シングス・チェンジ(7)
「……ほー。こうなったっすか」
目の前のその人物が、なんだか淡々とした様子で呟く。
――かわいらしさの中にどことなく意志の強さを滲ませた、整った顔立ち。
銀色の長い髪は、左右で二つのおさげに束ねられ胸の前へと垂らされていて――その毛先はグラデーションのかかったピンク色に染められている。
耳はエルフのそれらしくつんと尖っていて――ピアスの数は減って、落ち着いた雰囲気に。
黒の――なんだか古着屋で売ってそうな、ダメージ感のあるぶかぶかのTシャツ。海外のバンドらしきデザインのそのプリントはひび割れていて――だらりと垂れた裾からは、白くて、すらりとした脚が伸びている。
きゅっと細い足首のその下には、ウサギの顔と耳の付いた――ぼってりとしたピンク色のルームスリッパ。
その佇まいはちょこんとしていて可愛らしく――背は、私よりもおでこ一つ分ほど低く見える。
年下のようにも見えるのに、どことなく私よりも大人っぽい雰囲気を漂わせていて、……なんだか、ずるい。
「――……つっても、今の服装じゃないっすねー、これ。……やっぱ端末側のアバターのデータから拾ってるんですかねぇ」
……何やら呟きながら――腕を上げたり腰を捻ったりと、自分で自分の身体をチェックしているその人物。
尖った耳やその髪色が、全体的な雰囲気とすごくはまっていて――なんだか本当にファンタジー世界の住人のようにも見えてしまう。
……ええと……。
「……誰ですか?」
――私が、思わず呟くと。
「あなたの友人のアドリックですが?」
何か? と、顔を上げ聞き返してくる。
……ですよねー。
私も、そうだとは思いましたけど……。
「……ええと。スリッパ、可愛いね」
私が言うと、その女の子――他に呼びようがないので“アドリックさん(元)”と呼ぶけれど――は嬉しそうに顔を綻ばせ、その片足を差し出す。
「へっへー。お気に入りっす♪」
よく見ると、うさぎの目はぐるぐるになっていて焦点があっておらず――その口からはよだれが垂れていて――……なんだか、ちょっと怖い。
それと気になったのは、Tシャツからそのまま伸びている、脚。
腿の、ふくらんでいる部分までが見えているのはまだ良いとしても(そのくらいに肌が見えているプレイヤーは他にも結構居たので)――問題は、いわゆるズボンと呼ばれるパーツが見えていないこと。
まさか、裸族の人じゃないよね……?
「……その、ちゃんと下に、穿いてる?」
「……んー」
アドリックさん(元)は、なにやらごそごそと腰のあたりを弄って……、
「穿いてるっすねー。ほら」
ばさりと、Tシャツを捲りあげる。
すると――その下から、ゆったりとした涼しげなショートパンツと――それから、ちらりとおへそが覗く。
ちょ……わあ……。
人前でやらないでくださいね、それ。
†
「――ま、てなわけで……なんか、ごめんっす。実はあたしも同性でした」
アドリックさん(元)が――なんだか仰々しく頭を下げる。
「これはそのう……、成り行きで。別に、騙すつもりはなかったっす」
「あ、ううん――……それは、別にいいよ。私も同じだから」
所作というか、話し方というか。端々の雰囲気から、なんとなくそうなのかな? と思ってはいたしね。
「ちなみにこれは、つまみを一番右――つまり、“リアル側”へと寄せて作成した、オート生成のアバターっす」
――……左に寄せると、よりゲーム的な種族に近い外見に――、右に寄せると、より現実の自分の外見に近いアバターが生成される、んだったっけ?
「つまみは初期設定で一番右になっているので、おそらくはラグさんと同じ条件で生成した外見、ということっすね」
それから、ふう、と息を吐いて――未だに呆気にとられている私の手を取る。
「てなわけで、ラグさん。――……良かったら、一緒にイルリバを続けてくれませんか?」
――唐突な大変身を遂げた、思いもよらなかった人物からの思いもよらなかったその提案に――……思わず、返事を忘れて固まる。
「あたしだって本当は、女キャラでなんて絶対プレイしたくねーって思ってたんすよ。けど――」
「赤信号、二人で渡れば怖くない、と言いますし」
――……いや、言わないよ。
「雨の後には陽の光が、暗い夜の後には新しい朝が。なにか大切なものを失っても、諦めなければ――きっとそれが、虹が見つかるきっかけになるはずっす」
「そして今、……あたしの操作パネルには――外見を確定させますか? との最終確認メッセージが表示されてるっす」
こんこん、とデスクを叩くような仕草で“それ”を叩く。
「ラグさんが続けてくれるなら、この場で外見を確定させます」
「――……ちょ、ちょっと待って。何も、そんなことまでしなくていいから――」
思わず、口を挟むと。
「も・し、」
私の声を塞ぐように、言葉を被せるアドリックさん(元)。
「――ラグさんが続けてくれないのであれば。やっぱりここで外見を確定させて、あたしはこのままイルリバを辞めます。もちろんその場合は、続けてくれなかったラグさんを恨みます」
「……ええー……」
……それってつまりは、脅迫なのでは……。
「……なーんて。無理強いはしないっす。――ラグさんがプレイしたくない、と言うのであれば、それは、あたしにはどうしようもないことなので。――ただ」
冗談めかして笑った後で、目を伏せる。
「――……ただ……?」
「あと数cm――この指先が動けば、どうあれこの外見が確定されてしまうという――それだけの話っす」
…………やっぱり、脅迫だと思います。
