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お泊まり会の最終日、私は初めてクラインさんの書斎に足を踏み入れました。
「あはは……広い領地を持つ公爵の書斎にしては、割合シンプルでしょう? ミニマリストまではいきませんが、ナチュラル志向というか、スッキリしたテイストの部屋が好みなんです。異世界転生する前から……ね」
「私もこういうナチュラルカラーの部屋、好きですよ。クラインさんらしさがあって余計に」
品の良い木製のデスクやモスグリーンのソファは、公爵様のお部屋にしてはシンプルで彼が地球テイストの暮らしを捨て切れていないことを感じさせます。そう……彼は、地球時代の記憶があるせいで完全な異世界人には成りきれず、それが原因で完璧なイケメン公爵様にも関わらずいまだに独身なのでした。
「地球では、独身貴族なんて言葉が一時期流行りましたけど。僕もようやく、独身貴族から卒業です。マリッサさん、例の計画……本当にいいんですね。僕は死ぬまで貴女を手放しませんよ」
「クラインさん……」
無言で私が頷くと、クラインさんは潤んだ瞳で私の頬にそっと触れて、口付けを交わそうとして迷っているようでした。結局、恋に臆病な私とクラインさんは、お互いのオデコをちょこんと合わせて再び距離を置きます。
異世界転生仲間という名の『お友達』として交流を深めた私達は、これからもずっとずっと一生一緒にいられるように……ある契約を交わすことにしました。
「では、マリッサさん。改めて僕から貴女へお願いを……契約結婚しませんか、僕と」
「……はいっ……喜んで!」
クラインさんは一輪の赤い薔薇を私に差し出して、婚約を了承した私の手の甲に軽くキスを落とします。それは契約結婚とは思えないほどの真剣な仕草でしたが、熱い恋心を懸命に見せまいとするせめてもの抵抗で無理にお互い作り笑いをするのでした。
「ありがとうマリッサさん、僕の我儘に付き合ってくれて。貴女を好きな気持ちを手放せない、意気地の無い僕に、チャンスをくれて。一生……大切にするから」
「もうっ! クラインさんったら。その代わり、ちゃんと契約の内容は守ってくださいよ。一応私達、仮の夫婦になるんですからねっ」
「ふふっ肝に銘じておきます」
ごく普通の感覚を持ち合わせた男女であれば、せっかく意気投合した相手とわざわざ『契約結婚』なんて心無さそうな結婚の方法を選ばないでしょう。しかしながら、クラインさんは過去に『異世界転生者であることを素直に打ち明けたばっかりに、婚約破棄をした哀しい思い出』からまだ立ち直れずにいました。
(私もクラインさんのこと好きになりかけていたけど、その気持ちは今は封印しないと。お互い傷つかないように、あくまでも契約という形で生涯を共にする約束をしてしまうんだ!)
私とクラインさんは、意気投合した証に……死が二人を別つまで続く最高の作戦として契約結婚という形を選んだのです。
万が一、恋心が裏切られても契約に縛られて一生離れられないように。例え心がお互いに向かなくなっても離婚なんて絶対に出来ない、強い強い契約。
「ねぇクラインさん……もしもの話ですよ。どうしても恋心が抑えられなくなったら、その時はこの契約結婚、どうなってしまうのでしょう?」
「僕が過去のトラウマを乗り越えて、貴女への愛を誤魔化さなくなったその日には。貴女のファーストキスを奪いにいきます! その時は、契約結婚は解除して正式な恋人です。逃げられないくらい目一杯……溺愛してあげますから」
「ふふっ……私もその日まで、ファーストキスを守り抜きますね。クラインさんのために」
* * *
あれから数ヶ月が経ち、物語は冒頭に戻ります。
クライン邸で行われた結婚お披露目パーティーは大成功、私は契約に従ってクラインさんから婚約指輪と報酬の金貨を受け取りご満悦。
その後、クラインさんがお休みなさいのキッスをしてくれたんですよね。何故か唇に……そうあっさりとファーストキスが奪われて……あれ?
『初めてのキス、ご馳走様でした』
とか何とか、言ってませんでしたっけ? けど、契約結婚の約束を交わした時には。
『僕が過去のトラウマを乗り越えて、貴女への愛を誤魔化さなくなったその日には。貴女のファーストキスを奪いにいきます!』
って、カッコよく宣言していた気がするんですが。もしかして、この結婚はすでに……契約結婚じゃなくなっている?
真相が分からぬまま、ついに結婚式当日を迎えることになったのです。