シングス・チェンジ(4)
「……第二の手段として、〈サポート要請〉っすね」
アドリックさんが言葉を続ける。
「おおー、そんな手が。 ……でも、対応してくれるかな?」
「うーん……」
苦々しいその表情が、答える前から“難しそうだ”と告げている。
「押されたと言う状況であれば、普通に融通を効かせてくれると思うんすけど」
「かと言って、それなら――押されたと言えばすべての人が後々に外見を変えれてしまう、という話にもなってしまうので。……サポート要請を送る際には『押された時の状況の詳細』、時間と場所を併記したほうが良さそうっすね」
「わかった。やってみるよ――ありがとう」
やってみる価値はあるね。……やっぱり、アドリックさんに相談してみて良かったな。
「ただ、正直期待薄かな、と思う理由があって――……というのも今、混雑が酷いじゃないですか」
「うん。 ――……こんなに盛り上がってるとは思わなかったよ」
確かに、前作の時から大型イベントの際なんかは一時的に人口がどっと増えたけれど――それにしても今の状況は、異常な過人口といった印象を受ける。
事実、前作をプレイしていた時にこれほどの数のプレイヤーを見たことは――ただの一度もなかったと思う。
「今、イルリバには想像以上の新規プレイヤーが押し寄せて、ごった返している状態らしく――……聞いた話じゃ、予期していた数倍の販売数、アクセス数を記録している、とか」
「……なるほどー……」
街の混雑には、そんな理由があったんだね。
「そもそも、このゲームって――世界を広くし、拠点になる街を複数用意することで大量のプレイヤー数に対応、今までは複数存在していたワールドサーバーを一つに統合し、よりリアリティのある世界を構築する――具体的にはイギリスのグレートブリテン島と同じくらいのサイズのワールドマップを作り上げる予定らしいんすけど――それに『ワン・トゥルー・ユニバース・ワン・トゥルー・ヒストリー』……なんていうキャッチコピーを付けて、その前提で開発したゲームなので。根本的にワールドを増設する形でプレイヤー数に対応する気ははなから無いでしょうし……」
「……うん」
なんだか、早口で良くわからなかったけど……とにかくプレイヤー数が多いということかな。
「ちなみに――ここトレイアはかなりましな方だという話っすよ。ヴィガリス帝国の――位置的にはここから北西の、〈ルセキア〉という大都市があるんすけど。そこは中央区と東西南北の計5エリアに分かれているにも関わらず、昼も夜も尋常ではないほどのプレイヤー数でごった返しているらしいっす」
うわ……。聞いただけで恐ろしくなるね。
人口というより、この街より広い、と言う時点で恐怖しか感じないよ。
「――ま、そんなこんなで、各地のやる気に満ちた攻略組は、今必死になってレベルを上げてるらしいっす。レベルを上げれば必然と競争相手も減りますので」
……ふむ。
プレイ時間さえ割ければ、そういうやり方もあるかもね。
それから、ごほん、と咳払いをし言葉を続ける。
「……話が逸れたっす。――つまり、完全に予想外の量のトラフィックが発生していて、あちこちのエリアで不具合が頻発。今、運営は必死に対応に追われている、と。……その上、立ち上げ時でバグ報告も多いでしょうし。外部のSNSで読んだ話じゃ、返事以前にサポート要請をしてもエラーが出て通らないことまで有るとか」
「――てわけで。どの道、その権限の有るサポートが対応してくれるまで、何日かかるやら」
「そっか……」
――思わず、小さくため息をつく。
私達の会話が止まると、ロビーにしんとした静寂が戻った。
広場の賑やかな喧騒が――なんだか遠い世界のことのように、ぼんやりと響いている。
「……ラグさん。『やめる』って――嘘っすよね?」
突然、核心を突くように――私をじい、と、真面目な面持ちで見つめ――アドリックさんが呟いた。
やっぱり、聞かれてたか。
「どうして、そのままの見た目で続けてくれないんです? ……何が不満なんすか?」
――不満、というか……。
私は、このアバターに、それほど大きな不満があるわけではない、のだけど……。
†
「……ええとね。私、昔は身体が弱くて――長いこと病室に籠もりきりだったんだ。……運良く――未だに、何が原因だったのかすらもわかっていないんだけど――……それが治った後も、人と話すのがすごく苦手で。ずっと、友だちが出来なかったんだ」
「その時に私を支えてくれのが、前作の『イルクロ』と『ラグヴァルド』だったから――その事自体は、もうずっと前のことなんだけどね」
――だから、その『ラグヴァルド』が突如、消えてしまったみたいに感じて。
やる気のような物が全て抜け落ちて……なんだか、セミの抜け殻の様になってしまったんだ。
小さく息を吐いて――膝の上で組んだ手をぎゅう、と握りしめて、言葉を続ける。
