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断章・その一

蕃神ばんしん様が海に⁉」

 それは弥祖皇国やそみくに第三皇子(おうじ)宝利命ほうりのみことが、姉である玉網媛たまみひめのいる関安宅せきあたけ玉髄ぎょくずい】に向かう伝馬船こっとるに乗船しようと、舷門たらっぷに足をかけた直後の伝令でした。

「召喚に失敗し、四尊のうち一尊が玉髄直下の海面にて顕現けんげんあそばされたとの事です!」

 神とはいえ人の姿で現れるなら、海に落ちればおぼれる可能性があります。

 しかも過ぎ去る直前とはいえ、嵐はいまだ健在で、海面は大時化おおしけ最中さなかにありました。

「それは一大事! すぐにおたすけ申し上げねば!」

 幸い伝馬船は目の前にあります。

「おひかえください殿下! 救助は我々が参ります!」

 すぐ出られる船で救出に向かうのは当然ですが、皇族おうぞくまで乗り込む必要はないのです。

 正直、宝利には艦橋か士官室で待っていて欲しいと、切に願う艇長さんでした。

「論じているいとまはない! 行くぞ!」

 宝利は弥祖でも黒龍子こくりゅうじの二つ名で知られた豪傑です。

 艦長さんならともかく、伝馬船の艇長を務める新米将校さんでは、止められるだけの権力と、なにより腕力がありません。

「…………無茶は駄目ですよ、殿下!」

 艇長さんはあっさり引き下がりました。

 止めるだけ時間の無駄と判断したようです。

「かたじけない!」

 水兵さんたちが懸架装置だびっとから係留索ろおぷほどいとまもないとばかりに、斧で強引に切り離して伝馬船を発艦させました。

「殿下、波がたこうございます! 中にお入りください!」

 宝利は舷側にしがみついて、海面を凝視しています。

「目は一つでも多い方がよい!」

 連絡用の船とはいえ、関船の搭載艇は比較的大型で、屋根と風防を持っています。

しかし止みかけとはいえ雨の中。

 日の出時でまだ暗く、視界は良好とはいえません。

 たかのようなまなこを海面に走らせる宝利。

「…………あれか!」

 荒れる海面に、白い人影を見つけました。

浮環ぶいを出せ!」

 艇長さんの命令で、水兵さんたちが救助の準備を始めますが、人影は波にまれて、いまにも海中わたなかへと消え去りそうです。

 もはや刹那せつな猶予ゆうよもありません。

「それでは間に合わん!」

「殿下⁉」

 宝利は胴服を脱ぎ捨て、艇長さんが止める間もなく、荒れ狂う海面へと飛び出しました。

「やめてください殿下ぁ~~~~っ!」

 艇長さんが青ざめました。

 保身の言い訳が頭をよぎります。

 頑強で泳ぎの達者な宝利が溺れる心配はありませんが、艦長さんに怒られるのは確実。

 一方、宝利は海の中。

 しっかりと目を開けて、高い波をものともせずに突き進みます。

『やはり暗い……』

 空はくもり、雨と波で水面は荒れ、暗く深い闇の中を宝利は前進しました。

 五感をするどく研ぎ澄ませつつ泳いでいると、海中に一筋のあかりがともりました。

 伝馬船の水兵さんたちが探照灯さあちらいとで照らしてくれたのです。

 灯りの中に白い人影が、ぼんやりと浮かびました。

「殿下は見つけてくれたかな?」

 甲板で探照灯を照らしていた水兵さんが、心配そうに海面をのぞき込みます。

「賭けるか?」

 隣の水兵さんがギャンブルを提案しました。

「いや賭けになんねーだろ」

 宝利単勝が多すぎてオッズが成立しません。

「だったら心配なんかするだけ無駄だ。信じるまでもねえ」

 水平さんたちの宝利への信頼は絶対的で、もはや信仰の域に達していました。

「上がってきたぞ!」

 探照灯でスポットされた海面に、黒い影が浮かびました。

 なにかをかかえています。

「ぶはぁっ‼」

 海面に浮かび上がった宝利の手に、可憐な少女の姿がありました。

「ふんっ!」

 宝利がかつを入れると、少女は飲んだ海水を吐き出してゲホゲホとせました。

「おおーーーーっ‼」

「殿下お見事!」

 伝馬船の水兵たちが、やんややんやと喝采かっさいを上げています。

「殿下ぁ~~~~っ!」

 艇長さんが救命浮環を投げると、宝利は右手に少女を抱えたまま左手で浮環をつかんで、索条ろぉぷで伝馬船へと引き上げられました。

「助かったぞ艇長。みなもよくやってくれた。恩に着よう」

