マーケットに行こう(2)
「――大丈夫ですか?」
私の隣で、心配そうにハトタを覗き込む男の子。
その横顔は――明らかに私よりも年下で、なんだか女の子のようにも見える中性的な顔立ち。
目にかからない程度の長さの黒髪と、その声は見た目通りの――ちょうど中学生くらいの、落ち着いた男の子、といった感じ。
魔法職らしい、生成り色のくたびれたローブを羽織っており――その頭の上には灰色の獣の耳がぴょこんと飛び出ていて、なにかの獣人の種族らしいことが伺える。
「――……あっ、と、その。――お姉さんが鳩を運んでいくのを見てたんです。……いきなり、ごめんなさい」
一瞬、目が合って――それで、お互いにハトタへと視線を戻す。
「……あ、ううん。――えっと、怪我をしてるみたいなんだ」
「あの。でしたら、僕、回復魔法を覚えたばかりなんです」
もじもじと……照れくさそうに言う。
「……本当?じゃあ――」
「はい、その――試してみますね。……使うのも初めてなんですけど……。うまく行かなかったら、ごめんなさい」
男の子は、膝をついた姿勢を取ると――気持ちを落ち着けるみたいに深呼吸をし、それからハトタへとその両手を掲げ、なにやら魔法の詠唱を始めると同時――ふわり、と、その手が光を放つ。
――――他のプレイヤーさんから聞いた話では、(装備品がそうであるように)魔法を覚えるための〈魔法書〉は相当な値段がするらしく……、また、魔法書は使用(習得)することで無くなってしまうので、覚えてから売る、ということも出来ず――
魔法職のプレイヤーさんは、資金繰りにかなりの四苦八苦をしているらしい。
そのため、習得できる魔法を全て購入・習得するのはとてもではないけれど無理な話で、レベル10時点でも数十にも及ぶ習得可能な魔法の中から、それぞれのプレイヤーさんがそれぞれの好みに合わせて数個の〈魔法書〉を購入、習得しているのが実情、みたい。
――また、〈写本師〉と呼ばれるプレイヤーの職人さんが製作した魔法書は、同じ店で売っている魔法書から覚えられる魔法よりも格段に性能が良いらしく――その中でも成功作は、レア装備並みの驚くような値段で取引されている。
それぞれの魔法には習熟度があり、それによっても大きく性能が変わってくるため、全く同じ魔法でも、使ってみればピンからキリまである、とのこと。
――――掲げた男の子のその手から、一際に強く光が放たれた。
同時に、ハトタの体が淡く光って――それから、光の粒がきらきらとその体の周りを舞って、減っていたそのHPがぐぐっと上昇、全快した。
「おおー。良かった……――ねえ、治ったみたい――」
……と、その時。なにやら右肩にのしかかるような怪しい気配が迫ってきたと思ったら――
「ずびーし」
「うひゃああっ!!?」
突然、謎の効果音と共に指先で脇腹を突かれ、思わず悲鳴を上げる。
ぐ、う……。
――思わず手を付き、うなだれる。
じろーり、と。――通りすがりの人達の目線が、私の背中に突き刺さるのがなんとなくでわかる。
……こんないたずらをする人物には、当然、一人しか心当たりがない。
「脇は、やめて……」
お腹を抑え呟くと、その傍らから明るい声が響く。
「なーにしてんすかー?」
――アドリックさん(元)こと、ジニアである。
外見は――……特には変わらず以前のまま。けれど、その髪型がいわゆるツインテール風――左右からいくらかの髪を取って耳の上で括ってサイドへ垂らしている――へと変わっている。
何日か前、ちょこちょこと髪型を変えていたときにかわいいと褒めたら(実際に可愛かったのだけど)、本人も気に入ったみたいで――それ以降はそのヘアアレンジを使い続けている。
「…………なんで居るの」
私と男の子との間に割り込むように、ずいと押し入ってきたニアを睨む。
「えーっ。……なんだか冷たいっすー。もしかしてお邪魔でしたー?」
そういう意味じゃなくて、よく見つけられたね、位のニュアンスだったんだけど……まあいいや。
…………て、あれ??