†
アドリックさん(元)は――それから部屋の中を歩いたり、軽く動いたりをして、新しいアバターの操作感を確かめている。
私は……。
本当は、しばらくゲームをお休みして、気持ちが落ち着くのを待とうと思っていた、んだけど。
色々教えてもらって、相談に乗ってくれて、街まで駆けつけてくれて――その上、ここまでして私を引き止めてくれる人が居るんだと、そう思ったら――気持ちを切り替える気になった、と言うか。
それに、アドリックさん(元)の言う通り――出てしまったさいころの目を前にして、それを暗い気持ちで眺めていたって何も変わらない。
いつまでも悩んでいるよりも、前に進んでみる他にないし、ね。
――よしっ。
気持ちの整理を終えて――それから、深呼吸をして――言葉を紡ぐ。
「なんだか、ごめんね。愛着のあったキャラクターが消えてしまったみたいに思えて――ショックだっただけだから……」
「外見のことは諦めて、このままゲームを続けることにするよ」
――私が言うと、
「――よっし……!」
突然に大きな声を上げ――くるりと回ってガッツポーズをするアドリックさん(元)。
呆気にとられる私をよそに、くふふ……、と声を漏らし、悪巧みをするような表情を浮かべ笑ったかと思うと――、
これでラグさんゲットっすね――、と、ぼそり呟く。
――うーし……勝った! これは勝ったっす。……いやー、まさか一人目に元トップランカーをゲットできるとはー……。くっくっく。今に見てろよ……。
顎に手を当て――なんだかにやにやとした表情のままに、無意味に部屋の中を歩き回りながらその独り言を続けるアドリックさん(元)。
……普通に聞こえてるし――……勝ったって、何が勝ったんだろう……。
「……えっと――何が?」
思わず、私が聞き返すと……、
「――……あ、いえ。こちらの話っす」
白々しい咳払いをしてその表情を正す。
「んじゃ、これで――お互いに後戻りはナシ、ってことで♪」
そう言って……ぽん、と――アドリックさん(元)のその細い指先が手元の画面を叩く。
『プレイヤー:ジニアの外見登録が完了しました。 イルファリアの世界へようこそ!』
――とのメッセージが表示されて、それから、アドリックさん(元)の周囲に、クラッカーが弾けるようなエフェクトが発生。同時にその名前が『アドリック』から『ジニア』へと切り替わる。
「つーわけで、合わせて名前も変えました。……ふつつかものですが、これからも末永くよろしく頼むっす♪」
にこりと微笑んで、手のひらを差し出すアドリックさん(元)。
「――うん。こちらこそ、よろしくね。」
その手を取ると――私達は握手を交わした。
†
「うーし、これで怖いもの無しっすねえ♪」
アドリックさん(元)は、だらーんとベッドに寝転んで――なんだか機嫌良さげに鼻歌を歌っている。
……思い切りがいいなー。何の躊躇もないと言うか。
アドリックさん(元)は――なんだか突然に、ぽーんと、高い場所から飛んでいってしまいそうな――そんな雰囲気がある。
――良い意味でも、悪い意味でも。
「あたしのことはそのままジニアでも、あるいはジニーでもニアでも。お好きに呼んでくださいね♪」
うーん……?
ジニーでもニアでも、どちらでも可愛いけど……。
「ジニアには、なにか意味があるの?」
「割とよくある花壇の花っすよ。――和名はヒャクニチソウ」
「好きなアーティストの曲名から取ったんですけど――あたしの現実の名前に『花』が入るというのもありますねー。……ラグさんは名前、どうするんすか?」
……、名前かぁ。
――実はあんまりプレイを続けること自体考えてなかったから、何の候補もないけど……。たしかにラグヴァルドのままって訳にはいかないね。
……うーん……。
「ちなー。キャラクリから一週間経つと名前変更も――、確か有償になるはずなんで。決めるなら早めに決めておいたほうが良いっすー」
じゃあ、もう、私の名前をそのままカタカナにして『カナト』でいいかな。このアバター、どうやっても髪色を変えただけの私にしか見えないし。
メニューからキャラクター作成の画面を表示させて、その名前欄をカナトへと変更。決定をタップすると――『キャラクターネームを変更しています……』――との表示の後に、私の名前が『カナト』へと変更された。
――ラグヴァルドという文字を消す時に、少し胸が痛んだけれど――、気持ちを切り替えなきゃね。
「どう?」
くるりと回ってみる。
……って、外見は変わってないけどね。
「おおー……」
「――ユニセックスな雰囲気でかっこかわいいっす!――ちなみにどこから取ったんです?」
「私の名前そのままだよ。柊ノ木奏人って言うの」
「かーわいいっすねぇ♪ ――……でも、ネットで軽々しく実名を晒さないほうが良いっすよー?」
「別に誰も聞いてないよ?」
「あまいっすね。どこで誰から聞かれてるかわからないもんですよ、ネットゲームっていうのは」
人差し指を立て、なんだか私を諫めるみたいに言う。
……そうなの?
†
私達はそれから、結構な時間をイルクロ時代の思い出話で盛り上がった後――、
夜も(現実時間の方のね)遅くなってきて、部屋に閉じ込められたりするのも嫌だから、ということで、わざわざホテルの外に出てから広場でログアウトをした。
チェックアウトをする時――店主らしきおじさんは、放り投げられた鍵をわたわたと受け取った後――なんだかUFOにでも遭遇した人みたいにぽかーんと口を開け、アドリックさん(元)の姿を見つめていた。




