1
「召喚陣が違うだと⁉︎」
そんな悲鳴のようにも聞こえる怒号が塹壕に響き渡り、すぐに側を飛び去っていった敵陣のドラゴンの鳴き声にかき消された。
戦場。周りには甲冑を身に纏い血を流した兵士や、それを治療している魔法使いのような格好をした者達がまばらに見える。そんな中で少女のような少年のような、まだ若く見える見目麗しい騎士が、自身よりも一回り大きい召喚陣を描いたのであろう術師に詰め寄っていた。
「今、この状況を打開するのは……‼︎」そう言いかけ、ハッと何かに気付いき、言葉を止める。目の前の術師を責めても時間は巻き戻らない。しかし、この場所は敵国であるリーリカ帝国にとって、都合が良い補給地点になりうる。今ここで負けてしまえば一気に此方側、ゾグラ王国は不利になる。
(……あのドラゴンをどうにかしなければ、この泥沼戦、消耗し切りいずれ我々が白旗を上げるしかない)
下唇をキツく噛んだあと絞り出すように術師に問いかける。
「ッ……何処で、何を間違えた」
「私は、確かにリードゥア様から届けられたものをかん……ぺきに描いた筈……なの、ですが」
術師の男の声は段々と尻すぼみになり、くぐもる。
少年騎士はそれ以上責める事をやめ、術師の横を通り過ぎ召喚陣を呪文を指でなぞった。
「古代文字? ただの召喚陣じゃない、コレは……」
(……何故分からなかった? いや、気付けなかった私にも非がある。しかし、何故こんな術式を? まさか、わざと……?)
少年騎士は歯軋りをし、「あの男ならやりかねない」と眉間に深く皺を寄せながら呟いた。
そんな状況を眺めている、召喚陣の中心にいる男。
灰田千歳。二十四歳。
彼はコンビニのシャケおにぎり三口目を、口に入れる寸前で固まっていた。
(幻覚見る程、働いてないよなぁ……)
彼はコンビニバイトの帰り、夜食のような夕食を食べている所だった。モゴリと廃棄の鮭おにぎりを全て口に収め、辺りを見渡す。
(戦場、なのは見れば分かる。教科書で見たのに似てる。でも召喚陣とか、昔の西洋の甲冑っぽいのを着た兵士とか……目の前に居る、この子とか……まるでファンタジーの世界だ。)
千歳は目の前で難しい表情をしている少年騎士を見やると、目があった。黄色い瞳。しかし黄色と一口に喩えきれない。琥珀のようにもトパーズのようにも見えるし、角度を変えるとプリズムのように七色に光っているようにも見える。
「お前は……」そう言いかけ、彼(彼女?)は視線を泳がせ、自嘲気味に笑った。
「いや、無駄か」
絶望、という表現が良く当てはまる。少年騎士は辺りを見渡した後、深くため息を吐いた。
(美人だなぁ)
悠長に千歳はそんな事を考えている。ただただ、目の前の麗人に見惚れるしか、出来ることが無かった。
額から顎にかけてのラインがまるで絵に描いたような美しく、不健康な印象を受けさせない色白な肌に、まるで彫刻のような印象を受ける。
光が反射すると白く光る青みがかった長い銀髪。それを低い位置で一纏めにし、丸めてウルトラマリンブルーのバレッタで留めている。周りの兵士とは異なる最低限の錫色の甲冑を身にまとっており、中には素人目でも分かる上等な軍服を着ていた。
位が高いのだろうと先程の光景を思い出し、千歳は勝手に納得していた。
「お前、アレがなんだか分かるか」
絶望する事に飽きたのか、千歳に対し淡々と少年騎士は敵陣側の空を指差す。その指先には翼が生えた爬虫類、天空の覇者が離れた場所で猛威を奮っているのが見えた。
「ドラゴン……?」
「そうだ。だが、アレは生きているものじゃない」
「生きているものじゃない……」
「描いた絵に魔力を込め、具現化させる魔術絵、と呼ばれる魔法だ。魔術絵には魔術絵で対抗するのが手っ取り早い……ま、私が何を言いたいのか分かるだろう?」
本当はお前じゃない、別の誰かを呼ぶ予定だった。そう目が語っている。
「その、魔術絵って、特別な力が無いと描けないの?」
「特別な力、まあ、そうだな……緻密に、正確に描いたものが強い、とは言われている。あのドラゴンのように、強力なものを描ける魔術師は限られているな」
「じゃあ下手な奴が描いたやつは弱いって事か」
そういう事ならば、確かに俺はハズレだ。
小学生の時から、何を描いても『何描いたの?』『全然分からなかった』『下手だね』とクラスメイトから言われ続けてきた。終いには互いの顔を描く授業で、当時気になっていた女の子とペアになり『千歳君って、下手……なんだね』と物凄く悲しそうに言われ(相当酷いものを描いてしまって、今でも申し訳ないと思う)
それ以降、俺は絵を描いていない。