【4話・前編】ノートに綴る星空と水槽
放課後の学校は静寂に包まれ、夕陽が廊下に長い影を落としていた。家に帰っても母は仕事でいないため、私は図書室で過ごすことに決めた。一人の時間を少しでも充実させたいと思ったからだ。
図書室の扉をそっと開けると、ひんやりとした空気が頬に触れた。室内では、他の学生たちが静かに本を読んでおり、司書が本を整理する音が微かに響いていた。本棚の間を歩きながら、本の香りが心を落ち着かせてくれる。この場所は、私にとって唯一の安らぎの場だった。
図鑑が並ぶ棚の前で立ち止まり、アクアリウムの本を手に取る。その重みとひんやりとした感触が手に伝わってきた。本を抱え、静かな一番奥の席へと向かうと、そこには彼がいた。
(あ、朝霞くんだ……)
彼は小説に集中しているようだった。驚いて立ち止まったが、彼はまだこちらに気づいていない。朝霞くんに会えた喜びが胸に広がり、思わず心臓が早鐘を打つように感じた。
朝霞くんの静かな集中力に圧倒されながらも、私はそっと近づいて彼の向かいの席に座った。彼の真剣な表情に見惚れてしまい、両手をほっぺたに当てながら肘をついて、じっと見つめてしまう。
彼の眉間に少しだけシワが寄って、ページをめくる手の動きが丁寧で、そんな様子に心がときめいた。しばらくその姿を見つめていると、彼の瞳がふと揺れたのを感じた。私に気づいて顔を上げたとき、目を合わせて私は心を読んでみた。
目が合って、お互いにしばらく見つめ合う。その時間がまるで永遠のように感じられ、心臓の鼓動が高鳴るのを感じた。彼の瞳に自分の姿が映り込み、微笑む表情が自然と浮かんでくる。
彼の瞳の奥に潜む感情が、まるで波紋のように広がり、私の心に触れてくる。彼の心の声が静かに、しかし鮮明に聞こえてきた。
『愛月さんがいる……うれしい、少し話したいな』
彼の心の声が、まるでささやくように私の心に届いた。その瞬間、胸の中で喜びが爆発する。朝霞くんも話したいと思ってくれているんだ、と内心で嬉しさがこみ上げてきて、思わず口元が緩む。
教室の外で、図書室という静かな場所だからこそ、心が少し軽く感じられた。
私は嬉しさのあまり、駆け足で隣の席に移動した。少し照れながらも、その無邪気な動きに自分でも驚き、心が踊る。
ノートを取り出し、「しーっ」と指を立てて静かにのポーズをする私に、朝霞くんも微笑んで応じてくれた。
二人で肩を寄せ合いながら同じノートで筆談を始めた。筆が走る音が静かな図書室に響き渡り、私たちだけの秘密の会話が広がっていく。
「何を読んでるの?」
私がノートに書くと、朝霞くんは
「小説だよ。この作家の作品が好きなんだ」
と書き返してくれた。それから、交互にノートに言葉を書いていく。
「どんな話なの?」
「学校で起こる謎の事件を解決していくお話」
「面白そうだね。今度、貸してくれる?」
「もちろん」
朝霞くんはそう書くとにこりと微笑んだ。その微笑みが、私の心をさらに温かくしてくれる。彼の微笑みに心が弾み、胸の中で喜びが膨らむのを感じる。まるで夢のような時間だと思いながら、私も自然と微笑み返していた。
「ありがとう。楽しみにしてるね」
と書くと、彼の目が優しく輝いて見えた。少し緊張していた私の気持ちは和らいでいく。図書室の静けさが、私たちの心をさらに近づけてくれるようだった。
「その本、アクアリウムの本だね。魚が好きなの?」
彼が私の持っている本を見て尋ねてきた。
「うん、家で魚を飼ってるの」
私は嬉しそうに答えた。自分の好きなことを話せることに、胸が高鳴るのを感じる。
「どんな魚を飼ってるの?」
私は興奮してノートに魚の絵を描き始めた。
「グッピーやネオンテトラでしょ。あとね、チンアナゴもいるよ。チンアナゴはね、キョロキョロした目が可愛くて、水に揺られている姿を見ていると落ち着くの」
書き添えると、朝霞くんはその絵をじっと見つめ、
「素敵だね」
と返してくれた。
彼の反応に心が踊る。初めてお母さん以外の人に、自分の好きなことをこんなに詳しく話せた。朝霞くんが興味を持ってくれているのが嬉しくてたまらない。
「今度、おうちに見に来てよ」
嬉しさのあまり、見て欲しくなり誘ってしまった。朝霞くんの目が少し驚いたように見えた。
「本当に?行ってもいいの?」
と彼が書く。
「もちろん」
私はお返しのように笑顔で返した。彼が来てくれることを想像すると、心がさらにウキウキしてくる。朝霞くんと過ごす時間がもっと楽しみになる。
☂後編に続く☂