「……『ラグヴァルド』は――私にとって、特別なんだ。私を強くさせてくれた、思い出の存在……みたいな」
「私の中に潜む弱い私と戦う力を分けてくれた――もうひとりの私……というか」
それは――時折、夜中に寂しくなった時に聴きたくなる、お気に入りの音楽みたいな――大切な何か。
……なんだか、自分で言ってて恥ずかしくなるけれど。……きっと、妄想癖があるんだって思われるだろうけれど。――でもそれが、私にとっての事実なんだ。
「私がイルリバを始めてみよう、と思ったのは、ゲームというよりも、ラグヴァルドになりたかったから、だから――」
「そんな事を言うなら――僕だって……――イルリバで、トレイアで、示し合わせたわけでもなく――ラグさんと出会えたのは……奇跡だと思ってたっす」
苦々しげに机の上を睨んで――アドリックさんが呟く。
――――と、その時。
がちゃりと音を立て――カウンターの奥の扉が開いたかと思うと。
どっしりとした体格のおじさんが顔を出し……それからぎろりと私達を睨んだ。
――なんだか運動を終えた後みたいにその顔が赤くなっていて――息荒く、肩が弾んでいる。
……あ、これは、いきなり怒ってるやつだね……。
「過去は過去で良いじゃないっすか。――これから変えていけることだけを、精一杯楽しみませんか?」
「……それに、そのアバター、めっちゃ可愛いですし――細いから、ゴツい斧がギャップ感あって――――ラグさん、戦ってると超、カッコいいっす。それなのに、いきなり『やめる』って。……――良いなーって思って見てた僕がバカみたいじゃないっすか」
それから――おじさんはのしのしと大きく足音を立て、こちらへと歩いてきたかと思うと……アドリックさんの傍らに立ち、大股で立って腕を組み――話をやめようともしないアドリックさんをじい、と見下ろす。
なんだか、堂々とした立ち振舞の――おそらくはこのホテルの店主さんらしき、そのおじさん。
抹茶色の、腰の下までを覆っている長丈のチュニックの上にベルトを巻いていて、けれど、なんだかそのせいでベルトの上に大きなお腹が乗っているように見える。
半袖の袖口や裾周りにはぐるりと模様の入った刺繍が施されており、首元にはちょこんとした柄の入ったスカーフが結び付けられていて、ちょっとおしゃれだ。
その下にはシンプルな、墨色のズボンに革の靴――といった出で立ち。
……アドリックさん。後ろ、後ろ。気付いてー……。
「ラグさんは僕のことをすっかり忘れてるみたいっすね。……どうせ、興味を持たれてなかったのかも知れないっすけど。……僕は――――」
それでも、その存在に気付きもせずに話を続けるアドリックさんにしびれを切らすと――ぽんぽんとその肩を叩いた。
「……ってうわーーー?!! ――……びっくりしたあ?!」
びくー! と、真上に飛び跳ねるようにし、後ろを振り返るアドリックさん。
おじさんは険しい表情を崩さずに――黙ったまま、出入り口を指差す。
「――……なんすか? こっちは今、すごーく大事な話をしてるんすけど?」
怪訝な顔をし、相手を睨み返すアドリックさん。
……なんでちょっと喧嘩腰なんだろう。
「――――出・て・い・け、と言っとるんだ!」
とうとう、おじさんが声を張り上げた。
†
――何が起きたのか、と――驚いた様子の老夫婦が、目を丸くして私達を見ている。
「不届き者を追っかけ回して戻ってみれば――また別の不届き者が押し入ってきておる!」
「全く、何なんだ、一体!……昨日今日と、お前ら冒険者連中が泊まる気もないのに押しかけて、勝手に居座りおって……!」
それからぼそりと、今度こそとっ捕まえて衛兵に突き出してやる――と呟いた。
うう……、なんでこんな事に。
ゲームを始めてたった二日で牢屋入りは嫌すぎるよ……。
「なら、席代を払うんでー。ちょっとの間ここを貸してくれないっすかねー」
はぁー、とため息を付いて――ふんぞり返るようにして――アドリックさんが言う。
……だから、なんでちょっと喧嘩腰なんだろう。
「――馬鹿にしないでくれ! うちはかのフェルディア伯もお泊まりくださった格式高いホテルだぞっ。そこいらの居酒屋代わりの安宿とはわけが違うんだ!」
「な・に・が問題なんすか?!金なら払うって言ってるんすよ!」
「こ・こ・は宿泊客のためのロビーだ!!使いたければ部屋を借りろ!!!部・屋・を!!!!」
ぎりぎり……と睨み合う二人。
「あ、あの。二人共、落ち着いて。……アドリックさん。外の、他の場所で話そう?」
思わず、ソファから立ち上がって口を挟むと――ぎろり、と二人に睨まれる。
「……家出娘め。男を誑かしたか」
じろり、と。上から下まで私を見やると、ちっ、と――忌々しげに舌を打つ店主さん。
「……元はと言えば――ラグさんが『やめる』とか言い出したせいっすよ」
不機嫌そうに――アドリックさんが続けて言う。
……なぜ私に矛先が向く……?
