1-4 親父の思惑
一般的な男性にとっては悲劇でしかない最愛の妻の死。それはその男にとっては幸運でしかなかった。
もともと、自分のために仕事をして稼いでくれるなら結婚相手は誰でもよかったからだ。
自分が無職でだらだらと生きていけるなら、多少の家事や小言も我慢できた。
だが、妻は死んだ。
多額の保険金を残して。
目的である金のみが手に入り、我慢して享受していた小言もなくなった。
2人の幼い子供たち…まだ6歳になったばかりのソラとリュウに遠慮する必要もなくなった。
(…なんて!なんって素晴らしい制度なんだ!)
偶然にも自分にとって最大限とも言える利益を得てしまった男は、暴走を始めた。
そしてその利益に妄執する。
(…どうすればもう一度?ソラとリュウをこれに利用した場合、最大の利益を生むには?………徹底的に調べる必要があるな)
男は、その仕組みについて詳しく調べ始めた。
どうも日本では15歳未満に対する死亡保険契約において、貰える金額は1000万円が上限という決まりがあるらしい。
(要するに、幼い子供にかけた保険では1000万円までしか受け取れないって事か)
まあ、それはそうだろう。
幼い子の保険金に制限が無かったら、それを利用した親の子殺しが起きるに違いない。
小学生なんて事故に見せかけて殺すなんて容易い事だ。
それで数千万、1億とか手に入ったら…
(ククク。俺だったらそのために子作りしてしまうな)
つまり逆に、殺人というリスクを背負って最大で1000万円にしかならないならリターンが薄まる。
たかが1000万円と引き換えに我が子を殺すなど、普通はありえない。そう、普通は。
いや、そもそも普通は何千万どころか何億だろうとこのような思考をする親はいない。
だがこの男はクズの中のクズであった。
…男は迷っていた。
命1つでたかが1000万円。されど1000万円。
15歳未満の契約の場合、本人の同意が不要なため、『事を起こす』には非常にやりやすいと考えていたのだ。
腕力的にも知力的にも幼い子供が相手となるのも一因である。
しかし…
それに比べ、15歳以上に対する死亡保険になると、一気に金額の制限がなくなる。
これは男にとって抗えない魅力であった。
そうなのだ。
恐るべき事に、この男は我が子を生かすか殺すかで迷っていたのではなかった。
ソラとリュウを殺すことは既に確定していたのだ。
ただ、その難易度に対するリターンのみを考えていた。
イージーモードの15歳未満時に殺し、1人につき最大1000万円を手にするか。
ハードモードの15歳以上時に殺し、1人につき1000万円超えを狙うか。
(ちっ!上限なしを狙うには本人の同意が必要になるのか…)
ソラとリュウの2人と円満な関係を築く気がない男にとって、2人が15歳以上になった時に本人たちから同意を得ることは非常に高いハードルに思えた。
しかもまだ2人は小学生だ。時期的にもだいぶ先になってしまう。
妻の保険金にまだ余裕はあるが…
(まあ…今は力で支配できている。このまま15歳になったところで中学3年のガキだ。どうにでもなるだろう)
現状の支配を続け、15歳になった時点で力づくで保険契約させてしまえばいい。
あとは疎遠になったふりをしておいて、金が欲しくなったときにうまく『事を起こす』だけだ。
ゲーム感覚で考えていた男の結論はこのようになった。
(ククク……毎日が愉快でたまらねえな)
将来の展望に満足した男は愉悦に顔を歪めたのだった。
しかし、人生とはゲームのようにはいかない。
予想外の出来事により、その予定は変更せざるを得なくなるのであった。
─────7年後。
つまりソラとリュウが13歳の時。
(嘘だろ…!中1でこの腕力と度胸…ありえねえ)
男は驚愕した。
息子であるリュウが、若干13歳にして自分より強くなっていたのだ。
それも割と圧倒的に。
(俺の運動不足は否めねえが…それでも異常だ)
これでは15歳の時に強引に保険契約させることなど不可能だと確信できた。
ソラに迫ってもリュウが守る事になるだけで結果は同じだろう。
(あと2年!15歳まで待ちたかったが…1000万ずつで妥協するか?)
既にソラとリュウに保険はかけていたので、まだ選択肢はあった。
そう、15歳になるまでに事故に見せかけて殺してしまうという選択肢が。
ただ、それだと1人殺って最大1000万円。最高にうまくいって2人とも殺れても2000万円が限度だ。
しかも当然ながら最大金額を都合よく貰えるわけもないだろう。
(…それじゃとても足りない)
少なくない金額ではある。
だが所詮一時しのぎにしかならない。
(俺が死ぬまで悠々自適に暮らすには億レベルの金が欲しい)
男は救い難い金の亡者であった。
そして考える。
(リュウは…腕力馬鹿にしか見えない。路線変更だな)
幸い、目論見通りにリュウは単純な考え方のようで簡単に懐柔できそうであった。
(ソラが今度は障害になりそうだが………予測はできねえ、出たとこ勝負だな)
───それから3年弱が経った。
男は気分が良かった。
計画通り、既にソラとリュウの2人とは普通に話せるまでに仲は修復できており、2人の年齢はもうすぐ16歳になろうとしていた。
(ククク…!やはり頭脳は所詮ガキ…!)
男はソラとリュウを高校に入学させる際に、2人に必要であり2人のためだとして様々な書類を書かせた。
その中に保険の契約も紛れ込ませたが、3年弱もの期間、優しい父親を演じた甲斐もあり何も疑っていなそうである。
(準備は完了…!これであとは『事を起こす』のみ!)
男は不確定なその日がくるのを待った。
狙いはソラ。
単純にリュウよりやりやすそうであり、姉を常に守ろうとしているリュウへのあてつけにもなるからだ。
(リュウめ…俺を殴りやがって!見下しやがって!3年前の屈辱は忘れねえ。最愛の姉を失って絶望しろ!)
見せかける事故は、マンションからの転落に決めた。
バルコニーから落ちればこの高さだ。命は100%無いだろう。
ただ、腕力のなさそうなソラを狙うにしても、無理矢理落とすことは難しい。
暴れられて落ちる前に怪我でもさせたら間違いなく他殺を疑われる。
睡眠薬等は体内に残るだろうからもっての他だし…夜に眠っている状態を投げ落とすとしても不自然すぎる。
そもそも普通に使っていれば誤って落ちる構造になどなっていないのだ。
(事故を装うには偶然を味方につける必要があるな)
そう考えた男は、理想的な状況を想定していく。
男の思い描いたシナリオ通りにするには、娘がバルコニーに洗濯物を干した日が前提になる。
よって天候は晴れが望ましい。
さらに、風が強い日の方が不自然ではなくなる。
(バルコニーの手すりに乗らないと届かないような場所に洗濯物を引っ掛ければ…)
ソラの性格からすると、間違いなく手すりに乗っかって取り込むはずである。
その時にただ、押す。
それだけでソラは『事故死』するだろう。
(念のため、棒状のものは無くしておくか。幸い、物干し竿は固定されているタイプだ)
つまり……洗濯物を取り込むであろう、ソラが学校から帰ってきてから日暮れ前までの時間。
その時間に、さらに確実にリュウが帰ってこない日。
(ありえるか…?いや、待つしかない。時間はたっぷりある)
そして…その日は殊の外早く訪れた。