――私の傍らに居たはずの、ハトタに回復魔法を使ってくれた男の子が居なくなっている。
思わず立ち上がり、きょろきょろと辺りを見渡しその姿を探すも、それらしき人物の影は見えない。
「……ねえ、ここに居た男の子は?」
「そいつだったら、あたしのカオ見たら逃げてったっすー」
失礼な奴っすねー、と――なんだか楽しげに呟く。
……??
どうして逃げる必要があるの?
「なにかしたの?」
「べっつにー。目と目が合っただけっすよ」
「……本当に?」
「――……でことでこが触れるくらいの距離でー」
……近いな?
「名前は、見た?」
「さあ?……ローブを着てたっすねー」
いかにも興味のなさそうな――抑揚のない声で呟く。
「それは知ってる……」
――『イルファリア・クロニクル』では基本的に、キャラクターの頭上にそのキャラクターの名前が浮かんでいる、のだけど――あまりにも距離が遠いとか、周囲に人が多いときなどは例外で、その場合はしっかりと焦点を合わせ続けたりなどをしないとネームプレートは表示されなくなっている。
とはいえ、〈システム設定〉からその表示距離や表示数、表示のON/OFF自体を変更することが出来るので、これは各々のプレイヤーによって違ってくるのだけど。
そして、キャラクターの名前やアカウントのIDが分かれば、メニューの〈ソーシャル〉からプレイヤー検索をかけたりして、お手軽にメッセージを送ったりなどが出来る、のだけど……。
「――……なんです?妙に気にしちゃって。――もしかしてカナカナのオトコとかー?」
なんだか不機嫌そうに、私をからかうみたいに言う。
「男、って……。中学生でしょ」
「年下好き」
「違うってば」
……あれ以来、私はアドリックさん(元)ことジニアを『ニア』と――そして私は、なぜか『カナカナ』と呼ばれている。
なぜカナカナ? と突っ込んではみたけれど……なんだか、ニアの中ではそれがしっくりときてしまったらしい。
――……ちぇ。
一体、誰だったんだろう? 名前を聞いておけばよかった。
まだ、お礼も言ってなかったし……折角、友達が増えるチャンスだったのに。
ため息をついて、再びその場にしゃがみ込む。
回復が使えてローブ装備ということは、〈プリースト〉かな?
レベルも近くて、回復魔法も使えるなら――ニアと遊んでる時なんかに誘えたのに。
……私もニアも近接物理の攻撃職だから、回復待ちが面倒くさいんだよね。
「んで、このハトはー?」
私の隣に膝をついて、よちよーち、と呟きハトタを撫でるニア。
ハトタは首を引っ込めて、なんだか気持ちよさそうにしている。
「……うん。ええと――……その子はさっきまで怪我をしてた、んだけど。……それを回復魔法で直してくれたのが、さっきの男の子なんだよ」
「ふーん……なーんだ。忌々しいナンパ男じゃなかったんすねー。それは失礼ー」
はやとちったっすねえ、と呟く。
「早とちるって……やっぱりなにかしたんじゃない」
「ちょっと睨んだだけっすよ?」
……だけっすよ?――じゃないんだよ。
「いちいち睨まないで」
「えーっ…………。なんか……なんとなく? ――……カナカナと仲良さげにしてるんで、つい。嫉妬心が湧き上がってー」
もしかしたら、どす黒い負のオーラがメラメラと漏れ出ていたかもっすー。――えへへ、と笑いながら呟く。
――返事のかわりに、ふう、とため息を吐く。
ニアの発言は冗談ばかりで、どこまで本気だかよくわからないので――……最近は、あまり真面目に相手をしないことにしている。