しゅん。
それから、一拍置いて。
はぁー……、とアドリックさんが大仰なため息を吐くと――ぼそりと口を開いた。
「――じゃ、部屋を貸してほしいっす。泊まる気はないっすけど。まったくと言っていいほど、これっぽっちも」
「……二名一泊で銀貨30枚からだ」
ぶっきらぼうに言い放つ店主さん。
「たっっっか?! ……泊まらないって言ってるんだから少しは負けろっすよ?!」
「馬鹿言うな! お前らみたいな汚らしいのがうろちょろしてたら客が逃げる! ――どうせ払えないんだろうが! さっさと出てってくれっ!!」
アドリックさんは、なにやら、かちーんと来たみたいに――操作用のメニューを開くと、手元のそれを手早く操作して――それからじゃらりと銀貨の山を取り出す。
ああ……。それって、ほとんど二日分の稼ぎの全額なのでは……。
「ラグさん。他に何も使ってなければ――銀貨を10枚、持ってるはずっすよね」
私を睨むと、ん、と手のひらを差し出すアドリックさん。
――え、私も払うの……?
「メニューの〈インベントリ〉から、〈装備〉あるいは〈所持品リスト〉。銀貨を選択してサブメニューから〈取り出す〉っす。さあ早く」
「……はい……」
言われた通りの操作をすると――私の手のひらの中に、じゃらりと音を立て銀貨が10枚現れる。
この銀貨は――ゲーム開始時からすべてのプレイヤーが所持している、装備を整えたり、魔法のスクロールやポーション、その他の生活必需品を揃える為の軍資金――……だと思う。
……それをアドリックさんに手渡すと、アドリックさんはそれを自身が出した銀貨と合わせて、おじさんへと差し出した。
わぁー……、私の全財産が……。
おじさんは、ちっ、とあからさまに舌を打って、その銀貨を受取る。
それから、カウンターの内側へと歩いていくと――銀貨を一枚一枚数え、これ見よがしに表と裏を確認した後に、更にそれを秤にかけ、重さを確かめて……。
それから、面倒くさそうにのそのそとカウンターの奥へ歩いて行って、壁へと添えつけられた――どっしりとした、鉄で補強された木の箱を開けて、中から部屋の鍵を取り出す。
「――大体、なーにが冒険者だ。どいつもこいつも浮浪者と大して変わらんだろうが」
「うちは由緒正しいホテルなんだ。よそとは格式が違うんだ。かのフェルディア伯も泊まったんだぞ――何が悲しくて家出娘と阿呆のグレイエルフなんざを泊めてやらにゃいかんのだ」
ぼそりと言うと、アドリックさんへと――カウンターの手前から鍵を放り投げる。
――アドリックさんはそれを引っ掴むようにして受け取ると。
「……その割にはずいぶんとすっからかんに見えますがねー。今は観光シーズンなんじゃないんすかー?」
「ホテルの雰囲気は良いのに客が少ないということは、他になにか重大な欠陥があるんすかねえー。――例えば、受付のおっさんとか、受付のおっさんとかー?」
わざとらしく声を張り上げる。
「叩き出されたいのか!……さっさと部屋に引っ込め、目障りだっ!」
「はいはーい。言われなくても引っ込みますよー。」
「……あ、ついでにSNSにレビューを書いておいてあげるっすー。一泊たったの30銀貨!――すぐに怒るおっさんが口やかましく接客してくれる最高のホテルです。星一つ」
「――……えすえぬ……? 星……?? なんだ、そりゃあ」
「――部屋は二階に上がって突き当りだ……ああ、おい。他にも宿泊客が居るんだ。騒がないでくれよ」
そう言って――しっしっ、と、私達を追い払うような仕草をする。
返事の代わりにため息を吐いて、横目でおじさんを睨むアドリックさん。
……ちなみに、品の良い老夫婦は、二人が騒いでいる間にさっさと外へ出ていってしまった。