「もったいなきお言葉。これも我らの責務にございます」

 などと言っている艇長さんですが、頭の中は艦長さんの叱責しっせき譴責けんせき罵詈ばり雑言ぞうごんの予感でいっぱいでした。

 水兵の一人が毛布を持ってきて、宝利と少女を包みます。

「この方が蕃神様か……」

 一息ついた宝利は、あらためて腕の中にいる神様を見ました。

 亜麻色の髪を持つ少女は、衣服を水に流されたのか裸でした。

 風雨による水温の下がった海で体温は低下し、呼吸も少し浅いようです。

「カワイイっすね」

「さすが神様、綺麗だなあ」

 皇族である宝利に接する、水兵さんたちの態度は気安いものです。

 宝利は外交で翡翠に乗る機会が多く、士官さんや水兵さんたちとのつき合いも長い、家族のようなものでした。

 少年時代から身分を問わず誰にでも話しかける宝利は、乗組員たちから弟のように可愛がられ、同時に航法や工学技術などを直接教え合った師弟関係でもあります。

 その信頼関係は深く、水兵さんや仕官さんたちは、自分たちが育てたヒーローに絶対的な自信と信頼と信仰を持っているのです。

 そして宝利も、その信頼を裏切るまいと、日々過剰な努力を重ねてきました。

 その努力が、人並み外れた筋肉筋肉筋肉筋肉として結晶化したのです。

「玉髄より信号! 玉髄行きは中止、翡翠に着艦せよとの事です。殿下はそのままでお待ちください」

 見張りの水兵さんが翡翠からの発行信号を解読して、艇長さんが報告しました。

 しかし当の宝利は、それどころではありません。

「参ったな。わらべとはいえ裸の女性にょしょうを抱くなど初めてだ」

「これも役得でございます、殿下」

「そうそう。ずぶ濡れなのはみな一緒ですし、なんだかんだで殿下の体が一番温かいと思いますよ」

 艇長さん以下全員が、この状況に賛同していました。

 宝利は物語でこそ、次々と美女たちを口説く女たらしですが、実際は極めて身持ちが固く、その実直な性格が乗組員たちに知れ渡っているのです。

 それに宝利の全身は分厚い筋肉におおわれて、水から上がった直後なのに、身も心も焼け火箸ひばしのように熱々で、湯気まで立ちのぼっています。

 遭難者を温めるのに、これ以上の適任者がいるでしょうか?

「これでまた殿下の英雄譚えいゆうたんが増えましたね」

「いや人情本だろう」

「色本は……さすがに不敬罪になるから駄目か」

 冗談を言い笑い合う水兵さんたちですが、実のところは宝利をおもんばかっての言動です。

 以前は情事の噂がつきまとい、人情本が多々出版された宝利でしたが、現実の宝利は初心うぶで奥手な若者で、浮いた話一つありません。

 あまりの堅物かたぶつぶりに、修道しゅうどう(男色)の疑いありとちまたささやかれ始めていたのです。

 男祭りの軍艦暮らしなので女っ気がないのは当然ですが、身分が身分なので、噂話といえども看過かんかできるものではありません。

 弥祖において修道は差別や中傷の対象ではありませんが、水兵さんたちには我慢できないデマゴギーでした。

 今回の事件が報道されれば、風聞ごしっぷも露と消えるでしょう。

 悪い噂で上書きされた英雄譚を、さらに英雄譚で上書きするのです。

 ただし一部のご腐人方は落胆するかもしれませんが……。

「なにを期待しとるのか知らんが、この娘はまだわらべだぞ?」

 少女は高く見積みつもっても中学生くらいで、ひょっとしたら小学生かもしれません。

「殿下だってまだ十七じゃないですか」

 弥祖人の年齢は数えで、宝利は満十六歳。

 筋肉モリモリでも、まだまだ青臭い少年なのです。

「この子だって、それほど幼くはありませんよ。上等(中学)に入るかどうかに見えますし、つり合いはとれてるんじゃないっすか?」

 水兵さんが後押ししました。変な期待をしています。

「なにせ女神様だ。ご身分も十分ですよ」

 他の水兵さんたちも賛同しました。

「きっと美人になりますよ!」

 翡翠への帰路につく伝馬船の中で、ワイワイ騒ぐ乗組員さんたちでした。

 まるで孫の顔を見たがる両親のようなせっつきぶりです。

「なぜ嫁にする前提なのだ⁉」

 この機を逃したら、宝利は一生女性に縁がないかもしれないと思ったからでしょう。

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