【1話・前編】雨に沈む心
目を合わせると、人の心が読める。
正確には、目を合わせた相手の気持ちや考えが私の中に流れ込んでくる。
2年前、私《《たち》》に降りかかった事故をきっかけに、この能力が身についた。最初のうちは、とても便利な能力だと思っていた。
「同情してもらおうと可愛い子ぶってるんじゃないの、気持ち悪い」
親友だと思っていた。その相手の心の声を、目を通して知ってしまった。
その日以来、私は人を信じることができなくなった。目を合わせることも怖くなり、誰とも関わりたくない。常に顔を伏せ、心を閉ざし、毎日をただ過ごすだけ。
(もう……疲れた……)
今日、夕日が差し込む教室の中でひとり、私は限界に達していた。
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「心結、朝よ。そろそろ起きないと遅れるよ」
お母さんの優しい声が耳に入る。布団の中で体を丸めていたが、その声に応じて重い体を起こした。
「今日からまた学校か……」
春の訪れとともに、新しい高校生活が始まる。カーテンを開けると、朝の光が部屋を柔らかく照らし出すが、心の冷たさは変わらなかった。
階段を下りると、キッチンからお母さんが朝食を準備する音が心地よい背景音として響く。
お母さんの背中は少し疲れているように見えるが、私に向ける笑顔はいつも温かい。私を一人で育ててくれているお母さんに心配をかけたくないから、明るくふるまわなければと思う。
「おはよう、心結。新しい学校、緊張してる?」
「お母さん、おはよう。少しだけ…でも大丈夫だよ」
心配させないように笑顔を見せた。お母さんはじっと顔を見つめ、心配そうに目を細めた。
あの事件以来、目を合わせるとその人の心の中が見える力が生まれた。
お母さんの顔を見上げ、目を合わせてみる。その瞬間、世界が静まり返り、まるで透明なベールが私たちを包み込むような感覚に包まれた。お母さんの瞳の奥に隠された心の声が、優しい囁きのように心に届いてくる。
『本当に大丈夫?』
その声は、穏やかな水面に広がる波紋のように、心の奥深くまで広がっていく。お母さんの深い愛情と不安が、胸に染み込んでいく。
『無理をしてないかな』
その声は、遠くから聞こえる風の音のように柔らかく響き、思いやりと心配が心の中で静かに渦巻いていく。
『とても心配だわ……』
その思いは、重く沈んだ石が水面に落ちるように、深く心に届いた。お母さんの顔には微笑みが浮かんでいるけれど、その瞳の奥には揺れ動く感情が見える。
お母さんの心の声を聞きながら、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
あの事件以来、心は壊れてしまい、その後の出来事がさらに追い詰めた。でも、お母さんには《《もうこれ以上》》心配をかけたくない。だからこそ、心の中で強く誓った。
「お母さん、そんなに心配しなくても大丈夫だから」
そう言って、なんとか笑顔を作った。お母さんはため息をつきながらも、私の言葉を信じてくれているようだった。
「分かった。心結なら大丈夫ね。」
お母さんの言葉に少しだけ励まされ、食卓に用意されていた朝食を食べ、シャワーを浴びることにした。シャワーの水が冷えた体を温め、少しずつ緊張が解きほぐれていく。
部屋に戻り、学校指定の青いセーラー服を着て、白いリボンを結び、鏡の前で髪を整える。お気に入りの髪留めで髪を結び終わると、少しだけ気持ちが落ち着いた。
鏡の中の自分に、
「大丈夫、頑張らなきゃ……」
自分に言い聞かせ、鞄を持って靴を履いた。
「――いってきます」
お母さんは玄関まで見送りに来てくれて、肩に手を置いた。
「気をつけてね、心結。無理しないでね。」
お母さんの言葉に小さく頷き、玄関を出た。
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学校に到着すると、すでに多くの生徒たちが集まり、廊下には笑い声と話し声が響いていた。校舎の壁には新学期を祝うポスターが貼られ、春の暖かい日差しが窓から差し込んでいる。掲示板に掲示されたクラス名簿を確認し、自分のクラスに向かう。
緊張しながら教室に入ると、多くの生徒たちがすでに集まっている。周囲の視線を感じながらも、なるべく目立たないように静かに自分の席に座った。
(こんな感じじゃ高校生活うまくいかないな……)
そう思いながら、気分が落ち込む。
周囲のクラスメイトたちが楽しそうに話している姿を見て、ますます自分が孤立していることを実感する。目を合わせればその人の心の中が見えてしまうこの能力が、私をさらに孤立させているのだと感じた。
時間が過ぎ、いよいよ入学式の時間が近づいてくる。生徒たちは担任の先生に導かれながら、列を作って体育館に向かっていった。私もその列に加わり、静かに歩きながら、これからの高校生活への不安を抱えていた。
体育館に到着すると、新入生たちが整然と並び、校長先生や来賓の挨拶が始まった。周囲の緊張感が伝わり、心臓が高鳴るのを感じる。式の進行中も、他の生徒たちの視線を感じながら、何とか平静を保つように努めていた。
☂後編に続く☂