…………それでも、ニアがここで彼らに倒されるのは――なんだか、すごく、すごく、すごーく…………。
想像するだけで、気分が悪くて、不愉快で……
とにかく、嫌だ、と思った。
「――ああ、やめろやめろ。やめちまえ」
ふん、と鼻を鳴らしたクロードさんが言う。
「イルファリア・リバースでは行動出来る奴が勝つんだ。そんな事も分からねえようならさっさとアンインストールしてくれや」「――動物とぺちゃくちゃ話せる生活ゲームでもやってろよ。そんで、そっから二度と出てくんな」
「ハハハッ」「だとよ。――……どうした? ログアウトしねーの、カナトちゃんは」口の端を吊り上げて、歩み寄ってくるキラーシャークさん。
「……それとも、もう落ちてんのか?」ぽん、とその手が私の肩を叩き――……そして、首筋から頬を撫で……髪に触れる。
――40%……50%……目の前のゲージがそのカウントを増していく。
彼らの背後では、全速で駆けていくニアが相手の後衛組の直前にまで肉薄している。ゲームのセオリー的には、相手の唯一の回復役であるもやし男さんか、最大の攻撃力を有するゆまりんさんをまず叩くはず。
「――何だ、これ。装備品か?」
キラーシャークさんの指が、私の髪飾り――ミスリルバレッタへと触れる。
――……と、その時。
詠唱が完了した彼らの魔法攻撃がニアへと放たれ、火球や闇のボルトがニアの足元で炸裂――2~3度の大きな爆音が続けて響き、砂煙が高く舞い上がる。……それから、その砂煙の向こう側で――うわああ……! と、男性の大きな悲鳴が上がった。
「……あ?」
「何だ?」
後ろを振り返り、もくもくと立ち上る砂煙へと目を凝らす4人組――。
ほぼ同時に、私の目の前に表示されていた〈チャージストライク〉の準備時間の表示が、99%から『完了』へと変化する。
――相手のその姿を見据え……すぐさまに真横へと倒れこむようにステップを踏んで、その背後へと回り込み、斧を掴みそれを振りかぶると……
完全に油断をしていた彼の背中へと目掛け、まるで旋風のような一撃を振り下ろす――。




