1-8 ソラの彼氏の存在がもたらしたもの
───次の日。
定時で仕事を終えた俺は、ATMに給料をおろしに行く。
今月の給料は24万円。
(先月は結構頑張ったな)
そして迷わず24万円全額をおろした。
残高はほぼ0円。
硬派は給料日に全額おろすものなのだ。
これで所持金は25万円。
先月の給料を使い切れずに1万円残してしまったのは完全に算数をミスったためだ。
硬派にも算数の誤り。
(さーて何を買ってやろうかな?)
暗くなりはじめた道をブラブラと歩き、何か目ぼしいものが無いか探す。
(そういえばソラ姉って酒以外だと何なら喜ぶんだ?)
彼女が出来た際にプレゼントするといいものについては同僚から聞いてはいるが…
俺からすると、ソラ姉は女というカテゴリーに含まれない。
あれでもない、これでもないとやっているうちにプレゼントが決まらないまますっかり暗くなってしまった。
そこへ…
(おお?あれはソラ姉!)
仕事帰りのソラ姉が見えた。
ちょうどいい。隠す必要は特にないし本人に聞いてみればいいのだ。
「おーい……っと!」
呼びかけた途中で俺は慌てて自分で口をふさぎ、路地に隠れた。
(気づかれなかったようだな。しかし…あれは誰だ?)
ソラ姉の後をコソコソとつけている変な男を発見したのだ。
特徴的なクロムハーツのキャップをかぶっており、ヒョロっと細長い。
俺の知っている人物を脳内検索してみるが、そのヒョロ男みたいなのはいなかった。
(あ!もしや!)
ピーンときた俺はソラ姉とヒョロ男の両方から見つからない位置取りをキープ。
様子をうかがうことにした。
(こいつは十中八九、農家の御曹司…!ソラ姉をつけるほどお熱かよ!)
いつか紹介されたときに「クロムハーツのキャップ持ってるよね?」と驚かせてやろう。
いっそのことソラ姉をストーキングしていた事をぶっちゃけるのも面白そうだ。
ぷくく…
(とりあえず何か変な行動してくれないかな!)
俺は何だかワクワクしてきた。
──────────10分後。
見ていてもヒョロ男が何か動き出そうとすることは無かった。
(おいおいブルってる?家に近づいてきちゃったよ?)
もうお店は無く、日も落ちてしまい道はかなり暗い。
(………まてよ?これってまさか)
ここで俺は別の可能性にようやく思い至った。
(バカか俺は!彼氏がストーキングなんて普通するか!?可能性低すぎだろ!)
俺はやはりバカだった。
今の住まいの安アパート付近はとてつもなく人気がなく暗い。
もはやヒョロ男がいつ動き出してもおかしくないと判断した俺は、ヒョロ男が今まさに身を潜めた路地に飛び込んだ。
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(思いついた時から何年経ったことか…ようやく…ようやくだ…)
4年前にソラを『事故死』させられなかったことで、人生計画が狂った。
だが男は諦めなかった。
あの日、黙って二人の会話を聞いていると、どうやら殺そうとした事はバレていない様子だったからだ。
そう踏んだ男は「二度と顔を合わせることはないだろう」と言い残し、家を出てチャンスを伺っていたのである。
ひとまずソラとリュウの保険契約の継続だけは最優先とした。
そして異常な程に人目を避ける生活をし、その上で痩せることにした。
暴飲暴食から脱することで妻の保険金の節約にもなるが、それはついでだ。
一番の目的は印象操作のためだった。
幸い、生活していくためのものは何でも通販で購入できた。
それにより人との交流が一切ない生活が完成。
男が劇的に痩せていったとしても、それを見て(この男性痩せたな)と思う人すらいない状況を作り出した。
そして4年。
精気が枯れたようなやせこけた頬。
目元あたりまで覆う程にボサボサに伸びた前髪。
よくここまで別人になれたものだな、と自分ながらに男は思った。
今回の計画では偶然に頼るのをやめ、通り魔的な犯行で確実にやるつもりだった。
ただ、いざやるとなると能動的に動く必要があり、それは男の苦手とするところだった。
やろうと思えば既にいつでもやれる。
そういう状態であると、さすがに殺人という一筋縄ではいかない行為ゆえに、つい明日明日と引き伸ばしてしまっていたのだ。
しかし、最近きなくさい。
標的は変わらずソラであるが、男性関係において進展している節があるのだ。
結婚されるのは非常にまずい。もちろん、すぐに結婚なんて無いとは思うが…
万が一そんな事になったらソラは狙えない。
そしてソラがダメならリュウでもいいはずなのだが、過去の苦い経験からか、不意打ちでもリュウを殺せるビジョンが浮かばなかったのである。
(これ以上引き延ばすとチャンスが消えてしまう可能性がある。決めた。明日だ)
男は決断する。
そして早くも明日の「殺し」が無事成功し、莫大な保険金を手にした自分を妄想し始めた。
(またしばらくはやりたい放題ができそうだ!殺ったあとは早急に太り直さなくてはと思っていたが…よく考えれば努力する必要もなく体型は元通りになりそうだな)
高級な食材がふんだんに使用された食の極み。
そしてそれに見合った極上の酒。
自分を制することなく欲望のままに食らっていけば、あっという間に体重は元通りだろう。
顔はなるべく覚えられたくないが、毎食違う店に行けばいいだけだ。
(いっそのこと軽く目撃されたほうがいいか?そうしておくと太るまでのリスクは高まるが、太ってしまえば有利だ。ならば服装を…)
やるしかない状況になったとき、この男は迷うことがない。
明日に備え一気に準備を始めた。
─翌日の黄昏時。
男はTシャツにひざ丈のズボンというどこにでもいそうなスタイルだ。
ただ、そこから薄手のパーカーを羽織り、そしてさらに足首まである普通のジーンズを履き、キャップを被った。
夏場だが、薄手のパーカーくらいなら不自然ではない。
これで、パーカーとジーンズとキャップを脱ぎ捨てればパッと見は全くの別人である。
殺った後は、目撃された自覚があろうとなかろうと、念のため着替える計画だった。
男はサンダルを履き、家を出る。
足取りは思いのほか軽快だ。
そして黄昏に溶け込んでいく。
男は念のためソラの職場の近くで待機した。
ほどなくして、ほぼ想定通りの時間にソラが出てくる。
(楽勝だ。あとは家の近くまで後をつけて…人目があろうがなかろうが殺ってしまえばいい)
ソラはまっすぐ家に向かうようだ。
いよいよ人通りもなくなり、日も沈んだ。
パーカーのポケットに突っ込んだ両手に力が入る。
冷静を装ってはいたが、手は汗ばんでいた。
(よし、いくか…)
男がそう思ったとき。
目の前に大男が飛び出してきた。
大男の顔を確認したとき、男は一瞬驚愕の表情を浮かべた。が、何を思ったかポケットに突っ込んだ右手をそのままに大男の腹部に押し当てた。